1
当日もよい天気で、空にはいかにも夏らしい白いわた雲がいくつも浮んでいる。 今日も暑くなりそうである。 下着、タオルなどの日用品とプレイ用品を詰めたボストン・バッグを提げ、マンションの入口から道路に出て待っていると、約束の時間どおりに、見覚えのある孝夫の車、クリーム色のローレルがやって来る。 見ると孝夫が運転し、祥子が助手席に座っているが、美由紀の顔が見えない。
車が私の前で止まり、孝夫が手をのばして後部座席のドアのロックを外してくれる。 ドアを開け、『やあ、お早う』と声を掛ける。 孝夫と祥子も『お早うございます』と挨拶を返す。 確かに後部座席には見覚えある祥子の赤いバッグと、その他2つばかりのバッグと荷物が置いてあるだけである。 自分のボストンバッグも後部座席に入れながら、『美由紀はどうしたの。 何か急に都合でも悪くなったのかい?』と訊く。 祥子は孝夫の顔を見て、にやっと笑う。
『心配しなくても大丈夫よ。 ちゃんと積んであるから』
『積んである?』
『ええ、祥子さんがもう始めちゃいましてね』
孝夫が笑いながらそう説明して、『ちょっと見て貰っておきましょうか』と運転席から降りてくる。 祥子もおりて来る。
あたりに人影のないことを確かめて、孝夫が後ろのトランクの蓋をあける。 見ると中には毛布が敷いてあり、美由紀が両手首を後ろ手に縛り合され、足首も揃えて縛られて、頭を右にして、こちらを向いてちぢこまって横になっている。 口には何時もの赤い革のマスクをかけられている。 頭に空気枕をあてがってあるので、姿勢としては比較的楽らしい。 私の顔を見て美由紀は眼でにっこり笑う。
『あれあれ、もう積み込まれちゃったのかい』
美由紀はまたにっこり笑ってうなずく。
ちょっと人の来る気配がして、孝夫がさりげなくトランクのふたを閉める。 若い女の人が1人、鎖につないだ白い犬をつれて横を通り過ぎていく。
孝夫と祥子がそれぞれの席に戻る。 私は後部座席の荷物を少し奥に寄せて席をとり、ドアを閉める。 車の中は冷房が効いていて、ひんやりして気持がよい。
『ここは涼しいけど、トランクの中はさぞ暑いだろうな』
『そうでしょうね』
孝夫はちょっと心配そうな顔をする。
『いいのよ。 今からもう合宿は始まっているのだから。 気分が乗るって、美由紀も喜んでるわよ』
『そうかな』
今からこの調子だと今度の合宿がどういうことになるのか、私は期待とわずかの不安とを感じる。 しかし、祥子はあくまで済ましている。
2
『それじゃ、出発して』と祥子が声をかける。 『はい』と応えて、孝夫がエンジンをかける。 車が動き出す。 そして間もなく環八道路に入る。
体を前にのりだして早速、『美由紀は何時からトランクに入ってるの?』と訊く。
『そう、T町の僕の家のガレージからですから、約20分前からです』と孝夫が前を向いて運転しながら答える。 『今朝もガレージの中で車に乗ったんですけど、出発前に祥子さんが縛って、僕も手伝ってトランクの中に入れたんです』
『もちろん、美由紀も望んでのことよ』と祥子が振り返っていう。 『マンションを出るときから、そうすることにしてたの』
『ふーん』
『何しろ、お2人とも好きですからね』と孝夫は前を向いたまま笑う。
『それで、あのままでずうっと伊豆まで行くつもりかい?。 このお天気じゃ、日にあぶられて、中の温度が上がって危険じゃないかな』
『ええ、一種の炎暑責めになってるわね』
『それに空気も悪くなるだろうし』
『そうね。 やはり、どこか途中で外に出した方がいいかもね』
祥子もうなずいて、また前を向く。 私も身体を戻し、深く座り直す。
やがて車は環八道路から東名高速道路に入り、順調にスピードを上げる。 また祥子と会話を再開する。
『ところで、車のトランクに人を積んで運ぶのって初めてかい?』
