1
祥子の誕生日パーティから一週間余りたった日曜日の朝、私は8時頃に眼をさます。
ベッドから起き出し、寝巻のままでLDKに出ていって遮光カーテンを開く。 白のレースのカーテンを通してさっと明るい光が入ってくる。
『ああ、昨日につづいて、今日も天気はよさそうだな』
レースのカーテンを開け、ベランダのガラス戸も開けて空を見る。 天気は薄曇りで、一面の淡い雲を通して薄日が差している。 気温もそんなに高くはない。 今は梅雨の真最中であるが、昨日からは梅雨全線がかなり南に押し下げられているとかで、北からの涼しい空気が流れ込んでいて比較的涼しく、湿度も低く、今の時期としては凌ぎ易い天候になっている。
寝巻を脱いで下着のままで洗面所に行き、歯をみがく。 それからLDKの食卓の上のジャーからお湯をとってきてひげを剃り、顔を洗う。 すっきりする。
部屋に戻ってズボンをはき、上は肌着のままで簡単な朝食をつくる。 そして9時からテレビで日曜美術館をみながらゆっくりと朝食をとる。 今日はレンブラントの生涯を追った作品観賞で、楽しい観物だった。
その後、この1週間の間にすっかり散らかった机の上をあれこれ片付けているうちに昼近くなる。 ふと思いついてプレイ用品の箱を開けてみる。 プレイ用のタバコの買置きが1個だけ残っている。 タバコとの連想で、久しぶりに無性にFD (Female Dressing)での外出がしてみたくなる。
私はプレイ以外ではタバコには全く縁がない。 そしてプレイ用のタバコを仕込む時は原則として完全なFD姿で外出して、どこかの売店で女店員と相対で2つづつ買うことにしている。 ただし、タバコの買置きがなくなり、しかも煙草プレイがしたいのにFD姿で外出する機会がない、というような時には、例外として他のプレイ姿で外出して自動販売機で買うこともある。 例えば、外から見える所以外を全部F用の下着で固めたいわゆるFU(Female Underwear) 姿で、さらに乳首に洗濯ばさみではさんで痛さを我慢しながら買いに出る、というように。
テレビで正午の時報の前の天気予報を見る。 今日は午後も「曇時々晴」の天気で、気温は比較的低く、最高温度で22度程度との事である。 FDでの外出は余り肌を露出する真夏はやりにくいし、そういう服装も私はあまり好きでない。 それで通常は真夏は避けて、気候の良い春、秋に行なうことが多い。 今日はその意味では大分時期が遅いが、最高温度も22度程度で湿度も比較的低いということならば、私の好きな長袖のブラウスとツーピースを身に着けてもそんなに汗をかかずに過ごせそうである。 思い切ってFD外出を実行することにする。
2
残っていたパウンドケーキ1切れと紅茶とで簡単な昼食をすませてから、さっそく準備にかかる。 まずパンツ一枚になり、浴室で髭を丁寧に剃り直す。 私は髭は余り濃い方ではないが、それでも1日たつと少し目立つようになる。 そこでFD外出の時は特に丁寧に剃っておいて、時間がたっても髭が伸びて化粧が浮いたりしないようにしておく。
ついで肘から先の腕や手の甲の毛も丁寧に剃り落す。 その後はぬるま湯で顔と腕をよく洗い、男性クリームを塗り込んでおく。 胸も上の方で目立つ毛だけを簡単に落しておく。
6畳に戻って着ていたものをすべて脱いですっ裸になり、トイレに行って出るものをすっかり出す。 そしてまた6畳に戻り、まずPセットをする。
Pセットでは小物用のポリ袋( 15 センチ× 25 センチ)と長さが約 1.2メートルの細い麻紐、それにバッファー用の小布れとを用意する。 そしてまず、ポリ袋の奥の一つの角がPの先に当るようにPを包み、その根元を麻紐で2巻きして結び留める。 次にそのポリ袋の上の部分でSを覆って、Sの根元でPと一緒に麻紐の先を2巻きして結んで留める。 その際、小布れを2~3重に折りたたんだものをSの根元の下側に当て、その上に紐を巻き絞るようにする。 このバッファーの小布れがないと麻紐がSの下部に食い込んで、すぐに痛くて我慢が出来なくなる。 以上の操作の後、さらに袋の余った部分を裏返すように折り返し、もう一度PとSとを包みこんで根元に麻紐の先を巻き締めて結んで留める。 こうしてPとSとはポリ袋により2重に包み込まれ、全体が丸い鞠のような形に整形される。
