2ntブログ

6.1 食卓のオブジェ

第6章 第6日
05 /01 2017


 翌朝早く、Pの付け根に痛みを感じて眼がさめる。 Pセットをしたままで就寝するとよくあることだが、夜明けにPが緊張し、紐を巻いて結んであるPの根元が膨張して丁度無理に締め上げられたのと同じ状況になり、痛くなったのである。 外は大分明るくなっているが、日の出にはまだ間がありそうである。
 両手首は下腹の前で固定されているが、手の先は少し動かせる。 右手の先で五分パンティの上からPのふくらみをさすってみる。 そしてちょっと姿勢を変え、できるだけプレイのことは考えないようにして気をしずめる。 Pの根元の痛みが次第にやわらぐ。 また、うとうとっとして寝込む。
 次に眼がさめたときは辺りはもうすっかり明るくなっており、窓からみえる山の背に日がさしている。 隣りの孝夫も眼をさましている様子。 『今、何時?』と訊こうとして、昨夜は口を蓋されたままで寝かされたことを思い出す。 掛けてあったタオルケットが大分ずれて横に落ち、身体が半分出ている。 かつらは上からマスクの革紐で抑えられているから落ちる心配はないが、寝ている間に乱れておかしくなったりしてないだろうか。 ちょっと気になるが、今はどうしようもない。
 足で軽く反動をつけて上半身を起こす。 孝夫も上半身を起こして声を掛けてくる。
『ああ、眼がさめました?。 もう7時を過ぎたから、そろそろ起きましょうか』
 そう言えば祥子が、今朝は7時起床、と言ってたっけ。 『むん』とうなずく。
 孝夫は立って手早く寝巻きを脱ぎ、シャツとズボンを身につける。 私は脚にもネグリジェの裾が巻きついた上に紐が掛っていて、立ち上がるのも容易でない。 そこで腰を下ろしたままで孝夫の着替えを見守る。
 孝夫が着替えを終える。 そして私を見て言う。
『その格好では向こうへ行くことも出来ませんね』
『むん』
『それじゃ、もういいでしょうから、脚の紐だけでも取りましょう』
 孝夫は手早く膝上と足首の紐を解いて取ってくれる。
 膝を曲げて、よっこらしょ、と立ち上がる。 ネグリジェの裾がはだける。 孝夫がスナップを留め直して旧に戻してくれる。 そして済まなさそうに、
『手やマスクの錠も外して上げたいけど、何しろ鍵を全部、祥子さんが持ってってしまってるので』という。
 また、『むん』とうなずく。
 両手を下腹の所でネグリジェの中に突っ込んでPを抑えてる格好はいかにもみっともないとは思うが、今はどうしようもない。 そのままの格好で孝夫と一緒に食堂に行く。
 食堂では祥子と美由紀が朝食をつくっている。
『おはようございます』と孝夫が声をかける。 2人が振り向き、祥子が
『あら、祐子さんと孝夫、おはよう。 もう、おめざめ?』と応える。 そしてちらっと壁の時計を見て言う。
『ああ、もう7時を過ぎてるわね』
『むん』
 美由紀が言う。
『よくお休みだったので、音をたてないようにしてたんだけど』
『有難う』と言いたいが、猿ぐつわで言葉にならず、『むむむ』と声が鼻に抜ける。
 祥子が笑いながら言う。
『孝夫、祐子さんとご一緒の部屋で1晩過ごして、何も起こらなかった?』
『ええ、あれだけ厳重に守られてては、起こる筈がありませんよ』
『そりゃそうね』
 祥子はまた笑う。 そして言う。
『まだちょっと時間がかかるから、祐子さんも着替えてきていいわよ』
 そう言われてもこの格好ではどうしようもない、と思っていると、祥子が
『はい、鍵なら全部、そこにあるわよ』
と食器戸棚の棚の隅を指さす。 確かにそこにいくつかの鍵が置いてある。
 孝夫がそこにある鍵を順々に使ってまず両手を留めている錠を外し、ついでマスクの錠を外してくれる。 後は自分でマスクを外し、小布れを吐き出して紙に包んでくず籠に入れる。 久しぶりに両手を横に伸ばし、口を開けて大きく呼吸する。 そして両手首の鎖も外し、包帯も取って食卓の上に置く。
 まだ鎖のふんどしが残っているがこれで後で外すことにして、改めてネグリジェのボタンを全部掛けて服装を整える。
 祥子がこちらを向いて言う。
『祐子さん、ゆうべはよく寝られた?』
『ええ、よく寝られたわ』
 横で孝夫が言う。
『ええ、とてもよく寝てました。 あの格好でよく寝られるなんて、すごいですね』
『お疲れだからよ』と美由紀。
『でももう、疲れは取れたんでしょう?』と祥子は言う。
『ええ、お陰様で』
『でも、マスクでせっかくのお化粧も大分はげちゃったわね。 着替えのついでにそれも直してらっしゃい』
『あら、そう?』
 少し離れた壁の鏡を見る。 確かに口の周りを中心に化粧が大分まだらになっているように見える。 しかし、心配していたかつらはそれほど乱れてない。 両手でかつらのかぶり具合を少し直す。
『じゃ、行ってくるわね』
 私は鎖のふんどしの鍵を手にして部屋を出て行きかける。 後を祥子の声が追いかけてくる。
『ああ、でも、上はネグリジェのままで戻って来てね』
『え?』
 私は振り向いて祥子の顔を見る。
『ええ、その方が祐子さん、おきれいだから』
『ああ、そうか』と思い当たり、『ええ』と応えて、食堂を出る。



 部屋にもどり、バッグを提げて洗面所へ行く。 近くで鏡を見ると、確かに口の周りのお化粧が大分はげており、その上、マスクの端の線がうっすらとついたりしている。 それに今日一日を祐子で通すからには、心身を整えてお化粧も念入りにしておく必要がある。 そこでまた、お化粧をすっかりし直すことにする。
 まず一旦、ネグリジェを脱ぎ、持って来た鍵を使って鎖のふんどしを外して、五分のパンティを脱ぐ。 そしてトイレへ行って、ズロースとショーツを脱ぎ、Pセットを外して十分にお小水を出す。 今日はこの次、何時トイレへ行かせて貰える運びになるのか分らない。 しかし、水分を摂るのを少し控えれば、これでまあ、今日一日ぐらいは何とかもつであろう。
 また念入りにPセットをし、股に新しい生理用ナプキンを当て、ショーツとズロースを穿いて下半身を整える。 そして洗面所に戻る。
 洗面所ではまずかつらを脱ぎ、顔のお化粧をリムービングクリームとティッシペーパーとで拭き取ってから、お湯で洗い落とし、ひげを丁寧に剃り直す。 ついでに首筋の辺を丁寧にお湯で拭いて汗を落とす。 そして、ローション、ベースクリーム、ファンデーション、フィニシングパウダーと順々に使って、顔を念入りにお化粧する。 口紅も丁寧に差す。 眉毛も眉用のクシとブラシで整える。 軽くアイシャドウも入れてみる。 そして頭に先ほど脱いだかつらを被り、ブラッシをかける。 これで見慣れた祐子の顔が出来上がる。
 両方の胸のふくらみに手を当てて、しなを作って見る。 手のひらの感覚が快い。
 最後に愛用のサングラスをかけ、ネグリジェを着る。 出した品物をバッグに戻し、上半身を鏡にもう一度映してつくづくと眺めてから洗面所を出る。 そして途中でバッグを部屋に戻してから、食堂に戻る。
『すっかりお待たせして』と言いながら、食堂に入って行く。 食堂ではもうすっかり朝食の支度が出来ていて、食卓には料理を載せたお皿などが並んでいる。 そして3人がそれぞれに席に着いていて、一斉に私の方を見る。
 美由紀はもう両手を後ろに回していて、私を見て言う。
『まあ、きれい』
 祥子が笑いながら言う。
『まあ、ずいぶん念入りにお化粧してたわね。 大分待ったわよ』
『ええ』
『でも、ほんとにおきれいですね』と孝夫。
『そうね。 今朝はお化粧を念入りにしてただけあって、一段と見事ね』
 祥子も改めて感心したような顔をする。
 自分の席に着こうと思って椅子を引くと、祥子が『ちょっと待って』という。
『え、何かご用?』
 私は立ったままで祥子の顔を見る。
『ええ、丁度いい機会だから、ちょっとオブジェを飾って、それを鑑賞しながらお食事を頂きたいんだけど』
 ほら来た、と思いながらも、わざと聞き返してみる。
『え、だから?』
『ええ、だから、オブジェ造りにちょっと協力してほしいのよ』
 このような場合に祥子が使う「協力」という言葉には独特の意味がある。
『あの、つまり、オブジェの素材になってほしいと言うのかしら?』
『そざい?』
 祥子は一旦は聞き返したが、応答を聞く前に意味が解ったらしく、すぐに応える。
『ええ、そう』
『そうね』
 私は首をかしげてみせる。
 美由紀と孝夫も話が飲み込めたらしく、うなずいている。 そして美由紀が言う。
『つまり、それが、祥子さんがゆうべ言っていた、プレイを離れた純粋なオブジェの鑑賞というお話なのね』
『ええ、そう』
『でも』と今度は孝夫が言う。 『そうすると、祐子さんのお食事はどうなるんですか?』
『そうね』
 祥子はちょっと首をかしげる。 そして続けて言う。
『でも、祐子さんはプレイのためなら1食ぐらい抜いても平気よ。 ね、祐子さん?』
『ええ、それはそうだけど』
『じゃ、いいわね』
 確かに祥子の言うオブジェなるものには興味がある。 あまり渋ってみせて、祥子の気が変わっても残念である。
『そうね。 じゃ、ご挨拶代りにオブジェになってもいいわ』
『ああ、よかった。 じゃ、さっそく始めるわよ』
 祥子が赤いバッグから紐を取り出し、私の後ろに回る。 私は両手を後ろに回す。 祥子はまずその手首を縛り合せ、手順よく私の上半身をきっちりした高手小手に縛り上げる。 そして先ほど外したばかりの赤い革のマスクを差し出して私に見せる。
『せっかくお化粧した口元がもったいないけど、また、これを掛けさせて貰うわよ』
『ええ』
 私は椅子に腰を下ろして口を開ける。 祥子はその口に小布れを詰め込み、革のマスクで覆って、左右の革バンドをうなじに回して錠をかけて留める。 そしてサングラスを外し、マスクのもう1本のバンドを頭を通ってうなじに回して、これも錠で留める。 最後にサングラスをかけ戻してマスクの位置などを調整する。
『どうお?』と手鏡を見せてくれる。 きれいにお化粧した女の子の顔が、口を赤いマスクで覆われ、両耳の下へのびるバンドと、鼻の両脇を通り眉間から上にのびてかつらの上まで割っているバンドとで仕切られて、けっこう可憐でチャーミングにみえる。 濃いブラウンの女物としては大きめのサングラスが眉間のバンドでちょっと浮き加減になっているが、外見は悪くはない。
『結構だわ』と応えたいが、猿ぐつわでそれも出来ず、ただ軽く『むん』とうなずく。
 祥子が孝夫に訊く。
『それで、作ったオブジェを飾るのに、何か適当なテーブルがないかしら?』
『どんなのがいいですか?』
『そうね。 祐子さんをコンパクトな置物に造形して載せるのだから、食卓と同じ位の高さで大きさはこの位がいいわ』
 祥子は両手を70センチ位にひろげてみせる。
『地下室で何時も使っているテーブルはどうですか?』
『そうね。 ただ、長さはあまり要る訳じゃないから、むしろまっ四角なものの方がいいわね』
『そうですか。 とにかく幾つかありますから、見に行ってみましょう』
 2人が出て行く。 美由紀は相変らず後ろ手で、黙って私を見ている。
 やがて2人が戻ってくる。 孝夫は一辺が75センチばかりの正方形のテーブルを抱えている。 そして、『それ、ここに置いて』との祥子の指示で食卓の横に置く。
 床に毛布が敷かれる。
『じゃ、造形に掛かるから、まずスリッパを脱いでここに上がって』
 私が毛布に上がる。 祥子が私の前に立ち、ネグリジェの前をあけ、膝の上を揃えて、あまりきつくなく、しかもきっちりと縛り合せる。
『つぎに正座して』
 膝の上を縛り合されているのでやりにくいが、孝夫にも支えて貰って、何とか毛布の上に正座する。 膝の紐がぐっと締まる。
 祥子は長い紐を取り上げ、私に腰を少し浮かさせて、膝の裏側にその紐を通して2巻きして絞る。
『前に一杯にかがんで、胸を膝に付けて』
 腰をおとして、精一杯、前かがみになる。
 そこで祥子は『ちょっと手伝って』と孝夫を呼び、2人で膝を巻いた紐の先を左右相称に肩にもっていき、斜めに反対側の脇の下を通し、私の腰をちょっと持ち上げて膝の裏側に戻し、背中をぐうっと押して紐を引き締める。 胸が膝にぐっと押しつけられる。
 その紐の先がまた左右から背中に回される。 そしてもう一度背中が押されて紐がぐっと引き絞られ、結び合されて、高手小手の手首の縛りにつなぎ留められる。 これで前かがみの姿勢がきっちり固定される。
 つぎに左右の足首に別々の紐をかけ、また孝夫に手伝わせて、2人で左右にぐっとひっぱる。 両脚の膝から下が左右に開き、太腿が床の毛布に直接に触れる。 そのまま左右の足首の紐の先を背中の方へ引き上げて、これも祥子がぐっと引き絞って結び合せ、高手小手の紐に固定する。 両足首が左右に開いてぐっと背中に引き付けられ、空中に浮いた形になる。
 最後に祥子は、猿ぐつわのバンドの頭頂部に紐を結び付け、後ろに引いて、これも先を背中の結び目に繋ぐ。 うつむき加減だった顔が、これであごを少し突き出してあおむいた形に留められる。
『さあ、できたわ。 一緒にもちあげて』
 今まで呆然として最後の仕上げを見ていた孝夫が、祥子が声にはっと気が付いたように手を出し、2人がかりで私をテーブルの上に上げる。 太腿がテーブルの木の板に直接触ってひんやりする。 顔がまっすぐ食卓の方に向くように向きを調節する。
 手足に力を入れてみるが、動く気配は全くない。 膝が縛り合され、両足首が左右に開いて空中に引き上げられているので、腰や脚をひねって横へずる、というようなことは全く出来ない。 いや、そもそも腰や脚を動かすこと自体がほとんど出来ない。 また一方では両腕を後ろ手に高く縛り上げられ、その紐で胸を無理に膝に押しつけられているので、腰が大分痛く、呼吸も楽でない。 その上、頭も少し上向きに留められ、あごを引くことも出来ないので、首筋が次第に凝ってくる。 『あんまり楽な姿勢じゃないわね』と思う。
 祥子はなおもネグリジェの裾をきれいにひろげ、襟元などの形を直し、赤い大輪のバラをかたどった髪飾りを私の髪につける。 そして、『さあ、できあがり』と言って、1歩下がって満足そうに私を見回す。 私と目が合う。 にっこりする。 私もつられて眼だけでにっこりする。 孝夫と美由紀はただただ感心して見ている。
『これ、何という名前なの?』と美由紀がきく。
『そうね。 オブジェ「亀の子」とでも言ったらいいかしら。 亀の子みたいに平たくなって、頭を出し、足の先を横に出して、動けないでばたばたしているみたいで面白いでしょう?』
『なるほど。 サングラスをかけた亀の子ですか』
『なるほど、そうね』
 ひょうきんな孝夫の言葉に、孝夫と祥子がどっと笑う。 しかし、美由紀は少し心配そうに私を見つめている。
 祥子が感慨深げに言う。
『あたし、こういうオブジェを作る話を、昔、何かの雑誌で読んで、一度やってみたかったの。 やっと念願がかなったわ』
 それに応えて、孝夫も改めて感心したように言う。
『それにしても強烈な縛りですね。 これではほんとに身体中、どこも動かせませんね。 それに全体の形が美しいし』
『ええ、よく決まっていて、華やかな色のネグリジェともマッチしていて、考えてたよりも見事だわ』
 祥子も満足そうである。 私はまた眼をとじて、じっと耐える。

