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6.1 朝

第6章 帰京の日
05 /24 2017


  ふと眼が醒める。 外はもうすっかり明るくなっている。 あくびをしようとして、あごが動かない。 『ああ、口枷をしてたっけ』。 そして、『今日はS湖の湖畔合宿の第3日で、また箱に詰められ荷造りされて、貨物として東京に送り返される日だったっけ』と思い出す。 ちょっとした興奮が身体を走る。
  枕もとの女物の腕時計を手に取ってみる。 もう時刻は7時に近い。 右隣りの孝夫はまだ眠っている。 一昨夜は邦也が寝ていた左隣りには今朝はふとんも敷いてない。 そう言えば邦也は昨夜はあの箱に詰められて、箱ごと吊られたんだっけ。 今も宙に吊り下げられている箱の中だろうけど、一体どうしているかしら。 ちょっと気になる。
  静かに起き出して、スカートとブラウスを身に着けて食堂に行く。 女3人はもう起きていて、台所で朝食を作っている。 私の顔を見て祥子が声を掛けてくる。
『おはよう、祐子さん。 昨夜はよく眠れた?』
『むん』
  私はうなずいて応える。
  食堂の隅には例の箱が、差動滑車から延びている太い紐に吊られて、ぶらさがっている。
『もうすぐお食事にするから、ちょっと待っててね』と祥子が言う。
『祐子さんはお食事が出来ないのに、そんなこと言うのってお気の毒よ』と美由紀。
『ああ、そうだったわね』と祥子もうなずく。 そして訊く。
『それでもスープ位はお飲みになる?』
『むむん』
  顔を横に振る。
『そうね。 今日はまた、おトイレに行けなくなるから、水分は控えておいた方が安全ね』
『むん』
  ところへ孝夫が起き出してきて、『おはようございます』と挨拶する。 『ああ、おはようございます』と皆が挨拶を返す。 女3人は台所の仕事をつづける。
  早速に孝夫が訊く。
『邦也さんはまだ出してあげないんですか?』
『いいのよ、まだ』と祥子。
『でも、昨日の朝は、皆が顔を揃えたら、すぐに美由紀さんを出したんじゃなかったですか?』
『でも、いいのよ。 邦也さんには、今朝はゆっくりお人形の気分を味わって貰うことにしてるの』
『でも』と横で玲子がいう。 『そんな差別をするのもお気の毒だから、やはり早い方がいいと思いますけど』
『そうね。 何時までという当てもないから、じゃ、食事が出来たら出しましょうか』
  しばらくして料理が出来上がる。 女3人で食卓の上に料理の皿やパンやカップなどを並べる。 そして周りを見回してから、祥子が言う。
『さあ、これでいいわね。 それじゃ、邦也さんも出してあげましょう』
  皆が邦也の箱の吊り下がっている部屋の隅に集まる。 『じゃ、下ろしますよ』と声をかけて、孝夫が差動滑車のロープをたぐり始める。 箱がゆっくり下がって、やがて、こつんと小さな音がして床に着く。 私がロープの先を滑車のフックからはずし、孝夫と2人で箱を部屋の真ん中の方に動かす。 ついで、女3人も手伝って、紐を箱からはずす。 4つの南京錠を開け、掛金をはずす。 孝夫が蓋をはずす。 皆が中をのぞき込む。 中には昨夜入れたままの格好で袋が横たわっている。
『邦也さん、お元気?』と祥子が声を掛ける。
『ええ、早く出して下さい』と邦也が鼻声で応える。
『ああ、その声ならまた蓋をして、もうしばらくこのままにしておいても大丈夫ね』
『そ、そんな殺生な』
  邦也の悲鳴に似た言い方に、皆がどっと笑う。
『早く出してあげましょうよ』と美由紀が切なさそうに言う。
『美由紀もああいうから、勿体ないけど、もう出してあげるわね』
『うん』
  まず袋の口の細紐を解いて、頭を出す。 邦也がほっとしたような顔をしている。 鼻からマスクをはずす。 そして孝夫と私とで袋ごと箱の外にかかえ出して立たせる。 袋を足元まで下げる。 祥子が手早く後ろ手に縛ってある紐を解く。 邦也は両腕を横にのばす。
『足首の紐は自分で解いてね』
『うん』
  邦也は腰を下して、両足首を縛り合せてある紐を解く。
  皆がテーブルの周りに座る。
『そうね。 祐子さんは今は何もとらない訳ね。 黙って何もしないでお食事を見てるの辛いでしょうから、また何かやってあげましょうか』
  そう言う祥子の言葉に、西伊豆でもそんな話があったっけ、と思い出す。
『でも』と美由紀がいう。 『もう2日半も何も食べてないし、今日は後でまた厳しいプレイが待ってるから、体力を消耗するようなことはしない方がいいわよ』
『それもそうね』
  祥子はあっさり引き下がる。 そこで玲子がいう。
『祐子さんにはその間に、朝のお化粧をしっかりして貰ってたらどうかしら』
『ああ、それがいいわ。 今日は最後の日なんだから、思い切ってきれいになって貰うといいわね』
  私も『むん』とうなずき、それじゃ、と立ち上がって、自分の部屋に行く。
  バッグから洗面と化粧の道具を取り出して、それを手に持って洗面所に行く。 鏡をみる。 顔は昨夜化粧し直したので、そんなに崩れてはないが、今晩までとなると、また少し髭が伸びて化粧が浮いてしまうであろう。 やはり、玲子の言葉に従って、全部やり直した方がよさそうである。
  まずブラウスを脱ぎ、リムービング・クリームとティッシペーパーとを使って、出来るだけ残っている化粧品を拭い去る。 そして石鹸でよく顔を洗ってから、丁寧に髭を剃る。 見ただけでは判らない位の髭であったが、安全かみそりの刃には可成りの黒いものがつく。 それからもう一度、丁寧に顔を洗ってから、改めてローションから始めて、顔のメイクをする。
  こうしてまた、いつもの祐子の顔が出来上る。 軽く開いたままの唇の赤がとても魅力的である。 かつらにも丁寧にブラッシをかけてかぶり直す。 ブラウスを着て、襟の辺を格好よく直して、鏡に向かって一度にっこりと笑顔を見せてみる。 自分でもほれぼれするチャーミングな女の子が、鏡の中でにっこり笑っている。 すっかり満足して部屋に戻り、化粧道具などをバッグに丁寧に収めてから食堂に行く。



  食堂ではもう既に食事が終って、皆がお茶を飲んでいる。
  私を見て玲子が言う。
『祐子さんはいつ見てもおきれいね』
『ほんとに今朝はまた一段ときれいですね』と孝夫も同調する。
『それほどでもないけど』と言いたい所だが、口をきくことが出来ない。 黙って笑って自分の椅子に座る。
  早速に相談が始める。 まず、祥子が言う。
『さて、これからの予定を皆で相談したいんだけど、まず、荷物は何時頃発送することになるのかしら?』
『ええ、今日は』と孝夫が応える。 『午後1時頃に、W運送の車が荷物を受け取りにくることになってます。 帰りの車はこの辺の得意先を順々に回って荷物を積んでいって、そのまま東京に向かうんだそうです』
『そうすると、ここで積んだ後もこの辺をぐるぐる回って、大分時間をとるのかしら』
『いや、この寮は殆ど最後に近い方だと言ってましたから、ここで積んだら後は精々1~2箇所寄って、そのまますぐに東京に向かうんじゃないですか』
『それで、何時頃、どこに着くの?』
『そうですね。 まずK町にあるW運送のトラック・ターミナルに着いて、そこで荷物を振り分けてすぐに配送するそうで、最後にはまた僕の家に、早ければ4時頃、遅くとも5時には届くことになってます』
『ああ、それならば、こっちに来た時よりも大分速く着く訳ね。 それはいいわね。 祐子さんもこの2日半ばかり食事もしないで色々とプレイをしたんで、見掛けは変らないけど大分、体力を消耗しているでしょうから』
  皆がうなずく。
『それであたし達は荷物を渡したら、すぐにここを出て東京に向かう訳ね。 そして3時頃までに孝夫の家に着いて、しばらくして荷物を受け取ることになる訳ね』
『ええ、そうです』
  そこで美由紀がいう。
『荷物が着いたら、すぐに祐子さんを出すのね』
『ええ、そうよ』と祥子。
『でも、祐子さんの口枷は孝夫さんのお宅では外せないから、出したらすぐに皆であたし達のマンションに行くことになるのかしら?』
『そう言えばそうね。 すると、最後のお食事と反省会はあたし達のマンションですることになりそうね』
『とすると』と孝夫が言う。 『荷物は最初から祥子さん達のマンション宛てにしておいた方がよかったですかね』
  しかし、祥子は応える。
『いや、それは孝夫の家の方がいいわよ。 その方がトラック・ターミナルに近いから早く着くし、それに第一、あたし達の使う荷物だから、用が済んだら送り出した所に戻す方が自然ですもの』
『それもそうですね』
  孝夫もうなずく。
  改めて祥子が皆を見回す。
『さあ、これで、貨物輸送プレイに関しては大体の様子が判ったわね。 1時頃にトラックが取りに来るとなると、荷造りは丁度お昼時頃から始めたいと思うけど、それでいいかしら?』
  私は『むん』とうなずく。 孝夫も『そうですね』と同意する。
『それで、帰りの荷造りも、往きの時と同様にマゾミちゃん人形になって貰って、また袋に入れて丁寧に荷造りすることにしたいけど、どう?』
『それから、今度は「天地無用」と書いておくことを忘れないようにしないと』と玲子が注意する。
『そうでしたね』と孝夫がうなずく。
『あとは荷造りに関しては往きと同じだから、もう特に打ち合せておくこともないわね』
  皆がうなずく。
『それから、往きには車のトランクに美由紀を入れて来たけど、帰りはどうしようかしら』
『そうですね。 やっぱり誰かに入って貰った方が、座席がゆったりしていいですね』
『すると、孝夫は運転があるから駄目で、美由紀は往きにもう済ませているから、残るのは邦也さんと玲子だけど』
  玲子はにこにこ笑っている。
『まだ、祥子さんも居るよ』と邦也がいう。
『あたしは駄目。 女王様だから、何時もちゃんとプレイを監督している役目があるの』
  祥子がすましていう言葉に、皆がどっと笑う。
『それで、玲子さんは?』と邦也がきく。
『玲子はあたし達の会のジェネラル・マネージャーで、プレイは特別の場合以外はお願いしないことにしてるの』
『それは初耳ですね』と孝夫。
『ええ、今そう決めたの』
  また皆がどっと笑う。
『なるほど、祥子さんは女王様だから、そういうことを決めるにも絶対の権限があるんですね』
  改めて孝夫がうなずく。
『すると』と邦也がまた心細そうな顔をする。
『ええ、そうよ。 邦也さんが最適だと思うわ。 邦也さんには色々なことを経験して貰って、早く一人前のMになって貰わないといけないし』
『僕はまだ、一人前とは認めて貰えてないのかい?』
『ええ、そうよ。 そう1回1回べそをかくようじゃ駄目よ』
『べそなんかかいてないよ』
『じゃ、いいでしょう?』
  祥子はあくまで押している。 そして美由紀が言う。
『今は暑くないから、来た時のトランクの中でも比較的楽だったわ。 西伊豆へ行った時はかなり辛かったけど』
『ね、だから、いいでしょう?』
  とうとう邦也が折れる。
『しょうがないな。 じゃ、引き受けるよ』
『ああ、よかった』
  祥子は大げさに喜んでみせる。 そして言う。
『あたし、今度はシーミュータイムを宣言しなければならないかな、って思っていたの』
『それじゃ僕がいやだと言っても駄目だったのかい?』
『ええ、その積りだったわ』
  祥子はすましている。
『これで邦也さんも、合宿の後半ではつづけてプレイの主役の一人を演ずることになりますね。 昨夜からの箱吊りプレイと、帰りのトランク入りとで』と孝夫がいう。
『そうね。 やっと美由紀と同等のMということが証明されてきたわね』と祥子も笑いながら言う。
『ええ、嬉しいような、情けないような』
  邦也が複雑な顔をする。 また皆がどっと笑う。

