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翌日の日曜日、午前中の用事は予定通りに昼前には終り、簡単な早目の昼食をすませてマンションにもどる。 時刻は12時半を少し過ぎた所である。 祥子達の来るのは2時頃の予定だから、まだたっぷり時間がある。 これだけ時間があれば、昨日、祥子達のマンションを辞去するときに思いついた歓迎のプランは充分実行できる。 少し浮き浮きした気分になる。
今日のプランは、そのための特別な姿で2人を迎えることにある。 祥子に渡しておいた予備の鍵で玄関の扉を開けて2人が入ってきて、LDKで椅子に座って私がなかなか姿を現さないのをいぶかっている様子を想像して、思わずにんまりする。 そして遂に浴室で、その、動くことも声をたてることも出来ない姿でじっと立っている私を見付けた時の2人の顔を想像し、一層にんまりする。 これならば2人とも少しびっくりするとともに、喜んでくれるだろう。 さっそく準備にとりかかる。
今日のプランの主要テーマの1つは鼻吊りである。 そこでまず鼻吊り用の紐を鼻に通すということで、寝室の押入れからプレイ用品の入った段ボール箱を出し、洗面所へ持ち込んで、その中からポリ袋に入った鼻紐装着用のパイプセットを取り出す。 それは 1.2 メートルばかりの長さの軟らかい細紐を 45 センチほどの長さのビニールパイプ2本に順々に通し、両端に小さい結び目のこぶをつくって抜けないようにしたものである。 ビニールパイプは金魚水槽の空気補給用に用いる直径 5 ミリほどの軟らかいもの、また紐はデパートでの買物で包装に使ってあった白い綿の軟らかい撚り紐である。
まず最初にパイプセットをポリ袋から出して、水に漬けて充分に濡らす。 そして鏡を見ながら1本のパイプを紐の結び目を先にして右の鼻の穴にゆっくり押し込んでいく。 途中にちょっとひっかかる所があるが、少し強く押すとまた入っていく。 そして先が喉まで入り、口を開けると喉の奥にパイプが見える状態になる。 げっとなりそうなのを我慢して、人差指を喉に差し込んでパイプの先を口へ掻い出し、さらに2本の指でつまんで少し引き出しておく。 これでパイプの一端は鼻の穴から、他端は口から出ている状態になる。 鼻の奥をちょっと傷付けたのか、パイプの先端にわずかに血が付いているが、どうってことはない。 もう1本のパイプも同様に左の鼻の穴に押し込んで、その先を口に出す。
次に2本のパイプの先に頭を出している紐を引き出して、他にもう1本用意した長さが 40 センチほどの同種の綿の細紐の両端をそれらに結び付け、2本のパイプを同時にゆっくり鼻の穴から引き出す。 すると後から結んだ紐も引かれて次第に口の中に入っていき、喉に入り、ついには先が両方の鼻の穴から出て来て、中央部が鼻中隔の一番奥にひっかかって止まる。 その紐をパイプの紐から解き離す。 これで右の鼻から入って鼻中隔の裏側を通り、左の鼻の穴に抜ける鼻紐が出来上がる。 一端を長く引き出し、うっかり引き抜いたりしないように鼻の穴のすぐ前でその紐の根元と他端とを結び合せておく。 鏡の中では鼻柱のすぐ前の結び目から1本の紐があごの下の方まで長く垂れ下がっている。
紐が鼻汁で濡れてぬるぬるになっているので、水道の水でよく洗う。 右手で紐をちょっと前にひっぱってみる。 鼻と喉との境の辺がぐっとひっぱられて異様な感じがし、思わず顔が前に出る。 手を離す。 異様な感じが薄らぐ。 鼻紐をつけていても、何もしなければ、つばを飲み込む時に鼻の奥の方にちょっと異物感があるだけで、それ以外は何も変った感じはない。
