2ntブログ

1.1 往きのドライブ

第1章 第1日
04 /30 2017


 当日もよい天気で、空にはいかにも夏らしい白いわた雲がいくつも浮んでいる。 今日も暑くなりそうである。 下着、タオルなどの日用品とプレイ用品を詰めたボストン・バッグを提げ、マンションの入口から道路に出て待っていると、約束の時間どおりに、見覚えのある孝夫の車、クリーム色のローレルがやって来る。 見ると孝夫が運転し、祥子が助手席に座っているが、美由紀の顔が見えない。
 車が私の前で止まり、孝夫が手をのばして後部座席のドアのロックを外してくれる。 ドアを開け、『やあ、お早う』と声を掛ける。 孝夫と祥子も『お早うございます』と挨拶を返す。 確かに後部座席には見覚えある祥子の赤いバッグと、その他2つばかりのバッグと荷物が置いてあるだけである。 自分のボストンバッグも後部座席に入れながら、『美由紀はどうしたの。 何か急に都合でも悪くなったのかい?』と訊く。 祥子は孝夫の顔を見て、にやっと笑う。
『心配しなくても大丈夫よ。 ちゃんと積んであるから』
『積んである?』
『ええ、祥子さんがもう始めちゃいましてね』
 孝夫が笑いながらそう説明して、『ちょっと見て貰っておきましょうか』と運転席から降りてくる。 祥子もおりて来る。
 あたりに人影のないことを確かめて、孝夫が後ろのトランクの蓋をあける。 見ると中には毛布が敷いてあり、美由紀が両手首を後ろ手に縛り合され、足首も揃えて縛られて、頭を右にして、こちらを向いてちぢこまって横になっている。 口には何時もの赤い革のマスクをかけられている。 頭に空気枕をあてがってあるので、姿勢としては比較的楽らしい。 私の顔を見て美由紀は眼でにっこり笑う。
『あれあれ、もう積み込まれちゃったのかい』
 美由紀はまたにっこり笑ってうなずく。
 ちょっと人の来る気配がして、孝夫がさりげなくトランクのふたを閉める。 若い女の人が1人、鎖につないだ白い犬をつれて横を通り過ぎていく。
 孝夫と祥子がそれぞれの席に戻る。 私は後部座席の荷物を少し奥に寄せて席をとり、ドアを閉める。 車の中は冷房が効いていて、ひんやりして気持がよい。
『ここは涼しいけど、トランクの中はさぞ暑いだろうな』
『そうでしょうね』
 孝夫はちょっと心配そうな顔をする。
『いいのよ。 今からもう合宿は始まっているのだから。 気分が乗るって、美由紀も喜んでるわよ』
『そうかな』
 今からこの調子だと今度の合宿がどういうことになるのか、私は期待とわずかの不安とを感じる。 しかし、祥子はあくまで済ましている。



『それじゃ、出発して』と祥子が声をかける。 『はい』と応えて、孝夫がエンジンをかける。 車が動き出す。 そして間もなく環八道路に入る。
 体を前にのりだして早速、『美由紀は何時からトランクに入ってるの?』と訊く。
『そう、T町の僕の家のガレージからですから、約20分前からです』と孝夫が前を向いて運転しながら答える。 『今朝もガレージの中で車に乗ったんですけど、出発前に祥子さんが縛って、僕も手伝ってトランクの中に入れたんです』
『もちろん、美由紀も望んでのことよ』と祥子が振り返っていう。 『マンションを出るときから、そうすることにしてたの』
『ふーん』
『何しろ、お2人とも好きですからね』と孝夫は前を向いたまま笑う。
『それで、あのままでずうっと伊豆まで行くつもりかい?。 このお天気じゃ、日にあぶられて、中の温度が上がって危険じゃないかな』
『ええ、一種の炎暑責めになってるわね』
『それに空気も悪くなるだろうし』
『そうね。 やはり、どこか途中で外に出した方がいいかもね』
 祥子もうなずいて、また前を向く。 私も身体を戻し、深く座り直す。
 やがて車は環八道路から東名高速道路に入り、順調にスピードを上げる。 また祥子と会話を再開する。
『ところで、車のトランクに人を積んで運ぶのって初めてかい?』
『いいえ。 前にも一度、したことがあるの。 やはり美由紀を縛って、この車のトランクに入れて、街の中を10分間ばかり乗り回したんだけど』
『ああ、そう言えば、そんな話を前に聞いたことがあるね』
『ええ、でも、その時は、外では美由紀をトランクから出したり出来るような場所が見付からなくて、結局は孝夫の家のガレージで入れて、またガレージまで戻ってきただけだったの。 だから、本格的に運ぶのは今回が初めて、ということになるわね』
『まあ、トランクに入れて運ぶだけなら、事故にでも遭わない限り、別に危険はありませんし』と孝夫が前方から目を離さずに付け加える。
『でも、トランクって、気密になってるんじゃないのかい?』
『いや、大分あちこちに隙間がありますから、空気が悪くなって危険になる、ということもないんじゃないですかね。 僕も一度、トランクにもぐり込んで蓋を閉めてみたことがありますけど、ずいぶんあちこちから光が漏れて入って来てましたよ』
『ふーん。 それなら大丈夫かな』
 私は一応安心する。
『それで、孝夫君が中に入って蓋を閉めたと言うけど、トランクって内側からも簡単に開けられるものなのかい?』
『ええ。 指で掛け金を外して開けることが出来ます。 もっとも今の美由紀さんでは、後ろ手に縛られているので、ちょっと難しいでしょうけど』
『ふーん』
『美由紀も』と祥子が引き継ぐ。 『この前の時は5月だったし、しかも曇っていたから別に何ということもなかったらしいけど、今日はこの暑さでかんかん照りだから、少しは空気が通うにしても大分辛いかも知れないわね』
『うん、僕もそう思うな。 あまり無理はしない方がいいよ』
『まあ、祐治さんって、美由紀のことになるとすぐに甘くなるのね』
 祥子はまた後部座席に振り返って、にやりと笑う。
『いや、そういう訳じゃないけど、ちょっとこの間の炎暑責めを思い出してね』
『ああ、そう。 やっぱりあれは、祐治さんでも大分辛かったの』
 祥子はまた笑う。 そして、『まあ、美由紀はなるべく早く出すように心掛けるわ。 向こうに行ってから、また色々とプレイをするためにも、美由紀も元気なままでないと困るから』といかにも祥子らしい理屈でしめくくり、また前を向く。
 20分ばかり走って、海老名サービスエリアで一休みする。 なるべく人の来ない隅の方に車を停める。 しかし、ここは人が一杯で、美由紀をトランクから出すのは難かしそうである。
 陽が照りつける。 近くに他の人の居ないことを確かめて、孝夫がトランクの蓋を開ける。 美由紀が私達の顔を見て、にこっとする。 その目にはほっとした表情が浮かんでいる。 口に赤い革のマスクを着け、後ろ手姿で両足を揃えて縮こまっている美由紀の全身を改めて見回す。 ひたいや首にべっとりと汗をかき、息も少し荒くなってるように見える。 トランクの中は冷房が効かないのだから、このように上から照りつけられては無理もない。
 祥子が手に持っていたタオル地のハンカチで美由紀のひたいなどの汗を拭う。 美由紀が目をつぶる。
『大分きついようね』と祥子が言う。 『そうだな』と応ずる。 そして、『美由紀、大丈夫かい?』と声をかける。 美由紀は目を開けて私の顔を見る。 そして目でほほえんで、こっくりと一つうなずく。 そのけなげな態度にまた堪らなく愛しくなる。
 人の来る気配がする。 パタンとトランクの蓋を閉める。 若い男女のカップルがこちらをじろじろ見ながら横を通り抜ける。
 座席にもどる。 また出発して本線に入り、車の流れにのる。
『美由紀は大分つらそうだったね。 なるべく早く出した方がいいな』と後ろから声を掛ける。 『そうね』と助手席の祥子も応ずる。 運転席の孝夫も前を見たままで、『それじゃ、次のパーキング・エリアでまた止めてみます』と応える。
 また15分ばかり走る。 中井PAに車を入れる。 今度もなるべく隅の方に車をつける。 幸い、車の後半部が木の蔭に入る。 さっきよりは車はまばらだが、狭いだけに美由紀を出すのはやはり難しそうである。
 祥子のバッグと私のバッグとからバスタオルを1枚づつ取り出し、近くに人の居ないのを見定めて、トランクをあける。 美由紀はさっきよりさらに辛そうで、汗をぐっしょりかいている。 それでも私達の顔を見てにっこりしてみせる。 ちょっと美由紀の顔の汗を拭い、頭の方と足の方とに1枚づつのバスタオルを掛けて、どうにか外からは見えないようにする。
『こんな所にバスタオルがかかっているなんて、人がみたら変に思うでしょうけど、でもないよりはましね』と祥子が言う。
 トランクを開けたままで10分間ほど休憩する。 顔の上のタオルを開けてみる。 さっきよりは大分楽になった様子である。
『じゃ、また出掛けるわよ』と祥子が声をかける。 美由紀がこっくりうなずく。 ふたを閉める。
 また出発。 20分ほど走って、足柄SAに入る。 また隅の方に、しかもトランクを人目から遠い向きに止める。 外に出る。 周りを見回して、『ここなら何とか出せそうね』と祥子が言う。
 また早速に、近くに人の居ないことを確かめてトランクの蓋をあける。 タオルから出たままの美由紀の汗まみれの顔が見える。 さっきより一段と辛そうな様子だが、それでもまたにっこりしてみせる。
 祥子が『ちょっと、人が来るかどうか見ててね』と孝夫に言う。 孝夫は『はい』と応えて向こう側に行って警戒する。 祥子がトランクのふたの蔭になりながら美由紀の顔のマスクをはずす。 美由紀は口から小切れを吐き出す。
『どお?、大丈夫かい?』と私がきく。
『だいぶ辛かったわ。 でも大丈夫』との答えが返る。
 祥子はつづいて足の上のタオルをめくり、足首を縛り合せてある紐を解く。 そしてもう一度、あたりを見回す。 さいわい、誰も我々のことを気にしてる様子はない。
『じゃ、座席に戻りましょうね』と祥子は手をかして、美由紀を起き上がらせる。 そしてジャンパーを肩からかけて、縛られている手を隠す。 それから美由紀は私に抱えられるようにしてトランクから出て、サンダルをはく。 皆がほっとする。 孝夫も横に来て『よかったですね』と言う。
 気が付くと、富士山が間近に美しくそびえている。
『いい眺めだね』とみとれる。
『ほんと』と、美由紀も後ろ手のまま、みとれている。
『帰りには見られるかどうか判らないから、今よく見ておいてね』と祥子が笑いながら言う。
『うん』と応える。
 少しして、『さあ、もうそろそろ行きましょうか』との孝夫の声に応えて、皆で毛布をたたみ、後部座席の荷物をトランクに移して、そのあとに私が奥に入って美由紀と2人並んで座る。 祥子は助手席に戻る。