6.2 オブジェ談議

第6章 第6日
05 /01 2017


 食事の始まる音がする。 ちょっと眼をあけてみる。 正面の祥子が私の眼を見てにっこり笑う。 『いい気なもんだな』と思う。 孝夫もこちらを見ながらパンを口に運んでいる。 美由紀はまた後ろ手のままで、祥子に食物を口に入れてもらっている。
『どうお?、ご気分は』と祥子が声をかけてくる。 口も身振りも使えないので、眼をパチパチしてみせる。 祥子が『え、なに?』と言って私の顔を見つめる。
『どうかしました?』と孝夫が訊く。
『ええ、「ご気分は?」と訊いたら、顔の表情がちょっと動いたようだったから』
 他の2人も私を見る。 祥子が立って近くにやって来て、少し横から私の顔をのぞき込む。 もう一度、眼をパチパチして見せる。 祥子がにっこり笑う。
『ああ、O.K.というのね。 それはよかったわ』
 祥子が席に戻る。
『どうでした?』とまた孝夫が訊く。
『ええ、近くへ行ったみたら、目をパチパチさせて返事してたわ。 O.K.,つまり大丈夫、と言う意味ね』
『ああ、そうですか』
『祐子さんもすっかり楽しんでいるようよ』
 こんな不自然な格好にきちきちに縛り上げられ、身動き一つ出来ずに辛抱させられていて楽しい筈がないでしょ、とすねてみたくなるが、もちろん表現する手段はない。 祥子をにらみ付ける。 しかし、これとて祥子にはとても気がついて貰えそうもない。
 また食事が再開する。 それと共に会話が始まる。 まず孝夫が言う。
『サングラスの色が濃いので、ここからでは祐子さんの目がほとんど見えませんね』
 祥子が承ける。
『そうね。 目は口ほどにものを言い、と言うけど、これでは目はまったく役に立たないわね』
 そこで美由紀が、『しかも今の祐子さんは、目以外では何も外へ伝えることが出来ないのよ』と言ってくれる。 しかし、祥子は平然として言う。
『つまり、動きもなく、意志も感情も外には伝わることのない、ほんとの石の彫刻や置物と同じになってる訳ね。 面白いわね』
 祥子はすっかり面白がっている。
 ここで会話がとぎれ、少しの間、3人は黙って食事を進める。 私は目をつぶって、じっと身体中を締め付けている緊縛に耐えている。



 しばらくしてまた祥子が、『いいわね』と言い出す。 そして続ける。
『こういう風に人間を素材にして造形した置物って、これはこれでとても面白いわね。 すっかり気に入ったわ』
『でも、祐子さんは辛いでしょうね』と美由紀が切なさそうに言う。
『そうよ。 そう思って見るから一層楽しいんじゃない』
 祥子は相変わらずである。
 目を開けて見る。 祥子と孝夫が手を休め、後ろ手の美由紀と3人で私を見ている。 また目を閉じる。 祥子がさらに続ける。
『あの、あたしが古雑誌で見たもとの形ではね、これは羞恥責めの一つなの。 そこでは結婚したばかりの若いカップルの話として、男が自分の仲間に新妻を披露するのに彼女をヌードにしてこの形に仕立てて、食卓の横に飾って酒の肴にして鑑賞させることになってるの』
『へー、結婚相手の若い奥さんをですか』
 孝夫が呆れたような声を出す。
『ええ、そう。 だから若い奥さんは紐の痛さもさることながら、夫の友人にそんな姿をじろじろ鑑賞される恥ずかしさで身体をすっかり固くして、じっと耐えて過ごすことになるんですって』
『ふーん。 でも、ちょっと残酷ですね』
『ええ、そうね。 でも、奥さんの方にもそう言う趣味がある時には、この上ない愛情の表現になるんじゃないかしら。 ね、美由紀?』
『知らない!』
 美由紀はちょっとすねている。
 祥子が話を進展させる。
『ほんとに昨日のD平での吊りみたいなのも楽しいけど、こういう落ち着いた置物作りもプレイの一つのジャンルとして面白いわ』
『新らしいジャンルの発見、という訳ですか?』
『ええ、そう。 こういう美しい形に造形して、横に置いてゆっくり鑑賞するのって、プレイとして今までにない新しさがあって』
『まあ、そうですね』
『それに、まだ色々と発展も考えられるし』
『と言うと、まだ他にもアイデアがあるんですか?』
『ええ、色々あるわ。 形だけでも色々な変形が考えられるし、それに形を決めるのが紐じゃなければならない、と言うこともないし』
『と言うと?』
『ええ、例えば木の箱の中に座らせて、上蓋の穴で首を抑えて頭だけを出しておくと、丁度、塑像の首のようになるでしょう?』
『なるほど』
『それから出来る出来ないは別にして、もう少し物騒なのも考えられるの』
 祥子は声に少し笑いを交えながら、話を思わぬ方向に発展させる。 会話の思わぬ新しい展開に、身体中にかかる紐の圧迫感も忘れて聞き耳を立てる。
『物騒と言いますと?』と早速に孝夫が訊く。
『そうね。 例えば、身体をコンクリートで固めるとか』
『えっ、コンクリート詰めにするの?』
 今度は美由紀がびっくりしたような声を出す。 私も思わず目を開けて、遠くから祥子の顔を見つめる。
『ええ、そう。 例えば四角い箱の中に座らせ、生コンを流し込んで固まるのを待てば、身体を中に入れたコンクリート・ブロックが造れるでしょう。 そうすれば塑像の首みたいに、四角くて固いコンクリートの台座に生きている人間の首がちょこんと据わっている置物が造れて、お庭に飾ってもとても見映えがするわよ』
『ふーん』
 孝夫も美由紀も毒気を抜かれたような顔をする。
 美由紀が言う。
『そうすると、中の人は手も足も、指の先まで全く動かなくなるのね』
『ええ、そうよ』
『凄いアイデアですね』
 孝夫が改めて感心した顔をする。
『砂浜に首だけ出して生き埋めにするのも凄いと思ったけど、また桁が違いますね』
『そうね。 触れば簡単に形の変わる砂の浜辺に首が生えてるのに比べても、ずっと強烈な印象を与えるでしょうね』
『ええ、ほんとに出来たら凄いですね』
 孝夫はすっかり感心している。 私も直方体の形をしたコンクリートの台座の上面から首だけ出ている自分の姿が目に浮かび、ぞくぞくっとする。
『でも』と美由紀が言う。 『ほんとにそんなの、出来るかしら』
『ええ。 一応、造ることは造れそうな気がしますけど』と孝夫。
『そうね、孝夫にそう言って貰うと心強いわね。 でも、実際に造るとなると問題があることはあるの』
『え、それは?』
『ええ、一つは、普通のコンクリートでは強度がありすぎて、後で壊して取り出すのがうまくいかない恐れがあって困っているの。 怪我をさせたりしてはいけないし』
『ああ、そうですか。 でもコンクリートの強度を減らすのなら、色々と方法があるんじゃないですか?。 例えば混ぜ物を多くするとか』
 なるほど、孝夫は技術にかけては詳しい。
『ええ、そうかもね。 でももう一つ、もっと切実な問題があるの』
『何ですか?、それは』
『ええ、それはね、普通のコンクリートでは固まるのに時間がかかりすぎることなの。 例えば丸1日かかったのでは、ノーアイやノーオウを併用するにしても、プレイの幅が制限されて面白くないわよね』
『なるほど、それはそうですね』
 孝夫も一旦はうなずく。 しかしまた、何か思い付いた様子で言い出す。
『でも、そう言えば、何か2時間位でかなりの強度が得られるコンクリートもある、というのを何かで読んだことがありますよ。 ただし、すっかり固まった後でも普通のコンクリートほどは強度が得られず、少し弱いのが欠点だ、とか書いてあったように憶えてますけど』
『え?、そんな好いコンクリートがあるの?』
 祥子が身をのりだす。
『ええ、確か、そう書いてありました』
『そんなのがあったら、それこそ、あたしの望んでいるのにぴったりじゃない』
 祥子が少し興奮気味になる。
『でもそれが、例えば人の肌をひどく荒すようなものだと使えないわよ』と美由紀が横で注意する。
『いえ、特にそんなことはないと思いますけど』
『そうね』。 祥子はうなずく。 『そういうことも含めて、少し調べて貰えないかしら』
『ええ、いいです。 さっそく調べてみましょう』
 話が一段落する。 しかし、すぐに孝夫がつくづく感心したという顔で続ける。
『それにしても祥子さんは、コンクリートの強度だとか固まる時間だとか、よくそんなに詳しく考えてありますね。 よっぽど長い間、アイデアを暖めていたんですね』
『そうね。 思い付いたのは大分前ね。 でも、あたしだって今まではそんなプレイはとても出来る筈がないと思って、ただ楽しく空想するだけで、あまり真面目に考えたことはなかったわ。 だけどほんとにそんなコンクリートがあるのなら出来るかも知れないって、やっと今、思うようになってきたの』
『でも』と美由紀はまた心配する。 『出来るとしても、いきなり身体を固めたりしたら危険じゃないかしら?』
『ええ、もちろんよ』と祥子は応える。 『実際にはプレイに入る前に、コンクリートを安全に壊すことが出来るかどうかのテストもしなければならないし、固まるまで動かないようにする工夫も必要だしするから、まずは足首から先だけコンクリートで固めて立像を造る、という位の所から始めることになるんでしょうけど』
『そうですね。 かなり難しいとは思いますけど、色々とよく考えて慎重にすれば、そんなに危険を冒さずに実行出来るかも知れませんね』
『そうだといいわね』
『ええ、とにかく少し調べてみましょう』
 これで話は一段落する。 しかしまた、美由紀が心配そうに言い出す。
『そのプレイって、実際にするとなると、また祐治さんですることになるのかしら』
『ええ、多分そうでしょうね』
 祥子はさも当然、という顔をする。 そして、
『でも祐治さんはこういうプレイがとてもお好きだから、こういう話ならすぐにも乗って下さるわよ』
と自信ありげに言い、私の方を向いて、『ねえ、祐子さん、そうよね?』と同意を求めてくる。
 私に祐治さんのことを訊いたってちょっとお門違いよ、と言いたくなるが、もちろん、そんなことを表現する手段はない。 まあ、第3者から見て祐治さんならそうだろう、と言う思い入れで、また目をぱちぱちさせてみせる。
『ああ、このままじゃちょっと答が分らないわね』と言って、祥子は立ってきてサングラスを外す。 もう一度、目をぱちぱちして見せる。
『ほらね、祐子さんもそうだと言ってるわよ』
『でも』
 美由紀はなおも納得できないとでも言うような顔をする。
『そうね。 何なら祐治さんの代りに、美由紀でやってあげてもいいわよ』
『あたし、いや。 怖いわ』
 美由紀は首をすくめる。
 サングラスを元のように掛け直して、祥子も席に戻る。