ティッシペーパーを鼻に当てて鼻をかむ。 また、鼻の奥がぐっとひっぱられる。 鼻汁が大分取れて、鼻の奥がすっきりする。 パイプセットも水でよく洗い、今日は舞台裏は見せないということで、ポリ袋に入れて段ボール箱に戻しておく。
上に着ているものを脱いで、シャツとパンツだけの下着姿になる。 便所に行って出るものを充分に出してきて、段ボール箱からふんどし用品の入っているポリ袋を取り出し、中の品物を出して並べる。 そしてその中から5分パンティを取りあげて、股にパッドを当てた上に穿き、その上に鎖のふんどしを締める。 本当は完全なヌードになりたかったが、まだ2人のレディの前で裸になったことがなく、失礼だろうからと止める。
ついで段ボール箱の中からHセット用品の入ったポリ袋を取り出し、中から包帯を出して両手首に巻き、その上に手首用の鎖を装着する。 そしてさらに手首繋留用の2つのシリンダー錠を出して、それぞれに紐の輪で付けてある鍵で錠をあけ、腰の鎖に引っ掛けておく。 2つの鍵は横の浴槽の蓋の上に置く。
浴室の天井には、浴槽の上に1箇所と洗い場の上の3箇所の計4箇所に小さいフックがとりつけてある。 洗い場の上の中央のフックに紐を結びつけて垂らし、先を結んで輪を作っておく。 この輪に鼻紐の余った先である吊り紐を結び付け、Hセットの方式で両手を後ろ手に繋ぎ留めれば鼻吊りが完成する。 しかし、万が一、2人が来なかったり、来ても私を見つけることが出来ずに帰ってしまう可能性も考えて、その時の用心にと、充分時間が経った後では右手をロックする錠の鍵が手に入るように工作しておく。
まず浴槽の蓋の上から右手用の錠の鍵を取り上げてやや長い紐をつけ、鼻紐を吊るすフックから垂らし、鍵の位置が腰より少し下に来るように紐の長さを調節する。 次に浴槽の上のフックに電気ハンダゴテを出来るだけ高く吊り下げる。 そして先程の鍵の紐の腰の高さ辺りに糸を結び付け、ハンダゴテへひっぱって、糸をコテの先に1巻きして結び、その先をコテを吊り下げたフックに結び付ける。 これで鼻吊りをすれば、鍵の紐は後ろ手にロックした手では絶対届かない遠くに位置することになる。
ついで洗面所のコンセントから延長コードを介してタイムスイッチを付け、ハンダゴテのコードをそれに繋ぎ、スイッチをその時間設定の最長である11時間にセットする。 これで時間が来ればスイッチが入り、ハンダゴテに通電してコテが焼け、糸が焼き切れて非常用の鍵が後ろ手の位置まで垂れ下がってきて、それを用いて右手を自由にし、ひいては鼻吊り状態から脱出することになる。
段ボール箱を抱えてLDKに戻る。 先ほどのHセット用品のポリ袋から両端に2つのシリンダー錠の鍵が付いている鍵紐を取り出して、2つのシリンダー錠がそれらの鍵で開くことを確かめてから、食卓の上に形よく置いておく。 段ボール箱も食卓の横、ベランダ側に置き、特にタバコ責め用の小道具の入った緑色の紙箱をその上に目立つようにのせておく。 祥子達は果してこの鍵紐を見て私の意図を察し、ちゃんと浴室に来てくれるかしら。 ちょっと不安も残るが、そこがプレイの楽しい所だと割り切る。
猿ぐつわ用にタオルのおしぼりを折り畳んで口に押し込む。 おしぼりは可成り大きいので、口を一杯にあけて押し込んでも外に少しあふれる位になる。 その上からうなじにかけて紐を2重に巻き、ぐっと締める。 口の所は特に注意して、紐がタオルの生地の間に埋まって歯の間に割って入る位までぐっと締めておき、舌でタオルを押すようにしてげっとなるのを防ぐ。 こうして、どうもがいても外れる心配のない猿ぐつわで口に蓋が出来る。