『さあ、また、出発』
 車はまた高速道路に入り、流れにのる。 美由紀の肩からジャンパーを脱がせる。
『ああ、ほんとに生きかえったようだわ』と、美由紀は不自由な上半身を座席の背にもたせかけて言う。
『どうだった?、トランクの中は』
『ええ、初め、空気が悪くなるんじゃないかと思って心配だったけど、その方は別に何ともなくて助かったわ』
『うん、トランクって案外、すき間があるそうだね』
『ええ、あちこちから光が入って来てたから、空気もそうなんでしょうね』
『それに』と祥子が後ろを振り向いて言う。 『2~30分おきに開けてたことになるから、空気の方は大丈夫よね』
『ええ、でも、とても暑くって、息も結構辛かったわ。 それにとても汗が出て。 それで脱水状態になるんじゃないかって心配だったの』
『ええ、でも、結局は大丈夫だったんでしょう?』
『ええ、何とか』
『とにかく、今度の合宿の小手調べとしては丁度よかったんじゃない?』
『知らない!』
 美由紀は上半身をひねって、すねてみせる。
『とにかく御苦労さまでした。 目的地に着いたら、またたっぷり楽しませて上げますからね』と、祥子はねぎらいとも脅しともとれるような言葉で締めくくり、また前に向き直る。
『手の紐も解いて上げようか』ときく。
『いいわ、このままで』
 美由紀はほんとに紐を嫌がらない。 祥子と一緒の間は、美由紀は手が自由な時間より縛られている時間の方が長いかも知れないな、などと考える。
『喉が乾いたら、その横のポットに冷たい紅茶が入ってますよ』と運転しながら孝夫が声を掛けてくる。
『どう。 冷たい紅茶だそうだけど、飲むかい?』
『ええ』
 ポットの蓋を取り、冷たい紅茶を紙のカップに注いで、美由紀にゆっくり飲ませる。 そして『もっと』という注文で、もう1杯飲ませる。 美由紀もやっと落ち付いた顔になる。 顔からまた汗が出てくる。 タオルで顔の汗を拭う。 ポットにまた蓋をする。
『はい、これ』と祥子がチョコレートの板を後ろに差し出てくる。 私が受け取り、小さく割って一片を美由紀に差し出す。 美由紀は『有難う』と言って口に開け、受け入れてゆっくり味わっている。 私もチョコレートの一片を自分の口に入れ、その甘みを味わいながら、『何でもやってらえるのなら、確かに手を縛られて生活するのも悪くはないな』と思う。
 車は順調に走っている。



 沼津ICで東名高速道路を出る。 そして国道1号線を経て国道136号線に入り、南に向う。
 大仁を過ぎた頃から、美由紀が体をもじもじ動かし始める。
『どうした?』と訊く。 美由紀が恥ずかしそうに小声で答える。
『あの、ちょっと、おトイレに行きたくなったの』
『ああ、そう』
 私はうなずいて前に声を掛ける。
『孝夫君。 美由紀がおトイレに行きたくなったそうだから、何処かいい場所に車を止めて貰えないか?』
『あの』と祥子がつけ加える。 『あたしが世話してさせてあげるんだから、どこか人目のない所がいいわ』
『え?』
 美由紀は一瞬びっくりしたような顔をするが、すぐに納得したようにうなずき、肩をすくめる。
『そうですね』と孝夫が運転しながら応える。 『この辺じゃ、あまりそういう所はなさそうですから、もう少し走って、山に入ってから探すようにしたいんですけど』。 そして相変わらず前を見ながら、『美由紀さん、もう後20分ばかり、我慢できませんか?』と訊く。
『ええ、何とか』と美由紀は返事する。
 やがて国道136号線は狩野川と別れて西に向い、山の間を入っていく。 いくつか部落を過ぎた後、孝夫はとある小道にそれて車をのり入れ、少し登って行って、林の中のちょっと開けた所に停める。
『さあ、この辺でどうですか?』
『そうね』
 祥子がドアを開けて外に出る。 そしてちょっと周りを見回してから、後部座席のドアを開け、『じゃ、出てらっしゃい』と声を掛ける。
『ええ』と返事して、美由紀も不自由な上半身をくねらせて外に出る。
 祥子は美由紀の後ろ手の腕を取って、少し離れた草むらのかげに連れていく。 そしてスカートをまくり、ズロースを下してやっている気配がある。 私と孝夫は車の横で2人を待つ。
 3分ほどして2人が戻ってくる。 見ると美由紀は、風邪予防用のを大きくしたのような白い大きなガーゼのマスクで鼻と口とをぴったり覆われて、後ろ手のままであえぎながらやってくる。 マスクは眼のすぐ下からあごまで覆っている。
 すぐ横まで戻ってきた美由紀に、『美由紀、どうした』と声をかける。 祥子がにやにや笑っている。 ガーゼのマスクならそんなに息苦しい筈がないのに、と思いながら、マスクを外してやる。 美由紀がほっとしたように大きく息をする。
 ガーゼにしてはマスクの手ざわりが変である。 裏を返してみる。 裏は薄くて丈夫そうな白いゴム布で裏打ちされている。 ゴム布はマスク一杯の大きさで、穴は1つもあいてない。 祥子の顔を見る。
『ね、面白いマスクでしょう?』と祥子が笑いながら言う。 『美由紀のために特別に作ってあげたの』
『なるほど。 これじゃ、息苦しい訳だ』
 私は改めてマスクを見る。
『いつもこんないたずらをしてるのかい?』
『ええ、時々。 マンションで美由紀のお仕置に使ってるの』
『ふーん』
『祐治さんもお望みなら掛けさせてあげるわよ』
『そうだね』
 私はもう一度、マスクの裏のゴムの手触りを確かめる。
『ちょっと験してみようか』
 私はマスクを自分の鼻と口とを覆って掛けてみる。 まだ美由紀の肌のぬくもりが少し残っている。 息をしてみる。 鼻の横の辺からいくらか空気が漏れてきて、どうにか呼吸が続けられる。
『自分で外せたんじゃ、やっぱり面白くないわよね』
 そう言って、祥子がいつの間にか紐を手にして私の後ろに回り、両手首をとって腰の後ろで重ねる。 私は抵抗せずに祥子のなすがままに任せる。 祥子が両手首をきっちり縛り合せる。 久しぶりの手首の紐の感触をじっくり味わう。
 ついで祥子は私の前に来て、鼻からあごまでをぴったり覆うようにマスクの位置を修正する。 マスクの裏のゴム布が顔の肌にぴったり吸いつき、吐いた空気は漏れていくが、吸っても空気が少しも入って来ず、息が詰まってくる。 美由紀が心配そうな顔をして見ている。
 あごを動かし、口を一杯にあけ、顔をゆがめる。 ゴム布は肌に密着していて、顔の変形に従って変形する。 しかし、それでもあごの方にひっぱられて鼻の上の方でずれを生じ、隙間ができて、空気が少し漏れて入ってくる。 ほっとして大きく息をする。
『やっぱり、このマスクは美由紀に合せて作ったので、祐治さんには少し小さいわね』と祥子は言う。 『手を使わずにそう簡単に隙間をつくれたのでは、面白味が少ないわ』
 あえぎながら何とか呼吸をくり返す。 もうそろそろ取ってくれないかな、と希う。 しかし、祥子は、『そうね。 それでも大分効果はあるようだから、しばらくの間、そのまま掛けておいてあげましょう』と笑う。 祥子をにらみつける。 しかし、祥子は気がつかない振りをして平然としている。 孝夫は横でにやにや笑っている。
『じゃ、また御出発よ』と祥子は笑いながら後部座席のドアをあけ、私と美由紀に軽く頭を下げて、科を作って手で『お乗り下さい』というように合図する。 仕方なしに、後ろ手のまま、今度は、美由紀、私、の順に車に乗る。
 助手席に乗り込んだ祥子が後ろを振り向いて、『そうやってお2人が、お揃いの後ろ手姿で並んで座ってると、とてもお似合いよ』と笑う。 また、祥子をにらみつける。 しかし、何だか将来を暗示されたような、悪くない気持になる。 美由紀はまた恥ずかしそうに下を向く。
 祥子は座席にひざで立ち、孝夫の横からカメラを取り上げて、『記念に1枚撮っておくから顔を上げて』と前部座席の上からこちらに向けて構える。 美由紀が顔を上げる。 1枚ぱちりと撮る。 またまた、祥子をにらみ付ける。
『じゃあね』と言って祥子がまた前に向いて座る。 『それじゃ、行きますよ』と孝夫が声を掛け、車がまた動きだす。