 話に一区切りついて、また皆が黙って食事を再開する。 私は思いがけなく興味ある話を聞かされて、コンクリート詰めにされた自分の姿を色々と思い浮かべ、一瞬うっとりして現実を忘れる。 しかし現実には身体のあちこちがだんだん痛くなり、ついでしびれてくる。 鼻だけでの呼吸も荒くなってくる。
『大分、お苦しそうよ』と美由紀がいう。 しかし、祥子は『まだまだ大丈夫よ』と言って動こうとはしない。 美由紀も自分自身が後ろ手の身ではどうにもならず、心配そうにじっと私を見ている。
 口がきけないので、祥子をにらみつける。 しかし、サングラスで隠されて私の眼は見えないだろうし、そもそも祥子は私の身体の負担は少しも気にしてない様子で、全く反応はない。 けろりとして、『さあ、次はゆっくりデザートにしましょう』と言う。
 デザートはバナナである。 祥子はわざとゆっくりバナナの皮をむき、フォークで小さく切って自分の口や美由紀の口に運ぶ。 孝夫も黙々と食べている。 私は身体中をつよく締めつけられているので食欲がある訳ではないが、何も見せつけるようにゆっくり食べなくてもいいのに、と思う。 尤もこちらは食卓を飾る置物なのだから、感情なんか持ってはいけないのかもしれない。 不意に『意識や感情を持たない単なる物品として扱われるのもMの一つの極致である』という考えが頭に浮ぶ。 この置物プレイの精髄が急に解ったような気がする。 新しいプレイの視界が目の前に開ける。 それと共に無性に自分が愛しくなる。 うっとりした気分になって目をつぶる。
 少しして再び孝夫の声がして会話が始まる。
『それにしても、祐治さん、いや、祐子さんって我慢づよいですね』
 眼を開ける。 祥子が応える。
『本当にそうね。 美由紀じゃ余り手荒なことは出来ないけど、祐治さんや祐子さんなら大概のことはしても大丈夫のようね。 丁度、あたしのSと波長が合っているみたい』
『それから、祥子さんはよくこれだけ次から次へとアイデアが浮かびますね』
『そうかしら。 でも、これでも時々は控えているのよ』
『へえ、これでもですか』
『ええ、そうよ。 それに今はプレイをする毎にいちいち本人の了解をとっているでしょう?。 本当は本人の考えや希望なんかは完全に無視してこちらの思い通りにプレイをするんじゃないと本物ではない、と思ってるんだけど』
『なるほど』
 なるほど、それはプレイの一つの極致であろう。 私はまた、新しいプレイの可能性に眼が開かされたような気がする。
『でも、あたし、そんなの怖いわ』と今度は美由紀の声。 『何をされるのかが大体でも判っていれば、それなりに辛抱ができるけど』
『そうね。 美由紀じゃ無理かもね。 でも、祐治さんならきっと賛成なさると思うわ』
 祥子の言い方はいかにも自信ありげである。
 話の内容が大分面白く進展してきた。 この姿勢は大分苦しいが、この位に楽しい会話が聞けるのなら我慢もし易い。
 やっとデザートが終る。 これでやっと解放されるのかと思っていると、『まず、片づけて』と祥子はお皿を洗い出す。 美由紀は心配そうに、しかし、『後ろ手の身なので何もして上げられないわ』といった表情でこちらを見ている。 孝夫は汚れた食器を流しに運んだりしながら、美しいオブジェを見て楽しくて、といった表情で私をちらりちらり見ている。 私の呼吸がまたさらに荒くなってくる。
 祥子の後片づけがやっと終る。 食卓をふき終り、ふきんをしぼって、祥子はまだ先に何かやることはないかしら、という顔でまわりを見まわしていたが、何も見つからなかったらしく、やっと私の方を向いて、『ご苦労さま。 じゃ終りにするわよ』と声をかけてくる。 『うん』とうなずきたいが、それも出来ない。
 祥子はまず、足首の紐から解きはじめる。 浮いていた足首がテーブルの表面に下りて少し楽になる。 ついで頭をあおむけに引っぱっていた紐をほどく。 膝と胸とを縛りつけていた紐をほどく。 やっと呼吸がおさまってくる。 美由紀は手伝えないのがもどかしいと言った風情で黙って見ている。 孝夫はてきぱきした祥子の手際に感心しながら、時々手を出して手伝っている。
 ついで孝夫に抱えられてテーブルから下ろされ、床の毛布の上に立たされる。 膝上の紐が解かれる。 孝夫が次に高手小手の紐に手をかけようとすると、祥子が『手の方は当分そのままにしておいて』と止める。 また祥子をにらみつける。
『でもマスクは取ってあげるわよ』と鍵を出し、マスクを取ってくれる。 私は小布れをはき出し、はあと大きく息をする。
『どう?、ご感想は』と祥子が笑いながら言う。 まだあまり返事をする気にもならず、ただ、『ええ』とうなずく。 祥子はそんなことは気にかけず、『とにかく、ご苦労さまでした。 とてもよかったわよ』と言いながら、はだけていたネグリジェの前を合わせ、スナップで留めてくれる。
 その間に孝夫が美由紀の後ろ手の紐を解く。 美由紀もほっとした顔をして、化粧品の入った小さいバッグをもってきて、また私の顔のお化粧を直してくれる。

6.3 プレイの語らい

第6章 第6日
05 /01 2017


 皆がまた席に着く。 私も椅子にぐったりと座り込む。 壁の時計は9時過ぎを指している。
『どうだった?』と祥子が訊く。
『ええ、大分きつかったわ』と応える。
『でも、よかったでしょう』
『ええ、身体全体がきっちり決まった感じで、悪くはなかったけど』
 横で聞いていた孝夫が、『すごいですね』とまた感心した顔をする。
『お食事はどうなさる?』と美由紀が訊く。
『ええ、まだ、胸がすっきりしないから、後にするわ』
『そう。 そんなにきつかったの』と祥子。
『ええ、腰を無理に曲げて胸を膝に押しつけて居たので、まだ少し変なの』
『ああ、そう。 それじゃ、お食事は少し休んでからにした方がいいかもね』
 祥子は相変わらず平然としている。 やむを得ず、『そうね』と応える。
 あたりが大分暗い。 『何だか、ひと雨ありそうですね』と孝夫が言ううちに、パラパラと音がして雨が降りはじめる。 『ほんとに降ってきたわ』と皆が外を見る。
 雨が本降りになる。
『これでは、雨が止むまでは外に出られないわね』
『そうね。 今日はここで一日中遊べる最後の日だというのにね』
 祥子と美由紀がいかにも残念そうな顔をする。
『でも、にわか雨でしょうから、すぐ止みますよ』と孝夫が言う。
『そうね』
 皆がまた外を見る。 そして祥子が一つうなずき、向き直って提案する。
『それじゃ、この雨が止むまで、今のプレイの反省を含めて、みんなでゆっくりおしゃべりしない?。 ここへ来てずうっと遊ぶのに忙しくて、ゆっくりおしゃべりする暇もなかったから、丁度いい機会だわ』
『それはいいですね』
 皆がまた正面を向いて座り直す。
『どうせ、おしゃべりするだけなら、この方が気分が出るでしょうから』と祥子が私の両足を揃えて縛り合せる。 私はまだ気力が戻らず、高手小手の紐をまとったままの上半身をぐったりと椅子の背中に持たせ掛け、祥子のするのに任せる。



 席に戻った祥子が話の口火を切って、私に問いかけてくる。
『どうお?、美しく造形して置物を作り、鑑賞するというアイデアは。 お気に召した?。 今の亀の子の置物なんかはその典型だけど』
 私はまだまともに答える気にならず、簡単な返事で間に合せる。
『ええ、とても楽しいアイデアだったわ』
 しかし、祥子はそれに満足せず、『それだけ?』と言う。 少し返事を敷衍する。
『ええ、確かにあの形にきっちり縛り上げられると、何かに縛り付けられている訳じゃないのに、ほんとに動くことが出来ないで、ただ置かれたままの場所でじっとしているしかないの。 あたしはほんとの置物になったんだわ、とつくづく感じてたわ』
『それで嬉しかった、という訳?』
『そうね。 少しうっとりした気分になったことは確かね』
『ね、そうでしょう?』
 祥子はかなり得意げに美由紀や孝夫の顔を見回す。
『でも、大分、辛そうだったけど』と美由紀が言う。
『ええ、あれだけ不自然な姿勢で身体中を締め付けられてるんですもの、そりゃ辛くなかったと言ったら嘘になるけど。 でも、紐が肌に食い込んで痛いと言うこともあまりなかったので、何とか辛抱出来たの』
『そりゃ、少しは責めの要素も含まないと、面白くないものね』
 祥子は相変わらず口が減らない。
『でも』と孝夫が言う。 『ここでのプレイでは祥子さんの話にあった羞恥責めの要素は少なかったですね』
『そうね。 ヌードじゃなく、きれいなネグリジェ姿で美しく飾ったんだし』
『それに我々の間では、祐子さんに紐を掛けて鑑賞することはもう当たり前になってますからね。 プレイ仲間の中だけじゃなくて、他人の目にもさらすんじゃなければ羞恥責めにはならないんじゃないですか』
 今日の孝夫は論理的である。 私も同感の意を覚える。
『そうね。 確かに、恥ずかしい、という感じはほとんどなかったわね』
『それじゃ、この次は、ほんとの羞恥責めになるように、うまく場面を設定してやって上げましょうか』
『ええ、でも、そんなうまい場面ってうまく作れるかしら』
『そりゃ、その気になればきっと作れるわよ』
『あ、そう。 じゃ、お願いするわ』
 孝夫が横でにやにやしながら言う。
『祐子さんはほんとに羞恥責めをして貰いたがっているようですね』
『そう言う訳でもないけど』
 私が口ごもるのに、皆がどっと笑う。



 そうこうする間に身体が大分休まり、気力が戻ってくる。 みなの笑いが収まるのを待って、今度は私から話題をもちだす。
『それでだけど、さっき、祥子さん達がデザートを食べてた時に、祥子さんが、プレイは責めを受ける側の考えや希望を完全に無視するんじゃないと本物ではない、って言ってたわね』
『ええ、言ったわ。 でも本当にそうじゃないかしら。 祐子さんならきっと賛成して下さると思うんだけど』
『そうね。 それはプレイで何を楽しむかにも依るとは思うけど。 例えば、純粋に縛られる感触を楽しむんだったら、どういう風に縛ってくれって注文できる方がいいでしょうし』
『でも祐子さんは、そんな甘いプレイではとても満足できないんでしょう?』
『そうね。 相手の人にすべてをお任せし、その人の好きなように責めを加えられて、次に何をされるのかも判らずに期待と不安とに胸をときめかしている状態、というのも確かにかなり魅力的ね』
『そうでしょう?。 本当にプレイを楽しむにはそうでなきゃ駄目よ』
 祥子はいかにも自信ありげである。
『それで』と孝夫が横で言う。 『相手に全てをまかせるって、要するに奴隷になることなんでしょうかね』
 とっさに私が承ける。
『いや、それだけじゃないかも知れないわよ』
『と言うと?』
『ええ。 普通は奴隷というのはご主人様のご命令には何でも従わなければならないし、また、どんな扱いをされても、例え、ご主人様の気まぐれや慰みからささいな理由で不相応にひどい罰を加えられても文句も言えないけど、やはり人間だから、辛いとか、苦しいとか、お情けをとか哀願することは出来るでしょう?。 だけどもっと進んだ段階に、いわば飼主とペットとの関係と言うのがあると思うの』
『ああ、ペットですか』
『ええ、ペットは口をきけない動物だから、何をされてもじっと辛抱するしかないの。 そこで飼主は気兼ねなしに自由に弄ぶことが出来るの。 せいぜいペットの表情や身振りから苦しさを察してやって手加減してあげる位のところよね。 それにわざわざ、人間並みでないことを強調することも出来るでしょうし』
『なるほど、面白いわね』
 祥子が嬉しがる。 そして、つづけて言う。
『でもそれだと猿ぐつわをはめただけでもペットと言うことになるけど、それはまだ人間として扱ってることには変わりがないから、奴隷ではないかしら。 ペットはやはり人間ではない単なる動物として扱うところに重点があると思うわ。 例えば食事のとき食卓の下に首輪の鎖でつないでおくとか、手を使わずに口だけでお皿から食べさせたりするとかする方が、ペットのイメージにぴったりだと思うけど』
 私は受ける。
『そうね。 その方が本当かもね。 でもあたしには何となく、奴隷よりも一歩進んだ状態、というのがあるように思えるの。 例えば同じように後ろ手に縛られても、一時的な罰やなぐさみの為ならば奴隷でしょうけど、それが日常普通になって、ずっとそのままで飼育されれば、それはペットなんじゃないかしら』
『なる程ね。 そうすると美由紀は後ろ手に縛ったままて食事をさせるのが日常になっているから、まさにあたしのペットと言うわけね』
『あら、いやだ』
 美由紀が自由な両手をわざと後ろ手にして身体をくねらせてみせる。 こういう話の際には美由紀は後ろ手でないと気分が出ないらしい。 ちょっと面白く感じる。
 孝夫が言う。
『でもいずれにしても、奴隷とペットとではちょっとカテゴリーが違うようですね。 ペットは可愛がってもてあそぶという、愛玩の方に重点があるんじゃないですか?』
『そうかもね』
 皆がうなずく。