6.2 脳性麻痺

第6章 帰京の日
05 /24 2017


『今は9時半ね。 まだ、荷造りを始めるまでにも大分時間があるわね』
『ええ、 でも、寮の中を片付けないといけませんから、それを先にしませんか』
『それもそうね』
  祥子と孝夫のこんなやり取りの後、みんなで寮の建物の内外を片付け始める。
  私は孝夫、邦也と3人で寮の裏に行く。 そこにはまだ、昨日、生コンクリートを作るのに使ったトタン板やバケツがそのまま置いてあり、その横に空になったセメントの袋と沢山のコンクリートの破片とがころがっている。 私は懐かしくなって、立ったままコンクリートの破片に見回す。
  横に立って一緒に辺りを見回しながら、孝夫が言う。
『コンクリート・ブロックを壊すのはけっこう大変でしたね。 このプレイはそういう意味で、ちょうど可能の限界に近い所にあるんでしょうね。 これで、もしもこれ以上に壊すのが難しかったら、このプレイは成立しなかったでしょう』
  私は「まあ、そうかな」と思って、『むん』とうなずく。
『じゃ、始めましょう』
  孝夫と邦也はまずトタン板やバケツを持って、建物の左手に消える。 私は竹の熊手でぼつぼつとコンクリートの破片を一箇所に集めにかかる。
  すぐに孝夫と邦也が笑いながら帰ってくる。 そして口々に言う。
『今、そこで、昨日のご夫婦と会いましてね』
『ほら、祐子さんを車椅子で散歩に連れ出した時に会ったご夫婦だよ』
  ああ、と思い出して、また顔がかっとする。 孝夫が笑いながら続ける。
『ええ、そのお2人が丁度、寮の前を通り掛かったんです。 そして「昨日の体の悪い女の方はどうなさいました」、ときかれましてね。 「ええ、寮の中で元気でいます」って答えておいたんですけど』
『むーん』
『ですから祐子さんも、うっかり表の方に歩いて行って見付かったりしないように、気を付けて下さいね』
『むん』
  私も笑ってうなずく。
  孝夫と邦也はなおもその辺を片付け、コンクリートの破片は、昨日食堂で壊した分も一緒にして、隅に穴を掘って埋める。
『さあ、外はこれでいいですね』
  3人で家の中に戻る。 家の中では、女3人が食堂の食器などを元のように片付けている。 『ああ、そうそう』と言って孝夫は差動滑車を梁からはずす。 そして皆で食堂の掃除をする。
  掃除をしながら、孝夫が言う。
『昨夜、ここでコンクリート・ブロックを壊したので、やはり結構、コンクリートのほこりらしいものが飛んでますね』
『そうね』と祥子。 『食堂でああいう作業をするのはちょっと気になるわね。 なるべくなら外で作業をした方がいいんだけど、昨日はそうも言っていられなかったのでね』
『そうですね』
  そうこうするうちに食堂の掃除も終り、廊下なども掃除してから、各自が部屋に戻って自分の荷物を纏める。 私も出したものを自分のバッグに詰め込み、持って出て祥子に渡して、『頼む』の積りでちょっとうなずいてみせる。 祥子も『ええ、いいわ』と言って受け取る。
  皆がまた食堂に集まり、椅子に座る。 時刻は11時である。
『さあ、これでみんな、帰る準備はいいのね』
  祥子が皆を見回す。 皆がうなずく。
『じゃ、後は貨物の荷造りだけど、それは12時頃から始めればいいから、まだちょっと時間があるわね。 その間、また、何かしましょうか?』
『そうだね』
  皆が顔を見合せる。 邦也が言う。
『それじゃ、ここももう終わりだから、もう一度、湖のほとりを散歩してこないか?』
『そうね、それもいいわね』
  祥子も乗り気になった様子。 しかし、玲子はちょっと首を傾げる。 そして孝夫が言う。
『でも、祐子さんが一緒に行くのはちょっと気になりますね。 とにかく昨日のご夫婦が身体の悪い女の方と思い込んでいて、しかもすごく気にしているようですから、うっかり歩いている所を見られたりすると、ことですよ』
『まあ、それは楽しい話ね』
  祥子は逆にすっかり面白がる。 一方、美由紀は言う。
『でも、そんな風に思い込まれるなんて、祐子さん、お気の毒ね』
『そんなことないわよ』と祥子。 『つまり、これも羞恥責めの一つで、ごく自然にそう思われるなんて、やろうとしてもめったに出来ない貴重な経験よ。 だから祐子さんも喜んでおられるわよ。 ね、祐子さん?』
  私は、いい気なことを言ってる、と思う。 しかし、確かに昨日の身の置き所のないような恥ずかしい思いは、今から思い起こすととても懐かしい気もする。 そこで『むん』とうなずいてみせる。
『ね、そうでしょう?』と祥子。
『でも』
  美由紀はなおも不満そうである。
『で、結局、祐子さんはどうします?』と孝夫が結論をうながす。 『とにかく、あのご夫婦にはさっきも門の所で会って、昨日の身体の悪い女の方はどうしましたってきかれたばかりですから、少なくとも歩いている所は見せたくないですね。 と言って、寮に残ってて貰うのもお気の毒ですし』
『それじゃ、また、昨日と同じに、祐子さんを車椅子に乗せて行けばいいんじゃない?』
『まあ、そうすれば話は合いますが』
  孝夫はなおも気が進まない様子。 玲子はまた顔に笑みを浮かべて黙って見ている。
『そうよね?。 そうしましょう』
『ええ』
  孝夫もうなずく。
『じゃ、他の人もそれでいいわね?』
『うん、いいよ』
  邦也が真っ先に同意する。 美由紀も「仕方ないわ」というような顔でうなずく。 玲子はなおも笑顔を絶やさずにうなずいている。 私はまた脳性麻痺の女の子の姿で例のご夫婦に出会うのかと思って、身体がかっとしてくる。