『いいえ。 前にも一度、したことがあるの。 やはり美由紀を縛って、この車のトランクに入れて、街の中を10分間ばかり乗り回したんだけど』
『ああ、そう言えば、そんな話を前に聞いたことがあるね』
『ええ、でも、その時は、外では美由紀をトランクから出したり出来るような場所が見付からなくて、結局は孝夫の家のガレージで入れて、またガレージまで戻ってきただけだったの。 だから、本格的に運ぶのは今回が初めて、ということになるわね』
『まあ、トランクに入れて運ぶだけなら、事故にでも遭わない限り、別に危険はありませんし』と孝夫が前方から目を離さずに付け加える。
『でも、トランクって、気密になってるんじゃないのかい?』
『いや、大分あちこちに隙間がありますから、空気が悪くなって危険になる、ということもないんじゃないですかね。 僕も一度、トランクにもぐり込んで蓋を閉めてみたことがありますけど、ずいぶんあちこちから光が漏れて入って来てましたよ』
『ふーん。 それなら大丈夫かな』
私は一応安心する。
『それで、孝夫君が中に入って蓋を閉めたと言うけど、トランクって内側からも簡単に開けられるものなのかい?』
『ええ。 指で掛け金を外して開けることが出来ます。 もっとも今の美由紀さんでは、後ろ手に縛られているので、ちょっと難しいでしょうけど』
『ふーん』
『美由紀も』と祥子が引き継ぐ。 『この前の時は5月だったし、しかも曇っていたから別に何ということもなかったらしいけど、今日はこの暑さでかんかん照りだから、少しは空気が通うにしても大分辛いかも知れないわね』
『うん、僕もそう思うな。 あまり無理はしない方がいいよ』
『まあ、祐治さんって、美由紀のことになるとすぐに甘くなるのね』
祥子はまた後部座席に振り返って、にやりと笑う。
『いや、そういう訳じゃないけど、ちょっとこの間の炎暑責めを思い出してね』
『ああ、そう。 やっぱりあれは、祐治さんでも大分辛かったの』
祥子はまた笑う。 そして、『まあ、美由紀はなるべく早く出すように心掛けるわ。 向こうに行ってから、また色々とプレイをするためにも、美由紀も元気なままでないと困るから』といかにも祥子らしい理屈でしめくくり、また前を向く。
20分ばかり走って、海老名サービスエリアで一休みする。 なるべく人の来ない隅の方に車を停める。 しかし、ここは人が一杯で、美由紀をトランクから出すのは難かしそうである。
陽が照りつける。 近くに他の人の居ないことを確かめて、孝夫がトランクの蓋を開ける。 美由紀が私達の顔を見て、にこっとする。 その目にはほっとした表情が浮かんでいる。 口に赤い革のマスクを着け、後ろ手姿で両足を揃えて縮こまっている美由紀の全身を改めて見回す。 ひたいや首にべっとりと汗をかき、息も少し荒くなってるように見える。 トランクの中は冷房が効かないのだから、このように上から照りつけられては無理もない。
祥子が手に持っていたタオル地のハンカチで美由紀のひたいなどの汗を拭う。 美由紀が目をつぶる。
『大分きついようね』と祥子が言う。 『そうだな』と応ずる。 そして、『美由紀、大丈夫かい?』と声をかける。 美由紀は目を開けて私の顔を見る。 そして目でほほえんで、こっくりと一つうなずく。 そのけなげな態度にまた堪らなく愛しくなる。
人の来る気配がする。 パタンとトランクの蓋を閉める。 若い男女のカップルがこちらをじろじろ見ながら横を通り抜ける。
座席にもどる。 また出発して本線に入り、車の流れにのる。
『美由紀は大分つらそうだったね。 なるべく早く出した方がいいな』と後ろから声を掛ける。 『そうね』と助手席の祥子も応ずる。 運転席の孝夫も前を見たままで、『それじゃ、次のパーキング・エリアでまた止めてみます』と応える。
また15分ばかり走る。 中井PAに車を入れる。 今度もなるべく隅の方に車をつける。 幸い、車の後半部が木の蔭に入る。 さっきよりは車はまばらだが、狭いだけに美由紀を出すのはやはり難しそうである。