 ここで祥子が話を転ずる。
『それはともかくとして、あたしは、奴隷でも何でもいいから、その耐えられる限界までじっくりと責めて、反応を験してみる方に興味があるの』
 また私が承ける。
『なるほど、如何にも祥子さんらしいわね。 ただ、その時に、限界を誰がどうやって判断するかが問題でしょうけど』
『それは勿論、あたしが判断するのよ。 責められている奴隷がもう限界だと言ったからって中止するんじゃ、責めにならないわ』
『でも、客観的な規準というものもあるんじゃない?』
『ええ、それは生命の危険があったり後遺症が残る恐れのあるようなのは駄目だけど、そうでない限り全く自由に、奴隷の耐えられるぎりぎりまで責め上げてみたいの』
『なるほど』
 私はうなずく。
 そこへ今まで黙って聞いていた美由紀が割って入る。
『そうすると、責められて気を失うかどうかは生命の危険や後遺症と直接の関係はないから、苦しくて気を失うまで責められることもあるのかしら』
 祥子が平然と答える。
『ええ、そこの判断は難しいけど、結果的には意識を失うこともあるでしょうね』
『あたし、こわいわ』
 美由紀が首をすくめる。
『そうね。 やはり、美由紀では無理かもね。 でも祐子さんなら賛成して下さるんじゃないかしら』
『ええ、相当厳しいお話だけど、そういうプレイも興味がないことはないわ』
 孝夫がまた感心した顔をする。
『祐子さんは本当にすごいですね』
 祥子が続ける。
『そしてあたしはそういうプレイを、「今度、どういうプレイをするから」というような奴隷の了解を取ったりしないで、自由に出来るといいなと思ってるの』
『なるほど』
 私はうなずく。 そして敷衍する。
『それはさっき、祥子さんが言ってたお話ね。 つまり、人間性を完全に無視した絶対的な奴隷、いわば絶対奴隷で、プレイに入ったらご主人様は何でも好きなようにすることが出来て、奴隷は何をされても文句も言えず、突然に考えもしなかった厳しい責めを加えられてひいひい言うだけ、というのね。 それも面白いわね』
『なる程、絶対奴隷ですか。 面白い言葉ですね』と孝夫も言う。
『でも』とまた美由紀が発言する。 『区切りなしに何時まででも何でも出来る、と言うのもプレイとして考えにくいから、やはり、或る決まった時間の間だけ、そう言うことが出来る、と言うことにでもなるのかしら』
『そうかもね』と祥子も同意する。 しかし、私は異論を唱える。
『そうね。 でも、あたしは、そのプレイは原則として終りの時間を決めずに、責める人の自由にしておいた方が面白いと思うけど、どうかしら』
 孝夫がまたまた感心した顔をして、『すごいですね、祐子さんは』と言う。 そして付け加える。
『と言うことは、ご主人様はその時の気分次第でプレイを何時まで続けてもいいってことですね。 奴隷には何時まで辛抱したらよいかの見通しも希望もない訳ですか。 当然のような気もしますけど、その状態に置かれたら相当にきびしく感じるでしょうね』
 私はうなずく。
『そうね。 そう言われると大分厳しいわね』
 祥子もまたうなずく。 そして少ししみじみした調子で言う。
『そうね。 本当に、今回は無理としても、いつかはそういう、祐子さんの言葉で言う「絶対奴隷プレイ」をやってみたいわね』
 私も無言でうなずく。



 ひと呼吸おいて、私はもう一つ進んだ話題をもちだす。
『それからもう一つ、自由にされる方からいうと、奴隷とはちょっと違って、最初から意識も感情もない単なるひとつの物品、として扱われるのにも、あたしはとても魅力を感じてるんだけど』
『というと?』
 祥子ががぜん興味を持って身を乗り出す。 説明を続ける。
『つまり理想的には、生きた人間だということに全く気付かれないで、周りの人達からその辺の椅子や洗濯機と同じように、まあせいぜい木で出来た彫刻であるかのように見られたり、扱われたりしている、という風になりたいの。 そういう風にされて、周りの人達の何気ない行為が自分にとってはとても辛い責めになって、悶えながらじっと辛抱している、というのもMの極致のひとつだと思うの』
『まあ、素晴らしいわ』
 美由紀が嘆声をあげる。 そして祥子が『なるほどね』と一つうなずいてから言う。
『つまり、周りのものは何も知らないから、当然それをどんな風にも、つまり、それが人間だと知ってたら絶対出来ないような扱いも出来る、という訳ね。 そう言えばそれほど徹底したプレイって、まだやったことがないわね。 一度やってみたいわね』
 孝夫が訊く。
『今さっきの食卓のオブジェはどうです?』
『そうね。 あの時の祐子さんは口がきけないし、身動きも全くできなかったから、大分その状態に近かった訳ね。 でも何かを訊けば眼で返事することも出来たし、出す気になればうめき声ぐらいは出せたから、まだまだね』
『なるほど』
 孝夫はうなずく。
『それに第一、あたし達はこれは生きた人間の祐子さんだって知ってたから、まだ理想とは程遠いと思うわ』
 祥子の答は理路整然としている。
 私も言う。
『そうね。 あれではまだ、あたしの理想とは大分隔たりがあるわね』
『ああ、祐子さんもやっぱりそうですか』
『ええ、でも、孝夫さんの言うように、近いことも確かね。 実はあたし、あの時に食卓の横にオブジェとして飾られてて、祥子さんがゆっくりバナナの皮をむいているのを見て、なにも見せつけるようにゆっくり食べなくてもよさそうなものなのに、と思ったの。 だけれどすぐに思い直して、今はあたしは単なる置物なのだから感情なんか持ってはいけないんだわって考えたの』
『ふーん、けなげですね』
『いやよ、茶化さないでよ』
『いや、そんな積りじゃ』
 孝夫が慌てて打ち消す。 皆がどっと笑う。
 ちょっと間をおいて、私は気をとり直したふりをして『そしてね』とつづける。
『そしてふと、何を考えてもそれを周りに知って貰うことが全く出来ないようになっていて、しかも生きた人間であることさえも気付かれずに、生命のない単なる物品として扱われたらどんな気分かしら、と思い付いてぞくぞくっとしたの』
『なるほど。 あの時、祐子さんはあの苦しい姿勢で、そんなことを考えて、一人で楽しんでいたんですか。 すごいですね』
 孝夫がまたまた感心した顔をする。 そこへ美由紀が言う。
『でも、いくら動けないように体や頭を紐やテープできっちり固めても、呼吸は止める訳にいかないから鼻は開けておくんでしょう?。 そうしたら鼻から声は出せるんじゃないの?。 そしてそれを聞いたらきっと、周りの人が何かちょっと変だって気がつくわよ』
『そうね』
 祥子も頭を傾げる。 そして言う。
『と言うことは、頭が外に出ていたんでは、どうやっても祐子さんの言う理想的な状態にはならない訳ね。 どうしてもというのなら、声が洩れないような防音材で頭を囲むかしないと』
『そんなことをしたら、息が詰まっちゃうわ』とまた美由紀。
『それじゃ、身体ごと箱に詰めるとか』
 祥子の頭はよく回る。 孝夫が言う。
『そうとすると、とにかく置物は無理ですね』
『そうね。 ちょっと残念だけど』
 祥子がいかにも残念そうな顔をする。 皆がどっと笑う。
 会話がちょっととぎれる。 私もこの魅力的なアイデアが実現が難しいということで、ひどく残念な気がする。 何とかならないかと思い、自分がその物品になったらと考えていて、ふと思い付く。 早速に『あの』と発言する。 皆が私の顔を見る。 続ける。
『でも、置物になる人が協力して声も出さないようにして、出来るだけ周りに気づかれないようにする、ということはあるんじゃないかしら』
『ああ、そうね』と祥子が受ける。 しかし、『でも、置物に仕立てられた人に協力して貰えるかしら』と頭をかしげる。
『ええ、嫌がるのを無理に置物に仕立てた場合では駄目でしょうけど、合意の上のことなら、本人も周りに知られたら恥ずかしいから、気付かれないように努力するわよ』
『つまり、祐子さんなら大丈夫、という訳ね』
『いや、何もあたしのことという訳じゃないけど』
 また私が口ごもり、皆がどっと笑う。
 笑いが収まるのを待って、私は話題を変えて、さっき聞いていて興味を持ったもう一つのテーマを持ちだす。
『置物といえば、さっきのお食事の時に、コンクリート台座の置物を造る、という話もしてたわね』
『ええ、してたわ。 そう言えば、あの話、どうだった?。 お気に召した?』
『ええ、とても興味を持ったの。 本当に身体全体を固いコンクリートですっかり固められて、指の先まで少しも動かなくなったらどんな気持かしら、と考えて、思わずぞくぞくっとしたわ』
 孝夫が訊く。
『祐子さんは首から下をすっかりコンクリートで固められて、ほんとに平気ですか?』
『そうね。 本番前になったら、やはり尻込みするかも知れないわね』
『だから』と祥子が笑いながら言う。 『コンクリート台座の置物造りは、本人がいやだと言ってもどうにもならないように、さっき言ってた絶対奴隷プレイの中でやってあげるわよ。 そうすれば否応なしに実行出来るでしょう?』
『なるほど』
 孝夫がまた感心した顔をする。



 話が予想外に大きく進展し、ますます気分が乗ってくる。 ここで私はかねてからの夢想の一つを皆に聞いて貰いたくなる。 さっそく持ち出す。
『それから単なる物品として取り扱われる、ということでふと思い出したんだけど、あたし、ずっと以前から、大型トランクに詰められるとか、木の箱で完全に荷造りされるとかして、貨物としてどこかに送られたら楽しいんじゃないかしら、って空想してるの』
『あ、そう』
 祥子が簡単に承ける。 そして笑いながら言う。
『そうね。 お望みとあらば、箱に詰めて縄をしっかり掛けて、何処へでも車で運んであげるわよ』
 しかし私は断固として主張する。
『いいえ、そのように祥子さん達に車で運んで貰ったのでは駄目なの。 だって、それでは荷物の中味が分かって居て、気を使いながら安全に運んでくれるだけでしょう?。 特にどうってことないわ』
『というと?』
『ええ、あたしの言ってるのはそんなのではなくて、理想的には、例えば鉄道貨物としてどこかに運ばれることなの。 固い木の箱に詰め込まれて、貨車が走ってレールの継ぎ目でがたんがたんと言うのを真っ暗の中で身動きもままならぬ身体で感じて、ほんとに貨物として運ばれていることを実感出来たら素晴らしいな、と思ってるの』
『・・・』
 3人が毒気を抜かれたような顔をする。 しかし、すぐに孝夫が言う。
『なるほど、そうすると、さっき言ってた理想的な物品の状態が実現する訳ですね』
『ええ、そう。 その一つの形だけど』
『でも、鉄道貨物は難しいですね。 最近は普通の人がそういう貨物を送ることはほとんどありませんし、それに鉄道貨物ではすぐに3日も4日も掛りますからね』
『そうね、それじゃ無理かもね』
 私もうなずく。 確かに3日も4日も掛ったのでは排泄のことだけを考えても容易ではない。 気を取り直して代案を出す。
『じゃ、トラック便でもいいわ。 つまり、運送会社の何も知らない人達に普通の貨物として渡され、外の貨物と一緒にトラック便に積み込まれて、どこかに運び届けられればいいけど』
『そうね。 それでもちょっと難しいわね』
 さすがの祥子も思案顔をする。 そして思案の内容を説明する。
『祐子さんを詰めた箱じゃかなり大きくて、重さも100キロを越えるでしょう?。 一番難しそうなのはそんな荷物を怪しまれずに運送屋に渡す口実を見つけることね。 普通の引越位じゃ、そんな大きくて重い荷物は必要ないし』
『ええ、でも、そのことなら』と孝夫が助け舟を出す。 『僕の家の工場では、時々その位の荷物は送ってますから、トラック便なら何とかなるかも知れませんよ』
『なるほど、そうすると工夫次第では実現できるかも知れない、という訳ね』
 祥子はうなずく。
『でも』と今度は美由紀が発言して、別の問題点を指摘する。 『運送屋さんに中味が生きた人間だと感づかれないようにするには、かなり完全に荷造りしないといけないし、完全に荷造りしたら空気も通わないでしょう?。 どうやって呼吸を保つかも問題よ』
『そうね。 まあ、常識的には箱に空気孔をあけておくことになるんでしょうけど、その孔の大きさが問題ね』
 祥子が再び思案顔になる。 そしてさらに言う。
『それにトラックなどに積み込むとき、隣の荷物とぴったりつくように詰められて孔が塞がってしまうこともあるでしょうから、あけ方にも工夫が要るでしょうし』
『その上、小さい孔をあけただけでは、中の空気が順調に交換する保証もないわよ』
『そうですね。 何か空気を強制的に交換するための工夫も必要ですね。 と言って、電源がないから、空気ポンプを取り付けても役にたたないし』
 皆が考え込む。
 少ししてまた、『あの』と美由紀が言い出す。 皆が美由紀の顔を見る。
『あの、空気交換には中の人間の呼吸自身が利用できるんじゃないかしら』
『え?』
『つまり、吐いた空気とこれから吸う空気とが混ざらないようにして、例えば鼻から吸い込む空気はいつも外から入ってくる、というようになってればいいんでしょう?』
『あ、なる程、そうですね』
 孝夫がうなずく。 そして言う。
『それなら何かうまい工夫がありそうですね』
『ええ、そう。 あたしはあの、砂山隠しで使った潜水マスクを考えたんだけど』
『ああ、なるほど。 確かにあのマスクを利用すれば、割に容易に出来そうですね』
 再び孝夫がうなずく。
 祥子も言う。
『なるほど、そうね。 それは妙案ね』
 私は自分の夢想から言い出した話が実現可能な方向へと進展して、何かぞくぞくっとしたものが身体中をはしる。
『じゃ、この話、あたしの空想だけじゃなくて、実現出来るかもしれないのかしら』
『ええ、そう。 でも、それで出来るとしても、とにかく絶対安全に運ばないといけないのだから、まだ色々と考えなければならないこともあると思うわ。 その辺のデザインのこと、孝夫が考えておいて貰えないかしら』
『ええ、考えておきます』
 孝夫が引き受けてうなずく。