『それじゃ、すぐ用意しましょう』
『むん』
  私はうなずいて立ち上がる。
『そのご夫婦の御期待に反するといけないから、足首を除いて昨日と同じ格好にしますからね』
『むん』
  さっそくブラウスが脱がされ、かつらも外されて首の支えがセットされる。 ついでブラウスを着せられ、かつらも被されて、両手を後ろに回して、高手小手に縛り上げられる。 これで頭が動かなくなり、上半身が心地よくきっちり決まる。 玲子がガウンを持ってきて紐を隠すように着せかけてくれる。
『昨日は口枷が見えないように、無理に唇を閉じていて可哀そうだったから、今日はこれを掛けておいてあげるわね』
  そう言って、祥子が白いガーゼのマスクを出して掛けてくれる。 また西伊豆で掛けられた穴のないゴム裏のマスクかと半分期待していたが、今日のは当り前のガーゼのマスクである。 がっかりしたような、ほっとしたような気分になる。
  皆と一緒に歩いて玄関まで行く。 孝夫が車椅子を持ってくる。 それに座る。 祥子が両足首を縛り合せ、革のバンドで腰の辺を車椅子に固定する。 そして足首を隠すようにタオルを膝に掛け、昨日と同じ姿になる。
『今日はコンクリートの台座を隠さなくていいから楽ね』と祥子が笑いかけてくる。
『むん』と応えてうなずきたいが、頭が動かない。 眼だけで笑い返す。
『昨日は孝夫君が車椅子を押して湖に行ったから、今日は僕が押そうか』と邦也が言う。
『そうね。 そうして』
  邦也が車椅子の後ろに回る。
『じゃ、出発しましょう』
  美由紀が扉を開け、邦也が車椅子を押して玄関を出る。 みんな一緒に前庭を横切り、門を出る。 そして砂利道を横切り、前の細い道に入る。 林の中をゆっくり進む。 また、この前と同じように美由紀と玲子が先に行き、祥子と孝夫が後ろからついてくる。
  湖岸に出てまた右に曲がる。 美由紀と玲子はもう大分先に行っている。 車椅子はゆっくり進む。 湖を渡ってくるひんやりした風が気持よく顔をなでていく。
  ちょっとしたカーブをゆるく右に回っていく。 前方に今まで林の陰になっていた桟橋が見えてくる。 先に行った2人がもう桟橋に着いて、こちらに手を振っている。 そしてその横に昨日のご夫婦の姿が見える。 思わず身体をこわばらせる。
  祥子が後ろで、『あら、今日はあのご夫婦が桟橋にいるわ』と言う。 車椅子が止まる。
『ちょっと困りましたね。 今日はこの辺で帰ることにしましょうか』と後ろで孝夫の困惑したような声。
『それも変に思われるから、とにかく行きましょう』
『はい』
  祥子と孝夫が前に出て歩き始める。 車椅子がゆっくり後をついて行く。
  桟橋に着く。
『やあ、昨日は失礼しました』と男が祥子と孝夫に向かって挨拶する。
『いいえ、こちらこそ』と祥子が挨拶を返す。
  男が斜め前から私を見る。
『いつも大変ですね。 でもよく面倒を見ておられますね』
『ええ、せっかく美しい湖のほとりに来たものですから、景色をたっぷり見せてあげようと思いまして』
『それで、こちらには何時までご滞在ですか?』
『ええ、もう今日の午後に帰る予定になっていますの』
『それは残念ですね。 せっかくお会いしたんだから、一度くらいはお食事をご一緒したら、と思っていたのに』
『ええ、有難うございます。 また、次の機会にお願いしますわ』
  私は相変らずの祥子の愛想よく流暢な受け応えを感心する。
  女の方は相変らず、お可哀そうに、といった目付きで私を見ている。 私は身体中がほてって、あちこちがむずむずしてくる。
  続けて男が訊く。
『ところで、その方はどこがお悪いのですか?』
『ええ、ちょっと脳性麻痺というんでしょうか、手と脚が不自由で、歩くことや手で何かすることが難しいんですの。 それに口をきくことも不自由なので、周りで色々と気を配っていますの』
  私は祥子の説明が現在の状況をよく言い表しているのに感心する。 確かに私は今、手足が使えず、口もきけない。
『それは本当に大変ですね』と男が言う。
『でも、何時もお化粧もきちんとしておられて』と女が私の顔を見つめる。 また、身体中がかっとなる。
『それにしても、こういう景色なんかはお楽しみになれるんですか?』とまた男がきく。
『ええ』とこれも祥子が受ける。 『頭の働きは普通の人と全然変わりませんし、目も耳もいいですから美しいものは美しいと分かりますし、とても喜んで表情に表します。 それに、首を動かすのも不自由なので軽くうなずくだけですけど、ある程度の意思表示も出来ますのよ』
  私はただただ感心して聞いている。 ところがそこで『実はですね』と男が言う。 そしてとんでもないことを言い出す。
『あの、私どもの親戚にも一人、脳性麻痺の子供がいまして』
『えっ』と思う。 『これはえらいことになった。 どうも化けの皮がはがれそうだ』
『それで、その両親がとても苦労をしているのを見ているものですから、この方を見ると他人事とは思えなくて』
『でも』と女が言う。 『あの子の症状はこの方と少し違うんじゃないかしら』
  私はぎくっとする。 しかし、男が言う。
『それは同じ病気でも、人によって症状の違いはあるよ』
『それはそうね』
  女は納得したようにうなずく。 こちらもほっとする。
『それで』と祥子が訊く。 『そのお子さんも手や足がご不自由なんですか?』
『ええ、力が入らないんだそうです。 でもこの方より少し軽いのか、やっと自分で歩いたり、食事をとったりはしていますけど』
『ああ、そうですか。 この人も身体の調子の良い時には、少しは自分のことが出来るようですけど。 でも、いずれにしても大変ですわね』
  祥子は精一杯同情して見せている。 美由紀と玲子も神妙な顔をして聞いている。 孝夫は呆れたような顔をしている。 邦也は後ろにいるので顔が見えない。
『じゃ、私達は先に帰りますから、ごゆっくり景色を見せてあげて下さい』と男が言う。 女の方が私に『では、お元気でね』と笑い掛けてくる。 私も目だけで精一杯笑ってみせる。
  2人がもとの道を立ち去って行く。 私は心からほっとする。
  2人が湖岸の道のカーブに沿って左に曲がって行って林の陰に消えると、祥子もほっとため息をつく。
『しかし、びっくりしましたね。 あの人達の親戚に本物の脳性麻痺の人がいたなんて』と孝夫が言う。
『そうね。 だから、あの人達、祐子さんに特別の関心を示したのね』と祥子。
『あたし、今にも化けの皮がはがれやしないかと思って、ひやひやしてたわ』と美由紀。
『そうですね。 しかし、祥子さんがあまり流暢に説明するんで、僕は少し呆れてましたけど』とまた孝夫。
『でも説明をしてしまった後で、あの人達の親戚に同じ病気の人が居るって言うんでしょう?。 あたしだってびっくりしちゃったわ。 でもああなったら、何としても話のつじつまを合せなければしょうがないでしょう?。 だから後は懸命だったのよ』
『でも祥子さんの説明、間違ったことは言ってなかったようですわ。 あたしも講義でちょっと聞いただけで、この病気の詳しいことは知りませんけど』と玲子。
『それはよかったわ。 とにかく、どうにかごまかせたようね』
  さすがの祥子もほっとした様子である。
『でもすごいな。 祥子さんの臨機応変の弁舌は』と邦也。
『ほんとですね』と孝夫も言う。
  最後に祥子が締めくくる。
『あの人達のお陰で、せっかくの景色をまだ楽しむ余裕がなかったわね。 時間が遅くなるから、少し景色を見て、急いで寮に帰りましょう』
  邦也が『じゃあ』と車椅子を桟橋の上まで出して、湖の方に向かせてくれる。
『いい景色ね。 今日はお天気がいいから、特にきれいね』
『そうですね』
    私もつくづく景色を眺める。 心が洗われるような美しい景色である。
『それじゃ、また記録の写真を撮りますから、そこに並んでくれませんか』
『うん』
  邦也が車椅子の向きを変え、岸の方に向かせようとする。 横で祥子が笑いながら言う。
『邦也さん、気を付けてよ。 今日は足の錘はないけど、水に落としたらやはりおおごとですからね』
『うん、心得てるよ』
  そう応えながらも邦也は一層慎重に、車椅子を岸の方角に向かせる。
  皆が車椅子の周りに集まる。 孝夫がその間に三脚にカメラを据えつけ、セルフタイマーをセットして、横に来て自分も一緒に写真に入る。 そしてもう1枚撮る。
『これで終りにします。 ご苦労さま』
  孝夫が三脚を片付ける。
『ああ、もう11時半を過ぎたわね。 早速、帰りましょう』
  皆で景色に名残を惜しみながら、ぞろぞろ連なってまた寮に帰る。
  寮の門の前で、また例のご夫婦に会う。 また緊張する。 女の方が紙包を祥子に手渡していう。
『少しですけど果物をどうぞ。 帰りの車の中ででも召し上がって下さい』
『まあ、そんなことをして頂いて』
  祥子がいかにも恐縮しているかのように振舞う。
『ええ、その方のことを伺って、他人事とは思えなくなりましたの』
『どうもすみません』
  孝夫も頭を下げる。
『じゃ、ごきげんよう。 特にその女の方、お元気でね』
  女が私に笑い掛けて右手を振る。 私も精一杯、笑顔を返す。 また身体がかっとなる。
  初老のご夫婦はそのまま自分達の別荘の方に立ち去っていく。 私達も門から寮の庭に入る。
『何だか詐欺をしたみたいで、気がひけますわね』と玲子が笑いながら言う。
『でもしょうがないわ。 いまさら「これ、プレイなんです」、とも言えないし』と祥子も笑う。

6.3 荷造り

第6章 帰京の日
05 /24 2017


  玄関に入ると、さっそく腰のバンドをはずされ、足首の縛りも解かれる。 車椅子から下りる。 皆で食堂に行く。 壁の時計は11時50分を指している。 ガウンが脱がされ、高手小手の紐が解かれる。
『あとは自分でやって』
『むん』
  かつらを脱いで、ひたいの髪の生え際を締めているバンドをはずす。 ブラウスを脱ぎ、胸の2本のバンドをはずして首の支えを取る。 かつらをかぶり直す。 やっと首が自由に回せるようになる。 またブラウスを着る。 祥子が言う。
『じゃ、もう12時に近いから、さっそく荷造りにかかるわ。 いいわね?、祐子さん』
『むん』
  横で美由紀が心配そうな顔をして、祥子に言う。
『やっぱり、帰りはまた祐子さんをトラック便で送るの?』
  祥子は「当然よ」という顔をして答える。
『ええ、そうよ。 前からその予定だったじゃない』
  しかし、美由紀は続ける。
『でも今日は何だか、ひどく胸騒ぎがするの』
『大丈夫よ。 帰りは往きみたいに変則的な積み方はさせないから』
『でも』
  なおも美由紀は渋っている。 私も『大丈夫だよ』の積りで、美由紀に笑い掛けながら軽くうなずいて見せる。
『ほら、祐子さんも大丈夫だと言ってるわよ。 ね、祐子さん?』と祥子。
  私は大きくうなずく。 美由紀もようやく折れる。
『ええ。 じゃ、しょうがないわ』
  そこで改まって祥子が言う。
『それじゃ、祐子さん、またおトイレで出るものはすっかり出してきてちょうだい』
『むん』
『と言っても、何も入れてないから、ほとんど出ないでしょうけど』
  祥子は笑う。 また、『むん』とうなずく。
  トイレでは下半身に着けているものを全部脱ぎ、Pセットもはずして洋式の便器に座る。 腰の筋肉をすっかりゆるめる。 ちょろちょろと少しお小水が出る。 その後は何も出てくる気配がない。 それでも5分ほど待つ。
  さっき美由紀が私の貨物輸送に渋っていたのがどうも気になる。 理屈で考える限り、今度のプレイに危険はないと思うが、美由紀は何か予知しているのかしら。 そう言えば、一昨日も美由紀は帰りの貨物輸送を心配していたが、今日の態度はもっと真剣だった。 何か感じているのかしら。 私もちょっと不安になる。 でも今さら、はっきりした理由もないのにこのプレイを中止する訳にはいかない。 そう思って首を振って不安を払いのける。
  もう待ってても何も出そうもないので、立ち上ってまたPセットをする。 そしてその上にいつもの順に下半身の下着を着ける。 一番上はマゾミちゃんの正式の服装の一部である、透かし模様のある白のパンティ・ストッキングである。
  それから隣りの洗面所に行き、顔の化粧直しをする。 にっこり笑ってみる。 また、可愛らしい祐子の顔が笑い返してくる。 これで両眼に不透明なコンタクトレンズをはめればマゾミちゃんの顔になる。 そう言えば、私はマゾミちゃんの顔は鏡で見る訳にもいかないので、写真でしか知ることが出来ないのだと気が付く。 しかもマゾミちゃんには前回の会合で始めて変身させられて、その時の写真をまだ見せて貰ってない。 急に自分でも可笑しくなる。
  食堂に戻る。
『また、きれいになってきたわね』と祥子が笑う。
『そうよ、お人形さんになって大事に箱に仕舞って貰うんですもの。 とびきり奇麗じゃないと意味がないわ』と美由紀がいう。
  孝夫も笑いながら、『ちょっとそこに立って下さい。 また記録の写真を取りますから』と言って、2枚ばかり写真を撮る。
  もう箱が部屋の隅から中程に持ち出してあって、その横には詰め物用の発泡スチロールの小塊の沢山入った大きな透明ポリ袋がおいてある。 箱の蓋の上には、赤い枠の中に「天地無用」と大きく赤く太い字で印刷してある札が2枚貼ってある。 おまけに横にはA3くらいの大きな紙がぺたっと貼ってあって、それに黒のマジックインクで上下の両方向に矢印が書いてあり、さらに「上」、「下」の文字が横に添えてあって、その横に御丁寧にも、「必ず上下の向きを正しく積んで下さい」と書いてある。 私はそれを指で示し、孝夫の顔を見てにやっとする。 孝夫も笑いながら応える。
『ええ、少し丁寧すぎるくらいにしておいた方がいいかと思いまして』
  時刻は12時10分である。
『それじゃ、さっそく始めるわよ。 そっちに向いて』
『むん』
  祥子に背中を向けて両手を後ろに回す。 祥子はさっそく私の両手首を厳重に縛り合せ、その先を腰に2重に巻いてぐっと引き締め、また手首に縛り付ける。 足首も縛り合せる。 これで手足の自由がなくなる。
  ついで祥子が『また、目もふたするけど、いいわね』と念を押す。 私は一度『むん』とうなずいた後、ひとわたり周りを見回し、この寮の見納めに名残りを惜しむ。 皆もじっと私を見ている。 何だかこれがこの世の見納めのような気がしてくる。 さっきの美由紀の言葉がまた思い出される。 しかし、『そんなことがある筈がない』と首を振って、不安を無理に断ち切る。 そして祥子に向ってもう一度『むん』とうなずき、眼で笑ってみせる。
『じゃあ、玲子、またお願い』
『はい』
  玲子がコンタクトレンズを浸した洗浄液の容器をもってくる。 そして私の目を見つめ、にっこりして、『じゃ、いいですわね』と断って、手早く右の眼にレンズをはめる。 残った左眼で玲子を見てにっこりしてみる。 玲子ももう一度にっこりして応える。
『じゃ、左も入れます』
  玲子の手が伸びて左の眼にもレンズがはめられる。 2~3度またたきをしてみる。 もう眼をあけても視界は何の形も見えない茶褐色一色の世界になる。 ぞくぞくっとする。 しかし、気持はすっかり落ち付く。
『じゃあまた、写真を撮っておきますから、マゾミちゃんを真ん中にしてみんなで箱の前に並んで下さい』と孝夫の声。 邦也らしい手が私をかかえ、少し横に移動させる。 後ろ手に箱の角の金具がふれる。 みんなが私の周りに集まった気配がする。
『じゃ、いいですね。 こっちを向いて』
  見えない眼で声の方を見る。 孝夫のやってくる足音が右のほうで止まり、シャッターが切れる音がする。  そして、『もう一枚撮りますから』とのことで同じ手順がもう一度繰り返されて撮影が終わり、周りから人の気配が散らばる。