本当は何時ものようにMセットに菱紐を加えて口を蓋したいのだが、鼻吊りを長時間つづけると鼻汁で鼻が詰まる恐れがあるので、口で呼吸をする余地も残す意味でタオルを使うことにしたのである。 この形のタオルの猿ぐつわだと、口だけでもどうにか生きていける程度には呼吸ができる。 なお、この猿ぐつわは、祥子達が洗面所の前を通っても声をたてて呼んだりは出来ずに、あくまで彼女達が気が付いてくれるのを待たねばならないようにするための細工である。
これですっかり準備が完了する。 時計を見ると1時20分である。 そろそろ最後のセットをするつもりで、まずLDKの中を見まわす。 食卓の上の鍵の紐の形をもう一度直す。 台所でガスや水道の栓を確かめる。 玄関に行き、扉の錠のかかっていることを確かめる。 家中の蛍光灯や電灯を消す。 とにかく今からしばらくの間は、鼻で吊られて身動き一つままならぬ身体で、自分ではどうすることも出来ずに、ただひたすら2人が来て見付けてくれるのを待つことになるのである。 色々と思い返して、手落ちのないことを念には念を入れて確かめる。
いよいよ洗面所に行き、入口の開き扉を閉め、電灯を点けて浴室に入る。 天井からは鼻吊り用の紐が垂れ下がり、少し離れてハンダゴテとそれに繋がれた鍵とがぶら下がっている。 タイムスイッチは目盛りが少し回って、あと10時間半の所を指している。 順調に動いているのに安心する。
洗面所に戻って浴室の電灯を消す。 浴室に入って引き戸を閉める。 延長コードに妨げられて引き戸はきっちりは閉まらず、端に少し隙間が出来るが、別に差支えはない。 浴室の換気扇は電灯と連動しているので止まっている。 しかし、浴室はこれだけ広いから、万一あと10時間半近く辛抱することになっても空気が悪くなる心配はなかろう。 浴室の中はかなり暗いが、洗面所の開き戸の小さなガラスの明り取りと浴室の引き戸のガラスを通してくる光があるので、不自由なほどではない。
浴室の奥に向かって鼻吊り用の紐の下に立つ。 いよいよと思う。 一呼吸して鼻に手をやり、吊り紐の先をつかんで上から垂れている紐の輪にくぐらせ、身体を一杯に伸ばし、顔を少し仰向けにして、ぐっとひっぱって結び合せる。 それから腰の鎖から左手用のシリンダー錠をとり、左手を後ろに回して、手首をいつもの方式で右腰の後ろの鎖の輪にロックする。
残るは右手だけである。 もう一呼吸し、顔を少し仰向けたまま周囲を見回し、玄関の錠や食卓上の鍵の紐のことを思い起こし、全てがちゃんとなってることを頭の中で確認する。 また、横眼で鍵の紐を見て、それにつながる一連の予備脱出手段を頭の中で追って確認する。 もうこれ以上、実行を遅らせる理由がなくなる。 右手用のシリンダー錠を腰の鎖からとり、右手首の鎖の先の方の輪にはめ、右手を後ろ手深くまわし、錠の鉉を左腰後ろの鎖の輪の一つにくぐらせ、先を本体の穴に向ける。 試しに錠をぐっと引いてみる。 確かに鎖の輪に掛かっている。 この後、指先に力を入れて錠をかければ、もう2人が見付けてくれるか10時間余り後にタイムスイッチが入って鍵が下りてくるかするまで逃れるすべはなくなるのだぞ、と自分に言いきかせる。 ぞくぞくっとする。 また2人の姿を思い浮かべる。
思い切って指先にぐっと力を入れる。 カチッと指に反応がある。 指先で錠を探ってみる。 確かに鉉の先は本体にはまり込んでいて、引っ張っても抜けない。 左腕にも力を入れてみる。 やはり手首は巻いてある鎖がぐっと締まるだけで腰から離れない。 ほっと安心したような奇妙な気持になる。 猿ぐつわを通して口で呼吸してみて口だけでもどうにか息が続きそうなことを確かめて、また鼻呼吸に戻る。