 話が一段落した後、また祥子が言い出す。
『ところで、トランクや箱に詰め込んで何も工夫をしないと、中の空気は一体、何時間ぐらいもつものなのかしら』
 また何かあるな、と思いながら、『そうね』と承ける。 そして意見を述べる。
『大型トランクだと30分か、精々1時間じゃないかしら。 少し大きめの箱でも半日はとても無理だと思うわ』
 孝夫もうなずいて言う。
『ですから、とてもそのままは送り出せませんね』
『そうね、でも』と祥子が私の顔を見ながら言う。 『そういうことは一度、実験してみる価値があるわよね』
 ああそうか、と私にも祥子の意図が飲み込める。 しかしただ、『ええ』と応える。 祥子はつづける。
『それで、今は丁度時間があるから、ちょっと実験してみたらどうかしら。 祐子さん、どうお?。 丁度、耐えられる限界ぎりぎりを験してみる、というプレイの雛形にもなりそうだし』
 案の定、と思う。 しかし、わざと聞き返してみる。
『ええ、やってもいいけど、そんな厳しいプレイとしてやるお積りなの?』
『ええ、そうよ』
 祥子はすまして答える。 そして私の心を見透かすように、笑いを含んだ顔で聞き返す。
『祐子さんはおいやなの?』
『そんなことはないけれど』
『それならいいでしょう?』
 祥子が笑いながらの駄目に、止むを得ずうなずく。
『ええ』
『まあ、嬉しい。 じゃ、早速、やりましょうよ』
 美由紀が不安そうな顔をする。 だが、そんなことにはおかまいなく、てきぱきした口調で祥子は孝夫に注文を出す。
『何かいいトランクか箱のようなものが、どこかにないかしら?』
『そうですね。 確か物置に、大きなトランクがあったように憶えてますけど』
『物置というと、外ね』
 祥子がふと窓から外を見る。 皆もつられて外を見る。 外はいつの間にか雨が上がって、薄日が差している。
『ああ、いつの間にか、雨が止んでたのね』と祥子が言う。
『そうですね。 じゃあまた、みんなで浜に遊びに行きましょうか』と孝夫が流れを変えかける。
 しかし祥子が断固として押し戻す。
『いいえ、せっかくだからやはり、トランク詰めの実験を先にしましょう。 特に祐子さんがその気になっていらっしゃるんだから、ここで止めたらお気の毒よ』
 私はまたとっさに口ごもる。
『そんなこともないけど』
 しかし、祥子が笑いながら駄目を押す。
『そんなに遠慮しなくてもいいわよ』
 成り行き上やむを得ず、また応える。
『ええ』
 やはりトランク詰めは免れられないらしい。
 にやにやしながら2人の応酬を聞いていた孝夫が、『それじゃ、ちょっと物置に行って、トランクを持ってきますから』と立ち上がる。
『あたしも行って、見てみるわ』と祥子も立つ。
『あたしも行く』と美由紀も立ちかけて、『でも、祐子さんはどうなさる?』と私の顔を見る。 私は自分の胸と足をちらっと見る。 足首を縛り合されているので、このままでは一緒に行くことは出来ない。
『そうね。 あたしも行きたいけど、この格好では』
 祥子が言う。
『ああ、そうそう。 もう朝の行事が終ったんだから、何時までもネグリジェでいるのもおかしいわね』
 そして、『それじゃ、あたし達が取りに行ってる間に普段の服に着替えて、またここへ来ててね』と告げて、早速に私の胸と後ろ手の紐を解いてくれる。
 足の紐を自分で解いている間に、『じゃあね』と3人が出て行く。 時計の針は10時少し過ぎを指している。

6.4 ポリ袋とトランク(1)

第6章 第6日
05 /01 2017


 足の紐は自分で解いて部屋に行く。 そしてネグリジェを脱いで、昨夜脱いだままの紺のスカートと白のブラウスを着る。 脚は昨夜からセーヌ色のパンティストッキングを着けたままである。 ちょっと姿見で映して見てから食堂に行く。 3人はまだ帰ってきていない。
 椅子に腰を下ろして待つ。 窓の外を見ると雨はもうすっかり上がって、木々の枝の間から見える青空に白い雲が流れている。 考えて見ると、今日は今までにもう食卓のオブジェに造形されて不自然な姿勢でじっと辛抱させられたし、今からはまたトランクに詰められて、中の空気だけでどのくらい長く呼吸が保つかを限度一杯まで試されようとしている。 とにかく今日の祥子は、これが1日中遊べる最後の日だと言うのでえらく張り切っている。 この窒息プレイまでは何とか覚悟も出来ているが、その先どんなプレイが飛び出すことになるのだろうか。
 やがて孝夫がキャスター付きの大きなトランクを押して戻ってくる。 つづいて祥子と美由紀が四角く折りたたんだ無色のポリ袋らしいものを一つづつ抱えてくる。 トランクだけの積りでいたので、『あれ?』と思う。
 祥子は自分の抱えてきたものを拡げる。 確かに無色透明で大きなポリ袋である。 それにどこか見覚えがある。
『まず、この袋を一杯にひろげて、その中の空気でどの位の時間、生きていられるかを試してみるわね』
『え?』
『透明な袋の方が危険も少ないし、それに空気がじわじわと悪くなっていって、もう我慢が出来ないって悶える様子がよく観察出来て楽しいし』
 祥子は残酷なことをにっこり笑いながら平然と言う。 これはほんとにきついことになりそうだと、ぞくぞくっとする。
 ふと、そのポリ袋の中に人が入っている光景を想像する。 そして『ああ、そうか』と思いだす。
『ああ、それは昨日、祥子さんの炎暑責めに使ったのと同じポリ袋ね』
『あら、祐子さん、よく御存じね。 昨日はまだいらっしゃらなかったのに』
 祥子が真面目くさった顔でそう言うのに皆が吹き出して笑う。
 やっと笑いのおさまった孝夫が説明する。
『ええ、そうです。 何に使ったのか、物置にまだ沢山積んであったので、2つばかり持ってきました。 祥子さんが「是非これを使って祐子さんでテストしてみたい」って言うものですから』
 祥子が笑いながら言う。
『昨日の恨みは同じポリ袋で晴らさないとね。 江戸のかたきを長崎で、みたいな所もあるけど』
『でも、お手軟らかにお願いするわ』
『さあね』
 祥子はまた笑ってはぐらかす。 そして改めて言う。
『それじゃ、まず、祐子さんから始めるわね』
『まず、あたしからって、美由紀さんにもするの?』
『ええ、もちろんよ。 美由紀は昨日、直接手を下した共犯者の一人ですもの』
 美由紀が『あれっ』といった顔をする。 祥子が美由紀の顔を見て言う。
『それに、美由紀は祐子さんだけに苦しい思いをさせておくの、忍びないでしょうしね』
『そんなことないけど』
 美由紀は口ではそう言うが、『仕方ないわ』というような顔をしてうなずく。
『孝夫さんは共犯じゃないのかしら?』
『孝夫は別格』
 心配そうに問答を聞いていた孝夫がほっとした顔を見せる。
『袋に入れる前に、念のために紐をきっちり掛けさせてね』
『ええ、いいわ。 ご随意に』
 私の返事を聞いて祥子は後ろに回り、まず私の両手を後ろ手に組ませて、上半身をきっちりした高手小手に縛り上げる。 ついで床に一畳敷ほどの広さの薄地のカーペットを敷き、私をその上に腰をおろさせて、右脚、左脚の順に足首と太腿とを縛り合せる。
『さあ、これでいいから、ちゃんと座って』
『はい』
 私は不自由な身体をくねらせて正座の形にすわり直す。 美由紀がスカートを私の膝にかけ、形を整えてくれる。
『それから、苦しくなった時につい弱音を吐いたりするのは祐子さんの本意ではないでしょうから、口も蓋しといてあげるわね』
 そう言って、祥子は応える暇も与えずに半開きの私の口にさっと小布れを押し込み、さっきも使った赤い革のマスクを当ててバンドを締める。 私は鼻をすうすういわせて呼吸をつづける。
 横で孝夫がいう。
『猿ぐつわは記録に影響しませんかね』
『関係ないと思うわ』
 祥子の応えは相変わらずである。
 こうして私にすっかり身支度させて、祥子は立って私を上から眺め回す。 私も祥子を見上げる。 ひとつうなずいてから、祥子が笑顔で言う。
『じゃ、よくって?』
 私も軽くうなずいてみせる。
『昨日はポリ袋の中に座って頭の上で袋の口を閉じて貰ったけど、今日はちょっと趣向を変えて、頭からかぶせて脚の下で口を閉じるわね。 その方が袋にひだが出来ず、中が良く見えるでしょうから』
『どうぞ、ご随意に』と思って、またうなずいてみせる。
 祥子はまず、孝夫と2人でポリ袋を一杯に膨らませて、私の頭の上からそっとかぶせていく。 そして膝まですっかり入ったところで、また孝夫に手伝わせて私をゆっくり横倒しにし、少し奥に押し込むようにしてからもう一度袋を膨らませ、袋の口をふわっとまとめて閉じて紐を巻き付けてきっちり結ぶ。 『ああ、これできっちり封じ込められちゃった』と思う。 こうなればもう充分過ぎるほどの息苦しさを一度味わってからでないと浮き世には戻れない。 思わずぞくぞくっとする。
 祥子は食卓の上から腕時計をとってストップ・ウォッチのボタンを押し、もとの場所に戻してから、袋全体を抱えるようにして私を起き上がらせる。 私はカーペットの上で正座する。
『そうね。 そこだと見にくいから食卓の上にのせましょう』
 今度は3人がかりで私をかかえ、食卓の上にのせる。 そして孝夫がカーペットを横に片づけ、3人が椅子を並べ直して私の前に並んで座る。
 私は食卓の上で正座して、ポリ袋の膜を通して3人を順ぐりにぼんやり眺める。 これからは私自身の呼吸によって中の空気が次第に悪くなり、息苦しくなっていくのを何とか耐えていくだけである。 それも並大抵な息苦しさでは終りにしては貰えず、身悶えするようになるまでじっくり鑑賞されることになるであろう。 それにこのポリ袋の膜はかなり厚くて丈夫そうだから、このように手足を縛られた身ではいくらもがき暴れても、破れたりして外の空気が入ってくることはまずなさそうである。 念のため、と言った祥子の言葉が思い出される。 覚悟が決まる。
『同じポリ袋詰めでも、こういうきちんとした服を着た女の人だと、祥子さんの時の水着姿とはまた一味違った趣きがありますね』と孝夫が知った風のことを言う。
『そうね』と美由紀も和する。
 そして祥子がぽつんと言う。
『それにしても祐子さんってきれいね。 少しねたましいくらい』
 そのまま3人は黙って私を見ている。
 最初のうちは私の呼吸は平常と何も変らない。 祥子が言う。
『あたしの経験でも20分位は空気の方は何ともなかったわ。 効果が目に見えるようになるまでには大分時間がかかりそうだから、またゆっくりお茶でも飲みましょう』
『人のことだと思っていい気なものだわ』と思って、ちょっと祥子をにらみ付ける。 しかし、祥子はそれを気にかける様子もなく、『美由紀にはまたお給仕してあげるからね』と美由紀を立たせ、両手を後ろに回させて、手首をきっちり縛り合せる。 美由紀は祥子のなすがままに任せながらも、私から眼を離さずにじっと見詰めている。
 美由紀の手首を縛り終えて、また3人が椅子に座り直し、私を鑑賞しながらお茶を飲み始める。 美由紀にはもちろん、祥子がお茶を口まで運んで飲ませている。 ぼんやりと3人の顔を見ているうち、何時とはなしにうとうとっとする。
『あら、祐子さん、頭を垂れてお休みよ』という美由紀の声。
『ほんとですね』と孝夫の声。 『でも、すごいですね。 こんなふうに縛られて、しかも猿ぐつわまではめられて袋に入れられて、これから息が詰まって苦しい時が来ようというのに、座ったまま居眠りが出来るなんて』と孝夫が如何にも感心したように言う。
『違うわ。 祐子さん、きっとひどくお疲れなのよ』とまた美由紀の声。
『そうね。 この所、大分きびしいプレイが続いているからね』と祥子が言っている。
 私はこれらの会話を遠くの方のことのようにぼんやり聞く。 そしてそのまま本当に寝入ってしまう。