祥子のバッグと私のバッグとからバスタオルを1枚づつ取り出し、近くに人の居ないのを見定めて、トランクをあける。 美由紀はさっきよりさらに辛そうで、汗をぐっしょりかいている。 それでも私達の顔を見てにっこりしてみせる。 ちょっと美由紀の顔の汗を拭い、頭の方と足の方とに1枚づつのバスタオルを掛けて、どうにか外からは見えないようにする。
『こんな所にバスタオルがかかっているなんて、人がみたら変に思うでしょうけど、でもないよりはましね』と祥子が言う。
トランクを開けたままで10分間ほど休憩する。 顔の上のタオルを開けてみる。 さっきよりは大分楽になった様子である。
『じゃ、また出掛けるわよ』と祥子が声をかける。 美由紀がこっくりうなずく。 ふたを閉める。
また出発。 20分ほど走って、足柄SAに入る。 また隅の方に、しかもトランクを人目から遠い向きに止める。 外に出る。 周りを見回して、『ここなら何とか出せそうね』と祥子が言う。
また早速に、近くに人の居ないことを確かめてトランクの蓋をあける。 タオルから出たままの美由紀の汗まみれの顔が見える。 さっきより一段と辛そうな様子だが、それでもまたにっこりしてみせる。
祥子が『ちょっと、人が来るかどうか見ててね』と孝夫に言う。 孝夫は『はい』と応えて向こう側に行って警戒する。 祥子がトランクのふたの蔭になりながら美由紀の顔のマスクをはずす。 美由紀は口から小切れを吐き出す。
『どお?、大丈夫かい?』と私がきく。
『だいぶ辛かったわ。 でも大丈夫』との答えが返る。
祥子はつづいて足の上のタオルをめくり、足首を縛り合せてある紐を解く。 そしてもう一度、あたりを見回す。 さいわい、誰も我々のことを気にしてる様子はない。
『じゃ、座席に戻りましょうね』と祥子は手をかして、美由紀を起き上がらせる。 そしてジャンパーを肩からかけて、縛られている手を隠す。 それから美由紀は私に抱えられるようにしてトランクから出て、サンダルをはく。 皆がほっとする。 孝夫も横に来て『よかったですね』と言う。
気が付くと、富士山が間近に美しくそびえている。
『いい眺めだね』とみとれる。
『ほんと』と、美由紀も後ろ手のまま、みとれている。
『帰りには見られるかどうか判らないから、今よく見ておいてね』と祥子が笑いながら言う。
『うん』と応える。
少しして、『さあ、もうそろそろ行きましょうか』との孝夫の声に応えて、皆で毛布をたたみ、後部座席の荷物をトランクに移して、そのあとに私が奥に入って美由紀と2人並んで座る。 祥子は助手席に戻る。
3
『さあ、また、出発』
車はまた高速道路に入り、流れにのる。 美由紀の肩からジャンパーを脱がせる。
『ああ、ほんとに生きかえったようだわ』と、美由紀は不自由な上半身を座席の背にもたせかけて言う。
『どうだった?、トランクの中は』
『ええ、初め、空気が悪くなるんじゃないかと思って心配だったけど、その方は別に何ともなくて助かったわ』
『うん、トランクって案外、すき間があるそうだね』
『ええ、あちこちから光が入って来てたから、空気もそうなんでしょうね』
『それに』と祥子が後ろを振り向いて言う。 『2~30分おきに開けてたことになるから、空気の方は大丈夫よね』
『ええ、でも、とても暑くって、息も結構辛かったわ。 それにとても汗が出て。 それで脱水状態になるんじゃないかって心配だったの』
『ええ、でも、結局は大丈夫だったんでしょう?』
『ええ、何とか』
『とにかく、今度の合宿の小手調べとしては丁度よかったんじゃない?』
『知らない!』
美由紀は上半身をひねって、すねてみせる。
『とにかく御苦労さまでした。 目的地に着いたら、またたっぷり楽しませて上げますからね』と、祥子はねぎらいとも脅しともとれるような言葉で締めくくり、また前に向き直る。
