2ntブログ

4.1 お迎えの趣向

第4章 2度目の来訪
04 /28 2017


  翌日の日曜日、午前中の用事は予定通りに昼前には終り、簡単な早目の昼食をすませてマンションにもどる。 時刻は12時半を少し過ぎた所である。 祥子達の来るのは2時頃の予定だから、まだたっぷり時間がある。 これだけ時間があれば、昨日、祥子達のマンションを辞去するときに思いついた歓迎のプランは充分実行できる。 少し浮き浮きした気分になる。
  今日のプランは、そのための特別な姿で2人を迎えることにある。 祥子に渡しておいた予備の鍵で玄関の扉を開けて2人が入ってきて、LDKで椅子に座って私がなかなか姿を現さないのをいぶかっている様子を想像して、思わずにんまりする。 そして遂に浴室で、その、動くことも声をたてることも出来ない姿でじっと立っている私を見付けた時の2人の顔を想像し、一層にんまりする。 これならば2人とも少しびっくりするとともに、喜んでくれるだろう。 さっそく準備にとりかかる。
  今日のプランの主要テーマの1つは鼻吊りである。 そこでまず鼻吊り用の紐を鼻に通すということで、寝室の押入れからプレイ用品の入った段ボール箱を出し、洗面所へ持ち込んで、その中からポリ袋に入った鼻紐装着用のパイプセットを取り出す。 それは 1.2 メートルばかりの長さの軟らかい細紐を 45 センチほどの長さのビニールパイプ2本に順々に通し、両端に小さい結び目のこぶをつくって抜けないようにしたものである。 ビニールパイプは金魚水槽の空気補給用に用いる直径 5 ミリほどの軟らかいもの、また紐はデパートでの買物で包装に使ってあった白い綿の軟らかい撚り紐である。
  まず最初にパイプセットをポリ袋から出して、水に漬けて充分に濡らす。 そして鏡を見ながら1本のパイプを紐の結び目を先にして右の鼻の穴にゆっくり押し込んでいく。 途中にちょっとひっかかる所があるが、少し強く押すとまた入っていく。 そして先が喉まで入り、口を開けると喉の奥にパイプが見える状態になる。 げっとなりそうなのを我慢して、人差指を喉に差し込んでパイプの先を口へ掻い出し、さらに2本の指でつまんで少し引き出しておく。 これでパイプの一端は鼻の穴から、他端は口から出ている状態になる。 鼻の奥をちょっと傷付けたのか、パイプの先端にわずかに血が付いているが、どうってことはない。 もう1本のパイプも同様に左の鼻の穴に押し込んで、その先を口に出す。
  次に2本のパイプの先に頭を出している紐を引き出して、他にもう1本用意した長さが 40 センチほどの同種の綿の細紐の両端をそれらに結び付け、2本のパイプを同時にゆっくり鼻の穴から引き出す。 すると後から結んだ紐も引かれて次第に口の中に入っていき、喉に入り、ついには先が両方の鼻の穴から出て来て、中央部が鼻中隔の一番奥にひっかかって止まる。 その紐をパイプの紐から解き離す。 これで右の鼻から入って鼻中隔の裏側を通り、左の鼻の穴に抜ける鼻紐が出来上がる。 一端を長く引き出し、うっかり引き抜いたりしないように鼻の穴のすぐ前でその紐の根元と他端とを結び合せておく。 鏡の中では鼻柱のすぐ前の結び目から1本の紐があごの下の方まで長く垂れ下がっている。
  紐が鼻汁で濡れてぬるぬるになっているので、水道の水でよく洗う。 右手で紐をちょっと前にひっぱってみる。 鼻と喉との境の辺がぐっとひっぱられて異様な感じがし、思わず顔が前に出る。 手を離す。 異様な感じが薄らぐ。 鼻紐をつけていても、何もしなければ、つばを飲み込む時に鼻の奥の方にちょっと異物感があるだけで、それ以外は何も変った感じはない。