『じゃ、次は袋に入れるわね』
『むん』
  立ったままの姿勢で抱え上げられ、脚の下に袋を置いた気配があって、そのままそっと下ろされる。 布の袋の口が引き上げられる。 袋の上から足首が縛られる。 『すべては一昨日の箱詰め作業と同じ手順だ』
『さあ、もう12時半を過ぎたから、箱に入れて、いつ取りに来られてもいいように準備しておきましょう』と祥子がいう。 ジーっと8ミリを回す音が始まる。 また玲子が撮っているらしいと判断する。
  身体を斜めに倒され、肩の辺と太腿の辺とを抱えられて、ぐっと持ち上げられる。 脚を一杯に曲げて協力する。 そおっと下に下ろされる。 右肘を下に横向きの姿勢になる。 脚を伸ばしてみる。 先が板に当る。 『ああ、箱の中に入れられちゃった』。 胸、下腹、太腿の3箇所がバンドでぐっと抑えられる。
  鼻にマスクを掛けられる。 鼻で吸って口で吐く呼吸を始める。
『あら、マゾミちゃん、言われなくても最初から規定通りの呼吸をしてるわよ』との祥子の言葉に
『素直ですね』と邦也が応える。
『邦也さんとはちょっと違うわね』
『いや、僕は初めての経験だから、ちょっと忘れていただけですよ』
  邦也の弁解に皆がどっと笑う。
『それじゃ、詰めものもしておきましょう』
との孝夫の声があって、まず頭の下に枕代りの発泡スチロールの板らしいものが差し込まれる。 そして体や脚と箱との間の隙間に発泡スチロールの塊らしいものが詰め込まれていく。 体の上のも塊がのせられていく。 身体全体がきちきちに抑えられて動かなくなる。 作業が終って、また少し静かな時が流れる。
  そして孝夫がぽつりと言う。
『今度は何事もなく無事に東京に着くといいですね』
『大丈夫よ』と祥子が応える。 『これだけ丁寧に書いてあれば今度は縦に積むなんてことはしないでしょうし、それに孝夫がちゃんと見ててくれるんでしょう?』
『ええ、今度は車に積む所をちゃんと見ておきますし、ここで積んだ車がそのまま東京に行くんですから、その方は大丈夫とは思いますけどね。 まあ、運転手にも念を押しておきますけど』
『でも』と美由紀の声が交じる。 『やっぱり心配ね。 また、予想もしてなかった事が起こるんじゃないかって』
『まあ、予想も出来ないことを心配してたらきりがないわ。 それよりも無事を祈って明るく送り出しましょう』
『ええ、そうだわね』
  美由紀の声もそこで途絶える。 そしてまた、皆が黙って私の顔を見ている様子。 私はまた静かに呼吸をくり返す。
  やがて、『さあ、マスクでの呼吸も順調のようだし、どこにも不都合な所はなさそうね』と祥子が言う。 そして私に語りかけるように言う。
『もうそろそろ12時40分になるから、蓋をしますからね』
『むん』
  私は大きくうなずいて見せる。
『それじゃ、次は東京で会いましょね。 御機嫌よう』
  ついで、『グッドラック』と玲子らしいきれいな声がきこえる。 何だか無性に懐かしくなって、玲子と美由紀と、それに祥子の顔を目に浮かべる。 今となっては、孝夫の顔も、邦也の顔さえも懐かしく感じる。
  頭がちょっと持ち上げられ、顔の上にも袋が引き上げられる。 頭の上で細紐で縛って袋の口を閉じている気配がする。 一昨日の袋をまた使ったとすると汗の臭いが付いていないか、と心配したが、そのような臭いはなく清潔である。 恐らく昨日のうちに洗っておいてくれたのであろう。
  ついで発泡スチロールの塊らしいものが頭の周りにも詰め込まれる。 頭もほとんど動かせなくなる。 目をつぶる。
  蓋をする気配がして視界が真っ暗になる。 4箇所の掛け金を掛けている気配がする。 そして釘を打ち込む音が響く。 予想はしていたが、思わずぞくぞくっとする。 『釘を打ち込む音って、責めに有効ですよ』と言っていた邦也の言葉を思い出す。 釘は全部でまた6本打ち込まれて、音が止む。
『さあ、もう、東京に着いて蓋を開けて貰うまでは、この境遇から逃れられる可能性はなくなった。 自分で抜け出すことはもちろん出来ないし、どうわめいても箱の外には何の情報も漏れないから、いざとなっても助け出しては貰えないんだ』
  覚悟を決める。 改めてぞくぞくっとする。
  しばらくの間、そのままに放っておかれる。 この箱の置かれている食堂には祥子達5人が居るのだろうに、その気配がほとんど感じられない。 改めて外との情報の遮断が完全なのに感心する。 マスクを通しての呼吸も順調である。
  刺激がないままに、とりとめなく考え始める。 もうすぐまたトラックが荷物を引き取りにくる。 一昨日の孝夫の話だと、往きのトラックは考えていた通り幌付きだったらしい。 帰りも恐らく幌付きのトラックだろう。
  私はこの箱が幌付きのトラックに積み込まれている光景を頭に浮かべる。 この帰りの貨物輸送がうまくいったら、これからどこかの合宿に出掛けるときは、私はいつも貨物として送られることになりそうである。 それも面白そうである。 2~3箇月前には、ほんとにまだ夢でしかなかったこのプレイが、今では当り前のような気がしていることに自分でもびっくりする。 でも、往きではあんな思いがけないことが起こったので、これからの貨物輸送プレイが自由に出来るためには、今度はこのプレイを平穏無事に終らせて、その安全性を皆に充分納得させなければならない。 それにしても美由紀の心配そうな顔が気になる。
  まだトラックが来た気配がない。 身体をもじもじ動かす。 また、とりとめのない考えが頭に浮かぶ。
  今度は一度、鉄道貨物便で送られてみたいな、と思う。 今と同じように荷造りされて貨車に積まれ、レールの継ぎ目で周期的に、かたんことん、かたんことん、と揺られる感じを想像する。 しかし、以前に孝夫が言っていたように、鉄道貨物便は発送から到着まですぐに2~3日かかるのでちょっと難しいかな、と考える。
  一方、航空貨物として送られるのにも魅力があるが、これは荷物検査が厳しいからちょっと無理かな、と思う。 しかし、と考える。 この夏、西伊豆でトランク詰めの実験をする前に孝夫が、奥さんをスーツ・ケースに積めて自分の旅行荷物としてヨーロッパからアメリカに持ち込もうとした人がいた、という新聞記事の話をしていた。 それは奥さんが窒息死して結果的には失敗だったとのことだが、少なくとも空港での荷物検査は通ったことになる。 だから可能性はないことはない。 とにかく今みたいに荷造りされた箱の中で、離陸の際の強い加速度を感じたらどんな気持かな、などと考える。
  でも、と考える。 そもそも飛行機の貨物室は気密区域の中なのだろうか、それとも外なのだろうか。 もし外だとすると、巡航用の高度一万メートルに上がった時に空気が薄くなって窒息してしまう。 これはきちんと調べてからでないとうかつにはプレイできないぞ、と思う。 いずれにしても、そのような話は今の所、夢のまた夢である。
  このようなとりとめのないことを考えているうちに、時間が次第に過ぎていく。 いつもは刺激がないままにこの辺でうとうとし出すのであるが、今日がなんだか眠気がわいてこない。 『もう、トラックが来てもいい時間だろうに』と思う。 身体をまたもじもじと動かす。