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少しの間、眼をつぶってじっとしている。 次に眼をあけ、首を少し右に回して、横眼でハンダゴテから垂れ下がっている鍵を見る。 鍵の紐は遥かかなたにあり、今は手にふれることなど思いもよらぬ。 それに鼻の奥が紐でひっぱられてちょっと異様な感じになる。 ゆっくりと顔を元の向きに戻す。
ふと、今は何時かしらと思う。 1時40分頃か。 そうだ、眼の届く所に置き時計を置いておけばよかったのに、と思いつくが、今さらどうしようもない。 鼻の奥がまた少しむずむずし、くすんとさせる。
思い付いて、鼻をあまり動かさないように注意しながら両足を少しずつ動かして、体を壁の鏡の方に向けてみる。 鏡の中に薄暗がりの中の自分の顔が見える。 それは口から溢れんばかりに詰め込んだタオルと紐の猿ぐつわをくわえ、上に延びた白い紐で鼻を吊られて、少し上向きになっている。 我ながらたまらなく愛しく感じる。 しばらく観賞してから、また少しづつ体の向きを変えて、今度は入口の方に向く。 ガラスの引き戸の向かうにはまだ何の気配もない。
しばらく時間が経つ。 もう2時頃じゃないかしら、祥子達はまだかなと思う。
またしばらく時間が経つ。 遠くで電話のベルが鳴り出したのが聞こえる。 しようことなしに回数を数える。 12回鳴って止む。 あれは祥子達からの『遅くなるから』という電話ではなかったかしら。 いや、もしかすると、『来れなくなった』と言うのだったのかも知れない。 妄想が頭を巡る。 またぞくぞくっとする。 そう言えばこの間、祥子達のマンションで椅子に縛り付けられて一人で留守番させられてた時にも電話のベルが鳴ったっけ、と思い出す。
また少し時間が経つ。 もう2時は大分過ぎたのではないかしら。 祥子達は本当に来ないのかしら。 とすると、私はあと10時間もの間、この姿勢で辛抱しなければならなくなる。 不安が頭をよぎる。
と、その時、玄関の方でチャイムが鳴るのがかすかに聞こえてくる。
『あっ、祥子達だ』
もう一度、チャイムが鳴る。 その後しばらくの間は何の物音もなく、ひっそりする。 耳に神経を集中する。
遠くで扉がぱたんと閉まる音がする。 洗面所の前を人が2人ほど通り過ぎる気配がある。 思わず声を上げようとして、ぐっと思いとどまる。 最後には2人に見付けて貰わねばひどく辛いことになると解っていても、この姿を見られるのは如何にも恥ずかしく、自分から呼び込むのには抵抗がある。 それに、たとえ猿ぐつわの下で声をあげたとしても、洗面所と浴室との2重の戸にさえぎられて2人には恐らく届かないであろう、と自分の無為を理由づけて無理に納得する。 しかし、何はともあれ、2人が来たことにほっとする。 2人が奥へ通り過ぎた後はまた静かになる。
またしばらく時間が経つ。 2人はまだLDKに居るらしく、私の所までは何の物音も聞こえてこない。 2人が食卓の椅子に座っている様子を思い浮かべる。 美由紀はまた後ろ手にくくられているのかしら。 それに2人はほんとに私の現れるのを待っているのかしら。 何時まで待っても私が現れないと、帰ってしまったりはしないかしら。 再び不安が大きくなる。