 ふと目が覚める。 手が動かない。 そのうちに意識がはっきりしてきて思い出す。
『ああ、私は今は祐子であって、ポリ袋に封じ込められて、中の空気だけでどの位の時間、生きていられるかを試されてるんだっけ』
 頭をあげてうっすらと目をあける。 私の呼吸から出る水蒸気が膜の内側に凝結していて、前に座っている3人を少し見にくくしている。 顔がいくらかほてって来たような気もする。
 後ろ手のままでじっと私の顔を見ていた美由紀が『あら、祐子さん、お目覚めのようよ』と言う。 何事かを考えているかのようにテーブルの上で茶碗に両手を添えて見つめていた祥子も顔を上げて、『あら、ほんと』と言う。 孝夫も私の顔を見る。
 顔を上げて壁の時計を見る。 袋をかぶせられた時に10時25分だった時計の針が今は11時近くを指している。
 祥子が言う。
『もう、30分も経ったのに、なかなか目立った変化がないわね。 息がいくらかは大きくなってきたようだけど』
『でも、顔が大分、赤くなってきたようよ』と美由紀。
『そうですね』と孝夫。 『でも、今朝の祥子さんは、20分もしないうちから見ていられない位に苦しそうになったけど、やはりあれは暑さのせいだったのですかね』
『そうね。 あれは苦しかったけど、空気が悪くなったからではなかったわね。 そういう意味では文字通り炎暑責めだったのね』
 祥子の言い方にはいかにも、懐かしい、という気分が感じられる。 私はそれらの会話を聞きながら、もうさすがにうとうとも出ずにぼんやりと3人を眺め、また壁の時計の秒針の動きを目で追う。 確かに呼吸が少し大きくなってきたような気がする。
 さらに15分余りが経過して、時計の針が11時15分を示す。 空気はもうはっきり悪くなったことが判る。 息が苦しくなり、鼻で精一杯大きく呼吸をくり返すが少しも楽にならない。 顔に汗が浮かんでくる。
『大分お苦しそうよ』と美由紀が切なさそうにいう。 しかし、祥子は『まだまだ大丈夫よ』ととりあわない。 孝夫は黙って心配そうに私の顔を見詰めている。 私は壁の時計の秒針がまわるのを一心に見つめて、あと1分、あと1分と辛抱をかさねる。 息がすごく苦しくなり、精一杯の呼吸をくりかえす。 高手小手の紐で上半身が締め付けられているために一層苦しく感じるので、これさえなければもう少しは楽ではないかしら、と思う。 もちろん、どうしようもない。
 時計の針が11時20分を過ぎる。 息苦しさに思わず体をくねらせ、首を振る。 しかし、何も変らない。 膝のスカートの上に顔の汗のしずくがぽたっと落ちる。 美由紀が不自由な上半身をくねらせて手を出せないもどかしさを身体一杯に表現しながら、『もう、終りにしましょうよ』と言っている。 少し意識もうすれかかる。
 祥子が『あと2分で丁度1時間だから、それで終りにするわ』と言っているのを、よその世界のことのようにぼんやり聞く。 眼をつぶる。 眼の前が少し暗くなる。
 遠くの方で『はい、終り』という声が聞こえ、体が横に倒される。 足下でごそごそした後、脚の方がひんやりする。 『あ、口を開いたわ』とぼんやり思い、鼻で大きく空気を吸う。 久しぶりの新鮮な空気に生き返ったような気がして、『ああ、いい空気』とぼんやり考える。 また起こされて、ポリ袋を脱がされる。 肌全体で涼しい空気を感じてぶるるっとする。 ポリ袋は孝夫が手早くたたんで、もう一つのと一緒の所に置く。
 ついで口のマスクもはずされ、小布れを吐き出す。 しかし、身体の紐には手を付けずに一連の作業が終る。 私は眼を閉じたままで口をあけ、精一杯の呼吸をくりかえす。 意識が急速にはっきりしてくる。
 祥子が『なる程ね。 この位の袋だと、1時間がいい所なのね』と言っている。 それに対して美由紀の『もう限界を越えてたわよ。 祐子さん、お気の毒だわ』と抗議の声がある。 だが祥子はすました声で、『大丈夫よ。 祐子さんはまだ余裕があって、もっと頑張れたわよ』と言っている。 『勝手なことを言って』と思うが、まだ口に出せるほど息が戻らない。
 孝夫が私をかかえて椅子の上におろしてくれる。 脚は正座の形のままで高手小手の紐をまとった上半身を椅子の背にもたせかけ、またうつらうつらする。
 しばらく時間がたつ。 呼吸も大分おさまり、意識もはっきりしてくる。 そっと眼をあける。
『ご苦労さま、祐子さん』と祥子が顔をのぞき込むようにして笑い掛けてくる。 『ご感想は如何でした?』
 まだあまり口をきく気にもならず、簡略に答える。
『そうね、大分きつかったわ』
『それだけ?』
『ええ、結論的にはそれだけ』
 一応はそう答えたが、急に気が変わって、さっきの苦しさを披露したくなる。 つづける。
『とにかく空気がじわじわっと悪くなるのって、ひどく辛いものなの。 気がつかないうちに段々息が詰まってきて、気がついたら、呼吸はいくらでも出来るのに、いくら精一杯呼吸してもちっとも楽にならないで、ますます息苦しくなるの』
『なる程。 責めとしてもとても有効って訳ね』
 祥子は彼女流の受取り方をしてうなずく。 美由紀が目を輝かせて聞き入っている。
『でも、3人で見守ってくれてるので死の恐怖は全然なかったから、気分的には楽だったけど』
『それは残念だったわね』
 祥子が相変らずのことを言って、また笑う。 また祥子をにらみ付ける。



 私の呼吸もすっかり正常に戻る。
『じゃ、次は美由紀よ』と祥子が言う。
 美由紀は後ろ手の上半身をひねるようにして言う。
『ええ。 でもあたし、ひどく苦しいのはいやよ』
『大丈夫よ。 あなたも1時間だけにしておくから。 祐子さんより身体が小さい分だけ空気も沢山入るし、酸素の消費も少なくて楽な筈よ』
『でも』
 美由紀はまだ納得しない顔をする。
 それには構わず、祥子は私に向かって念を押すように言う。
『それから祐子さんは、今度はご希望に添ってトランク詰めの実験をするわ。 いいわね?』
 私はちょっと祥子をからかってみたくなる。
『あたし、そんなこと、希望したかしら』
『ええ、さっき確かめた時に、確かに「ええ」って言ったわよ』
『あれは祥子さんのたってのご要望に、心ならずも応えただけよ』
『どっちでもいいわよ。 やってみるんでしょう?』
 孝夫と美由紀は横でにやにや笑いながら成行きを見守っている。 祥子をこれ以上じらせると、せっかくこちらも気分が乗ってきたのに、彼女がプレイを取り止めるなどと言い出す恐れがある。 そこでもう潮時というので、しぶしぶ同意したようにみせる。
『ええ、そうね。 祥子さんがどうしてもと言うのなら、やってもいいけど』
『なるほど』と祥子が解ったような顔をする。 『つまり祐子さんは、ご自分が希望した責めじゃ気分が出ないのね』
『まあね』
 2人で顔を見合せて笑う。
『トランク詰めといえば』と孝夫がぽつりと言う。 『この間、奥さんを密行させようとして、スーツ・ケースに入れて自分の旅行荷物としてヨーロッパからアメリカに送って、着いたときは奥さんが窒息して死んでた、という話が新聞に出てましたね。 御主人も後を追って自殺したとか』
『おどかさないでよ』と私が首をすくめてみせる。 皆がどっと笑い、少し緊張気味だった部屋の空気がいっぺんになごむ。 しかし、私はちょっとしみじみした気分になる。
『そうね。 でも、本当に貨物として送り出されると、そう言う事もあるのね』
 しかし、祥子が陽気に言い返す。
『今日はあたし達が横についてるから、そうはならないわよ』
『ええ、それは解ってるけど』
『でも、ご希望なら』と祥子がいたずらっぽく笑う。 『トランクに詰めた後で、あたし達はどこかに遊びに行ってあげてもいいわよ』
『いいわよ、そんなにして下さらなくても』
 私は後ろ手姿の上半身を少しひねって科をつくり、遠慮する。 皆がまた笑い、空気がさらにほぐれる。
 少し笑いがつづいた後、孝夫が真顔になって言い出す。
『でも、あの、トランクに入れると祐子さんの顔が見えませんよ。 祐子さんが限界に達したことを何で判断する積りですか?』
 美由紀も『そうよ、そうよ』という風に、大きく2回うなずく。
『そうね。 外からじゃ判断が出来ないわね』と祥子は笑う。 そして最初から考えていたかのようにすぐに応える。
『だから、さっき言ってた趣旨からは外れて、ちょっと残念だけど、今は祐子さんにご自分で判断して貰うわ』
『え?』
『ええ、そう』と祥子はなおも笑いながら言う。 『祐子さんご自身に、もう限界だって合図して貰うのよ。 祐子さんは物足りないでしょうけど、それで我慢してね』
 私はちょっとはぐらかされたような気持ちになる。 しかし、それも祥子も散々考えた末のことだろうと思って、『ええ』とうなずく。 そして訊く。
『それで、もう限界だと思ったら、どうしたらいいの?』
『そうね。 それはトランクをこつこつっと内側から叩いて貰うといいんだけど、今は手も足も縛ったままの姿でトランクに入って貰う予定だから、それも難しいわね』
 祥子が頭をひねる。
『中で暴れてみようかしら』
『そうね。 それでも分からないことはないでしょうけど、でも、気が付かないと命にかかわるから、ちょっと心許ないわね』
『ベルを使ったらどうですか?』と孝夫がアイデアを出す。
『え、ベル?』と祥子が聞き返す。 そして言う。
『でも、この間の潜水マスクのテストの時に使った呼び鈴じゃ駄目よ。 トランクには電線を通す穴もないから』
『いいえ、あれの他に、ここには研修の時に時間が来たことを知らせたりするために、ゼンマイを巻く方式で、ボタンを押すと大きな音の出るベルが用意してあるんです』
『ああ、そう。 それならトランクの中でも使えるわね』
『ええ、使えます。 持ってきてみましょうか?』
『そうね。 じゃ、お願いするわ』
『はい』
 孝夫が出ていき、すぐに戻ってくる。 そして手に持っている直径8センチ程のお饅頭型の金属製の器具の頭を2~3度回し、『これです。 ゼンマイも巻けてます』と祥子に差し出す。 祥子が受け取り、頭のボタンを押す。 けたたましい音がする。
『これならよさそうね』と祥子も満足そうに言う。 そして、
『それじゃ、祐子さん。 このベルを右手で持っていて、もう限界だと思ったらベルをつづけて2回鳴らして合図してくれない?』
と言って、後ろ手の私の右手にベルを握らせる。
『こうね』
 私は手さぐりでベルを押してみる。 けたたましい音がする。 一度指の力を抜き、すぐにもう一度ベルを押す。 またけたたましい音がする。
『そう、そう。 それでいいわ。 それから万が一、ベルが鳴らなかったら、大きな音をたてるように力一杯あばれてみて』
『ええ』
『それじゃ、本番に入る前にまず、合図が聞こえるかどうかの実験してみるわね。 じゃあ孝夫は祐子さんをトランクに入れてあげて』
『はい』
 孝夫が床の上でトランクの蓋をあける。 トランクは一家揃っての海外移住にでも使いそうな、大きながっちりした軽金属製のもので、縦横が 120 × 80 センチ、厚さも 50センチ近くある。 蝶番の付いた長辺にはキャスターがついていて、革紐で床の上をごろごろと引っ張って運んでいけるようになっている。 そして反対側の長辺には、蓋を閉じると自動的に掛かり、施錠も出来る2箇所の留め金具と提げるための握りがついており、蓋と本体の縁にはゴムが張ってあって、閉じると密着するようになっている。 また、短辺の一つにも握りがついていて、持ち運びに便利なようになっている。 またさらに、トランクは柔らかい厚手の布地で内張りがしてあって、中の物を留めるための2本のバンドがついている。
 孝夫が私を抱えあげる。 『こっちを頭にして』と祥子が握りの付いてない方の短辺を指さす。 孝夫はその指示通り、蝶番の方を背中にし、握りの付いている方の短辺に足を向けて、私をトランクの中に横向きにそっと寝かせる。 中は腰をかがめると割にゆったりしている。
『じゃ、蓋を閉めてコツコツと叩いて合図をしたら、ベルを2回鳴らして。 それからもう一度合図をしたら、なるべく大きな音をたてるように暴れてみてね』
『ええ』
 孝夫が蓋を閉める。 胸の前と膝の辺でカチンと音がする。 あ、留め金が自動的に掛かったんだな、と思う。 ついでトランクを立てられ、背中が下になる。 高手小手の手が背中に押されて少し痛い。
 頭の横でコツコツと音がする。 右手の親指に力を入れてぐっとベルの頭を押す。 けたたましい音がトランクの中に響きわたる。 その大きな音に自分でもちょっとびっくりする。 一度指を離して、すぐにもう一度押す。 また、けたたましい音がする。 指を離し、次の合図を待ち構える。
 少し間があって、もう一度、コツコツと音がする。 身体をひねり、肘と膝でトランクをどすんと叩いてみる。 これもかなりの音が出る。
 少ししてトランクがまた横倒しになり、カチッと音がして蓋があく。 3人の顔が覗き込んでいる。 軽くうなずいてみせる。 孝夫が抱き起こしてくれる。 トランクの中で正座する。
『トランクのふたを閉めるとベルの音は大分小さくなるけど、でもまだ充分に大きく聞こえるわ。 それにあばれた音も。 これなら大丈夫よ』と祥子が保証する。
『ええ』と応える。
 これでトランクに詰め込まれて、中の空気だけで生きていける時間の限界を身をもって究めさせられる実験の準備が完了したことになる。 ぞくぞくっとしたものが全身を走り抜ける。