PセットはFDでは欠かせない手段である。 それはPの根元を紐で縛って締め上げて常にPの存在を意識させると共に、それを密封してM機能を圧殺し、私は今確かにFに変身してるんだ、という自覚を生じさせる。 FDでは外から見える所はもとより下着の類までFのものを用いるが、それだけではなくて気持までも全てFになりきる所にその精髄がある。 Pセットはその第一の手段である。 その外にPセットには、Pの根元の緊縛により放尿が物理的に防圧されて、下腹が張ってもそのままでは漏らすことすら出来なくなる、というM的な要素や、ショーツの汚れを防ぐという実際的な機能もある。
次に下着をつける。 まず生理用ナプキンのチャームナップ・ミニを一つ取り出して股に当て、生理用ショーツをはき、その上に黒の厚手のズロースを重ねる。 腿にくいこむズロースのゴムの感触が気持よい。 生理用ナプキンは、アヌスの周りの異物感によりFの象徴であるナプキンの着用を自覚する心理的満足感と共に、アヌス付近の汚れからショーツをまもる実際上の意味も持っている。
ズロースの上にカメル色のタイツをはき、さらにその上にセーヌ色のパンティ・ストッキングと白色のパンティ・ストッキングとを重ねてはく。 これで少し黒くなりかかっている脚の毛が完全に隠され、なめらかな肌の素肌の脚に白のストッキングを穿いたような感じになる。 また、太腿から腰にかけてぴったり締まった感じがとても良い。
胸にはワコール製品のパッドを入れた白の綿のブラジャーをつける。 パッドの裏側には古いパンティ・ストッキングを片脚づつに切った詰め物がしてあって、つぶれるのを防ぎ、胸のふっくらした感触を出すようにしてある。
ブラジャーをつけた上に3分袖のスリーマーを着る。 胸のあたりをレースであしらった純白のものである。 袖口や裾も縁が簡単なレースで飾られていて、優雅な気分にさせる。 女の子はいつもこんな下着で楽しんでいるのかと思うと、少し羨ましくなる。 胸に手をやると、ブラジャーによる胸のふくらみが手の平に心地よく感じる。 スリーマーの裾をパンティ・ストッキングの中に押し込む。
それから洗面所に行って顔のメイクをする。 まずローションで肌を整え、その上にベース・クリームを丁寧に塗り込む。 そして5番のファンデーションで髭の剃り跡を消しながら顔全体の肌の色を整え、さらに3番のファンデーションを重ねて特に口の周りの色が髭により黒ずんでいるのを調整する。 これで肌の色に関してはかなり自然になる。 下着の汚れ防止用に湯上がりタオルを肩に掛けてから、顔の肌にフィニシング・パウダーをパフで叩きつける。 そしてたっぷり3分間ほど待ってから、ぬるま湯で余分のパウダーを軽く洗い流し、ティッシ・ペーパーで軽く抑えて水分を取り去る。 これで肌のメイクは終る。
かねて用意のかつらをかぶる。 私の髪は少しアレンジすれば女の子としても通用するようになっているが、本格的FDにはやはりかつらを披った方がぴったりする。 かつらはパーマで全体に軽くウエーブがかかっており、耳を四分の三ほど隠して、毛の先が軽く内側に巻いている。 前の方もひたいの半分程を隠して、やはり内側に少し巻いており、私の気に入っているおとなしい髪型である。 かつらの位置を納得のいくまで調節し、ヘア・ブラッシで毛並みを整える。 これで顔はすっかり女の子らしくなる。
それから口紅を出して、まず紅筆で唇の輪郭を丁寧に画いて、スティックで中を直接に塗り込める。 口紅の色は私の好みで鮮明な赤である。 FDとなるとやはりことさらにFを強調したくなる。 そのためにはやはり唇は赤くなければ、という気になる。
ティッシ・ペーパーをくわえて余分の口紅を取り去る。 軽く頬紅とアイ・シャドウも入れる。 最後に愛用のサングラスをかける。 これはやや濃いブラウン色のサングラスで、少し気になる眉毛の太いのを半ば隠して印象をやわらげてくれる効果を持つ。 これで顔と頭はすっかり用意が出来る。 鏡を見てにっこり笑ってみる。 一応満足のいく出来ばえである。
次に6畳に戻って服装を整える。 まず白のシャツ・ブラウスを着て前ボタンと手首のボタンをかける。 胸の辺に単純なフリルのついた簡素なブラウスで、私のお気に入りである。 胸のふくらみの線が美しい。