『手の紐も解いて上げようか』ときく。
『いいわ、このままで』
美由紀はほんとに紐を嫌がらない。 祥子と一緒の間は、美由紀は手が自由な時間より縛られている時間の方が長いかも知れないな、などと考える。
『喉が乾いたら、その横のポットに冷たい紅茶が入ってますよ』と運転しながら孝夫が声を掛けてくる。
『どう。 冷たい紅茶だそうだけど、飲むかい?』
『ええ』
ポットの蓋を取り、冷たい紅茶を紙のカップに注いで、美由紀にゆっくり飲ませる。 そして『もっと』という注文で、もう1杯飲ませる。 美由紀もやっと落ち付いた顔になる。 顔からまた汗が出てくる。 タオルで顔の汗を拭う。 ポットにまた蓋をする。
『はい、これ』と祥子がチョコレートの板を後ろに差し出てくる。 私が受け取り、小さく割って一片を美由紀に差し出す。 美由紀は『有難う』と言って口に開け、受け入れてゆっくり味わっている。 私もチョコレートの一片を自分の口に入れ、その甘みを味わいながら、『何でもやってらえるのなら、確かに手を縛られて生活するのも悪くはないな』と思う。
車は順調に走っている。
4
沼津ICで東名高速道路を出る。 そして国道1号線を経て国道136号線に入り、南に向う。
大仁を過ぎた頃から、美由紀が体をもじもじ動かし始める。
『どうした?』と訊く。 美由紀が恥ずかしそうに小声で答える。
『あの、ちょっと、おトイレに行きたくなったの』
『ああ、そう』
私はうなずいて前に声を掛ける。
『孝夫君。 美由紀がおトイレに行きたくなったそうだから、何処かいい場所に車を止めて貰えないか?』
『あの』と祥子がつけ加える。 『あたしが世話してさせてあげるんだから、どこか人目のない所がいいわ』
『え?』
美由紀は一瞬びっくりしたような顔をするが、すぐに納得したようにうなずき、肩をすくめる。
『そうですね』と孝夫が運転しながら応える。 『この辺じゃ、あまりそういう所はなさそうですから、もう少し走って、山に入ってから探すようにしたいんですけど』。 そして相変わらず前を見ながら、『美由紀さん、もう後20分ばかり、我慢できませんか?』と訊く。
『ええ、何とか』と美由紀は返事する。
やがて国道136号線は狩野川と別れて西に向い、山の間を入っていく。 いくつか部落を過ぎた後、孝夫はとある小道にそれて車をのり入れ、少し登って行って、林の中のちょっと開けた所に停める。
『さあ、この辺でどうですか?』
『そうね』
祥子がドアを開けて外に出る。 そしてちょっと周りを見回してから、後部座席のドアを開け、『じゃ、出てらっしゃい』と声を掛ける。
『ええ』と返事して、美由紀も不自由な上半身をくねらせて外に出る。
祥子は美由紀の後ろ手の腕を取って、少し離れた草むらのかげに連れていく。 そしてスカートをまくり、ズロースを下してやっている気配がある。 私と孝夫は車の横で2人を待つ。
3分ほどして2人が戻ってくる。 見ると美由紀は、風邪予防用のを大きくしたのような白い大きなガーゼのマスクで鼻と口とをぴったり覆われて、後ろ手のままであえぎながらやってくる。 マスクは眼のすぐ下からあごまで覆っている。
すぐ横まで戻ってきた美由紀に、『美由紀、どうした』と声をかける。 祥子がにやにや笑っている。 ガーゼのマスクならそんなに息苦しい筈がないのに、と思いながら、マスクを外してやる。 美由紀がほっとしたように大きく息をする。
ガーゼにしてはマスクの手ざわりが変である。 裏を返してみる。 裏は薄くて丈夫そうな白いゴム布で裏打ちされている。 ゴム布はマスク一杯の大きさで、穴は1つもあいてない。 祥子の顔を見る。
『ね、面白いマスクでしょう?』と祥子が笑いながら言う。 『美由紀のために特別に作ってあげたの』
『なるほど。 これじゃ、息苦しい訳だ』
私は改めてマスクを見る。
『いつもこんないたずらをしてるのかい?』
『ええ、時々。 マンションで美由紀のお仕置に使ってるの』