6.5 お昼の中休み

第6章 第6日
05 /01 2017


 祥子がふと時計を見る。 そして、『あら、もう12時過ぎね。 今から始めると、終るのが1時近くになるかもしれないわね』とちょっと首をかしげる。
『そうですね。 そうするとそろそろ荒船さんが来る時刻になりますね』と孝夫も不安そうな顔をする。
 祥子は言う。
『まあ、祐子さんをトランクに詰めたままで荒船さんをやり過ごすのも味なものでしょうけれど、万が一、もう駄目という合図が荒船さんが丁度ここに居る時にぶつかると、荒船さんに変に怪しまれてしまうわね』
 祥子の論理は相変わらず独特である。
『それだけじゃなくて、祐子さんの命にかかわるから、すぐにトランクのふたを開けない訳にはいかないし、開けたら僕らがこんなことをしているのを、荒船さんにみんな知られてしまうし』
『そうよ、そんなの駄目よ』と美由紀が後ろ手の身体をねじって言う。
『そうね』と祥子もうなずく。 『それじゃ、せっかく準備したけど、トランク詰めは荒船さんがお帰りになるまでお預けにして、先にお昼を頂きましょうか』
『ええ、それがいい』
 孝夫が生き返ったような顔をする。
『祐子さんもそれでいいかしら?』と祥子が私の顔を見る。
 私も少し気が抜けたような気がしたが、『ええ、お任せするわ』と応える。
『じゃ、そうしましょう』
 部屋の空気が一遍に緩む。
『それじゃ、お昼を簡単に作るわね』
 祥子はそう言って、手早く美由紀の後ろ手の紐を解く。 そして孝夫に向かって言う。
『祐子さんも、足の紐だけ解いて差し上げて』
 孝夫が訊く。
『手は解かないんですか?』
『ええ、手はそのままにしといて』
 また祥子をにらみ付ける。 祥子は例によって知らん顔をしている。
 2人が流しの前に並んで炒めものなどを作り始める。 孝夫は私を抱えてトランクの外に出し、足首と太腿とを縛り合せた紐を右脚、左脚の順に解いてくれる。 不自由な身体をひねって久しぶりに立ち上り、椅子に座る。 孝夫もトランクやマットを片隅に片付けてから自分の席に座る。



 やがて食事が出来上がって、皿が食卓に並べられる。 並べ終って、美由紀が立ったままで両手を後ろに回す。 しかし祥子は、『今はあたしは祐子さんをおもてなしするのに忙しいから、美由紀は自分で食べて』という。 美由紀は少しもの足りない様な顔をしたが、おとなしく『ええ』とうなずく。
 その様子を見て、『あたしならいいわよ。 お昼を抜いても』と声をかける。
『でも、祐子さんは朝も食べてないんですよ』と孝夫が言う。 なるほどそう言えば、今日は朝からまだ何も口にしていない。 しかし今の私には、おなかが空いた、という感じはほとんどない。
『ええ、それは大丈夫。 それにプレイの時は、おなかが張ってるよりは空いてる方が辛抱し易いから』
『それはそうね』と祥子がすぐに便乗してくる。 『食べたすぐ後だと、ちょっと無理するとすぐに気分が悪くなるものね。 祐子さんには、このすぐ後でまた、記録を目指して頑張って貰わないといけないから、せっかくのお申し出に従って、今は抜いて貰うことにするわ』
 また他人のことだと思って、と少しおかしくなるが、素直に『ええ』と応える。
『それじゃ』と祥子は、後ろ手に組んだ美由紀の両手の手首をきっちり縛り合せる。 美由紀はまたうっとりした顔つきになる。
 美由紀の手首を縛り終えて、祥子は椅子に座っている私を見て、笑いながら、『そうね』と言う。 そして続ける。
『祐子さんも、そこに座って何もしないで、あたしたちのお食事をただ見てるのって、何だか変な具合じゃない?』
『あ、また』と思う。 しかし、単に『そうね』と応える。 実は私も皆がお食事をしている間、どうやって間を持たせようか、と思っていた所である。
『それで、ちょっと食卓の花になって頂こうかと思うんだけど、どうかしら』
『え?』
『つまり、せっかくのお客様を手持ち無沙汰にして放っておいてはお気の毒だから、祐子さんには、あたし達のお食事の間、きれいなお花になって食卓を飾って頂くお仕事をお願いしたらどうかと思うんだけど』
 あ、また、祥子独特の論理だな、と思う。 そしてまた、『そうね』とあいまいに応える。
『お花って、また、今朝みたいに造形して、そこのテーブルに飾るんですか?』と孝夫が今朝のテーブルを指さして訊く。
 祥子は『いいえ』と答える。 そして天井から下がっているフックを指さして言う。
『何時も同じような形では祐子さんにお気の毒だから、今度はちょっと趣向を変えて、それで吊り下げたいの』
『ああ、吊り花ですか』
 孝夫は面白そうに笑う。 つられて祥子も美由紀も笑う。 私もにやっとする。
『それじゃ、いいわね?』
『ええ』
『じゃ、立って』
『はい』
 私は立ち上がる。
『せっかくだから、手の紐はそのままにしておくわね』
『ええ』
『とすると』
 祥子は私を上から下まで見回す。
『ブラウスは脱げないからそのままにして、それが白だから他もそれに合せて純白の吊り花にするのがいいかしら』
『・・・』
『それじゃ、要る物を持ってくるから、ちょっと待っててね』
 祥子は食堂から出ていき、すぐに例の赤いバッグと大きめの買物用の紙袋とを両手に提げて戻ってくる。
『じゃ、まず、そのスカートを脱いで貰って』
 祥子は私の紺のスカートのホックを外し、チャックを下ろしてスカートを脱がせる。 孝夫が肩を支えてくれ、私も足を上げたり下げたりして協力する。 次に祥子は紙袋から白いタイツを取り出して私に穿かせ、その上に華やかな模様織りの白いパンティストッキングを重ねさせる。 そして白い厚手の生地のナプキンを食器戸棚の引出しから取り出して来て、帽子の形に折って私の頭の髪の毛にピンで留める。 『それから口も』と私の口を開けさせて小布れを詰め、白い日本手拭いで口と鼻を覆って、その両端をうなじできつく縛り合せる。
 作業の間、美由紀は手を出せないままに、黙って祥子の手の動きを見ている。 孝夫も今は私の肩から手を離して、祥子のてきぱきした作業ぶりを感心したように見ている。
『じゃ、次はこれよ』
 祥子はバッグから、やや太目の白い紐を取り出す。 そして、高手小手の上から胸のブラジャーのふくらみの上下に2重づつ紐をかけ、引き絞って背中で留める。 また、もう一本の太目の白い紐を取り出し、腰に2巻きしてから腰の後ろで留め、股の下を前後に往復させて引き締めてからまた腰の後ろで留め、上に延ばして背中の結び目に繋げる。 そしてウインチの所に行き、クランクを回してフックを手の届く所まで下ろし、私をその下にいざなって、背中の結び目から延びている紐の先をフックにしっかりと結びつける。
 これだけしておいて、祥子はちょっと離れて私の姿を眺め、『思ったよりよくなったわよ』と満足げに言う。 そして『じゃ、いいわね』ともう一度念を押してから、またウインチの所に行き、『さあ、上げるわよ』との声と共にクランクを回し始める。
 上を見上げる。 フックが上がっていき、繋がっている紐がぴんと張って、胸に巻いてある紐がぐうっと締まる。 股の紐もぐうっと締まる。 二の腕に痛みが走る。 うむっと歯をかみしめる。 足が床から浮く。
 足が10センチほど上がった所でフックの上昇が止まる。 私の身体がロープを軸にゆっくり右に回る。 顔を下げる。
 孝夫が手を伸ばして回転を止め、私を壁の鏡の方に向かせてくれる。 そこには白のブラウス、白のタイツ、白の帽子に白の猿ぐつわと、白づくめの服飾を着け、高手小手の紐を身にまとって、背中から延びる1本の紐で頼りなく吊り下げられている、やや前傾姿勢の1人の愛くるしい女の子の姿が映っている。 『まあ、きれい』と心の中でつぶやく。 なるほど、このように清楚な吊り姿なら確かに鑑賞にも堪えられる。
 祥子が近くに寄ってくる。 そしてちょっと私を眺め回して、『脚にはもうちょっとアクセントを付けた方がよさそうね』と、膝の上を揃えて縛り合せる。 そしてさらに足首を揃えて縛り合せ、その紐の先を腰の後ろの紐に通し、少し引き絞って留める。 両脚を揃えたままで膝を軽く曲げた形になり、女っぽい風情が加わる。
 祥子はまたウインチに戻り、『さあ、また上げるわよ』と声をかける。 私の身体がゆっくり回りながら、再び上がり出す。 そして足の先が食卓より少し高くなった所で止まる。
『こんなものでどうかしら』と祥子が言う。
『まあ、いい所ですね』
 孝夫はそう応え、また手を出して、今度は私を食卓の方に向かせて回転を止めてくれる。
 美由紀が傍に来て後ろ手のままで私の顔を見上げて、『大丈夫、痛くない?』と心配そうにきく。 眼でにっこり笑って、うなずいて見せる。
『あら、すっかり遅くなっちゃって。 早く食べないと荒船さんが来ちゃうわよ』と祥子が言う。 なるほど、壁の時計の針はもう12時25分を指している。 一瞬、この格好で荒船さんに見られるのは困るな、と思う。 しかし、荒船さんの来るのは早くても1時頃だろう。
 早速、3人とも私の見える席に着く。 食事が始まる。 祥子はまた美由紀にかいがいしくお給仕し、自分も食べ、その間には私を見上げて、目が合うとにっこりして見せたりする。 美由紀は祥子がお給仕する食べ物で口を動かしながら、じっと私を見上げている。 孝夫も時々手を休めて私を見上げる。
『ほんとにきれいですね。 それに足をちょっと曲げた所など、いい風情ですね』と孝夫が言う。
『そうね。 思ってたよりいい形に決まったわね』と祥子も満足げな顔をする。
 私は腕が大分しびれて感覚がなくなってきている。 それに胸が締め付けられて少し息苦しい。 しかし何とか我慢をしなければ、とこらえる。 ただ眼のやり場がないので眼をつぶる。 美由紀が吊られるとすぐに眼をつぶる気持がよく解る。
『それにしても、頭から足の先まで白ずくめというのも、清楚で愛くるしくていいものですね。 何というか』
 孝夫はちょっと言葉を探すように、話を切る。
『白い妖精』と美由紀がぽつんと言う。
『ああ、そうそう。 ほんとに白い妖精、といった所ですね。 それも悪魔に捕らえられて、縛り上げられ、天井から吊るされているという』
『まあ、じゃあ、あたしが悪魔だというの?』と祥子の笑いながらの声。
『いえ、とんでもない。 そんな積りは』と孝夫の慌てて打ち消す声。 3人の笑い声が響く。 私も心の中でにやっとする。
 そのまま、食事の進む音がつづく。