上には3~4枚あるFD用の服のうち、どれにしようかと少し迷った末、もう夏だからということで明るい萌黄色のツーピースを着ることにする。 まず浅いプリーツの入ったスカートをはき、ブラウスの裾をスカートの中に入れてきちっと形を決める。 そしてその上に上着を着ける。 袖は丁度手首まである。
姿見の前に立ってみる。 なかなか可愛い女の子に見える。 持物は白のハンドバッグとし、中に腕時計、ティッシ・ペーパー、手帳とサインペン、札入れ付きのえんじ色のがま口、および風呂敷を入れる。 また口紅、5号と3号のファンデーション、小容器に入れ直したフィニシング・パウダー、パフなどの簡単な化粧道具も一つの小さいポリ袋にまとめて入れて中に納める。 コンパクト・ミラーも入れる。
これでFへの変身完了として、ハンドバッグを右腕に掛けて、もう一度姿見の前に立ってみる。 ややうっとりした気分になる。 時刻はすでに1時半を回っている。
玄関に出て、履物の戸棚から靴の箱を出す。 今日はかかとがサンダル式の革紐になっている白のパンプスで、かかとの高さが7センチ程の靴をはくことにする。 背が高い女の人がかかとのぺちゃんこな靴をはいていると、他の人から「ああやっぱり」と思われてますます背が高く見られる、という話を何かで読んだことがある。 私も背の高さは 174センチあるから、女の子としては非常に高い方に属する。 従ってかかとの少し高目の靴を履いたほうがかえって目立たない、の思惑がある。 それにスカートとハイヒールはFの象徴として、FDをするようになる前からあこがれの的であった。 今もスカートとハイヒールでないとFDの気分が出ない。
一度、中に戻って、戸締りや火の元、水道の栓などを確かめ、明りを全部消す。 玄関に戻っていよいよハイヒールをはく。 右手の指で靴の革紐をかかとに掛け、まっすぐ立ってみる。 足の指の先にぐっと力が加わる。 久しぶりでとても気持がよい。
玄関の鍵を右手に持って耳をすませる。 私の家の入口がある外廊下にはエレベーターからこちらに5戸分の入口があり、私の家は奥の階段から2軒目にある。 外廊下は左にずうっといくとエレベーターの所で少し屈曲していて、その先の廊下との見通しはきかない。 また右に行くと突き当って右手に階段室がある。 耳をすませると廊下を歩く人の足音は大体わかる。 FDは自分だけの秘密の楽しみなので、やはり家を出て玄関の扉に鍵をかけている所を人に見られるのは望ましくない。 そこで家を出るときは慎重に耳をすませて、廊下に人の居ないことを確かめてから出ることにしている。 幸い今は人の気配は全くない。
扉を少し開けて、もう一度人の気配を探る。 そして、何の気配もないことを確かめて、さっと外に出て、手早く鍵を掛ける。 念のためにノブを回して引いてみて、鍵の掛かっていることを確かめる。 さっと左へ歩き始め、後も見ずにエレベーターに向う。 今日も私が出る所を見ていた人は居なかったようである。 一応ほっとする。
3
エレベーターの前に出る。 下りのボタンを押し、エレベーターが1階から上がってくるのを待つ間に、玄関の扉の鍵をハンドバッグに納める。
エレベーターの表示は5階を通り越して6階に行く。 そしてちょっとして5階におりてくる。 扉が開く。 中に顔だけ知っているどこかの若い奥さんが1人で居る。 中に入り、扉の方に向いてなるべく奥さんの方は見ないようにする。 それでも何となく奥さんの方が気になる。
扉が閉まってエレベーターが下り出す。 奥さんも私を見ない振りをしてちらりちらりと見ている様子。 普段の私の顔ならば先方も見覚えあるだろうが、今はFD姿なので分る筈はない。 それとも私の顔に何か見覚えがあるような気がして、一生懸命思い出そうとしているのかしら。 先方にしてみれば自分のマンションのエレベーターで背がとても高い見知らぬ女の子と2人きりに乗り合せたのであるから、気にするなと言うほうが無理とは思うが、ちらりちらり見られると、私の女の子姿にどこか不自然な所があるのではないかと思って、やはり大分緊張する。 1階までの下りの時間がとても長く感じられる。
1階に着く。 扉が開く。 私は先にマンションのロビーに出て、後ろも見ないで入口から前の道路に出る。 またほっとする。