 車は国道に戻り、またスピードを上げて走りだす。 もう人家もなくなり、カーブの多い登りがつづく。 この辺も道路はすべて舗装されていて、カーブでは後ろ手の体が右に左にふり回され、少し心許ないが、少し広げた両足で何とかふんばる。 美由紀も後ろ手のまま、何とかふんばっている。 時々、美由紀と身体が触る。 美由紀は『あら、ごめんなさい』と言う。 私も応えたいが、マスクの隙間からかろうじて呼吸を続けている身ではそれも叶わない。 あえぎながら、ただ軽くうなずく。
 ちょっと平らな所に出る。 さらに少し行くと、立派な道路が右に別れている。 孝夫はちょっと車を停める。 そして半分振り向くようにして3人に説明する。
『ここがS峠で、右に別れているのがNスカイラインで、D山へ行く道です。 D山は富士山の展望台として、とても有名なんです』
『ああ、そう。 それはよさそうね』と祥子が言う。
『ああ、D山から見た富士山って、あたしも写真を見たことがあるわ。 とてもきれいな風景写真だったわ』と美由紀も言う。
『ええ。 僕も一度行ってみただけですけど、素晴らしい眺めでした』
『そうね。 今日は先を急ぐから駄目だけど、帰りにはちょっと寄ってもいいわね』
『そうですね。 ここから入ってD山に寄って、そのままH峠に抜けて、修善寺に出れば道路はこの国道よりは少しは悪いけど、距離も時間もそうは変わりませんし』
『そうね。 天気さえよかったら、是非寄ってみましょう』
 さっそく相談がまとまったようである。 私も話に聞いているD山からの富士山の眺めに大いに期待する。 しかし、今の私は会話にも参加出来ず、ただあえいでいるだけである。
『じゃ、また、出発します』
 車が動き始める。 今度は長い長い下りである。 今までより遥かにカーブの多い道をエンジンブレーキをきかせながらぐんぐん下って行く。 耳が少しじーんとして来る。
 やがてヘヤピンカーブの連続を抜けて、また川に沿った道路になる。
『もうすぐ、T町です』と、少し緊張を解いたような顔で孝夫がいう。
 車はT町で海岸に出て南に向かう。 街を出ると道路は海岸沿いに走るようになり、右手に明るい海が拡がる。
『わあ、いいわね』と祥子が歓声を上げる。 私も歓声を上げたいが、マスクが丁度、猿ぐつわになっていて上げることが出来ない。 相変らず苦しい息をあえぎながら、美由紀の肩越しに明るい海を見詰める。 美由紀も後ろ手のまま、窓ガラスに顔を押し付けるようにして海を見ている。
 車はさらに南に向い、長い登りで高い崖の上に出たり、下に降りて港の横を通ったりしながら、ひたすらに走る。
 もうすぐM町というところで、岬の曲り鼻で道の傍らに広くなった草地をみつけ、車を停める。 前の座席の時計をみると、もう1時を少し過ぎている。
『ここでお弁当にしましょう』と孝夫がいう。 『もうお昼を大分過ぎてますし、ここから先に行くともうすぐM町の中心に入るので、もうこういう景色のいい場所はありませんから』
『そうね。 せっかくだからお弁当は景色のいい所で食べた方がいいわね』
 皆が車から降りる。 道は高さ10メートルばかりの崖の上を走っており、景色が素晴らしく佳い。 3人はちょっとの間、海の彼方の水平線の美しさにみとれている。 私は息が苦しくて景色を観賞するどころではないが、と言ってどうすることも出来ず、あえぎながら皆を待つ。
 祥子が崖下に下りていく踏跡を見付け、『あら、ここから下に行けるわよ。 ちょっと見てくるわね』と言って、降りて行く。
 すぐに祥子は戻ってくる。
『下にはみんなで座るに丁度いい岩もあって、とてもいいわよ。 お弁当は下で食べましょう』
『そうですね。 でも』と孝夫が私と美由紀を見る。 『あたしは大丈夫だけど』と美由紀は言って私を見る。 私も水の近くへ行ってみたくなる。 『むん』とうなずいてみせる。
『じゃ、みんないいわね』
 車から弁当の入ったバッグとポットを取り出して祥子と孝夫がそれを持ち、先に立って踏跡を下りていく。 私と美由紀は後ろ手のままなので如何にも頼りないが、それでも他の2人について、足下に気をつけながら慎重に降りていく。 それでなくとも苦しい息が岩屑まじりの急な踏跡を時々よろけながら下りていくことでますます切迫してくる。 私は途中で2~3度立ち止まって呼吸を整える。
 水際近くまで下りた所に、道からは陰になって見えず、4人がゆったり座れる位の広さのほぼ平らな岩がある。 岩の上には大きな松の木の枝が張り出していて、日陰を作っている。
『ね、いい岩でしょう?』
『むん』
 早速、祥子と孝夫が上にたまっていた松葉をざっと払い落とし、ビニールの風呂敷を敷いて上に荷物を置き、その周りに皆がそれぞれに腰をおろす。
『お弁当を食べるんじゃ、マスクは外さないと駄目ね』と笑いながら、祥子がやっとマスクをはずしてくれる。 肩で大きく息をする。
『これって、本当に苦しいもんだね』。 私はまだはあはあ言いながら、敷物の上に置かれたマスクを見やる。 『ぴったり掛けられたら、ほんとに窒息して死んでしまうんじゃないかな』
『ええ、そうかも』と祥子はうなずく。 そして、『だから美由紀に掛けるときは、普段はお仕置の程度によって空気の漏れ具合をうまく調節するの。 すると美由紀じゃ、いくら顔を動かしてもマスクをずらすことは出来ないから、お仕置があたしの考えた通りにうまくいくのよ』と説明を加えて、『ね、美由紀?』と声を掛ける。
『ええ』と美由紀が短く応えてうなずく。
『でも、さっきの祐治さんのときは、験しに出来るだけぴったりさせてみたの』と祥子がいたずらっぽく笑う。
『道理で苦しかった』と私。 『とにかく最初は全然、空気を吸うことが出来なかったからね。 苦しまぎれに精一杯顔を動かして、やっといくらか呼吸が出来るようになったけど。 でもその後でも、ちっとも楽にならなかった』
『でも、いいものでしょう?。 祐治さん専用にもう少し大きいのも作ってさしあげましょうか?』と祥子がまた笑いながら言う。 『そうすればもっとぴったりして、もうずれて空気の洩れが出来たりする心配がなくなるわよ』
『そうだな』
 私はあいまいな返事を返す。
『そうね』と祥子は言う。 『祐治さんと美由紀の2人分をお給事するんじゃ、忙しくてかなわないから、祐治さんの紐は解いてあげるわね』
 祥子は私の後ろ手の手首の紐を解く。 久しぶりに手を伸ばしてほっとする。
 お弁当のサンドイッチを拡げる。 祥子はまたサンドイッチを小さく切って、一つづつ美由紀の口に運ぶ。 間に冷たい紅茶を飲ませる。 自分も食べたり飲んだりする。 面倒見がいいな、と感心する。
 孝夫は黙々としてサンドイッチを食べている。 私もサンドイッチをぱくつき、冷たい紅茶を飲みながら、寄せては返していく波を眺める。 丁度、眼の下には、岩が幾つもごつごつ頭を出している狭い砂だまりがあって、そこに波が寄せては小さな岩の頭を越え、大きな岩にくだけて返している。 海からの風がとても気持よい。
『波って面白いね』と私が皆に話し掛ける。 『毎回変化があって、いくら見てても飽きないね』
『そうね』と祥子が受ける。 そして、『あたし、波が来るたんびに、あそこの小さい岩を越えるかどうか予想をたてて見てるんだけど、あんまり当らないものね』と言う。
『え、どの岩?』
『ええ、あれ』。 祥子が指差す。 確かに、丁度人の頭ほどの大きさの岩が平らな砂の上に鎮座していて、波がやってくる度に水しぶきを上げ、頭を越されたり、てっぺんが残ったりしている。 孝夫も美由紀もその岩に眼をやる。
『ふーん、なるほどね』
 私も予想を立てながら、その岩をながめ、サンドイッチをつまむ。 ふと、今夜からどんなプレイが待っているのかしら、などと考える。 そしてふと、その岩と自分の頭とが二重写しになり、波をかぶってあえいでいる自分の顔が目に浮かぶ。 はっとして我に帰る。 しかし、それが今度の合宿でのプレイを暗示しているような気がして、奇妙な気分になる。
 ひとしきり食事が進んだ後で祥子に訊く。
『ところで祥子は、今度の合宿でどんなプレイを考えてくれてるんだい?』
『そうね。 とにかく、今度の合宿の特徴を生かしたものを色々してみたい、と考えているんだけど』
『そうだね。 それがいいね』
『その、合宿の特徴を生かしたプレイって、どんなんですか?』と孝夫がきく。
『ええ、まだ、それはよく考えてないの。 でも、行けばきっと、素晴らしいプレイが次々と見付かるわよ』
『ああ、そうですか』
 孝夫はあいづちは打ったものの、あまり納得しないような顔をしている。
『例えば、今度の合宿の場所は海岸で砂浜もあるそうだから、海の水や砂で色々な形の水責めが出来るでしょうし、後ろはすぐに山が迫っているそうだから、周りの山を色々と責めを工夫しながらお散歩するのも楽しいんじゃない?』
『なるほど』
 私は改めて、祥子の想像力のたくましさに感心する。
『そこであたしは、実際に行ってみれば幾らでもプレイの種が見付かるような気がするものだから、今はまだ、こういうプレイをするって決めないでいるの』
『なるほどね』
『きっと色々と楽しいプレイを見付けて、やってあげるわよ。 期待してらっしゃい』
『まあ、よろしく頼む』
 私は軽く頭を下げる。
『ええ、任しといて』と祥子が胸をはる。
『大した自信だね』と私が言う。 皆がどっと笑う。



 食事が終って皆が立ち上る。 孝夫が祥子に『美由紀さんの紐も一度解いてくれませんか』と言う。 『もうすぐ、管理をお願いしているアラフネさんのお宅に着きますけど、向うの人に会って挨拶するとき、変にあやしまれてもいけませんから』
『でも、ちょっと挨拶するだけなら、美由紀は後ろ手のままでも、ジャンパーで隠しておけば大丈夫なんじゃない?』と祥子は言う。 『もう、せっかくここまで来たのだから、孝夫の家を出てから目的地に着くまでずうっと後ろ手で通す、という記録を作りたいと思ってたんだけど』
『ええ、でも』と孝夫は重ねて言う。 『アラフネさんのお宅に着いたらお茶ぐらいは呼ばれますし、それにその部落から先はもう車が入らず、山越えの道はとても悪いので、向うの人に船で送って貰うことになると思いますので』
『ああ、そう。 それじゃ、無理ね』
 祥子も納得して、美由紀の後ろ手のひもを解く。 もう6時間ばかり縛られっぱなしだったので、美由紀はさかんに肩や腕を動かして凝りを取っている。
 荷物や取りまとめたごみを持って車に戻り、また出発する。 まもなくM町に入る。 そしてそのまま街を通り抜けて、また海岸沿いの道に出る。 この辺はもう道路も舗装がしてなく、よくゆれる。 それに狭い。
 また2つばかりの部落を通り越して、最後に車は家が5~6戸かたまった小さな部落に出る。 孝夫はそのうちの一番立派そうな一軒の家の前に車を停めて、『はい、着きましたよ』と言う。 『この家の方に留守中の別荘の管理をお願いしてあるんです』
『長い道のりを、御苦労さま』とねぎらって、皆が車から降りる。 海や魚の独特の臭いが心地よく鼻をつく。 目の前の家の表札を見る。 「荒船」と書いてある。
 我々の来た道はもう20メートルばかり先で車が入れないほどの狭い踏跡になり、その先には山の背が立ちふさがって、岬へとのびている。 『今日の目的地はあの山の背の向う側です』と孝夫が説明する。
 孝夫が家の入口に立って、奥へ声を掛ける。 すると中からは60才がらみの老夫婦が出て来て、『ああ、よく来た』と歓迎して、家の中に招き入れてくれる。 口々に挨拶して家の中に入り、上がりかまちの所でお茶を一杯ご馳走になる。 お茶菓子には海草入りとかいう煎餅が出る。
 お爺さんが眼を細めて孝夫を上から下まで見て、『ぼんぼんもすっかり大きくなったのう』と言う。 孝夫が頭をかく。 皆がどっと笑う。 『とにかく僕が生れる前から知ってるんで、頭が上がらないんです』と孝夫が小声で説明する。
『それで、あんな何もない所で、10日間も何をして過ごす積りなんだね』とお爺さんが訊く。
『いや、10日じゃなくて足掛け7日ですよ』と孝夫が言う。
『そんなことは同じ事じゃ』とお爺さんは一刀両断に切り捨てる。 そして返事も聞かずに、『そうじゃな。 普段は東京でせかせかして暮してるんじゃろうから、たまにはああいう静かな所でぼさっとしてるのもいい薬になるかもしれんな』と独り合点する。
『ええ、あたし達もそう思ってます』と祥子。 また、明るい笑い声がおこる。
 ふと、我々の荷物の中に紐とか、鎖とか、猿ぐつわ用の革のマスクとかが入っているのをこの頑固そうなお爺さんが知ったら、一体どんな顔をするだろうか、との考えが頭に浮かんで、にやっとする。 それらのプレイ用具を出して見せ、験してみたい衝動にかられる。 しかし、ぐっと我慢する。 お爺さんの横に座っていたお婆さんが、またお茶を注ぎ足してくれる。