6.4 トラック輸送

第6章 帰京の日
05 /24 2017


  急に箱がぐらっとする。 『さあ、いよいよ荷物を取りにトラックが来た』と思う。 またぞくぞくっとする。
  箱が持ち上げられる。 そのままゆっくり横に運ばれる。 台車は使ってないらしい。 2人で運ぶのでは大変だから、恐らくはトラック乗務の人と一緒に運んでいるのだろう。 トラックは大型トラックだろうから、恐らく乗務は2人で、孝夫と邦也と合せて4人で運んでいるのかな、と思う。 それなら容易に運べるだろう。
  一度下に下ろされる。 そしてぐうっとゆっくり上がっていく。 車についているリフトを使っているらしい、と見当をつける。 ゆっくりトラックの荷台に向けて上がっていく箱と、それを見詰めている祥子達5人の姿を思い浮かべる。
  がたんと小さな衝撃があって上昇が止まる。 そして箱が横に滑らされる。 またちょっと箱が持ち上げられ、向きを変えられる。 しかし、右肘が下という体の向きはそのままである。 『「天地無用」の貼り紙がきいたのかな』と思う。 つづいて横でことこと音がした後、私の箱の上に、もう一つ荷物を載せた気配がする。 前からあった荷物を大きさの順に合せて積み上げたのか。 とにかく中味を全く気付かれずに単なる貨物として扱われている。 また身体中がじーんとする満足感を感じる。
  荷台から人が下りる気配があって、ぎぎっと側板を上げたらしい響きが伝わってくる。 そしてそのまま静かになる。
  その後しばらくの間、そのままに置かれる。 どうなったのか、と思っていると、不意にエンジンのかかる音がして、荷台に細かな振動が伝わってくる。 いよいよと思って緊張する。 車が動き出す。
  車は丁度、私の正面の方に向って動いている。 どうも進行方向に対して横向きに積まれたらしい。 往きに頭を下にして積まれたのと違って、これなら別に不都合はない。 祥子達が車をじっと見送っている情景がまた目に浮かぶ。 そして、『さあ、またこれで、私の存在を知っている人は近くに一人も居なくなった。 もう何事が起こっても、自分ではどうすることも出来ないし、誰も何もしてはくれない』と思う。 不安と嬉しさとのいり混じった戦慄が身体中を走る。 覚悟が決まる。 目をつぶる。 もちろん目は開けていてもつぶっても、視界が真っ暗で何も見えないことには変りはない。
  車はしばらくの間がたがた揺れながら走って、左に曲がると急に振動が減ってなめらかな進行になる。 そうか、寮の前を走っている砂利道から舗装された道路に出たのだろう、と見当をつける。 この車の揺れの差は往きにもあった筈だが、気がつかなかった。 恐らくは往きにはもうこの辺では空気がかなり悪くなっていて、それに耐えるのに精一杯だったんだろう。
  車がスピードをゆるめる。 そしてついには止まり、少し方向を変えてバックして止まる。 人が荷台に上がってきて、何かがたがたやっている。 私の箱の隣りにくっつけて、また一つ荷物が積み込まれた様子。 そしてさらに2つばかり、荷物が積み込まれた気配がある。
  私は自分の箱の周りにいくつもの荷物が積み上げられている状況を思い浮かべる。 ますます単なる貨物として輸送されているという実感が涌いてくる。 私はもう意志や感情を持つ人間としての特質はおろか、動くことの出来る動物としての特質も表現する手段を全く持たず、生命とは関係のない無機物として取り扱われているのである。 しかもそう扱うことが周りの者にとっては最も自然なことであって、それを詰め込んだ箱を他の荷物、例えば机や椅子と同じに扱うことに対しては、何の感情も生じようのない状況なのである。 私としては、どうされようとただなされるがまま、あるがままの状態を受け入れるしかない。 そう考えるとしびれるような嬉しさに身体中がじーんとしてくる。
  この積み込みで呼吸には別に何の影響もないようである。 腕や腰が大分だるくなったが、まだどうってこともない。 安心してうとうとっとなる。 車がまた走り出す。
  ちょっと走ってまた止まる。 目が覚める。 また荷台に人が来て荷物をまた2つばかり積み込む。 そしてまた走り出す。
  今度はかなり長く走っている。 もうどの辺まで来たのか、また気になる。
  そうこうするうちに車がスピードをゆるめ、静かに止まる。 そしてすぐ動き出す。 そしてちょっと行って、また一時停止をして、また走る。 ああ、信号待ちか、と思う。 とすると、もうKの街だろう。
  車がぐうっと左に曲がる。 また一時停止がある。 そしてまた走り出す。 今度はぐんぐんスピードが上がる。 中央自動車道に入ったらしい。 とすればあと1時間余りで東京に着くであろう。 孝夫は、車はまずW運送のトラック・ターミナルに着くと言っていたけど、そこはどんな所だろうか。 私は往きと同様にターミナルでは貨物として積み替えられて孝夫の家まで届けられるのだから、ターミナルを見ることは出来ないが、後日に1度、見に行ってみようかしら、と思う。
  腕や腰がますますだるくなる。 動けないながらも身体をもじもじ動かしてみる。 だるさが少し収まったような気がする。
  車は順調に走っている。 ふと、往きにはこの辺ではもうずっと逆さのまま揺られてきて、もうそろそろ終りにしてくれないかな、と思っていた所だと、思い付く。 まだ呼吸用のパイプはつぶれてはいなかったが、呼吸も心細く、かなり辛くなっていた。 でもその後にあんな苦しい場面が控えているとは露知らず、その辛さが最高だと思っていたんだ、と思い、自分でも可笑しくなる。 それに比べると、特にその後の苦しい場面に比べると、今の境遇は極楽みたいなものである。 こんなもので東京まで行けるのかしら、と思う。 また、美由紀の心配そうな顔が思い出される。 車は相変らず順調に走っている。



  車のスピードが急に落ちて、ほとんど止まるようになる。 『あれ、変だな。 まだとても東京に着いた筈はないし、今日は渋滞するほど道路が混む筈でなかったのに』
  ちょっといぶかしく思っているところへ、がつんという強いショックを感じて背中がぐっと横の板に押し付けられる。 背中の板に隣りの荷物ががつんとぶつかってくる。 私の箱の上の荷物が、が、が、と後ろの方にずれる気配がする。 思わずぐっと口枷をかみしめる。
  そこへもう1度、がつんとショックがあって、今度が前に曲げている膝に前の板がぶつかる。 上の荷物がさっきと逆に前の方にずれる気配を聞かせる。 一瞬、何が起こったのか判らず、眼を一杯に見開く。 もちろん視界はまっくらで何も見えない。
  車はそのまま停まっている。 何だか外界が騒がしくなったような気がする。 やっと気が付く。
『あ、玉突き追突だ』
  あのショックでは、大分派手にぶつかったようである。 まずは、果たして私の箱を積んだトラックがそのまま運転を続けられるかどうか、が心配になる。 もし駄目だとすると、私の荷物はどうなるんだろう。 救援の車が来て、積み替えられて、というのでは、何時になったら東京の孝夫の家に着くかが見当もつかなくなる。
  ふと思いついて、意識して鼻で空気を吸ってみる。 順調に空気が入ってくる。 これなら往きとは違って、呼吸の心配は無さそうである。 そして車の進行方向が私の正面の方であったことに感謝する。 もしまた頭の方や足の方だったとすると、今のショックで身体や詰め物が動いて、往きと同様にパイプがつぶれた恐れが充分ある。
  気のせいか、外界がますます騒がしくなる。 鼻から吸い込む空気に何かかすかな臭いを感じる。 何の臭いだろうかと考える。 そして気がつく。
『あ、煙の臭いだ』
  思わず、ぞくぞくっとする。 そう言えばかすかではあるが、ガソリンの燃える臭いがまじっている。
  どうも今の玉突き追突事故で火災が発生したらしい。 しかもこのトラックの荷台の中にまで煙が入ってくるのだから、かなり近くでである。 万が一、このトラックにまで火が拡がってきたら、私には逃れる手段は全くない。
  第一ここは開けた場所なのかしら、それともトンネルの中なのかしら。 そうだ、煙の臭いがするとすれば、トンネルの中という可能性が大きい。 この前の東名高速道路のNトンネルの中の火災事故では、トンネル内にあった何十台かの車がみんな焼けてしまって大分犠牲者も出たっけ、と思い出す。  あの時の犠牲者は皆、手足が自由で、火の回りさえそんなに速くなければ、走って逃げることも出来た人々である。 それを今の私は手足をくくられ、頑丈な木の箱に詰め込まれ、あまつさえ蓋を釘付けにされている境遇である。 火が来れば箱と共に焼け落ちるだけである。 いくら意志も感情も持たないお人形に徹していても、それはあまりに残酷である。 急に言いようのない激しい不安が全身をつつむ。
  その内に気持が少し落ち付いてくる。 気がつくと鼻から吸い込む空気の中の煙の臭いが大分強くなっている。 ますます、トンネルの中、ということに確信が深まってくる。 ぞくぞくっとする。
  Kから東京への中央自動車道にどんなトンネルがあったかしら。 私にはKトンネルぐらいしか記憶にない。 しかし、走った時間から考えて、まだKトンネルまでは行ってないのじゃないかしら。 私はそのようなことを考えて、何とか気をまぎらせようとする。 しかし、また意識が煙の事に戻ってくる。
  ふと、ここがトンネルの中だとしても、入口や出口からどの位離れているのだろうかが気になってくる。 出来ればトンネルの口にごく近くであって欲しい。
  そのうちに鼻の奥が強く刺激されて、一度強くせきが出る。 思わず息を強く吸って、またせきが出る。 次の呼吸では出来るだけ静かに息を吸う。 また鼻がつーんとしてせきが出そうになるのを懸命に抑える。 もうこれ以上鼻から息を吸うのは無理である。 そう言えばNトンネルの時の犠牲者の多くは、火よりも煙に巻かれて亡くなられたんだっけ、と思い出す。
  鼻で息を吸うのを止めて、口だけでの呼吸に移る。 これならば煙に巻かれることもなく、呼吸だけに関して言えば箱の中の空気だけでもしばらくは生き延びられるだろう。 そして火がここまで来るものならば、恐らくは空気が悪くなって窒息する前に火がやってきて、焼け死ぬことになるであろう。 色々と考えるうちに、もうどっちにころんでも助かりそうもない気がしてくる。
  箱が燃え出して、その中で私が悶え苦しんで、殆ど動かせない手足や腰を一杯につっぱって、口枷をあごが砕けんばかりに咬み締めてめている光景が眼に浮かんでくる。 思わずまた、ぞくぞくっとする。 美由紀の『2度あることは3度ある』という言葉が思い出される。 そして、今朝の美由紀の、胸騒ぎがする、と言って渋っていた状況も目に浮かぶ。 もしかすると、美由紀はこの事故を予見していたのかも知れない。 眼をぎゅうっとつぶり、口枷を力一杯かみしめ、全身をこわばらせて、周りの板が熱くなってくるのを、今か、今かと待ち受ける。 汗がほおやひたいをつたって、ぽたぽたと顔から右下にしたたり落ちる。 後ろ手のまま固く握りしめている手の平も、汗でべたべたしてくる。
  大分長い時間が経ったような気がする。 しかし、何時まで待っても箱が燃え出してくる気配はない。 気のせいか、外界の騒がしさも少し減ったような気がする。 気を取り直して鼻で空気をそっと吸ってみる。 煙の臭いが大分薄らいでいる。 『あ、助かった。 火が消えてきたらしい』と考える。 ほっとする。
  また、鼻で吸い口で吐くという呼吸に戻る。 今はもう、直接の生命の危険がなくなり、緊張が解ける。 そして疲れが一度に出てきて、ぐったりする。 また、急に腕や肩の凝りがひどく感じられ、我慢が出来ずに身体をもじもじと動かす。
  と、車がゆっくりバックを始める。 ああ、トラックは動くらしい。 ほっとする。 これなら救援を待たずに東京に戻れるかも知れない。 それにしても、この車も事故に巻き込まれて玉突きをしたのだから、状況調査に大分時間がかかるだろうし、高速道路は事故の処理が終るまで、当分は交通止めだろうから、どの位遅れるかは見当がつかない。 とにかく、私は何も出来ないのだから、何時まででも待つより仕方がない。 一度はないものと覚悟した命が助かったのだから、待つ位は仕方がなかろう。 それにこの姿勢なら、まだ当分は我慢が出来るであろう。
  ふと、祥子達の顔が眼に浮かぶ。 彼女等が私の箱を発送してすぐに寮を出たとしても、まだ孝夫の家に着いたか着かないかの頃合である。 この事故に関してはまだ何も知らないであろう。 そしてこの事故の報告が間もなく運送会社から届くだろうが、その時、彼女等はどんな顔をするだろうか。 奇妙な優越感を感じて、思わずにやりとする。
  車がまた止まる。 今度は全然動かなくなる。 『状況調査かな』と思う。 それにしても、このトラックの損傷の程度はどの位かしら。
  何も出来ないままに、ただじっと待つ。 先程の緊張の反動か、また眠くなってくる。 また、うとうとっとして寝入ってしまう。