地下鉄のK駅に向ってさっさと歩く。 かかとの高いハイヒールを履いてさっさ歩く感触がたまらなく良い。 路で何人かの人とすれ違うが、誰も私の事を気にかける様子はない。 同じマンションに住んでいてよく挨拶を交わす中年の奥さんともすれ違うが、私の方はちらとも見ずに行ってしまう。 FD姿では、誰にも気にされずに行動できるのが不自然さのない女の子と見られている証拠で、最も望ましい状態である。
K駅に着く。 生理用ナプキンの残りが大分数少なくなっていたことを思い出し、行きつけの駅前のスーパーに入って何時も使っているチャームナップ・ミニを買う。 棚から28個入り一包みをとり、レジに行ってほとんど口の中で『お願いします』と言いながら差し出す。 よく顔を見るレジの女の子が無表情で受け取り、レジに打ち込んで、『 265円です』と機械的に言う。 五百円玉を出して品物とお釣りとを受け取り、品物を風呂敷に包んで外に出る。
生理用ナプキンは男ではちょっと買いにくい品物の一つである。 そこで大概はFDで外出した機会に買うことにしている。 それにFD姿での買物は、口をきかずに機械的に出来るという理由で、自動販売機を除けばスーパーでするのが気分的に一番楽である。 今日もレジの女の子は、私のFD姿に何の疑問も持ってないように極く自然に扱ってくれた。 嬉しくなる。
駅の階段を降り、今日は渋谷行の切符を買って自動改札口を通ってホームに入る。 ホームには人はちらほら居るだけである。 やがてステンレスむきだしの車体の6両編成の電車が入ってくる。 幸いにすいていて、座席が半分ほど埋まっているだけである。 少し広くあいている所を選んで腰を下ろす。
斜め左前の席に50才ほどのどこかのおばさんが座っていて、私の方を見ている。 ちょっと顔がほてる。 スカートの裾の乱れを直し、足を揃え、膝にハンドバッグをおいて両手を軽く添え、やや下を向いて、ほほえみ加減の顔でなるべく神妙な態度を取る。 おばさんは20秒ばかり私の方をちらちら見ていたが、やがて眼をそらせる。 緊張がやわらぎ、ほのぼのとした気分になる。 恐らくは私の女の子姿に不自然さがあったというよりは、大柄なので目を引いたのだろう、と都合よく解釈する。 とにかく、この位の年配のおばさんは一番遠慮なくじろじろと人を見るので、一番苦手である。
そのうちに電車は段々と混んできて席がすっかり埋まり、立ってる人も大分でてきて、先程のおばさんの姿も陰になって見えなくなる。 もう私のことを気にしてそうな人は居ない。
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やがて電車は渋谷に着く。 人波にもまれながらホームにおりる。 先程のおばさんはもう一度ちらっと私の方を見て、それからさっさと行ってしまう。 大分執念深いな、と思う。 駅を出る。 時刻はもう午後の2時頃で、あたりはかなりの人出である。
まずTデパートの3階へエスカレーターで上り、トイレに行く。 この階は婦人服売場で、トイレは化粧室と一体につくられていて婦人専用である。 入口からさっと中に入っていく。 入口で中年の奥さんとすれ違うが、先方は少しも気にした様子を見せずに出ていく。
最初のうちはFD姿で婦人用トイレに入っていくときは非常に緊張し、中に居る女の人がみんな自分の方を見ているような気がして落ち着かなかったが、最近は大分慣れて人の眼が気にならなくなった。 それと共にこちらの態度が自然になったのか、婦人用トイレの中でも私の事を気にする人が居なくなったような気がする。
売場から入ってすぐ左に曲がり、通路を10歩ばかり行って化粧室の入口につく。 化粧室は入口から見ると右手と正面の2つの壁に化粧台が並んでいて、左手奥がトイレになっている。 そして化粧台のある壁は腰の高さから天井までの一面の鏡が壁全体に張りつめてあって、腰の高さの張り出しに適当な間隔で手洗いのボウルが8つばかり並んでしつらえてある。 全体としては淡いブルー系統の色調の涼しげな部屋である。
まず左手に行き、トイレの一番奥の個室を借りて形だけ用をたす。 個室に備えてある便器の多くは和式であるが、奥の2つの個室のだけは洋式なので座って足を休めることが出来、いつも愛用している。