 そのうちに食事も終ったらしく、お茶を入れる気配がする。 そして3人がお茶をすする音があって、祥子が『もうすぐ荒船さんが来る時間になるけど、祐子さんはその格好のままじゃ、荒船さんに会わせる訳にいかないわね』というのが聞こえる。 そっと眼を開けてみる。
『そうですよ。 それに紐を解いたって、いきなり祐治さんが居なくなって祐子さんが現れたのでは、荒船さん、びっくりしてしまいますよ』と孝夫。
『そうね。 そうかと言って、今からじゃ、いつもみたいに砂に埋めて隠すわけにもいかないし、どうしたものかしら』
『そうですね。 地下室にでも居てもらうのが一番無難でしょうけど』
『ええ、それはそうだけど、それじゃあまりに芸がないわね』
『じゃ、どうします?』
 ちょっと間がある。 そしてまた、祥子が言う。
『あたし、今思い付いたんだけど、そこの食器戸棚の下の開きに入ってて貰ったらどうかしら』
『え?』
『つまり、捕えた妖精を逃げ出さないように戸棚に閉じ込めておくのよ。 そうすれば、この食堂での会話に耳だけでも参加できるでしょう?。 それに白い妖精さんのお住いには、戸棚の中ってとてもふさわしいと思うし』
『なるほど、ピーターパンの話にでもありそうですね』
 孝夫もうなずく。
『でも、その戸棚、祐子さんには少し狭くない?』と美由紀が心配する。
『そうね。 広さは大体大丈夫そうに見えるけど』
 祥子が立って行って、開きの扉を開ける。 孝夫と美由紀も横に行って覗き込む。
『これなら大丈夫と思うわ』と祥子。
『ええ、そのようね』と美由紀もうなずく。
『そうですね。 それじゃ、そうしますか?』と孝夫。
『ええ、そうしましょう』
 祥子はそう決定を下してから、思い付いたように私を見上げて、『そこの白い妖精さんもそれでいいわね?』と念を押す。
 私を押し込む話が全く当事者の私抜きで進み、決まってからやっと念を押して貰える、という経過に可笑しくなる。 でもあの食器戸棚の開きに押し込まれて荒船さんの帰るまで気づかれないようにじっと辛抱する、という話には魅力がある。 うなずいて見せる。 宙に吊り下がっている身体がまたゆっくり揺れる。
『ああ、いいと言うのね。 じゃ、ひとまず下ろすわよ』
 祥子はウインチの所に行き、私をゆっくり下ろしにかかる。 美由紀は私の横に来て後ろ手のままで私を見上げ、孝夫は開きから中のものを運び出して部屋の隅につみ上げにかかる。
 そのうちに足の先が床に着く。 そこで一旦止めて、祥子がやってきて足首から延びている紐を腰の後ろから外して取る。 やっと膝を伸ばしてまっすぐ立つ。 胸の紐の締まりが緩み、楽になる。 ほっとする。 祥子はまたウインチに戻り、さらにフックを下げてからまたやってきて、背中からの紐をフックから外す。 そして吊りに使った胸と腰の太目の紐を解いて外す。 しかしその他の紐や猿ぐつわには手をつけるそぶりも見せず、私を眺めて『これでいいわ』と一人でうなずく。
『じゃ、試しに一度入って貰うわ。 白い妖精さん、こちらへどうぞ』
 祥子のいざないに応じて両足跳びで食器戸棚の前へ行こうとして、平衡が取れずによろよろっと倒れかかる。 孝夫が慌てて手を出して支えてくれる。
『今の吊りがけっこう利いてるのね』と祥子が感心したような顔をする。
 孝夫が私をかかえて、食器戸棚の前に運んでくれる。 そして横にして、背中を奥に開きの中にゆっくりと押し込んでくれる。 頭と肩と腰が入ると、あちこちがつかえる。 膝と腰を曲げ、精一杯ちぢこまる。 孝夫が足の側の扉をぐっと押して、つかえていた足を押し込んで閉め、上下の留め金を押し込んで留める。 今朝行った後、トイレに行ってないので、今まで感じてなかった腹部が急に張ってる様な気がしてくる。 でも何とか我慢しよう、と決心する。
『じゃ、閉めますよ。 いいですね』と念を押して、孝夫は頭の側の扉もぐっと押して閉める。 肩がぐっと押される。 中が真っ暗になる。
 少しして頭の側の扉が開く。 祥子が中を覗く。
『どうお?。 きつすぎて辛いことはない?』
 首を横に振る。
『じゃ、大丈夫ね』
『むん』
『じゃ、荒船さんが何時来てもいいように、そのまま入ってて貰うわよ。 荒船さんが来ている間はなるべく音を立てないようにして、おとなしくしててね』
『むん』
 再び頭の側の扉も閉められる。 その上、カチッと扉の錠を掛ける音がする。 覚悟はしていたが、思わずぞくぞくっとする。 錠がかかってなければ、いざとなれば肩で無理に押してでも扉を開けることが出来たが、今はそれも出来なくなった。
 まっくらの中で鍵穴から光が漏れて入ってくる。 空気の出入りはこの鍵穴しかないことに思いあたる。 鍵穴の近くに顔をもっていくのは不可能なので、あまり長時間放置されると窒息する恐れがある。 早く荒船さんが来てくれないと大変だと思う。
『祐子さん、あんな狭い所で、空気が悪くはならないかしら』と美由紀が心配そうに言っている。
『そうですね。 鍵穴があいているから密閉したのとは少しは違うでしょうけど、やっぱり大分悪くなるでしょうね』と孝夫の声。
『荒船さんが来るまで、扉を開けておいた方がいいんじゃない?』とまた美由紀。
『それもそうですね。 じゃ、少し開けておきますか』
『そうね』と祥子も同意している。
 鍵穴に鍵をさし込み、ぐるりと回す音がする。 頭の側の扉が少し開けられ、隙間ができる。 私もほっとする。
『今日はせっかく祐子さんも会話に参加出来るようにしたのだから、荒船さんにも食堂に入ってもらうことにするわ。 でもウィンチのロープがちょっと目立ちすぎるし、外すのは大変だから、ちょっと横に引っぱって目立たないようにしておいて下さらない?』と祥子の声。 『はい』と応えて孝夫が作業をする気配がする。 『それから、ウィンチには覆いをかぶせておくわよ』とまた祥子の声。 よく気がまわる、と感心する。
『それから美由紀もその格好では困るわね』と祥子が言う。 『ああ、美由紀は後ろ手に手首を縛り合わされていたっけ』と思いだす。
『お食事の後片付けもあるし、それに急に荒船さんが来て慌てても困るしするから、もうほどいとくわね』
『ええ』
 そして少しして、2人並んで食器の後片づけをして洗っているらしい音が始まる。
 やがて後片づけの音も止む。
『じゃ、後は荒船さんの来るのを待つだけだから、またお茶でも入れましょうか』との祥子の声があって、お茶を用意する物音が聞こえてくる。 そして3人がまた椅子に座ってお茶を飲み始めた様子。  会話が始まる。 まず孝夫の声。
『それにしても祐子さんって我慢づよいですね』
『ほんとにそうね』と祥子。 『特に今日はここに一日中居られる最後の日なので、格別に張り切ってるみたいね』
 私は『いや、張り切ってるのは祥子の方なのに』と思うが、口に出して言う訳に行かない。
『でも今日は祐子さんにも参加して貰って、また一段と楽しくなったわね』
『そうですね。 祐子さんだと祐治さんとはまた違った趣きがありますね』
『ええ。 今朝のオブジェ「亀のこ」も、女の子だからまた一段と情緒があって映えたしね』
 2人で勝手なことを言っている。 中でも孝夫のいっぱしのSのような言い草に思わずにんまりする。 それにしても美由紀の声が聞こえないが、どうしてるのかしら。 彼女はまた心配そうな顔をして、私の入っている戸棚の方を見てでもいるのかしら。



『あら、荒船さんよ』との祥子の声がして会話が中断する。 足音が近づき、『じゃ、閉めますよ』との孝夫の声があって、少し開いていた頭の側の扉が閉められ、カチッと錠のかかる音がする。 皆が部屋を出ていく。
 また少しして大勢の人の入ってくる足音があり、『やあ、今日はうちの中ですか』との荒船さんの声が聞こえてくる。 ちょっと緊張する。
『ええ。 朝、雨が降ってたので、ここに居たの。 そしてお昼もここで済ませて、今お茶を飲んでた所なの。 丁度いい所だから荒船さんもお茶をどうぞ』と祥子。
『じゃ、お言葉に甘えて御馳走になりますか』
 荒船さんも座って、腰をおちつけた様子である。 誰かがお茶を入れ、荒船さんが『やあ、どうも』と受けている。
 荒船さんが話のきっかけを作る。
『ところで、皆さんがここに来てもう1週間になりますね』
『ええ、早いものね。 あっという間に過ぎてしまったみたい』
 確かにそれは実感である。
『それで、明日はもうお帰りの日ですけど、よく飽きませんでしたね』
『ええ、毎日が楽しくって。 だって何時もは、あたし達は東京でごみごみした所で暮しているでしょう?。 だからこういう静かなひろびろとした所は本当に珍しくって、毎日泳いだり、砂の造形を楽しんだりで、とても飽きる所じゃないわよ』
 今日も祥子は能弁に受け応える。
『え?、「ぞうけい」って何ですか?』と荒船さんが聞き返す。
『あの、つくる、かたち、と書く造形。 つまり、色々な芸術的な形を砂で造るの』
『と言うと、皆さんが砂で大きなお山や宮殿をつくっておられる、あれですか?』
『ええ。 まあ、そうね』
『要するに砂遊びですね』
『ええ、まあ』
 4人が笑う声が聞こえる。
『それで砂遊びと言えば、わたし共が子供の頃は、砂浜ではよく砂で埋めっこなんかもしたものですけどね』
『あたし達はもう大人だから、そんな幼稚なことはしませんよ』
『まあ、それはそうでしょうね。 私達もそういう遊びをしたのはせいぜい小学校の低学年まででしたから、皆さんのような大人はしないでしょうね』
 先日は私の首を埋め込んだ砂山を目の前に見ているのに、何の疑いも持っていない荒船さんの言葉に私はにんまりする。 これで砂浜からぬっと首だけが突き出て光景を見せたら、どんな顔をするだろうか。 美由紀らしいくすっという笑い声も聞こえてくる。
 荒船さんが話題を転ずる。
『ところで、もう一人の男の方は?。 今日もお散歩ですか?』
『ええ。 祐治さんはおひとりだけ、あたし達とはちょっと違って趣味が少し高級で、すぐに山に出かけちゃうの。 でももしかすると、あたし達のうちで一番楽しんでいるのは祐治さんじゃないかしら』
 祥子の感想の後ろ半分は本音かも知れない。
『本当にそうですね』と孝夫がしみじみとした調子であいづちを打つ。
『なる程ね。 本当に歩くのがお好きなんですね』
 荒船さんが祥子の言葉や孝夫のあいづちを勘違いして感心したように言うのに、また美由紀や孝夫の笑う声が混じる。
 話はなおもつづく。 私は物音をたてると怪しまれるので身動きもできずにじっとこらえている。 今日の荒船さんは落付いて座り込んでいて、なかなか立ち上がらない。 それに祥子が話を途切らせないようにうまく繋いでいる。 気のせいか、空気も少し悪くなったような気がする。 早く立ってくれないかな、と念ずる。
 そのうちにやっと、『ああ、もう大分長くお邪魔して。 そろそろ帰らなきゃ』と荒船さんの声がある。 『まあまだ、いいじゃありませんか』と祥子の声がつづく。 『あれあれ、いかにも祥子らしく、わざわざ引きとめたりして』とちょっとうらめしく思う。
『それでも余り遅くなるといけませんから』
 荒船さんの立つ音がする。 ほっとする。
 ついで、『所で、明日は何時に迎えに来ましょうか』と荒船さんが訊く。
『ええ、そうね』と祥子。 『あの、ここの後片づけもあるからあまり早いと大変だし、東京に帰るのが遅くなってもいけないし、そうね、10時頃はどうかしら』
『そうですね。 そんなものですかね』と孝夫の声。
『じゃ、明日は10時頃に迎えに来ますから』
 荒船さんが出ていく気配がする。 3人もついて出て行った様子で、部屋の中はしばらく静かになる。 ほっとして緊張を解く。
 3人の足音が戻ってくる。 鍵がまわって、頭の側の扉が開く。 新しい空気がどっと入って来る。 鼻で大きく息をする。 美由紀がまっさきに顔を出し、『大丈夫だった?』と私の顔をのぞき込む。 『大丈夫よ』の積りでにっこり笑ってみせる。 美由紀はつづけて、『祥子がうまく引きとめるもんだから、荒船さんがゆっくり腰を落ち付けちゃって気が気じゃなかったわ。 ごめんなさいね』という。 『むん』とうなずいて、もう一度にっこり笑ってみせる。
 祥子も横から顔を出し、『いかがでした?、白い妖精さん。 戸棚の中のお住居の御感想は』と笑いながら言う。 もちろん、口で応える訳にはいかない。 『荒船さんの立つのをさんざん引きのばしたりしてて』と思ってにらみ付ける。 祥子が気がつかない振りをして、さらににこっと笑ってみせる。 ついつられて私もにこっとする。
 孝夫が足の側の扉もあける。 そして私の肩をつかんで引き出してくれる。 久しぶりに腰を伸ばす。 腰がじーんとする。 足首と膝の紐も解かれ、孝夫に支えられるようにして立ち上がって、ゆっくり歩いて自分の席に座る。

さおりん

これは若い男女4人(途中からは6人)で結成した「かもめの会」の活動を記録した、明るく楽しいSMプレイ小説です。この小説は原著作者・久道あゆみさんより許諾をいただいて掲載させていただいております。

この物語はフィクションです。描写における安全性・遵法性・実現可能性などは担保されておりません。実際に試みる場合はプレイメイトとの合意を得ることはもちろん、十分な安全確認を行い、法律に触れないことを貴方の責任において確認してください。結果、どのような損害が発生しても責任は負いません。