  がたんと身体がゆすられて目が覚める。 身体が全く動かないのに一瞬いぶかる。 しかしすぐに、自分が箱の中に詰められて貨物輸送され、途中で玉突き事故に巻き込まれた後、車がバックで事故現場から少し離れて止まったことを思い出す。
  車がゆっくり動いている。 そして少し進んでから、ぐるっと大きく右にまわる。 なるほど、トンネルが事故車で塞がってしまったからUターンしたのか、と考える。
  車はまたスピードを上げる。 しかし、さっきほどのスピード感はない。 しばらく行って車はぐるっとループを描いて下に下りていく。 そして少し止まってから、また走り出し、左に曲がり、少し行ってまた左に曲がる。 高速道路を出たらしいとは見当がついたが、もう私にはどこを走っているか、さっぱり判らなくなる。 車はそのまま順調に走り出す。 私はまたうとうとし始める。
  また目が覚める。 すぐに自分が箱に詰められて、トラックで運ばれていることを思い出す。 身体に感じる振動からして、車はまた可成りにスピードで走っていることを感じる。 目を開けてみる。 もちろん真っ暗闇で、何も見えない。 動かない身体をもじもじ動かす。 呼吸は順調である。 気がつくと、強いカーブを曲がる気配が全くなく、信号での一時停止もない様子。 また高速道路を走っているのか、と思う。 眠っている間に、何時の間にか、また高速道路に入ったのであろう。 もう祥子達もこの事故について報告を受けているだろう。 さぞかし心配しているだろうな、と思う。 5人の心配そうな顔が目に浮かぶ。
  と、車がスピードをゆるめ、少し行って、強いカーブをぐるっと回る。 ああ、やっと東京に着き、どこかのインターチェンジを下りたのだなと思う。 K町に行くとのことなので、恐らくはCインターチェンジだろう。 料金所らしい一時停止の後、車は一般道路に出た模様で、可成りスピードが落ちる。 ちょいちょい止まってはまた行く。 また交通渋滞かと思ってうんざりする。 それでも私は何も出来ず、ただ待つだけである。
  もう、何処を走っているのか、さっぱり判らない。 これで外でも見えれば、まだ気もまぎれるんだろうが、今の境遇ではどうしようもない。 身体のあちこちがもうだるさを通り越して少し痛くなってくる。 身体をもじもじ動かしながら、早くトラック・ターミナルでもいいから着いてくれないかな、と希う。 しかし、往きで息が詰まってきて、早く目的地に着いてくれないかと必死に願っていたのに比べれば、のんきな境遇である。
  そうこうするうちに車が止まる。 そしてずうっとバックしていく。 ターミナルに着いたらしい、と胸を膨らませる。 また車が止まる。 そのまま動かなくなる。 ここからは、また荷物を振り分けて配送するとのことだったけど、この後、どの位の時間がかかるのかしら。
  人が荷台に上がってきて、荷物を動かし始める気配がする。 横の荷物も動かされる。 上の荷物もどかされる。 そしてついに私の箱がぐらっと揺れる。 ぐっと持ち上げられる。 横に運ばれ、ついですうっと下りていく。
  下に下りてから、またぐっと持ち上げられて、少し横に運ばれ、どすんと置かれて頭の方向に滑らされる。 足の方向で何かがちゃんという音がする。
  ちょっとして、私の箱をのせた車が走り出す。 私は荷物の振り分けや積み込みなどの準備で、かなり待たされることを覚悟していたので、その早い対応に少し驚く。 でも、早いにこしたことはない。 もう身体のだるさは限界に来ている。 もっとも、もう少しすれば麻痺してしまって、また平気になるかも知れないが。
  車は右や左に曲がり、一時停止をくり返しながら走っていく。 そのうちに車が止まる。 何かシャッターが開く音が聞こえてくるような気がする。 ついで車がゆっくりバックして行き、また止まる。 またシャッターの音が聞こえたような気がする。 『あれ、もう、孝夫の家かな』と思う。 『でも、配送の車にしては、ガレージの中に入れるのは変だな』とも思う。
  足の方で車の扉が開く気配がして、私の箱が足の方向に引き出される。 ゆっくり下に下ろされる。 足の方向に動き始める。 がらがらという振動は例の台車の振動である。 台車が止まって、箱が少し持ち上げられ、横に下ろされる。
  頭の後ろ上で、ぎーっと釘を抜くらしい響きが伝わってくる。 同じような響きが場所を替えて5回繰り返される。 4箇所の掛け金をはずす気配がある。 動かない身体をさっと身構え、心の準備をする。 視界がさっと明るくなる。 思わず目をつぶる。 『祐子さん、お元気?』という祥子の声がする。 出来るだけ大きな声で『うん』と答えて、大きくうなずく。 『ああ、よかった』という美由紀の声が聞こえる。