トイレを出て化粧台のボウルの一つの前に立ち、鏡に向う。 先客に若い女の人が1人居て、鏡に向って化粧崩れを直している。 もちろん私の方に振り向いたりはしない。 私も鏡の中の女の子の顔をつくづくと眺め回し、髪の毛の乱れを右手の指で軽くすいてみる。 でも乱れはあまり直らない。 にっこり笑ってみる。 鏡の中の女の子もにっこり笑う。 自分のFD姿に一応満足して手を洗い、ハンドバッグの中のポケットティッシの袋から紙を1枚取り出して手を拭き、入口の屑物入れに捨ててトイレを出る。
1階に降り、人波の中をさっさと歩いて駅の売店の前に出る。 中には40才過ぎ位の女店員が1人で店番をしており、カウンターの上の左手横のガラスのケースの中に色々な種類のタバコが並んでいる。 口の中で一度練習してみてから、少し高い声で声を掛ける。
『あの、タバコを下さい』
『なににします?』
『あの、ピースを2つ』
ケースの中のピースの黄色い箱を指差す。
『ロングの方ですか?』
『ええ、ロングの方』
女店員がケースの中からピースを2箱とり出して『はい』と言って差し出す。 私はまた五百円玉を出し、『有難うございました』との言葉と一緒にタバコとお釣りとを受け取り、タバコをがま口と共にハンドバッグに納める。 今度も女店員の態度は普通と全然変らない。 私のFD姿での振舞いが相手に全く不自然さを感じさせなかった証拠として嬉しくなる。
このように口で応答する買物は、声の高さ、調子や言葉遣いまで気を配らなければならないので、スーパーでの買物よりは大分気をつかう。 それだけにごく自然にすますことが出来るとFDに自信がつき、嬉しくなる。
Sデパートに行く積りで歩き出す。 ハイヒールの感触を楽しみながらさっさとスクランブル交差点を渡り、化粧品店の「Mや」の前に出る。 『ああ、そうだ。 5号のファンデーションが大分残り少なくなっていたっけ』と思い出す。 丁度いい機会だからここで買っていこう、と表から中を伺う。 中は色々な服装の女の子でごったがえしている。 ここは化粧品のブランド別に売場が分れている。 そしてその各々は、前にカウンター兼用のガラスの商品ケースがあり、後ろに棚がある構造をしていて、垢抜けした化粧の若い女店員が1人ないし2人づつ立っている。 ちょっとためらいを感じる。 口のなかで言うべき言葉を一度練習してから、思い切って中に入る。 そしてまっすぐ「オリリー」と表示のある売場にいき、立っていた20才代半ば位の垢抜けした女店員に注文する。
『あの、5号のファンデーションを一つ下さい』
少し高い声で出来るだけ女らしい口調で言った積りだが、緊張で声が小さく、少しかすれている。 女店員はにこやかに『5号ですね』と念を押す。 そして後ろの棚からファンデーションの小さい箱を取り出して『これですね』と渡してくれる。
箱に小さく表示してある5号の文字を確かめる。 『ええ、これです』と返す。 声のかすれは直ったような気がする。
『2千円いただきます』
私はがま口をハンドバッグから出し、札入れから五千円札1枚を取り出して渡す。
『これで、お願いします』
『ちょっとお待ち下さい』
女店員は札を持って向うのレジに行き、やがてお釣りと一つの紙箱とを持って帰ってくる。
『くじを2本、お引き下さい』
私は三角形の紙のくじを箱の中から2つ取り出し、女店員に渡す。 女店員はそれらの端を破り、『残念でした。 2本ともはずれでした』と中の記号を見せてくれる。
『はずれはティッシ・ペーパーか手帳ですけど、どちらがよろしいでしょうか?』
『ティッシ・ペーパーをお願いします』
女店員はファンデーションの箱と紫色で「Mや」の名前と模様の入ったポケット・ティッシペーパーを2つとを店のマークの入った紙袋に手早く入れてシールで封をし、お釣りと共に『有難うございました』と言いながらにこやかに渡してくれる。 こちらも『お世話さまでした』と応えて受け取り、お釣りは納め、袋は手に持ったまま外に出る。 ほっとする。
ここでの買物は会話が複雑で、しかも1対1で向い合っている相手はいつも女の子と相対している化粧品店の女店員である。 これだけ長く会話を交していて、私のFD姿での振舞いに少しは不自然さを感じない筈はなかろうと思う。 しかし彼女はその様な素振りは少しも見せずに応対してくれた。 やはり客扱いに慣れていて、しかも教育が行き届いてるせいかな、と思う。 それならそれでこちらも堂々と、出来るだけ女の子らしく振舞っていけばいいんだ、と自分に言い聞かせる。