1.2 別荘

第1章 第1日
04 /30 2017


 お茶が終って、さっそく別荘に行くことにする。 車はここで預かってもらい、荷物を積み替えて、老夫婦の息子の荒船さんにポンポン音のするエンジンのついた小さな漁船で送って貰う。 荒船さんはお名前を「荒船尭太」とか言う漁師さんで、年齢は30代半ばほどか。 いかにも漁師さんらしく、がっちりした身体で日焼けした、人柄もとてもよさそうな人である。
 目的地の別荘はここからもう一つ岬を回った入江にある。 船は岩だらけの岬を左手に見ながら大きく迂回して、入江に入って行く。 かなり奥が深い。 我々は船の前の方の船板に腰を下ろして、きょろきょろと周りを見回す。 風が顔に当る。
 陸地は右も左も険しい崖の岬が突き出ており、行く手にはかなり広い砂浜があって、その背後に林があり、そのさらに後ろに高さが20~30メートルもありそうな崖が連なっている。
『昔はその崖下に沿って海軍が作った道路がありましてね』と孝夫が左手の岬の崖の水際を指で差して説明する。 『その道路を通って車でさっきの部落から来ることが出来たんですけど、それも今では波ですっかり削られて、数年前からは人も通れなくなってしまいました』
『すると、今は歩いては来ることは出来ないのかい?』
『いえ、山道を越えれば来ることは出来ますけど、かなりけわしくて大変です』
『ふーん』
 私はうなずく。 そしてついでに右手の崖を指さして訊く。
『あの、右手の方は?』
『ええ、右手も海沿いにはずうっと崖が連なっていて通れないので、行くとすれば、あの岬の付け根を登っていって、ずっと高い所を通っている踏跡をたどることになります』
 孝夫は岬の付け根を指差す。 確かにそこに1本の踏跡が森の中に入っていくのが見える。
『あの踏跡も大分起伏が多くて、隣りの部落まで行くのにも、1時間半位かかるんです』と孝夫が説明を付け加える。
『ふーん。 すると、この浜は本当に陸の孤島なんだね』
『ええ、そうですね』
『それにしても、その陸の孤島に、しかも孝夫君のお宅の別荘1軒だけしか建物が建ってないというのは貴重だね。 あんな好い砂浜まであるというのに』
『ええ、この浜は全部、一応は父の会社の所有になっているんで、余所の人がやたらに建物を建てる心配はないんです』
『ああ、そうなの』
『ええ、それにここは車が全く入れず、浜にあまり良い船着場もないので、今じゃ家を建てるといっても、資材を運ぶだけでも大変なんですね。 僕の家の別荘は、まだ道路にトラックが通れる時分に建てたんで出来ましたけど』
『なるほどね』
『もともとこの付近は、交通の便がとても悪いこともあって、昔は誰も来なかった所なんです。 最近はレジャーブームでこの周りにも人が来るようになりましたけど、それでもここは開発にはちょっと手間がかかり過ぎるということで、敬遠されてるようです。 父の会社にも開発の話はまだほとんど持ち込まれてきてないそうです』
『なるほど』
『それで今でもほとんど人も来ず、静かなまま残されているんです』
『ふーん、それは素晴らしいね』
 私はこの最後の秘境とでも呼べる素敵な砂浜にすっかり嬉しくなる。
『そうすると、ここはほんとにあたし達だけの世界ってことになるのね。 いいわね』と祥子も嘆声を漏らす。 船はずんずん砂浜に近づいていく。
 浜のすぐ近くまで来て、荒船さんがエンジンを止める。 後は船が惰性で浜に進む。 やがて船はどすんと砂に少しのり上げる。 荒船さんが錨を入れる。 皆が膝の下まで海水につかって船から降り、荷物をもって浜に上る。 食料品などもおろす。
 荷物がすっかりおりて、『じゃ、行きましょう』と、荒船さんが食料品を手に先に立って砂浜を横切り、木立の中の小道に入っていく。 我々も荷物をもって、ぞろぞろと後につづく。
 20メートルばかり木立を入った所で、一軒だけ立っている建物に着く。 荒船さんが鍵の束を取り出し、その一つで入口の開き扉の鍵をあけて、『さあ、どうぞ』とすすめてくれる。 順々に中に入る。 昨日、掃除をしておいてくれたとかで、中はきれいに片付いている。 荷物を玄関からの上がり端に積み上げる。
 荒船さんが、『それでは私は今日はこれで帰ります。 これからは毎日一回、昼過ぎに来ます。 要るものがあったらその時に言って下されば、その次の日にお届けします。 それではこれを』と言って鍵の束を差し出す。 『はい、確かに』と孝夫が受け取る。 『それではまた、あした来ますから』と言い残して、荒船さんが別荘を出る。 皆で浜まで送る。
 荒船さんが船を押し戻して砂から離し、よじ登ってエンジンを掛け、錨を上げる。 そして左手で舵を握って『じゃあ』と右手を振る。 我々も手を振って、『有難うございました』と挨拶を送る。 船が動きだす。 また一斉に手を振る。 船は順調に入江を出て行って、ポンポンという音と共に次第に遠去かり、遂には右手の岬の陰に入って見えなくなる。 浜辺に我々4人だけが残させる。
『いよいよ、あたし達4人だけの世界になったわね』と祥子が感慨深げに言う。
『そうだね』と、私も一種の感慨を込めて応える。



 別荘に戻る。 『取りあえず、荷物は食堂に入れておきましょう』とのことで、玄関に置いてあった荷物をそれぞれに持って、中廊下を通って食堂に行く。
 食堂に入って、バッグなどの荷物はすぐ左手の壁際にまとめておき、食料品は早速、冷蔵庫などに入れる。 ここは12畳くらいの広さの板敷きの台所兼用の食堂で、中央に大きめの食卓と6脚の椅子があり、奥の窓際に流し兼用の調理台が取りつけられ、右手の壁際には大きめの冷蔵庫やどっしりした食器戸棚などが並んでいる。 ここへは電気は来ているが、ガスはプロパンガスとのこと。 この部屋は天井板が張ってなく、高い所に棟木や梁がむきだしになっている。
『この別荘には他にこういう部屋はないので、普段でも何かの時はここに集まることになると思います』と孝夫が言う。 皆がうなずく。
『それにここは吊りプレイをするのにもよさそうね』と祥子が上を見ながら言う。 『高さも充分だし、これだけ棟木や梁がむき出しになっていると、どこにでも好きな所に自由に紐を掛けて吊るすことも出来るし。 ね、祐治さん?』
『そうだね』と私も上を見上げて応える。 『ただ、みんなすごく高い所にあるから、最初に紐を掛けるのがちょっと大変かな』
『でも、一度、滑車を吊しておけば、後は楽に使えるし』。 祥子はそう言って、横の孝夫に振り向く。 『孝夫、ここには滑車はあるんでしょう?』
『ええ、確か、外の物置にあったと思います』と孝夫が応える。 『それに確か、手巻きウインチもあった筈ですから、それも使えますよ』
『あら、手巻きウインチ?。 それは至れり尽くせりね。 早速、今晩からでもプレイをしたいから、後で取り付けて貰おうかしら』
『ええ、やりましょう』
 孝夫は最初からその積りであったかのように、すぐに引き受ける。
 食器戸棚には色々の食器が並んでいる。 祥子がその下半分を占める観音開きの扉を開けてみる。 そのかなり広い内部には食器セットの箱らしきものが3つばかりあるだけで広く空いている。 祥子は何事か思い付いたらしく、一度うなずいて扉を閉める。
『じゃ、別荘の中を一通りご案内しましょうか』
『ええ、お願い』
『じゃ、まず、こっちへ来て下さい』
 皆で食堂を出て、ひとまず玄関に戻る。
 この家は建物は平家建てで、正面は西、つまり海の方に向いている。 玄関から中を見ると、まず建物の中央を西から東へ貫いて、幅3尺の中廊下がある。 そしてすぐ右手にはまず3尺幅の廊下の延長で3尺ひっこんで一つ部屋がある。 唐紙の引き戸を開けて中に入る。 ここは8畳の畳の間で、入って正面の南側は4枚のガラス戸で横の庭に面しており、右手の海の方向には窓がある。 北側には幅が1間半の押入がある。
『明るくていい部屋だね』と私。
『そうね』と皆がうなずく。
 中廊下に戻って奥へ行く。 右手の唐紙の2枚引き戸を開けて、もう一つの8畳の間に入る。 左手に1間幅の押入と床の間のある落ち着いた部屋である。 正面のガラス戸が開いていて、その先に3尺幅の縁廊下が付いている。 その先はまた4枚のガラス戸を通して庭が見える。
 皆で縁廊下に出る。 縁廊下は長さが4間ほどで、庭側はずうっと硝子戸で仕切られ、すごく明るい。
『あの開きはさっきの8畳への通路です』と孝夫が右手の廊下の端の板の扉を指さす。
『そう言えば、さっきの8畳の隅に襖の開きがあったね。 あれがそれかい?』
『ええ、そうです』
 縁廊下を左に行く。 突き当たりに板の開き戸がある。 3尺四方の小さい物置だそうである。 そして左手に4枚のガラス戸があって、その内側に6畳がある。 東側に1間の押入と、それと並んでやはり間口が1間で幅が3尺の板敷きがあり、その先が窓になっているのが目につく。 また、反対側の壁際には洋服箪笥が1つ置いてある。
『さっきの8畳2つとこの6畳が畳敷きの部屋で、居室兼寝室として使うようになっています』と孝夫が説明する。
『なるほど』とうなずく。
 説明を聞きながら、我々4人だけでこの3寝室の広い別荘を独占するのがちょっと申し訳ないような気がする。 しかし、相客が居てはお目当てのプレイが自由に出来なくなるから、と理屈をつけて、現実を有難く受け入れる。
 襖を開けて、また先ほどの中廊下に出る。 右手は中廊下が扉に突き当たる。
『この扉の向こうは裏庭です』と孝夫が扉を開けて見せる。 裏庭はちょっと開けている空間で、その先には松林が連なり、左手にかなり大きな物置らしい小屋が見える。
 扉を閉める。 一方、中廊下の一番奥の左手、つまり奥庭への扉のすぐ左手は1坪の洗面所で、その奥にはやはり広さ1坪の便所がある。 そしてその手前に並んで、広さ1坪ばかりの板敷きの脱衣室とその奥の2坪あまりの広さの浴室がある。 浴室は床がタイル張りで、奥に50センチばかりの高さの縁を持った、やはりタイル張りの浴槽がある。 浴槽は幅1メートル半、長さ2メートルあまりの広さで、深さは60センチほどの標準的なものである。
『ガスの火は、ほら、そこのガス釜のパネルにあるコックの押し回しで、風呂に入ったままで点けたり消したりができます』と孝夫が説明する。
『ああ、それは僕のマンションのと同じだ』
『ああ、そう。 それは便利ね』
 祥子は何事かを思い付いたかのように、にやっと笑ってうなずく。
 脱衣室を出る。 そのすぐ横、食堂との間に地下への幅が3尺ほどの階段の降り口がある。 孝夫がそこで立ち止まって、『さて、最後は地下室ですけど、これは傑作ですよ』と言う。
『どういう風に?』
『ええ、行けば判ります』