6.5 孝夫の家

第6章 帰京の日
05 /24 2017


  頭の上で紐を解く気配があって、顔の上の袋が下げられる。 目を開ける。 しかし、視界はまだ何の形も判別できない一面の茶褐色の世界である。 ひんやりした空気が気持がよい。
  鼻からマスクが外される。 鼻だけの呼吸に移る。 身体の周りから発泡スティロールの塊がつぎつぎと取り去られていく。 3箇所のバンドもはずされる。 身体が大分自由になり、腰や肩を動かす。
『じゃ、起こしますよ』との孝夫の声がして、肩に手がかかって身体が起こされる。 そして抱え上げられ、ぐうっと持ち上げられて横に出される。
『ちょっと立ってくれませんか』
『むん』
  腰と膝を伸ばす。 身体がまっすぐにされ、足が床に着く。 身体を支えていた2本の手がちょっと離れる。 袋が足下の方にずり落ちる。 と同時によろよろと倒れかかる。 『あぶないっ』との美由紀の声。 また孝夫らしい腕に支えられる。
『足首を揃えて縛ったままでは、やっぱり急に立つのは無理なのね』と祥子の声。
『それに手が使えず、目も見えませんから、バランスがとれないんですわ』と玲子。
『それじゃまず、目からレンズをはずしてあげて』
『はい』
  そして、『ちょっと目を開けててね』という玲子の言葉があって、右の眼のまぶたに柔らかい指が触れ、右の眼のレンズがはずされる。 目の前に玲子の顔があって、にっこり笑っている。 私もにっこりする。 ついで左の眼のレンズも外される。
  首を回して 周りを見回す。 ここは想像していた通り 孝夫の家の地下の遊戯室で、5人が笑顔で私を見ている。
『でも ほんとによかったわ。 あたし、もうこんなお元気な祐子さんのお顔は見られないんじゃないかって思ってたの』
との美由紀の半分涙声に、他のものも神妙な顔でうなずく。 孝夫が手をはなす。 今度はどうにかバランスをとって立ったままでいる。
『じゃ、残りの紐も全部ほどきましょう』
  さっそく美由紀が膝をついて 足首を隠している袋の口をまくり、袋の上から足首を縛ってある紐を解く。 孝夫が私の身体を抱え、少し持ち上げる。 邦也が袋を横に引き出す。 また下ろされる。
  足首の紐は また美由紀が膝をついて解き始める。 同時に祥子が後ろに回って後ろ手の紐を解き始める。
  ちらっと壁の時計を見る。 針はもう7時半過ぎを指している。 あの事故のために、予定より3時間も遅れたことになる。 でもとにかく、無事に帰ってこれたことに感謝しなければなるまい。
  先に美由紀が立ち上がり、『終ったわ』と言う。 ついで手首の紐も取り除かれ、祥子が『こっちも終ったわよ』と言う。 私は手が自由になると すぐに頭に手をやり、かつらのずれを直す。 そしてブラウスの襟とスカートの乱れを直してから、横に手を伸ばす。 肩の辺がじーんとして気持がよい。 横で邦也が、いかにも感心した、という顔をする。
『祐子さんは、こんな場合にも女の子のたしなみを忘れないんだね』
  横の、蓋を外したままで置いてある箱を手でなでる。 箱は内側がきれいであるが、外側は煙でくすぶって、あちこちがすっかり黒ずんでまだらになっている。 横に置いてある蓋の上に2枚ほど貼ってある「天地無用」の貼り紙も、赤い字が1枚の方はすっかり黒ずんで 黒と見紛うばかりになっている。 周りにも貨物が一杯 詰め込んであったから、箱の表面もくすぶり方が場所によって違ったようである。
  孝夫が説明する。
『トラック・ターミナルで前と後ろが可成りへこんで、しかも車体や幌が黒ずんでいるトラックが入ってくるのを見たときは ほんとにびっくりしました。 そして 出されたこの箱がすっかりくすぶってるのを見た時は 二度びっくりして。 それで急いで積んで ここに戻ってきましたけど、箱の蓋を開けて祐治さんの無事を確かめるまでは心配で心配で』
  それで『ああ、それでか』と合点がいく。 『孝夫達が例のワゴン車でトラック・ターミナルまで受け取りに行って 待っててくれたので、ターミナルに着いてすぐここに戻ってこれたんだ』
  孝夫がつづける。
『ですから蓋を開けて 祐治さんのお元気そうなお声を聞いたときは、もう身体中から力が抜けてぐったりしてしまいました』
  私は『有難う』の意味を込めて、孝夫に大きくうなずいてみせる。 孝夫も大きくうなずき返す。 ただ、感謝の意味が孝夫に伝わったかどうかは分らない。
『またちょっと 記念写真を撮りますから、箱の前にみんなで並んでくれませんか』
との孝夫の言葉に、皆が私を中心に集まる。 孝夫は三脚を立て、カメラを据え付け、セルフタイマーをセットして、皆の右側に並ぶ。 シャッターが切れる。
『念のため、もう1枚撮りますから』と言って、孝夫はもう1回、セルフタイマーをセットして写真を撮る。
  改めて祥子がきく。
『それで、これからどうなさる?。 まず先におトイレに行ってくる?』
  私は下腹に手をあててみる。 まだ出たいという感じはない。 首を横に振る。
『ああ まだ大丈夫っていうのね。 水分を摂るのを控えたことが効果があったという訳ね』
『むん』
『それじゃ、お化粧落しと着替えをして祐治さんに戻られる?。 それとも先にあたし達のマンションに行って、口枷を外しましょうか?』
  私は口に右手をそっとあて、首を軽く傾げてみせる。 祥子はうなずく。
『ああ 口枷が先だというのね。 じゃあ早速、皆であたし達のマンションに行きましょう。 でも そのマゾミちゃんの服は、高原への旅行の帰りにしてはちょっと派手すぎるわね。 上だけでもいつもの祐子さんの服装に着替えてきたら?』
  言われてみると 確かに祐子の服装に着替えた方が気持もずっと落ちつく。 また 『むん』とうなずく。
『着替えるなら、上の応接室の前の日本間を使って下さい』と孝夫が言う。 『有難う』の積りでまた『むん』とうなずく。 ついで美由紀が『はい、これ、祐子さんのバッグ』と言って私のバッグを手渡してくれる。 私はそれを持っていそいそと立ち上がる。 邦也が笑いながら言う。
『祐治さんは祐子さんがとても好きで、祐治さんに戻るよりも祐子さんで居る方がいいんだね。 きっと』
  皆がどっと笑う。 邦也をにらみつける。 邦也が首をすくめる。 皆がまたどっと笑う。
  上にあがって、指定された日本間に行く。 もう雨戸が閉めてあって真っ暗である。 電灯をつける。
  ここは、大分前にえび責めにされ、つづけて前の庭で炎暑責めにされた、思い出の部屋である。 あれはすごく昔のことのような気がするが、でもまだ あれから2箇月余りしか経ってない。
  姿見の覆いを取って自分の姿を見る。 今度の合宿ではずうっとこの華やかなフランス人形の服装で通したんだ、と感慨にふける。 バッグから普段の祐子の赤ぼたん色のブラウスと、紺のプリーツ・スカートとセーヌ色のパンティストッキングを出し、マゾミちゃんの華やかな服装と着替える。 やっといつもの祐子に戻った気がして、気分が安らぐ。
  顔に少しマスクの跡がついて、化粧が大分崩れている。 さっきはこんな顔で記念写真を撮って、恥ずかしいな、と思う。 しかし、『もうすぐ、このお化粧も落すんだ』とのことで、当面の補修にマスクの跡をティッシペーパーで軽く拭ってぼかし、バッグから化粧道具を出して簡単にメイクし直す。 どうにかまともな祐子の顔になる。
  姿見に覆いをかぶせ、マゾミちゃんの服をきれいにたたんでバッグと一緒に持ち、電灯を消して遊戯室に戻る。 そして祥子にマゾミちゃんの服一式を差し出す。
『ああ、それ、差し上げるわ。 これからずっと祐子さんの方で保管しておいて下さらない?。 その方が便利だと思うから』
  祥子の言葉にまた『むん』とうなずいて、それを自分のバッグに納める。
  壁の時計を見る。 時刻はもう8時をちょっと過ぎている。



『じゃ、祐子さんも戻ってきたから、早速あたし達のマンションへ行きましょう』と祥子がいう。 『孝夫はまた 車の運転をお願いね』
『はい、ただ』と孝夫。
『え、何かあって?』
『ええ あの、僕のローレルは定員が5人なので 1人余ってしまいますけど どうしましょうか』
『なるほど そうね』。  祥子は首をかしげる。 『それじゃ また、誰か1人 車のトランクに入って貰えばいいんだけど、祐子さんは今までずっと狭い所で苦労して貰ってたんだからお気の毒ね。 それに美由紀も邦也さんも往き還りをトランクで過ごしてきたばかりだし。 さて どうしたものかしら』
  私は、また自分がトランクに入っても構わないけど、と思ったが、口がきけず、適当な伝達手段がない。 そこへ美由紀がいう。
『あたしがもう一度 入ってもいいわよ』
『ああ、美由紀が入ってくれる?。 それじゃご苦労だけど、また頼もうかしら』
『ええ、いいわ』
  美由紀はうなずく。
『あの、それからもう一つ』と孝夫が言う
『あら、まだ何か?』と祥子。
『ええ、あの、向かうに着いてトランクから出て貰うとき、マンションの前だと目立ち過ぎて難しいことはありませんかね。 ここのガレージは密室みたいなものなのでいいんですけど』
『そうね。 そう言えばあたし達のマンションの近くには、トランクから人を出すのに適当な場所がないわね。 昔、美由紀を初めてトランクに入れて街を走ったときも、それで結局ここのガレージまで戻って来てしまったのね』
  その祥子の言葉に、私も、ああ、前にそんな話を聞いたことがあったっけ、と思い出す。
  と、邦也が久しぶりにSのアイデアを出す。
『また袋に入って貰ったらいいんじゃないかい?』
『そうね』と祥子。 そして続ける。 『と言って、じゃがいも袋を抱えてマンションの部屋までは行けないし』
  皆がどっと笑う。 邦也が頭をかく。 しかし、祥子は思い直したように言う。
『でも、それは一つのアイデアね。 じゃ、孝夫。 美由紀を入れるのに適当な、何かバッグかトランクみたいなものがないかしら?』
『そうですね』と孝夫。 『美由紀さんを入れることが出来て、車のトランク・ルームに入るものというと大分条件がきびしいですけど、美由紀さんは比較的小柄だから、適当なものがあるかも知れません。 ちょっと探してきます』
  孝夫が出ていく。
  しばらくして、孝夫が大型のトランクを提げて戻ってきて、床に置く。
『これならどうにか、車のトランク・ルームに入ります』
  皆が周りに集まる。 トランクはちょっと小ぶりの感じがある。 祥子が訊く。
『これ、この前、西伊豆で祐子さんを入れたのより大分小さいようね。 どの位の大きさなの?』
『ええ、この前の西伊豆のは縦と横が120×70で、厚さが50位ありましたけど、これは一回り小さくて、外形で100×60×40です。 だから 祐子さんはこれでは難しいと思いますけど、美由紀さんならどうにか間に合うんじゃないですか?』
『そうね。 それじゃ早速 試してみましょう』
  孝夫がトランクを横に倒して蓋を開ける。 美由紀がスリッパを脱いで中の中央よりやや左に腰を下ろし、孝夫に右肩を支えられながら、右を下に両手を前に交差させ、背中をトランクの蝶番の方に向けて窮屈そうに横になる。 頭が右の端近くに来る。 それから腰と膝を曲げ、脚を縮め、孝夫に助けられて何とか脚も中に入れる。
『ああ、どうにか入ったわね。 でも左の肩が大分出てるわね』
『ええ でも、蓋にも余裕がありますから、あの位は納まると思います』
『そうね。 ちょっと試してみましょう』
  祥子は膝をついて、蓋を倒し、ゆっくり閉めていく。 そしてついにはぴったりと蓋をして、片手で押さえながら2箇所の留め金を掛ける。 手をはなす。 きちんと留め金が掛かったらしく、蓋は開かない。
『ああ、いいわね』
  祥子は留め金をはずして蓋を開ける。 美由紀はもううっとりした顔をして目をつぶっている。 その顔をのぞき込んで、祥子が訊く。
『どうお?、美由紀。 どこか無理な所がある?』
  美由紀は目を開け、祥子の顔を見て答える。
『ええ、肩がちょっときついけど、でも平気』
『ああ、それはよかったわ』
  祥子は軽くうなずいた後、ちょっと思案してから言う。
『そうね、じゃあ、美由紀。 そのままの姿勢で、両手をちょっと後ろに回してみてくれない?』
  それを聞いて、私は『ああ、やっぱり』と思う。 玲子も笑いながらうなずいている。
  美由紀は『はい』と応え、右肘を立てるようにして身体をもじもじ動かす。 しかし、狭いトランクの中で寝たままでは、簡単には右手を後ろへ回せない。 祥子が美由紀の首の下に右手を入れて軽く持ち上げて斜めに支える。 美由紀はやっと右手を背中に回す。 祥子がゆっくり美由紀の身体を元のように倒し、横にする。 美由紀はなおも身体を動かし安定の位置を探していたが、やがて落ち着いたらしく両手を後ろ手に組んだ姿勢で動かなくなり、目をつぶる。
『じゃ、また閉めるわよ』
『はい』
  祥子がまたゆっくり蓋を閉めていき、最後にまたぴったりと蓋をして留め金を掛ける。 息を殺して見ていた皆がほっと息を漏らす。
『ところで 孝夫と邦也さん。 これが容易に運べるかどうか、ちょっと持ってみてくれない?』
『ええ、美由紀さんを入れたトランクなら重さは60キロ位なものでしょうから、大丈夫と思いますけど』
  そう言いながら 孝夫はトランクを立て、握りを持って持ち上げてみる。 一度下ろして、今度は邦也が持ち上げてみる。 また床に下ろす。 そしてまた 孝夫に代わって、今度は握りを持って横に引いてみる。 トランクはキャスターをゴロゴロ言わせながら かなりスムースに動く。
『これなら可成り自由に扱えます』と孝夫。
『ええ、大丈夫だ』と邦也も保証する。
『それはよかったわ。 じゃ、すべて大丈夫ね』
『はい』
  皆がうなずく。
『じゃ、もういいですね?』と念を押してから、孝夫がまたトランクを横に倒し、蓋を開ける。 美由紀はさっきと同じ姿勢で、まだ目をつぶってうっとりした顔をしている。
『美由紀、ご苦労さま。 もういいわよ』と祥子が声を掛ける。 美由紀は眼をあけ、身体を動かして何とか起きようとするが、右腕が体の下になって動かず、一人ではうまく起きられない。 孝夫が美由紀の脚を持ち上げて外に出し、首の付け根に手を入れて助け起こす。 美由紀は首をちょっと振って、自分で立ち上がる。
『美由紀、どうだった?。 2回目の時も無理な所はなかった?』と祥子がきく。
『ええ、1回目よりもまた少しきつかったし、またトランクを起こされたとき、手首が下になって少し痛かったけど、でも、あの位なら大丈夫、我慢できるわ』
『じゃ、大丈夫ね?』
『ええ』
  美由紀はうなずく。