またしばらく時間が経つ。 廊下の方でまた人の通る気配がする。 期待に心をおどらせる。 でも、前を通り過ぎて玄関の方へ行ってしまった様子。 このまま帰ってしまったら、とまた不安になる。 しかし、また戻ってきた気配がある。 そして洗面所の扉が開く音がして、浴室の中もかなり明るくなる。 『あっ、やっと』とほっとする。
洗面所に2人ほどが入ってくる。 入口のガラス戸をみつめる。 洗面所と浴室の明りがつく。 まぶしさに眼をぱちぱちさせる。 ガラス戸が開く。 祥子が私を見て、『んまあー』と言う。 美由紀も横から顔を出し、びっくりした様子で私を見詰める。 私は鼻を吊られたまま、眼で軽く会釈する。 2人が入ってきて前に立つ。 祥子は左手に鍵紐をぶら下げている。 『ああ、気がついてくれたんだな』と思う。 一方、美由紀は案の定、何時もの標準形の後ろ手姿に紐を掛けられている。
祥子が両手の指で鍵紐を弄びながら、
『祐治さん、なかなか顔をお見せにならないと思ってたら、こんな所で待ってて下さったのね』
という。 私は軽くうなずく。 鼻の奥がまた少しひっぱられる。 祥子はつづける。
『この前のこともあるから、また何か趣向があるのかも、とは思っていたけど、これほどの丁重なお迎えをしていただけるとは思ってもいなかったわ』
私は目でにんまり笑って見せる。
美由紀が横で、手を出せないのがもどかしいかのように体を動かして、
『早く鼻の紐をほどいてあげましょうよ』
と訴える。 しかし、祥子は悠然として言う。
『そんなに急ぐことないわよ。 ね?、祐治さん』
私は猿ぐつわで応えようもなく、また軽くうなずく。
『ね、祐治さんも同じ意見でしょう?』
『ええ、でも』
美由紀はなおも納得しない顔をしている。 しかし、祥子はそれにお構いなく、
『じゃ、まずはこのままで、じっくり拝見させていただくわね』
と笑い掛けてくる。 三度、軽くうなずく。
祥子は手の中の鍵紐を浴槽の蓋の上に置き、まず私の正面に来てしげしげと私の鼻の辺を見る。 右手を伸ばして吊り紐を上に軽く引く。 私は鼻を引かれて背伸びをする。
『なる程ね。 紐は鼻の壁に孔をあけて通したのではなくて、喉の方を通って来ているのね。 どうやって紐を通したのか、興味があるわね』
祥子は私に話し掛けるように言っているが、もちろん、応えようはない。
次に猿ぐつわにさわってみる。
『ずいぶん、きちきちに詰まっているわね。 でも口からも少しは呼吸が出来るのかしら』
今度は祥子は独り言の様に言う。 しかし、私は軽くうなずいてみせる。
『ああ、出来るというの。 じゃ、ちょっと験してみましょうか』
祥子はいたっずらっぽく笑って、右手を伸ばして私の鼻をつまむ。 その機敏さに感心しながら、私は口を一杯に開けて大きい呼吸をつづける。 大分息苦しいが、我慢出来ないほどではない。 美由紀がまた心配そうに私を見詰める。
しばらく私の様子を見ていて、『ああ、大丈夫のようね』とうなずいて、祥子は指を離す。 ほっとして、鼻での呼吸に戻る。
ついで後ろに回って後ろ手の鎖と錠とを点検する。
『これ、例のHセットね。 確かにきっちり留まっているわね』と盛んにシリンダ-錠や鎖を引っ張ってみている。 そして言う。
『これは鍵がないと外せない筈だけど、もしもあたし達が来なかったらどうする積りだったのかしら』
そのような「もしも」がすぐに思い浮かぶ所がいかにも祥子らしい、と感心する。 しかし、もちろんまた、応えようがない。
『そこに下がっているのが、その鍵じゃないかしら?』
と美由紀が肩で示す。 祥子も横のハンダゴテからぶら下がっている鍵をみつけた様子。 そして言う。