『ふーん』
『祐治さんもお望みなら掛けさせてあげるわよ』
『そうだね』
私はもう一度、マスクの裏のゴムの手触りを確かめる。
『ちょっと験してみようか』
私はマスクを自分の鼻と口とを覆って掛けてみる。 まだ美由紀の肌のぬくもりが少し残っている。 息をしてみる。 鼻の横の辺からいくらか空気が漏れてきて、どうにか呼吸が続けられる。
『自分で外せたんじゃ、やっぱり面白くないわよね』
そう言って、祥子がいつの間にか紐を手にして私の後ろに回り、両手首をとって腰の後ろで重ねる。 私は抵抗せずに祥子のなすがままに任せる。 祥子が両手首をきっちり縛り合せる。 久しぶりの手首の紐の感触をじっくり味わう。
ついで祥子は私の前に来て、鼻からあごまでをぴったり覆うようにマスクの位置を修正する。 マスクの裏のゴム布が顔の肌にぴったり吸いつき、吐いた空気は漏れていくが、吸っても空気が少しも入って来ず、息が詰まってくる。 美由紀が心配そうな顔をして見ている。
あごを動かし、口を一杯にあけ、顔をゆがめる。 ゴム布は肌に密着していて、顔の変形に従って変形する。 しかし、それでもあごの方にひっぱられて鼻の上の方でずれを生じ、隙間ができて、空気が少し漏れて入ってくる。 ほっとして大きく息をする。
『やっぱり、このマスクは美由紀に合せて作ったので、祐治さんには少し小さいわね』と祥子は言う。 『手を使わずにそう簡単に隙間をつくれたのでは、面白味が少ないわ』
あえぎながら何とか呼吸をくり返す。 もうそろそろ取ってくれないかな、と希う。 しかし、祥子は、『そうね。 それでも大分効果はあるようだから、しばらくの間、そのまま掛けておいてあげましょう』と笑う。 祥子をにらみつける。 しかし、祥子は気がつかない振りをして平然としている。 孝夫は横でにやにや笑っている。
『じゃ、また御出発よ』と祥子は笑いながら後部座席のドアをあけ、私と美由紀に軽く頭を下げて、科を作って手で『お乗り下さい』というように合図する。 仕方なしに、後ろ手のまま、今度は、美由紀、私、の順に車に乗る。
助手席に乗り込んだ祥子が後ろを振り向いて、『そうやってお2人が、お揃いの後ろ手姿で並んで座ってると、とてもお似合いよ』と笑う。 また、祥子をにらみつける。 しかし、何だか将来を暗示されたような、悪くない気持になる。 美由紀はまた恥ずかしそうに下を向く。
祥子は座席にひざで立ち、孝夫の横からカメラを取り上げて、『記念に1枚撮っておくから顔を上げて』と前部座席の上からこちらに向けて構える。 美由紀が顔を上げる。 1枚ぱちりと撮る。 またまた、祥子をにらみ付ける。
『じゃあね』と言って祥子がまた前に向いて座る。 『それじゃ、行きますよ』と孝夫が声を掛け、車がまた動きだす。
5
車は国道に戻り、またスピードを上げて走りだす。 もう人家もなくなり、カーブの多い登りがつづく。 この辺も道路はすべて舗装されていて、カーブでは後ろ手の体が右に左にふり回され、少し心許ないが、少し広げた両足で何とかふんばる。 美由紀も後ろ手のまま、何とかふんばっている。 時々、美由紀と身体が触る。 美由紀は『あら、ごめんなさい』と言う。 私も応えたいが、マスクの隙間からかろうじて呼吸を続けている身ではそれも叶わない。 あえぎながら、ただ軽くうなずく。
ちょっと平らな所に出る。 さらに少し行くと、立派な道路が右に別れている。 孝夫はちょっと車を停める。 そして半分振り向くようにして3人に説明する。
『ここがS峠で、右に別れているのがNスカイラインで、D山へ行く道です。 D山は富士山の展望台として、とても有名なんです』
『ああ、そう。 それはよさそうね』と祥子が言う。
『ああ、D山から見た富士山って、あたしも写真を見たことがあるわ。 とてもきれいな風景写真だったわ』と美由紀も言う。