 孝夫が先に立って階段を降り、3人がぞろぞろついていく。
 階段を下り切ると、広さが1坪ほどの平らな場所があり、左手に重そうな鉄の扉がついている。 扉にはかんぬき式の頑丈な留め具がかかっている。
『ふーん、ずいぶん厳重な扉だね』
『そうですね。 昔、海軍がここでよっぽど秘密の作業でもしてたんでしょうね』と孝夫は言う。
『それに古風なかんぬきがついてるね』
『そうね。 単純明快でいいわね』。 祥子がそう言って笑う。 確かにこれだけ頑丈な鉄の扉にこれだけ頑丈で明快な留め具が掛って居るのを目の当たりにすれば、扉の反対側からは開けようがないことが充分に納得される。
 孝夫は扉の横の壁にあるスイッチを入れ、ピンを抜いて留め具をはずし、ノブを回して扉を重々しく押し開けて、みんなと一緒に中に入り、また扉を閉める。
 入口近くに立って中を見回す。 部屋の中は天井に何本か並んだ蛍光灯で明るく照らされている。 部屋の広さは食堂と同じ12畳余りに階段の下の空間を併せたもので、天井の高さは3メートルほどである。 壁や天井は白く塗ってあるが、やや黒ずんでいる。 一番奥の壁には換気扇が、また横手には、空気撹はん用のファンが回っている。 換気扇の下あたりにいくつか戸棚、箱、テーブル、椅子などが積んである以外は部屋は空いていて、広々としている。
 後ろを見ると、今入ってきた、たった一つの出入口の鉄の扉には、内側にも同じかんぬき型の留め具がついている。
『何だか、不気味な位に厳重な部屋だね』
『そうね』
 祥子もあいづちを打ちながら周りを見回す。 美由紀も興味深そうに、黙って辺りを見回している。  孝夫が入口の横の壁にあるスイッチ・パネルに手をふれて、換気扇とファンの回転を止める。
『中の空気が死んでいると危ないですから、換気扇とファンが付けてあります。 今日は空気はいいようです』と孝夫が言う。 確かに空気には悪くない。
『ああ、それから天井の蛍光灯は、この室内のスイッチででも点滅ができるようになっています。 このようにね』
 孝夫はまたパネルに手をのばし、蛍光灯を消す。 真っ暗になる。 そしてまたすぐに蛍光灯が点く。
『外の壁にあったスイッチは?』と私がきく。
『ああ、あのスイッチはこの地下室全体のメイン・スイッチですから、あれを切ると全部が消えたり、止ったりします。 やってみましょうか』
 孝夫はまた換気扇とファンのスイッチを入れ、それらが回り出してから、扉を開け、入口に立って外の壁へ手をのばす。 蛍光灯が消え、換気扇とファンの音が小さくなり、止まりかける。 通路の階段からの外光で、孝夫の姿が黒いシルエットになって見える。
『ね、いいですね?』と孝夫の声がして、再び蛍光灯が点き、換気扇とファンが勢いよく回り出す。 今度は扉を開けたまま、孝夫が中に入ってくる。
 美由紀が『あれは何の柱かしら?』と指さす。 その指の先には、左手の壁から1メートルばかり離れて、直径8センチばかりの孤立した1本の柱が立っている。
『さあ、何のための柱ですかね』と孝夫も頭をかしげる。
 皆でそこに行って、柱に手を触れる。 それは鉄の丸いパイプでできた柱で、その所々に直径がほぼ2センチとか1センチとかといった孔が前後や左右の方向にいくつも貫通している。
『何しろ、この地下室は上の建物を造る前からあったので、これだけ頑丈なものを壊すのも大変だし、それに勿体ないというんで、これを中にとり込んで別荘を建てさせたんだそうです。 何でもここには旧日本海軍の何か施設があったとのことですから、この地下室全体が戦争中に何か特殊な目的のために造られたんですね』
『ふーん』
 祥子がしきりに柱の孔を順々に触ってみて、うなずいている。 また、さっそく何かのアイデアを思い付いたのであろうか。
 ふと上を見る。 ここは部屋のほぼ中央で、柱の前50センチほどの所の天井に1つとその左右に1つづつ、計3つの頑丈そうなフックが1メートル程の間隔で対称の位置に一列に並んでいる。
『おまけにちゃんと、吊りプレイ用のフックまで準備してあるんだね』
『あら、ほんと』
 祥子も上を見て笑う。
『とにかく、この地下室は非常に頑丈な鉄筋コンクリート造りで、今でも全く損傷がありません。 それから、入口と、換気扇のついている排気孔と、それにこちらの隅の吸気孔とを除いては、外とのつながりは全くありません。 その上、排気孔も吸気孔も途中で複雑に曲がり、フィルター機構を介して外とつながっているので、空気が通るだけで光も音も全く通りません』
『ふーん、すごく完全に外と隔離されてるんだね。 それだけ頑丈なコンクリートの壁で完全に閉じ込められているのかと思うと、考えただけでぞくぞくっとするね』
『そうね。 扉を閉めて外からあの頑丈なかんぬきを掛けられたら、もう中からはどうにもならず、外とは連絡のしようもないのね』
『うん、だからこんなに不気味な感じがするのかな?』
『ええ、そうよ。 きっと』
 祥子もひどく感心している。
『ためしに明りを消してみましょうか』
 孝夫はそう言って入口に行き、扉をしめる。 扉は吸いつくように重々しくぴったり閉まる。 孝夫が横の壁のスイッチに手をやって明りを消す。 まっくらになる。 しばらくの間、眼が暗さになれてくるのを待つ。 しかし、いくら待っても光の痕跡も見付からない。
『もう、いいでしょう』との孝夫の声がして、またぱっとまぶしいほどの明りが点く。
 私は改めて部屋の中全体を見回す。 『すばらしい部屋だね。 孝夫君のお宅の遊戯室も素晴らしいと思ったけど、この部屋はまた一段と凝ってるね』
『そうね。 まるであたし達のために、わざわざあつらえて造ったみたいじゃない』と祥子も言う。  『ほんと』と美由紀も天井のフックを見ながら、うっとりした顔をする。 もう、あれに吊られている自分でも思い浮かべているんだろう。
 確かにこれだけ設備がそろっていると色々なプレイが出来る。 その上、扉も外からかんぬきを掛ければ内側からは絶対に開かないし、内からかければ外からは絶対に開けられない密室になる。 また、中で何をしようと、音もほとんど外へ漏れず、拷問プレイで悲鳴をあげさせることも遠慮なく出来る。 もちろん、この建物には私達しか居ないのだから、もともとそういう心配はする必要がないのであるが、それでもさう考えるだけで気分の盛り上がり方が違う。
『じゃ、もういいでしょう。 上に戻りましょう』との孝夫の言葉で皆が部屋を出る。 孝夫がスイッチを切り、中の明りが消えたことを確かめてから扉を閉める。 みんなが感激した面持ちで上に戻る。



『じゃ、次にもう一度、砂浜に出てみましょう』との孝夫の言葉に従って、一同、備えつけのゴムぞうりを履いて砂浜に出る。 もう午後の4時を大分まわっているが、日はまだかなり高い。
 砂浜は長さが50メートルもあろうか。 奥行きは今は満潮に近いので砂の部分は10メートルあまりを残すだけだが、干潮時には30メートル余り現れるとのこと。 砂は水際から5メートル位は濡れて黒くなっているが、残りの5メートルばかりは白く乾いていて、かなり熱い。 水際の砂はざくざくして、すごく気持がよい。
『まあ、この砂浜は広くはありませんが、きれいだし、静かで、人に煩わされずに遊ぶにはよい所です』と孝夫が説明する。 『父の会社の若い人達も来るようにと建物も少し広くつくったんですけど、若い人達は遊ぶものが少ないので、すぐに飽きて帰ってしまうんだそうです』
 皆はうなずきながら説明を聞き、周りを見回している。
 水際から100メートルばかり沖にひとかたまりの岩が頭を出している。 あれは今は満潮なので小さく見えるが、干潮時にはもっと大きく姿を現わすそうである。 『あの岩には背の立つ所からせいぜい50メートルも泳げば着きますから、泳ぎ回るのに目標にしたり基地にしたりしてとても便利です』と孝夫が説明する。 皆がうなずく。
 浜の両側はそれぞれ岩だらけの岬から連なった、ちょっと険しそうな山の背で仕切られている。 背後も木立を少し行った所に崖があり、その後ろに山がそびえている。 ほんとに外の世界から隔絶された浜辺である。
『静かね。 ほんとにあたし達以外には人っこ一人も居ないのね』と祥子が周りを見回しながら、感心したように言う。
『ええ、ここは陸路だと、一番近いさっきの部落からでも、けわしい山道を登って下りてで、来るのに1時間近くかかります。 だから、ふらっと来れるような所ではないし、この浜は一応は父の会社の所有で、地元の人も別に用事がある所でもないので、ほとんど人は来ません』
『ふーん』
『そうですね。 来るとすれば、大体はこの付近の海岸を全部歩いてやろうというハイキング姿の若い人達ですが、そういう人達も、さっきの部落から山道を上って、そのままこの後ろの崖の上をたどる方が登り下りが少なくて便利なので、よっぽど奇特な人でなければ、この浜には降りて来ませんね』
『ああ、そう』
『ですから、僕は今まで家族や友達と何回もここに泊まりにきて、最近の3年間だけでも通算して50日位はいますが、その間に我々の関係者以外の人が来たのを見たのは、全部で4回位ですかね』
『なるほどね。 ということは、野外でも人目を気にすることなしに自由にプレイが出来るということになるんだね』
『まあ、そうですね』
『いいわね』と祥子はいかにも満足そうな顔をする。 『我々の遊びにはこの上ない場所だわね』
 美由紀もうなずいている。 とにかく外界とほぼ完全に切り離され、人がほとんど来ないということが、プレイ好きな一同に気に入ったのである。