『そうね、鍵は確かにここにあるけど。 でも、祐治さん、今の姿じゃ、ここまでは手が届きっこないわよね』
『そうね』
『それに鍵の用意の仕方がずいぶん凝ってるわね』
祥子はなおもあたりを見回し、何かを見付けて指さして言う。
『あそこに付いてるの、タイムスイッチじゃないかしら』
『ええ、そうらしいわね』
美由紀は後ろ手の身体を折るようにしてタイムスイッチを見、上体を起こして鍵とハンダゴテを見比べる。 そして言う。
『つまり、時間が来るとスイッチが入って、ハンダゴテが焼けて、鍵の紐をひっぱっている糸が焼き切れる、というのよ』
『なる程、そうすると鍵が祐治さんの手の届く所に下りて来る、というわけね。 うまく考えたわね』
祥子がまた感心している。 私もこれを見ただけですぐにそこまで的確に理解できる2人の推理力に感心する。
『それで、タイムスイッチは9時間半の所を指しているから、もしもあたし達が来なくても、もう9時間半たつと、どうにか自分で錠がはずせたって訳ね。 祐治さん、ちゃんと考えてあるわ』と祥子は納得した様子。
『ええ、そうね』と美由紀も言う。
『でも逆に言うと、このままであたし達が帰ってしまうと、あと9時間半はこうして鼻を吊られたままで辛抱することになる訳ね。 それも面白そうね』
祥子の物騒な発言に思わずぞくぞくっとする。 美由紀もびっくりしたように、『え、そんなの駄目よ』と大きな声を出す。 『そんなこと言わないで、早く鼻の紐をほどいてあげましょうよ』
『そうね。 でもせっかく苦心して着けられたこのお迎えの衣裳を、そう簡単に脱がせたりしては却って祐治さんに悪いわよ。 どうしたものかしら』
祥子がちょっと思案する様子を見せる。 そして、『あっ、そうだ』と言ってにっこり笑う。
『さっき、テーブルの横にタバコ責めの品の入った小箱が置いてあったわね。 あれはきっと、祐治さんがあたし達の為にわざわざ出しておいて下さったのよ。 お迎えのお礼にあれをやって差し上げるといいわ』
私はまた軽くうなずく。 美由紀が心配そうな顔をする。 しかし、祥子はそれにはかまわず、『美由紀はちょっとここで待っててね』と言って、浴室から出て行く。
3
やがて祥子が緑色の紙箱と紐を3~4本もって帰ってくる。 そして、『まず、口を完全に塞ぐんだけど、せっかくの猿ぐつわを外すのは勿体ないし、このままでも口の中はきっちり詰まっていてあごは動きそうもないから、菱紐はやめて、この上にテープを巻くだけにするわね』と私に語りかけて、私の猿ぐつわの上からうなじにかけて、布粘着テープをぴったりと4重に巻きつける。
『それから、やけど防止用に』と言いながら、ティッシ・ペーパーを小さく折りたたみ、鼻の下に布粘着テープで貼り付ける。 手順をよく覚えているのに感心する。
『せっかくだから、もう少し紐を加えておくわね』と二の腕の上に紐を2重にかけ、ぐっと引き絞って背中で結び合せる。 少し自由度の残っていた右手首も腰の鎖にきつく縛り付ける。 これで私は身体を動かす余地がさらに狭まり、鼻で吊られてままでわずかに顔と足を少し動かせるだけになる。
祥子は1歩下がって私を見回し、『これでいいわね』と言う。 そして私の顔を見て、『足も縛っておこうかと思ったけど、よろけた時に鼻で吊り下がって鼻がちぎれてもいけないから、止めとくわね』と笑う。 美由紀も大きくうなずいている。 私も気になっていたのでほっとして、『むん』と軽くうなずく。 鼻の奥がまた引っ張られる。