『ええ。 僕も一度行ってみただけですけど、素晴らしい眺めでした』
『そうね。 今日は先を急ぐから駄目だけど、帰りにはちょっと寄ってもいいわね』
『そうですね。 ここから入ってD山に寄って、そのままH峠に抜けて、修善寺に出れば道路はこの国道よりは少しは悪いけど、距離も時間もそうは変わりませんし』
『そうね。 天気さえよかったら、是非寄ってみましょう』
さっそく相談がまとまったようである。 私も話に聞いているD山からの富士山の眺めに大いに期待する。 しかし、今の私は会話にも参加出来ず、ただあえいでいるだけである。
『じゃ、また、出発します』
車が動き始める。 今度は長い長い下りである。 今までより遥かにカーブの多い道をエンジンブレーキをきかせながらぐんぐん下って行く。 耳が少しじーんとして来る。
やがてヘヤピンカーブの連続を抜けて、また川に沿った道路になる。
『もうすぐ、T町です』と、少し緊張を解いたような顔で孝夫がいう。
車はT町で海岸に出て南に向かう。 街を出ると道路は海岸沿いに走るようになり、右手に明るい海が拡がる。
『わあ、いいわね』と祥子が歓声を上げる。 私も歓声を上げたいが、マスクが丁度、猿ぐつわになっていて上げることが出来ない。 相変らず苦しい息をあえぎながら、美由紀の肩越しに明るい海を見詰める。 美由紀も後ろ手のまま、窓ガラスに顔を押し付けるようにして海を見ている。
車はさらに南に向い、長い登りで高い崖の上に出たり、下に降りて港の横を通ったりしながら、ひたすらに走る。
もうすぐM町というところで、岬の曲り鼻で道の傍らに広くなった草地をみつけ、車を停める。 前の座席の時計をみると、もう1時を少し過ぎている。
『ここでお弁当にしましょう』と孝夫がいう。 『もうお昼を大分過ぎてますし、ここから先に行くともうすぐM町の中心に入るので、もうこういう景色のいい場所はありませんから』
『そうね。 せっかくだからお弁当は景色のいい所で食べた方がいいわね』
皆が車から降りる。 道は高さ10メートルばかりの崖の上を走っており、景色が素晴らしく佳い。 3人はちょっとの間、海の彼方の水平線の美しさにみとれている。 私は息が苦しくて景色を観賞するどころではないが、と言ってどうすることも出来ず、あえぎながら皆を待つ。
祥子が崖下に下りていく踏跡を見付け、『あら、ここから下に行けるわよ。 ちょっと見てくるわね』と言って、降りて行く。
すぐに祥子は戻ってくる。
『下にはみんなで座るに丁度いい岩もあって、とてもいいわよ。 お弁当は下で食べましょう』
『そうですね。 でも』と孝夫が私と美由紀を見る。 『あたしは大丈夫だけど』と美由紀は言って私を見る。 私も水の近くへ行ってみたくなる。 『むん』とうなずいてみせる。
『じゃ、みんないいわね』
車から弁当の入ったバッグとポットを取り出して祥子と孝夫がそれを持ち、先に立って踏跡を下りていく。 私と美由紀は後ろ手のままなので如何にも頼りないが、それでも他の2人について、足下に気をつけながら慎重に降りていく。 それでなくとも苦しい息が岩屑まじりの急な踏跡を時々よろけながら下りていくことでますます切迫してくる。 私は途中で2~3度立ち止まって呼吸を整える。
水際近くまで下りた所に、道からは陰になって見えず、4人がゆったり座れる位の広さのほぼ平らな岩がある。 岩の上には大きな松の木の枝が張り出していて、日陰を作っている。
『ね、いい岩でしょう?』
『むん』
早速、祥子と孝夫が上にたまっていた松葉をざっと払い落とし、ビニールの風呂敷を敷いて上に荷物を置き、その周りに皆がそれぞれに腰をおろす。
『お弁当を食べるんじゃ、マスクは外さないと駄目ね』と笑いながら、祥子がやっとマスクをはずしてくれる。 肩で大きく息をする。
『これって、本当に苦しいもんだね』。 私はまだはあはあ言いながら、敷物の上に置かれたマスクを見やる。 『ぴったり掛けられたら、ほんとに窒息して死んでしまうんじゃないかな』