1.3 滑車の取り付け

第1章 第1日
04 /30 2017


 別荘にもどり、また、みんなで食堂に行く。
『それじゃ、さっそく滑車を取りつけましょうか?』と孝夫が言う。
『ええ、お願いするわ』と祥子が応える。
『それで、どこにつけます?』
『ええ、この部屋に1つと、それから地下室の天井にはフックが3つあったわね。 あれに1つづつ付けたいんだけど、数はある?』
『というと、合せて4つですね。 ええ、そのくらいはあると思います。 まずは裏の物置から持ってきましょう』
 孝夫は気軽に食堂から直接外に通じている出入口から外に出ていく。
『孝夫君も張り切ってるね』と祥子に話し掛ける。
『そうよ。 せっかく色々と準備してこの別荘に来たんですもの。 孝夫だって張り切るわよ』と祥子は笑う。
 程なく孝夫が両手に滑車4つをぶら下げて戻ってくる。
『じゃ、まずはこの部屋だけど、どこに着けようかしら』
 皆で天井を見上げる。 天井板が張ってないので、棟木や梁がみなむき出しになっている。
『そうね。 なるべく高い所がいいわね。 あの棟木のフックにかけられないかしら?』と祥子がはるか高い所にある棟木を指さす。 確かに棟木の東寄りの一箇所に一つのがっちりしたフックが取りつけてある。
『そうですね。 やってみましょうか』と孝夫が言う。
『あんな高い所にどうやって掛けるの』と訊く。
『ええ、裏に長いはしごがありますから、それを持ってきて、あの横にかければ何とかなると思います』
『ああ、そう』
 私はうなずく。
『あそこなら高さは申し分ないわ。 じゃ、お願いね』と祥子。
『はい』と孝夫は応える。
 私は孝夫と一緒に外に出て、建物の裏手に回る。 長さ5メートルもありそうな長いはしごが置いてある。 2人で持って、横にぶつけないように注意しながら、何とか食堂に入れる。
 早速、目的の棟木の位置の横の梁にはしごを立てかける。 私が下ではしごを押さえ、孝夫が滑車の一つを手に持ってはしごをのぼり、目指すフックに掛けて、外れないように留めて降りてくる。 滑車の高さは床から4メートル以上ある。
『これなら高さが充分にあっていいわね』と祥子が上を見上げて嬉しそうに言う。 美由紀もそれに吊り下げられた自分を想像しているのか、うっとりした顔で見上げている。
『じゃ、次はウインチを取り付けます。 それも物置にあるので、祐治さんも一緒に来て下さい』
『うん』
 孝夫について今度は物置に行く。 物置は3坪ほどの広さで、中には古い戸棚などにまじって鉄パイプや木材などもころがっている。
『これが手巻きウインチです』と孝夫が指で示し、入口近くの隅の小山の覆いを取る。 下から、よく見る手巻きウィンチが現れる。 2人で『よっこらしょ』と持ち上げて、食堂に運ぶ。
『これにはちゃんと据え付けの土台も残っているんです。 昔、この部屋で何か作業をしたらしいんです』と説明しながら、孝夫は食堂の廊下側に積んであったダンボール箱をどかす。 するとその下からボルト穴のついたコンクリート製の土台が現れる。
『なるほど、よく整ってるね』と感心する。
 孝夫と2人で土台の上にウィンチを据えて、土台の穴にボルトでがっちり留める。 ついで孝夫はウィンチからロープを引き出し、また私が押さえているはしごを上っていって滑車にかける。 そして下りてきてウィンチを操作し、ロープの先のフックを手の届く高さにまで下ろす。 祥子と美由紀は一連の作業を興味深そうに見ている。
 作業を終って、孝夫ははしごを横にずらせる。 そして、『さあ、これでいいと思いますけど、ちょっと試してみたいので、祐治さん、ロープにぶら下ってみてくれませんか』という。 『ああ、いいよ』と気軽に応えて両手をのばし、フックの根元をにぎる。
 孝夫がウィンチのクランクをまわす。 ロープが上って行く。 身体を一杯に伸ばし、適当な所で足を浮かせてぶらさがる。
 ロープはさらに上がっていって、私の伸ばした足の先が床から20センチばかり離れた所で止まる。 少し体を振ってみる。 滑車が少し揺れるが、ロープが外れたりする心配はなさそうである。
『じゃ、これでいいね』と声を掛けて、手をはなして下に飛び下りる。 ロープがぶらんぶらんする。
『O.K.ですね』と孝夫がいう。
『どうせなら、両手を縛って吊ればよかったのに』と祥子。
『後でいくらでもやらしてあげるよ』と応える。
 また孝夫と2人ではしごを元の場所に戻してくる。



『それじゃ、次は地下室の方を』と言うことで、3つの滑車をぶら下げて、皆で地下室に行く。
 この方は天井がそれほど高くはないので、テーブルの上に椅子をのせてその上にのれば孝夫や私なら楽に天井に手がとどく。 2人でテーブルを動かし、椅子を載せ、孝夫がその上に乗る、を繰り返して、3つのフックのそれぞれに一つづつ滑車をとりつけ、それに太さ1センチほどのフック付きの麻のロープをかける。 作業をおえてテーブルを柱とフックとを正面から見る位置に動かし、4つの椅子をその周りに並べる。
 取りつけられた2つの滑車を眺めて、祥子は『いいわね』と言う。 そしてふと気がついたように、『それで吊り上げた時、ロープの先はどこに留めたらいいかしら』と孝夫に訊く。 孝夫は『これにです』と言いながら腰をかがめて、片方のフックの真下から30センチばかり横の床に埋め込んで寝かせてある、直径7センチ、太さ1センチばかりの馬蹄形の金具を起こす。 起きた金具は両端が床についたU字形の輪になる。 『これが留め金具です。 何箇所かに埋め込んであります』と孝夫が説明し、外の2箇所ばかりの床を指差して示す。
『ああ、なるほど。 これならいいわね』と祥子が腰をかがめて、指を掛けて引っ張ってみている。
 腰をのばして上体を起こした祥子が私の方に向いて、『それじゃ、今度は実際に吊って試してみるから、ちょっと手を前に出して』という。 その『当然』といった自信に満ちた言い方に、うっかり『うん』と両手を前に差し出す。 祥子は私の両手首を揃えて手拭いを巻いてから、紐で固く縛り合せる。 そして私を中央の滑車の下に連れていき、手首の紐にロープのフックをかけ、別紐で縛りつけてからロープをたぐる。 私は逆らわずに、自然に両手を頭の上に上げる。
 ついで祥子は、『ここにはウィンチがないので引き上げるのは大変だから、ちょっとこれに乗ってくれない?』と椅子を1つ持って来る。 仕方がないのでまた『うん』と応えて、踏ん張って椅子に上り、手を上に上げる。 祥子がロープをたぐり、ぴんと張って、その先をU字金具に縛りつける。 ついでに私の両足首も揃えて縛り合せる。 横で見ている美由紀が心配そうな顔をする。
『はい、ちょっとぶら下って、足を浮かせて』との祥子の言葉に、両手でフックの根元のロープをつかんで足を浮かせる。 椅子が横にどかされ、『はい、いいわよ』との祥子の声がする。 足をのばす。 ロープが少しのびて、下を見ると足が椅子の座面の高さよりだいぶ下まで降り、床から20センチばかりの高さで浮いている。
『ああ、うまくいったわ』と祥子が歓声を挙げて、手をたたく。 孝夫もぱちぱちと手をたたく。 しかし、美由紀はただ黙って見ている。
 今度は両手を縛り合されてロープに繋がれているので、手を放しても下りることが出来ない。 顔をあおむけてロープを見詰める。 そして1~2分の間、そのままの姿勢で我慢する。 祥子達も動かずにじっと見詰めている様子である。
『さあ、もう、いいだろう。 下してよ』と催促する。
『折角ですもの、もったいないわ。 もう少し我慢してよ』と祥子は言う。 そして近くに寄ってきて、『ね、いい子だからね』と笑いながら手をのばして私の鼻をつまむ。 両足も揃えて縛られているので、けとばすわけにもいかない。 両膝でぐっと祥子の腹の辺をこづく。 不意をつかれて祥子がよろめく。 そして、『まあ、そんないたずらをすると、もう永久に下してあげませんよ』とにらみつける振りをする。
 私は前後にゆっくり揺れながら、『わあ、ごめん、ごめん』と謝る。 祥子が笑う。 しかし、美由紀はまた心配そうな顔をする。
『さあ、これで滑車の準備がすっかり出来たわ。 こういう風にちゃんと吊りに使えることも判ったし』と祥子が嬉しそうに言う。 祥子をみらみつける。 しかし、祥子は気がつかない振りをして、知らん顔している。
 そのまま、また数分が過ぎる。 前後への揺れは収まったが、ロープを握っている手が次第に疲れてくる。 でも哀願なんかしてやるものか、と歯をくいしばる。
『もう、下してあげましょうよ』と美由紀が横でいう。 美由紀にはS気が少なく、人の責められているのをみるにも耐え性がない。
『そうね。 これはまだプレイという程のことでもないから、もう終りにしましょうか』と祥子が言う。 内心ほっとする。
 孝夫が私の身体を抱えるようにして支え、祥子がU字金具からロープをほどく。 孝夫が静かに私の身体を下ろしていく。 足がやっと床につく。 美由紀が私の手首のひもを解く。
『痛かったでしょう?』と美由紀が訊く。
『いや、ロープを握ってたから、それほどではなかった』と答える。
『また、そんな甘い言葉を交して』と祥子が笑いながら、にらみつける振りをする。 しかし、今度は私がそれに気がつかない振りをして、無視する。 孝夫が横でにやにや笑って見ている。
 足首の紐は自分でほどく。 4人一緒に食堂にもどる。

1.4 吊り初め

第1章 第1日
04 /30 2017


 美由紀と一緒に夕食をつくりながら祥子が、『夕飯前に今度の「かもめの会」の特別合宿の開始をお祝いする会を開きたいと思うんだけど、どうかしら』と声を掛けてくる。
『うん、いいね』と私はすぐに賛成する。 『で、何かいいプランがあるのかい?』
『ええ、一応は考えてあるの』と祥子が答える。 そして隣りの美由紀に、『美由紀、お祝いの会では、ちょっと「つりぞめ」をしたいんで協力してね』と言う。 とっさで意味が解らなかったらしく、美由紀が『え、つりぞめ?』ときき返す。
『ええ、そう。 プレイの「吊り」に書き初めの「ぞめ」をつけた、吊り初め。 今度の合宿での吊りはじめよ』
『ああ、そう言えば』と孝夫が言う。 『最初にお会いしたとき、祐治さんが「吊られぞめ」という言葉を使いましたね』
『うん、そんなことがあったね』と私。
『ええ、とにかく、その吊りぞめで、美由紀にもちょっと協力して貰いたいのよ』と祥子が付け加える。 今度は協力の意味も含めて美由紀にも解ったらしく、『ええ、いいわ』とうなずく。
 やがて食事の用意が出来、食卓に料理が並べられる。
『そうだ、乾杯のためにビールを用意しておきましょう』
 祥子が立って、食卓の上にコップ4つを並べる。 美由紀が冷蔵庫から冷えたビール瓶2本を出してきて、栓抜きと共にコップの横に置く。
『それからまず、美由紀に支度をさせるから、祐治さんと孝夫はちょっとの間、待っててね』と言って、祥子は美由紀を促して一緒に出ていく。
 私はつくづく感心する。
『祥子って、ほんとにプレイの化身みたいだね。 とにかく名目のたつ機会は決して無駄にしないで、必ずプレイと結び付けるからね』
『ほんとにそうですね』
 孝夫はそう言って、私の顔を見てにやにや笑う。
『何かおかしいかい?』
『いいえ。 ただ祐治さんも方向は違うけど、よく似てるなと思って』
『へえ、僕もそう見えるのかね』
『ええ』
 5分ほどして祥子と美由紀が戻ってくる。 見ると美由紀は華やかなレース飾りの付いた純白のブラウスを着て、純白のフレア・スカートをはいており、さらに脚も純白のタイツで統一をとって、軽くウエーブのかかった髪にも白い造花の髪飾りをつけている。 軽くお化粧した顔も輝くばかりの美しさである。 思わず、『美由紀、きれいだね』と言って見とれる。 美由紀は恥ずかしそうに下を向く。
『白づくめというのも、ほんとに清楚でいいものだね』と私は感心しつつ、『この姿で美由紀を吊る積りなのかい?』と訊く。
『ええ、そうよ』と祥子は答える。 『あたし達のプレイの神様に美由紀の吊りをお供えして、今度の合宿でプレイがたっぷり楽しめて、しかも無事に終りますようにってお祈りするの。 だから美由紀は出来るだけ清浄無垢で、美しくなければいけないのよ』
『なるほどね』と私はうなずく。 そしてその清楚な姿で美由紀が吊られ、我々3人がお祈りしている状況を頭に浮かべる。 しかし、何に向かってお祈りするのかを考えて、この部屋に何もないことにちょっと物足りなさを感じる。
『それでお祈りするとなると、お祈りの対象として何か、プレイの神様の象徴となるものが欲しいね』
『それもそうね』
 祥子もうなずく。 そして孝夫に向かい、『あの、孝夫、何かいいものがないかしら』と尋ねる。 『何か、かもめの絵みたいなものがいいと思うんだけど』
『そうですね』と孝夫はちょっと考えて、『あの、ちょっと探してきますから』と言って出ていく。
 少しして孝夫は30センチ×20センチはどの大きさの額を持ってくる。
『あまり適当なのが見付かりませんでしたけど、こんな写真はどうですか?』
 それは、どこかの岬の白い灯台と青い海とを背景にかもめが2~3羽飛んでいる、明るい風景の写真である。
『そうね。 欲を言えば、もっとかもめを大写しにしたのがあるといいんだけど』と祥子がちょっと首をかしげる。 『でもいいわ。 今日はこれにしましょう』
『じゃ』と孝夫がその絵を東側の壁のフックに掛ける。