ついで祥子は一組のタバコペアを取り出し、『この、吸口に淡いブルーの紙を巻いてあるのが2号Tだったわね』と私に見せる。 そして、『もの足りないようなら、4号にしましょうか?』といたずらっぽく笑う。 私はあわてて首を横に振る。 鼻の奥が紐で引かれてぎくっとする。 『ほんとは4号の方が面白いと思うけど、今日は2号にしておくわね』と祥子。 また少しほっとする。
私の両方の鼻にタバコの少し太くした吸口が差し込まれ、細紐がうなじで結ばれる。 呼吸が少し長くなる。 鼻の穴には細い鼻紐が余分に通っているが、それは呼吸にはほとんど影響しない。 祥子がタバコの向きを調節する。 そして例のローソク立てを取り出して浴槽の蓋の上に置き、2本のローソクを立てて点火する。 洗面所へ出て行き、扉の明り取りに遮光用の板をはめ込んだ様子。 電灯が消える。 ローソクの炎だけがぼんやりと浴室内を照らす。
祥子が戻ってきて、ローソク立てを手に持って私の前に立つ。
『じゃ、よくって?』と祥子。 軽くうなずく。 祥子はなおも数呼吸、私の眼を見つめる。 私も祥子の眼を見つめる。 やがて祥子は頃合いを見計らって、ローソクの2つの炎を2本のタバコの先の下にもってくる。 大きく息を吸う。 喉に刺激がはしる。 ローソクを引く。 ゆっくりと息を吐く。
『念のため、もう一度』と言って、また、炎を差し出す。 また、強い刺激がのどに走る。
つづけて、できるだけ静かに呼吸する。 祥子はなおも2呼吸ばかり私の顔を見ていたが、『いいようね』と言ってローソクの火を吹き消す。 まっくら闇の中で、鼻の先の方にタバコの2つの火が見えるような気がする。
鼻を動かさないようにして少しづつ足を動かし、体の向きを右に変えてみる。 1メートルばかり離れた所に2つの火の玉が浮かんでみえる。 壁の鏡である。 できるだけ息を抑えながら、2つの灯が呼吸につれて明るくなり暗くなりするのを見つめる。
『きれいね』と美由紀の声。
『ええ、ほんとに何回見てもいいわね』と祥子。
喉がすごくいがらっぽくなる。 一度、軽くせき込む。 鼻がぐんと引かれて体がびくっとする。 思わず、つばを飲み込む。 また、鼻の奥がぎくっとする。
『あら、大変』と美由紀の声がする。
『まだまだ、大丈夫よ』と祥子が応える。
せきの続くのを懸命に抑える。
鼻吊りでのタバコプレイは以前にもやったことはあるが、今度のはもう1時間余り吊られていた後なので、鼻の奥が最初から大分異様な感じである。 タバコに酔って体が少しふらつく。 鼻の奥がまた痛む。 懸命にふんばって姿勢を立て直す。
やがて鏡の中の左の火の玉が暗くなる。 つんと強く息を吐く。 左の火の玉が前に飛んで落ちる。 つづいて右の火の玉も暗くなってすうっと消えていく。 何も見えない真の闇になる。 少し苦しくなった息を取り戻そうと大きい呼吸をくりかえす。
『さあ、終った』と祥子の声。 人の出ていく気配がして、急に電灯がつく。 まぶしさに思わず眼をつぶる。
祥子が笑いかけてくる。
『さあ、これで、お迎えの儀式も終ったから、そろそろ向うに行きましょうね』
また、軽くうなずく。
祥子はまず、鼻の穴からタバコの燃えかすを取り去る。 新鮮な空気を鼻一杯に吸い込む。 それから吊り紐を上から垂れている紐の輪から解きはなす。 私はまだ猿ぐつわと上半身の拘束とを着けたままでその場にしゃがみ込む。 そしてさらに床に腰を落として足を崩し、頭を垂れて眼をつぶる。 両手が腰の後ろに繋がれていて、手を床について支える訳にいかないので、何となく不安定だが、それでも精一杯、楽な姿勢をとる。 硬直していた身体にじーんと血が巡り出したように感じる。
祥子が言う。
『あら、大分きつかったのね。 2号Tだから大丈夫だと思っていたけど』