『ええ、そうかも』と祥子はうなずく。 そして、『だから美由紀に掛けるときは、普段はお仕置の程度によって空気の漏れ具合をうまく調節するの。 すると美由紀じゃ、いくら顔を動かしてもマスクをずらすことは出来ないから、お仕置があたしの考えた通りにうまくいくのよ』と説明を加えて、『ね、美由紀?』と声を掛ける。
『ええ』と美由紀が短く応えてうなずく。
『でも、さっきの祐治さんのときは、験しに出来るだけぴったりさせてみたの』と祥子がいたずらっぽく笑う。
『道理で苦しかった』と私。 『とにかく最初は全然、空気を吸うことが出来なかったからね。 苦しまぎれに精一杯顔を動かして、やっといくらか呼吸が出来るようになったけど。 でもその後でも、ちっとも楽にならなかった』
『でも、いいものでしょう?。 祐治さん専用にもう少し大きいのも作ってさしあげましょうか?』と祥子がまた笑いながら言う。 『そうすればもっとぴったりして、もうずれて空気の洩れが出来たりする心配がなくなるわよ』
『そうだな』
私はあいまいな返事を返す。
『そうね』と祥子は言う。 『祐治さんと美由紀の2人分をお給事するんじゃ、忙しくてかなわないから、祐治さんの紐は解いてあげるわね』
祥子は私の後ろ手の手首の紐を解く。 久しぶりに手を伸ばしてほっとする。
お弁当のサンドイッチを拡げる。 祥子はまたサンドイッチを小さく切って、一つづつ美由紀の口に運ぶ。 間に冷たい紅茶を飲ませる。 自分も食べたり飲んだりする。 面倒見がいいな、と感心する。
孝夫は黙々としてサンドイッチを食べている。 私もサンドイッチをぱくつき、冷たい紅茶を飲みながら、寄せては返していく波を眺める。 丁度、眼の下には、岩が幾つもごつごつ頭を出している狭い砂だまりがあって、そこに波が寄せては小さな岩の頭を越え、大きな岩にくだけて返している。 海からの風がとても気持よい。
『波って面白いね』と私が皆に話し掛ける。 『毎回変化があって、いくら見てても飽きないね』
『そうね』と祥子が受ける。 そして、『あたし、波が来るたんびに、あそこの小さい岩を越えるかどうか予想をたてて見てるんだけど、あんまり当らないものね』と言う。
『え、どの岩?』
『ええ、あれ』。 祥子が指差す。 確かに、丁度人の頭ほどの大きさの岩が平らな砂の上に鎮座していて、波がやってくる度に水しぶきを上げ、頭を越されたり、てっぺんが残ったりしている。 孝夫も美由紀もその岩に眼をやる。
『ふーん、なるほどね』
私も予想を立てながら、その岩をながめ、サンドイッチをつまむ。 ふと、今夜からどんなプレイが待っているのかしら、などと考える。 そしてふと、その岩と自分の頭とが二重写しになり、波をかぶってあえいでいる自分の顔が目に浮かぶ。 はっとして我に帰る。 しかし、それが今度の合宿でのプレイを暗示しているような気がして、奇妙な気分になる。
ひとしきり食事が進んだ後で祥子に訊く。
『ところで祥子は、今度の合宿でどんなプレイを考えてくれてるんだい?』
『そうね。 とにかく、今度の合宿の特徴を生かしたものを色々してみたい、と考えているんだけど』
『そうだね。 それがいいね』
『その、合宿の特徴を生かしたプレイって、どんなんですか?』と孝夫がきく。
『ええ、まだ、それはよく考えてないの。 でも、行けばきっと、素晴らしいプレイが次々と見付かるわよ』
『ああ、そうですか』
孝夫はあいづちは打ったものの、あまり納得しないような顔をしている。
『例えば、今度の合宿の場所は海岸で砂浜もあるそうだから、海の水や砂で色々な形の水責めが出来るでしょうし、後ろはすぐに山が迫っているそうだから、周りの山を色々と責めを工夫しながらお散歩するのも楽しいんじゃない?』
『なるほど』
私は改めて、祥子の想像力のたくましさに感心する。