『じゃ、そろそろ始めるわよ』と祥子が言う。
『うん。 で、進行は祥子がやってくれるんだね』
『ええ、いいわ』
 祥子が改めて皆を見回し、『じゃ、いいわね』と念を押してから宣言する。
『それでは只今から、あたし達「かもめの会」の第1回特別合宿の開始をお祝いする会を始めます』
 みながパチパチパチと手を叩く。
『それではまず、美由紀、こっちへ来て』
『はい』
 美由紀が前に出る。 祥子は美由紀の後ろに回って、いつもの白い綿の撚り紐を掛け始める。 美由紀はもう眼をつぶって、うっとりした顔でなされるがままに任せている。
 祥子はまず、美由紀をきっちりした高手小手に縛り上げる。 次に太目の麻紐を取り出して、二の腕の上から乳房の上側を2巻き、下側を2巻きしてぐっと締めて留める。 そしてその先をさらに下におろし、スカートのホックをはずして下に下ろして、紐の先を腰を2巻きして前で留め、股を通して背中にまわし、腰の後ろでまた留め、最後に上にあげて胸の紐にからませてきっちり留める。 私は祥子の紐掛けの手際のよさにただ感心して見ている。
『いつものことながら、ずいぶん厳重に紐を掛けるんですね』と孝夫も感心して言う。
『ええ、少し長く吊るためには、この位に掛けて力を分散させておかないと』と祥子が手を動かしながら言う。 そして、『ね、美由紀?』と声を掛ける。 『ええ』と美由紀が眼をつぶったまま応える。
『それにこれはお祝いの儀式だから、美由紀も余り痛がらないで一緒に楽しくお祝いできるように、特に丁寧に掛けてるの』
『なるほどね』
 私も感心する。 祥子のこの辺の気配りの良さが、かもめの会を楽しくしている要因の一つででもある。
 祥子は美由紀のスカートをもとに戻し、『今日はプレイの神様に捧げるんだから、特にきれいにしないとね』と独り言のように言いながら、服の乱れや紐の締まり具合を丁寧に直す。 美由紀も眼をあけて、うつむいて自分の胸の辺を見回している。
 やがて祥子はちょっと離れて美由紀を見回し、『これでいいわね』とうなずく。 そして戻って美由紀の肘をとって、『じゃ、こっちへ来て』と言う。 美由紀は『はい』と応えて、歩いて滑車の下に連れていかれる。
 そこで祥子は美由紀の足首も揃えて縛り合せる。 そして上から下がっている6ミリほどの太さの鋼のロープの先のフックに背中から延びている紐の先を厳重に結びつけて、吊りの準備を完了する。
 手巻きウインチの横に立った祥子が、『さあ、上げるわよ』と声をかけ、ウインチのクランクをゆっくり回し始める。 美由紀の背中からの紐が少しづつ引き上げられ、やがてピンと張る。 そしてさらに美由紀の身体が少しづつ上がり、美由紀は次第につま先立ちになる。 やがて美由紀の身体がぐらっと揺れて足が床から離れ、ぶらんとする。 上半身がやや前に傾いた姿勢の美由紀は、まだ眼をつぶったまま、腕などの痛みにじっと耐えている様子。 孝夫は8ミリ・カメラを回している。
 足が床から30センチほど上がった所で祥子は一旦手を止める。
『どう?、この位で』
『いいね』
 美由紀の身体はロープを軸に静かに右に回っている。 孝夫が手を伸ばして美由紀の顔をこちら向きにして回転を止める。 美由紀が眼をあける。
『いかが?、御気分は』と祥子が少し笑いを含んだ声できく。
『腕が痛いわ』と美由紀がちょっと顔をしかめる。
『でも、しばらくの間、そのままで我慢しててね』
 美由紀は黙ってうなずく。
『じゃ、みんな立って、絵の方に向いて』との祥子の言葉で、一同が絵の方に向く。 孝夫が手を伸ばして、美由紀も絵の方に向かせる。
 祥子が皆を見回し、『じゃ、いいわね』と声を掛けてから祈りの言葉を唱える。
『お祈りの言葉。 わたくし達の今回の合宿で、皆が精一杯プレイを楽しんで、しかも事故もなく無事に終りますように,美由紀の吊りを捧げてお祈りいたします』
 そして手を合せて頭を下げる。 私と孝夫がそれにならって、手を合せて頭を下げる。 美由紀は手は合せられないが、それでも頭を下げている。 美由紀の身体がゆっくり揺れる。
 祥子はなおも『色即是空、空即是色』を小さい声で3度繰り返し唱えてから、そっと頭を上げる。 ほかの者も頭を上げる。
 祥子が『さあ、これで、お祈りはおしまい』と宣言する。
『なるほど、精一杯プレイを楽しんで、しかも無事に終りますように、か。 ちょっと虫がいいような気もするね』と私が笑う。
『そうね』と祥子も笑う。 『でも、プレイでは、生命や後遺症の危険を絶対に生じさせないようにすることが第一原則よね。 あたし達、その事に関しては充分慎重にやっている積りだけど、それでも万一ということもあるわよね。 だから不測の事態が起こらないようにお祈りするの。 するとああいう文句になるのよ』
『うん、なるほどね。 ある意味では万が一にも見落しがないように、自分達を戒める言葉なんだね』
『ええ、そう』
 祥子はうなずく。
『じゃ、次は乾杯よ』と言う祥子の言葉に、私が美由紀を食卓の方に向かせる。 その間に祥子と孝夫がビール瓶の蓋をあけ、4つのコップにビールを7分目ほどづつ注ぐ。 3人がそれぞれの席に着く。
『今度は祐治さんが音頭をとって下さる?』と祥子がいう。
『うん、それじゃ』と言って私は自分のコップを持って立ち上がる。 祥子が2つ、孝夫が1つ、それぞれにコップを持って立ち上がる。 私はコップを高く捧げる。
『我々の「かもめの会」の特別合宿の開始を祝い、無事と安全とを祈って、乾杯!』
 4つのコップがテーブルの中央でぶつかってカチンカチンと音を立てる。 3人が各々の右手のコップからぐっとビールを飲む。 それから祥子は右手のコップをテーブルの上に置き、左手のコップを右手に持ち替えて美由紀の所に行って、手を伸ばして飲まそうとする。 しかし、美由紀の身体が揺れてうまくいかない。
『ちょっと来て、助けてよ』と声をかけてくる。 私と孝夫はコップをテーブルに置いて傍に行き、孝夫が両手で美由紀の身体を支える。 祥子が左手で頭を支え、コップを美由紀の口にあてる。 美由紀が一口含んでぐっと飲み込む。 孝夫と2人でパチパチと手を叩く。
 3人はまたテーブルに戻り、椅子に座って美由紀を観賞しながらチーズをつまみ、ビールを注ぎ足して飲む。
『こういう美しい可憐な姿を見ながらビールを飲むのも、またいいものですね』と孝夫が柄にもなくS的な感想を口に出す。
『そうだね。 ほんとにきれいだね』
 私は白づくめの衣裳でゆっくり揺れながら吊り下っている美由紀をみつめる。 美由紀がまた眼を固くつぶってじっと堪えているのが、たまらなく愛しく感じる。
 5分ほどしてビールがなくなる。 祥子が『それじゃ、これで吊り初めの行事は終り』と言って立ち上がる。 しかし、急に思いついたかのように『そうだ』と言い、近くに行って、『美由紀』と声を掛ける。 美由紀が眼を開けて、『え?』と祥子の顔を見る。
『あの、下ろす前に一度、上一杯まで上げてみるけど、いいわね?』
 美由紀は『ええ』と応えて軽くうなずき、また眼を閉じる。
 祥子はウインチの所に行って、クランクを回し始める。 美由紀の身体がゆっくり揺れながら上っていく。 そしてロープのフックが滑車のすぐ下まで行って、カチッと小さな音がして止まる。 美由紀の足が床から2メートルあまり離れ、手を伸ばしてやっと届く位になる。
 ゆっくり揺れている美由紀を見上げながら、私は先日の月例会でクレーンで倉庫の天井近くまで吊り上げられた美由紀の姿を思い出す。 今日はあの時ほどは高くはないが、滑車があの時のホイストと違って素朴な普通の滑車であるから、また一味違った緊張感がある。 美由紀は眼をそっとあけ、周りを見回して、また眼を閉じる。
 ちょっとの間、上を向いて観賞していた祥子が、『さあ、これでいいわ』と言って、クランクを逆に回して美由紀を下し始める。 ゆっくり時間を掛けて床までおろす。 床に立って、美由紀がほっとしたような顔をして眼をあける。 『やあ、御苦労さま』と声を掛ける。 美由紀はこっくりとうなずく。
『ではこれで、特別合宿の開始をお祝いする会を終りにします』と祥子が宣言する。 手の自由な3人がパチパチパチと拍手する。 美由紀も軽く頭を下げる。
 3人で美由紀の紐を解き始める。 胸の紐に手をつけようとすると、祥子が『手の紐は解かないで、そのままにしておいて』と言う。 『ああ、また』と思い、『うん』とうなずいて手を離す。
 ほかの紐をすっかり外し終って、美由紀は高手小手の紐を着けたままで食卓につく。