『じゃ、これで乗車定員の問題も解決したから、早速 あたし達のマンションへ行きましょう。 忘れものをしないでね』
『うん』、『はい』
  皆のバッグを一箇所に集める。 色々なプレイ用具の入った段ボール箱も横に置く。 そしてあたりを片付ける。 私は柱から例のマグリットの鳥の絵を外して、荷物の一角に置く。 それを見て祥子が笑って言う。
『ああ そうね。 みんなが変りなく合宿を終えたことを感謝する儀式もしないといけないわね』
  ついで皆で2つ隣りのガレージに荷物を運ぶ。 トランクも孝夫ががらがら引いて持っていく。
  皆がガレージに集まる。
『じゃ ここでまず、トランクを車のトランク・ルームに入れて、美由紀をその中に入れる訳ね』と祥子がいう。 しかし、孝夫は応える。
『いいえ、結果は同じですけど、まず 美由紀さんをトランクに入れて、それをトランクルームに入れることになります』
『え、何ですって?』
  一瞬 祥子がきょとんとする。 孝夫は説明する。
『ええ、まず美由紀さんをトランクに入って貰って、そのトランクをトランク・ルームに入れるんじゃないと うまくいかないんです。 つまり、トランクを先にトランク・ルームに入れると、トランク・ルームの天井がつかえてトランクの蓋が広く開かないものですから、後から美由紀さんを入れる訳にはいかなくなるんです』
『ああ なるほど』
  祥子もやっと解った様子。 そして『面白いわね』と一つ笑ってから言う。
『すると トランクを外に出してからでないと、美由紀はトランクから出られない訳ね』
『ええ、そうです』
『面白いわね』
  祥子はもう一度 面白がる。 そして美由紀に言う。
『それじゃ、まず美由紀をトランクに入れるけど、その前にせっかくだからまた紐を掛けておくわよ』
  美由紀は最初から予期してたように、すぐに『ええ』とうなずいて、両手を後ろに回す。 祥子は美由紀の後ろに回って、まず両手首を縛り合せ、その先を腰に2重に巻いて、ぐっと締めてまた手首に縛り付ける。
  ついで足首も縛り合せる。 そして 『それから、これも』と言って 黒い革のマスクをかざして見せる。 美由紀は 当然 というような顔をして、また『ええ』とうなずき、口を開ける。 祥子は小布れをその口に押し込み、手早く革のマスクを掛け、左右と上とに延びている革のバンドを尾錠できっちり留める。 そして ちょっと離れて美由紀の全身を眺め、『これでいいわね』と言う。 美由紀がうなずく。
  こうして 後ろ手・両足揃えの姿でまっすぐ立ち、黒い嵌口マスクで口を覆われ、眼で軽く微笑んでいる美由紀はたまらなく愛らしく、美しく見える。 孝夫がまた写真を2枚ばかり撮っている。
『今は袋には入れなくていいから、このままトランクに入れてちょうだい』
『はい』
  孝夫がトランクの蓋を開け、邦也と2人で美由紀をかかえ、そっとトランクの中に、右を下に、蝶番を背中にして入れる。 美由紀も精一杯、腰や膝を曲げて協力する。 どうにか中に入る。 美由紀はなおももじもじして姿勢を直していたが、やがて動かなくなり、目をつぶる。
  孝夫が『じゃ、蓋をしますよ』と断わって、ゆっくり蓋を閉めて2箇所の留め金を掛ける。 そしてトランク・ルームの蓋を開け、和也と2人でトランクを持ち上げ、蝶番を奥にしてゆっくり滑り込ませる。 トランクはトランク・ルームの手前の縁や天井の縁をこするようにして、どうにか納まる。
『相当にきちきちね』と祥子が感心したように言う。
『ええ、でも幸いなことに、左右が大分あいてますから、出すときも何とかなりますけど』
『とにかくこれは、中に入るのが美由紀だから出来るのだし、孝夫と邦也さんが揃ってないと駄目なプレイね』
『ええ でも、僕と邦也さんだけじゃなくて、祐治さんでも大丈夫ですよ』
『でもね、プレイの時に祐子さんはよくいらっしゃるけど、祐治さんは滅多に顔をお見せにならないのでね』
  皆がどっと笑う。 私も口が開かないまでも、口元を崩して笑う。
  ついでトランクをトランク・ルームの右一杯に寄せ、左の空いた所に段ボール箱や、皆のバッグ類を積み込む。 例の鳥の絵も隙間に押し込む。 しかし、祥子のバッグだけが入らずに残る。
『いいわ。 これ一つなら、あたし、膝の上に載せていくわ』
『ええ、そうして下さい』
  玲子が孝夫のカメラでトランク・ルームに荷物か詰まった様子を写真に撮っている。
『じゃ、もういいですね』と言いながら孝夫がそのままトランク・ルームの蓋を閉めようとするのを見て、私はぎくっとして思わず手を前に出す。 しかし、私より早く横から玲子が孝夫の手を抑えて言う。
『あのトランクは小さいから、蓋を閉めたままだとすぐに息が詰まってしまうわよ』
『あ、そうだ。 うっかりしてた』
  孝夫も気がついて頭をかく。 祥子も言う。
『そうね、危ない所だったわね。 確かに最初はそのことも考えていたんだけど、途中でうっかりして忘れてしまってたわ』
『僕もうっかりしてた』と邦也も言う。
  改めて祥子が感心した顔をして言う。
『みんながうっかりしてたのに、よく玲子は気がついたわね』
『ええ』。 玲子は恥ずかしそうに下を向く。 そして顔を上げて言う。 『あたし、最初からずうっと気になっていましたの。 それに祐子さんも気がついていらしたみたいで、あたしと同時に手を出して止めようとなさったようですわ』
  私はあのとっさの場合に玲子がそこまで見ているのにすっかり感心する。
『祐子さん、そう?』と祥子がきく。
『むん』
『とすると、5人のうちの2人は気がついてたって訳ね。 それならどうにか安全が守れそうね。 でも祐子さんは自分がトランク詰めのプレイで息が詰まる経験をしているから、気がつくのも尤もだと思うけど、玲子はそんな経験もないのにほんとによく気がついたわね。 感心しちゃうわ』
  孝夫と邦也もうなずいている。 玲子は恥ずかしそうに また下を向く。
『とにかくこれからは、玲子にはあたし達の会の安全担当のジェネラル・マネージャーをお願いするわ。 だからこれからも、プレイの時は安全に充分気を配っててね』
『はい』
  玲子は恥ずかしそうに応える。
  そこで祥子が邦也に向かって言う。
『ね、解ったでしょう?。 邦也さん』
『え?、何が』と邦也。
『ええ、だから玲子にはあまり、プレイのモデルはして貰わないのよ』
『うん、よく解った』
  邦也も神妙な顔でうなずく。
『それにしても、トランクを入れたとき、何故すぐに蓋を開けることを注意しなかったのかい』と孝夫が訊く。
『ええ、あの時はその後でまだバッグの積み込みが残っていたので、皆さんは蓋をしたままの方が美由紀さんがほこりを吸わなくていい と考えているもの とばかり思ってましたの』と玲子。
『そうね、確かにその気はあったわね』と祥子がいう。 『でも、バッグを積み込んでいるうちに忘れてしまったのね』
『じゃ、とにかく また忘れないうちに、さっそく蓋を開けておきましょう』
  孝夫がトランクの留め金を外す。 蓋が自然に10センチばかり開いて、美由紀が今の騒ぎを知らないかのように、相変らずうっとりした顔をして目をつぶっているのが見える。
『じゃ、これでいいですね』と念を押して、孝夫がぱたんとトランク・ルームの蓋を閉める。
  座席に乗り込むとき、『後ろの座席は3人ですわるのでやはり少し窮屈ですから、女の人3人が後ろに乗ってくれませんか?』と孝夫がいう。
『ええ、いいわ』と祥子が応える。
『祐子さんは孝夫君の頭の中では、もう完全に女の人の方に分類されているんだね』と邦也が笑う。
『ええ、当り前よ。 あたしだってそうよ。 今時分 そんなことを言う方がおかしいわよ』と祥子。
  邦也が首をすくめる。 玲子はただ にこにこ笑って見ている。
  孝夫が運転席、邦也が助手席に座る。 後ろの座席には、右から私、玲子、祥子の順にすわる。 祥子は自分のバッグを膝の上に置いている。
  孝夫が車の中からリモコンを操作して、ガレージのシャッターを開ける。 そして車を出してからまたリモコンでシャッターを閉める。 車が走り出す。

さおりん

これは若い男女4人(途中からは6人)で結成した「かもめの会」の活動を記録した、明るく楽しいSMプレイ小説です。この小説は原著作者・久道あゆみさんより許諾をいただいて掲載させていただいております。

この物語はフィクションです。描写における安全性・遵法性・実現可能性などは担保されておりません。実際に試みる場合はプレイメイトとの合意を得ることはもちろん、十分な安全確認を行い、法律に触れないことを貴方の責任において確認してください。結果、どのような損害が発生しても責任は負いません。