『そこであたしは、実際に行ってみれば幾らでもプレイの種が見付かるような気がするものだから、今はまだ、こういうプレイをするって決めないでいるの』
『なるほどね』
『きっと色々と楽しいプレイを見付けて、やってあげるわよ。 期待してらっしゃい』
『まあ、よろしく頼む』
私は軽く頭を下げる。
『ええ、任しといて』と祥子が胸をはる。
『大した自信だね』と私が言う。 皆がどっと笑う。
6
食事が終って皆が立ち上る。 孝夫が祥子に『美由紀さんの紐も一度解いてくれませんか』と言う。 『もうすぐ、管理をお願いしているアラフネさんのお宅に着きますけど、向うの人に会って挨拶するとき、変にあやしまれてもいけませんから』
『でも、ちょっと挨拶するだけなら、美由紀は後ろ手のままでも、ジャンパーで隠しておけば大丈夫なんじゃない?』と祥子は言う。 『もう、せっかくここまで来たのだから、孝夫の家を出てから目的地に着くまでずうっと後ろ手で通す、という記録を作りたいと思ってたんだけど』
『ええ、でも』と孝夫は重ねて言う。 『アラフネさんのお宅に着いたらお茶ぐらいは呼ばれますし、それにその部落から先はもう車が入らず、山越えの道はとても悪いので、向うの人に船で送って貰うことになると思いますので』
『ああ、そう。 それじゃ、無理ね』
祥子も納得して、美由紀の後ろ手のひもを解く。 もう6時間ばかり縛られっぱなしだったので、美由紀はさかんに肩や腕を動かして凝りを取っている。
荷物や取りまとめたごみを持って車に戻り、また出発する。 まもなくM町に入る。 そしてそのまま街を通り抜けて、また海岸沿いの道に出る。 この辺はもう道路も舗装がしてなく、よくゆれる。 それに狭い。
また2つばかりの部落を通り越して、最後に車は家が5~6戸かたまった小さな部落に出る。 孝夫はそのうちの一番立派そうな一軒の家の前に車を停めて、『はい、着きましたよ』と言う。 『この家の方に留守中の別荘の管理をお願いしてあるんです』
『長い道のりを、御苦労さま』とねぎらって、皆が車から降りる。 海や魚の独特の臭いが心地よく鼻をつく。 目の前の家の表札を見る。 「荒船」と書いてある。
我々の来た道はもう20メートルばかり先で車が入れないほどの狭い踏跡になり、その先には山の背が立ちふさがって、岬へとのびている。 『今日の目的地はあの山の背の向う側です』と孝夫が説明する。
孝夫が家の入口に立って、奥へ声を掛ける。 すると中からは60才がらみの老夫婦が出て来て、『ああ、よく来た』と歓迎して、家の中に招き入れてくれる。 口々に挨拶して家の中に入り、上がりかまちの所でお茶を一杯ご馳走になる。 お茶菓子には海草入りとかいう煎餅が出る。
お爺さんが眼を細めて孝夫を上から下まで見て、『ぼんぼんもすっかり大きくなったのう』と言う。 孝夫が頭をかく。 皆がどっと笑う。 『とにかく僕が生れる前から知ってるんで、頭が上がらないんです』と孝夫が小声で説明する。
『それで、あんな何もない所で、10日間も何をして過ごす積りなんだね』とお爺さんが訊く。
『いや、10日じゃなくて足掛け7日ですよ』と孝夫が言う。
『そんなことは同じ事じゃ』とお爺さんは一刀両断に切り捨てる。 そして返事も聞かずに、『そうじゃな。 普段は東京でせかせかして暮してるんじゃろうから、たまにはああいう静かな所でぼさっとしてるのもいい薬になるかもしれんな』と独り合点する。
『ええ、あたし達もそう思ってます』と祥子。 また、明るい笑い声がおこる。
ふと、我々の荷物の中に紐とか、鎖とか、猿ぐつわ用の革のマスクとかが入っているのをこの頑固そうなお爺さんが知ったら、一体どんな顔をするだろうか、との考えが頭に浮かんで、にやっとする。 それらのプレイ用具を出して見せ、験してみたい衝動にかられる。 しかし、ぐっと我慢する。 お爺さんの横に座っていたお婆さんが、またお茶を注ぎ足してくれる。