1.5 夕食

第1章 第1日
04 /30 2017


 夕食が始まる。 祥子はまた、かいがいしく美由紀にお給事しながら自分も食べ、おしゃべりに加わっている。
 まず最初に今日通って来た西伊豆の海岸の美しさに話がはずむ。 しかし、話は次第にプレイの方に移っていく。
『それにしても手動ウインチっていいわね』と祥子が言う。 『あの孝夫の家の天井クレーンも、上下だけではなく、前後左右にも自由に動かせてとても面白かったけど、指先のボタン操作だけなので、自分が吊っている、という感じが何となく少ないの。 それにひきかえ、手動ウインチだとクランクを大きく回さなければならないから、正に自分の手で吊り上げてる、という実感が湧くの』
『なるほど、そんなものかな』と私。
『ええ、そうよ』
『だけど、そうすると、いつもの差動滑車とはどう違う?』
『そうね。 差動滑車はロープを沢山たぐらなければいけないから、まさに自分が吊っていると言う感じだけど、あたし達の使っているのは、あれで案外力が要って、しかもあまり高くは吊れないのよね。 それと比べると、ここのウインチはかなり軽く回るし、あんなに高く吊れて、とても楽しいの』
『そうですね』と孝夫が話を引き継ぐ。 『祥子さん達のマンションや僕の家の遊戯室で使っている差動滑車は、もともと何処にでも簡単に取り付けられて祥子さん達でも吊りプレイが出来るようにと、一番簡便なのを用意したので、ウインチとの比較はちょっと無理ですね。 あの差動滑車だと力が8分の1になるだけなので、祐治さんだとやはり10キロ近くの力が必要ですし、高さも構造上、2メートルが精々でしょう』
『というと、もっと重いものを高く吊れるのもあるのね?』と祥子がきく。
『ええ、あります。 でもそれだと大袈裟になって、マンションでするプレイには向いてませんよ』
『そうね。 あんまり大袈裟なのは面白くないわね。 あたし達のプレイにはあの位のが一番いいわね』
『それで』と今度は私が訊く。 『そこのウインチと滑車との組み合せだと、重さの方はどの位まで大丈夫なのかい?』
『そうですね。 恐らく、500キロ位までは問題ないと思いますよ。 それ以上になると、この食堂の棟木がもつかどうかの方が心配になりますから、止めといた方がいいでしょうけど』
『あら、そんなに重いものでも平気なの。 それじゃ、あたし達のプレイなら何をしても問題はないわね』
『ええ』
 話しが一区切りついて、ひとしきり食事が進む。 今度は私が美由紀に話しかける。
『ところで、美由紀。 さっきの吊りは辛くはなかった?』
『ええ、そうね』と美由紀が答える。 『紐を丁寧にかけてもらったので、痛い方は大したことはなかったわ。 だけど終りに高く吊り上げられた時は、本当に怖かったわ』
『でも美由紀は、この前の孝夫君の家の倉庫でのプレイで、高く吊り上げられるのは経験済みだったのじゃないのかい?』
『ええ、そう。 あの時も怖かったけど。 でも、あのクレーンは倉庫にがっちり設備されていて、とても頼もしく見えたの。 だけど、ここのはロープをさっき滑車に掛けただけなので、ロープが滑車からはずれて落ちたりしやしないかと思って』
『滑車には、もちろんちゃんと留め具がついていますから、ロープが外れたりすることは絶対にありませんよ』と孝夫が保証する。
『それはそうでしょうけど』と美由紀は口ごもる。
『そうだね。 怖いっていうのは理屈じゃないからね』と私。
『なるほど、そうですかね』と孝夫もうなずく。



 食事は大分進んで、そろそろ皆の皿が空になりかける。 しかし、皆のおしゃべりは途切れそうもない。 私が話題を転じる。
『ところで、今度の合宿でするプレイについては、祥子に大体まかせてあるけど、差し当って明日のプレイのプランはどうなってる?』
『そうね。 まだ、特に考えてないわ』
『ふーん』
『それは、実際に浜に出て遊んでるうちに、考えてきたのよりもっと素晴らしいプレイが思い付きそうな気がするし、天候などでも違ってくるから、あまりプランを並べてスケジュールを決めたりはしない方がいいんじゃないかと思って』
『うん、それもそうだね。 それじゃ、祥子の勘に期待して、明日はとにかく皆で浜に出て遊んでみるか』
『ええ、あたしもその積りなの』
 祥子はすまして自分と美由紀の食事を進める。
『でもせっかく、孝夫君のお陰で、これだけ好条件が揃っている所に来ることが出来たんだから、それを充分に活かして楽しみたいね』
『それはそうね』と祥子もうなずく。 『確かにこんな好い条件が揃っていることって滅多にないわね』
『それで』と美由紀も話に入ってくる。 『好い条件って、具体的にはどんなことがあるかしら』
『そうだね』
 私はちょっと食事の手を休めて数え始める。
『まず、人里から隔絶されていて、プレイに当って我々以外の人の目を全然、気にしなくていいこと』
『そうね。 だから、野外での吊りでも何でも、気兼ねなしにのびのびとプレイができるって訳ね』と祥子が注釈を付ける。 そして、『明るい太陽の下で祐治さんを吊り下げたら楽しいでしょうね』と、私の顔を見てにやにやする。
『まあ、そうだろうね』と軽く受け流す。 しかし、私にもそういう光景が眼に浮かぶような気がする。
『それから?』と美由紀が先をうながす。
『うん、それから、きれいな砂浜の海岸であること』
『そうね。 それは大きな特色ね。 そこからどういうプレイが発展するか、まだ判らないけど、波も比較的高そうだから、面白い責めが色々と考えられそうだし』と祥子がまた注釈を加える。
『そうね』と美由紀がうっとりした顔をする。 美由紀も自分が波で弄ばれている様子でも思い描いているのかしら。 私もふと、今日のお昼に水際近くの岩の上で皆でお弁当を食べていたとき、押し寄せる波に洗われている小岩と自分のあえいでいる顔とが2重写しになり、はっとしたことを思い出す。 しかし、それを振り払って次に進む。
『それから、この食堂だとか、地下室だとか、素晴らしい設備が整っていること』
『ほんとね。 吊りだけでも色々と楽しめそうね』とまた祥子が嬉しそうにいう。
『それから、7日間という長期の合宿であること』
『そうね。 時間はたっぷりあるわね』
『それに必要があれば、長時間、継続するプレイもすることが出来るんじゃないかな』
『ええ、そうね。 例えば美由紀の手首を後ろ手に縛り合せて、7日の間、ほどかないことにするとか』
『あら、いやだ』
 今も後ろ手の美由紀が肩をすくめる。
『だって、今まででも半日位のはしょっちゅうしてるんだから、7日間くらいは平気でしょう?』
『でも』
 美由紀は不自由な上半身をくねらせる。
『そりゃ、半日がいきなり7日間になったら大分違うだろう?』と私が笑いながらコメントする。 『量が質に転化する、という言葉もあるからね』
『あら、そうかしら』
 祥子は納得しないような顔をする。
『それに、7日間もじゃ、祥子がよっぽどよく面倒を見てやらないと、美由紀だって退屈して可哀そうだよ』
『それもそうね。 退屈責めというのも、なくはないとは思うけど』
 祥子は笑う。 そして真面目な顔に戻ってつけ加える。
『もっと真面目な話では、この合宿の話が始まるきっかけになったあのノーアイオウ・プレイは、始めから終りまで全部すると足掛け3日掛かる、と言うから、この合宿で通して見せて貰ったらどうかと思ってるの』
『それはいいですね』と孝夫がさっそくに賛成する。
『ええ、でも、それを始めると、せっかくいいプレイのアイデアが浮かんでも、それを祐治さんをモデルに実現することが難しくなるから、ノーアイオウは合宿の後半に回して、前半では精々1日のうちに終るような色々なプレイをしてみようと思ってるのよ』
『うん、なるほど。 それがいいかもね』
 私もうなずく。
 ちょっと間があく。 私は一応言い尽くした気がして言う。
『それで、僕がちょっと考えた好条件はこんなものだけど、ほかにまだあるかな』
『ええ、あの』と美由紀が言う。 『あたし達、「かもめの会」のメンバー4人が揃っていて、外に誰も居ないというのが、とても重大な要件じゃないかしら』
『うん、そうだね。 それはあんまり当り前すぎて、つい忘れてたよ』
 私はちょっと頭をかく仕草をする。 皆がどっと笑う。
『とにかく、ちょっと思いつくだけでもこの位はある。 こんなに条件が揃っている機会って滅多にないから、充分に活かして楽しまないとね』と締めくくる。
『ほんとにそうね』と皆がうなずく。 また食事が進む。



 そのうちに祥子がふと手を休め、『あ、そうだ。 祐治さん』と呼びかけてくる。
『え、何?』
『あの、今晩、このお食事の後で、また何時ものタバコ責めをして上げましょうか』
『いいよ、別に無理にしてくれなくても』
『遠慮することはないわよ』
 祥子がにやにやする。
『今晩はまだ時間があるのにほかに予定もないし、祐治さんもエネルギーが余ってうずうずしてるようだし』
『え、僕がそんな風に見えるかい?』
『そうじゃないの?』
『まあね』
 こちらもにやにやする。 美由紀と孝夫も横で笑いながら、2人のやりとりを聞いている。
『それに、せっかくあんな立派な暗室があるんですもの、あの柱を使って一度やってみましょうよ』
『ああ、あの柱でかい?』
 私もあの幾つも孔のあいた面白い柱を思い出す。
『ええ、そう。 あの個性的な柱を見て、あたし、素晴らしい縛りのアイデアが浮かんだの。 この合宿じゃないと出来ない、素敵な縛りとタバコ責めとをやってあげるわよ』
『ふーん。 早速にひらめいた、という訳かい』
『ええ、そう。 それに美由紀のプレイ初めはさっきの吊り初めですませたけど、祐治さんには、まだそれに相当するプレイをして上げてないし』
『でも、昼前にはゴム裏のマスクを経験させて貰ったり、さっきは地下室で両手で吊って貰ったりしたけど、あれらは別かい?』
『ええ、あれは両方とも単なるおまけ。 ほんとの合宿のプレイは、さっきの合宿開始の儀式から始まるの』
『へえー』
 私は驚いたような顔をしてみせる。 皆がどっと笑う。 祥子も笑いながら言う。
『それで、祐治さんのプレイ初めはやはり今晩のうちに、タバコ責めでするのが一番適当だと思うんだけど』
 祥子はいかにも尤もらしい理屈をつけてくる。 私も何だかそんな気がしてくる。 それに素晴らしい縛りというのにも、好奇心と期待感が涌いてくる。
『それもそうかな』
『ええ、そうよ。 是非、やりましょうよ』
 祥子にもう一つそう押されて、遂にその気になる。
『うん、それじゃ、やってみようか』 
『まあ、嬉しい』
 祥子が派手な声をあげる。
 口の中の食物がすっかりなくなったらしい美由紀が、高手小手の姿のまま、おとなしく私と祥子の会話を聞いている。 孝夫も最後の紅茶を飲みながら、『好きですねえ』といった顔をする。
『じゃ、早くお食事をすませましょう』と祥子は早速、皿に残っていた小さく切った最後のアスパラガスを美由紀の口に運ぶ。
『祥子は現金だね』と私が笑う。 美由紀も笑いながら口を大きく開けて、アスパラガスを受け入れる。

さおりん

これは若い男女4人(途中からは6人)で結成した「かもめの会」の活動を記録した、明るく楽しいSMプレイ小説です。この小説は原著作者・久道あゆみさんより許諾をいただいて掲載させていただいております。

この物語はフィクションです。描写における安全性・遵法性・実現可能性などは担保されておりません。実際に試みる場合はプレイメイトとの合意を得ることはもちろん、十分な安全確認を行い、法律に触れないことを貴方の責任において確認してください。結果、どのような損害が発生しても責任は負いません。