  ティッシペーパーを鼻に当てて鼻をかむ。 また、鼻の奥がぐっとひっぱられる。 鼻汁が大分取れて、鼻の奥がすっきりする。 パイプセットも水でよく洗い、今日は舞台裏は見せないということで、ポリ袋に入れて段ボール箱に戻しておく。
  上に着ているものを脱いで、シャツとパンツだけの下着姿になる。 便所に行って出るものを充分に出してきて、段ボール箱からふんどし用品の入っているポリ袋を取り出し、中の品物を出して並べる。 そしてその中から5分パンティを取りあげて、股にパッドを当てた上に穿き、その上に鎖のふんどしを締める。 本当は完全なヌードになりたかったが、まだ2人のレディの前で裸になったことがなく、失礼だろうからと止める。
  ついで段ボール箱の中からHセット用品の入ったポリ袋を取り出し、中から包帯を出して両手首に巻き、その上に手首用の鎖を装着する。 そしてさらに手首繋留用の2つのシリンダー錠を出して、それぞれに紐の輪で付けてある鍵で錠をあけ、腰の鎖に引っ掛けておく。 2つの鍵は横の浴槽の蓋の上に置く。
  浴室の天井には、浴槽の上に1箇所と洗い場の上の3箇所の計4箇所に小さいフックがとりつけてある。 洗い場の上の中央のフックに紐を結びつけて垂らし、先を結んで輪を作っておく。 この輪に鼻紐の余った先である吊り紐を結び付け、Hセットの方式で両手を後ろ手に繋ぎ留めれば鼻吊りが完成する。 しかし、万が一、2人が来なかったり、来ても私を見つけることが出来ずに帰ってしまう可能性も考えて、その時の用心にと、充分時間が経った後では右手をロックする錠の鍵が手に入るように工作しておく。
  まず浴槽の蓋の上から右手用の錠の鍵を取り上げてやや長い紐をつけ、鼻紐を吊るすフックから垂らし、鍵の位置が腰より少し下に来るように紐の長さを調節する。 次に浴槽の上のフックに電気ハンダゴテを出来るだけ高く吊り下げる。 そして先程の鍵の紐の腰の高さ辺りに糸を結び付け、ハンダゴテへひっぱって、糸をコテの先に1巻きして結び、その先をコテを吊り下げたフックに結び付ける。 これで鼻吊りをすれば、鍵の紐は後ろ手にロックした手では絶対届かない遠くに位置することになる。
  ついで洗面所のコンセントから延長コードを介してタイムスイッチを付け、ハンダゴテのコードをそれに繋ぎ、スイッチをその時間設定の最長である11時間にセットする。 これで時間が来ればスイッチが入り、ハンダゴテに通電してコテが焼け、糸が焼き切れて非常用の鍵が後ろ手の位置まで垂れ下がってきて、それを用いて右手を自由にし、ひいては鼻吊り状態から脱出することになる。
  段ボール箱を抱えてLDKに戻る。 先ほどのHセット用品のポリ袋から両端に2つのシリンダー錠の鍵が付いている鍵紐を取り出して、2つのシリンダー錠がそれらの鍵で開くことを確かめてから、食卓の上に形よく置いておく。 段ボール箱も食卓の横、ベランダ側に置き、特にタバコ責め用の小道具の入った緑色の紙箱をその上に目立つようにのせておく。 祥子達は果してこの鍵紐を見て私の意図を察し、ちゃんと浴室に来てくれるかしら。 ちょっと不安も残るが、そこがプレイの楽しい所だと割り切る。
  猿ぐつわ用にタオルのおしぼりを折り畳んで口に押し込む。 おしぼりは可成り大きいので、口を一杯にあけて押し込んでも外に少しあふれる位になる。 その上からうなじにかけて紐を2重に巻き、ぐっと締める。 口の所は特に注意して、紐がタオルの生地の間に埋まって歯の間に割って入る位までぐっと締めておき、舌でタオルを押すようにしてげっとなるのを防ぐ。 こうして、どうもがいても外れる心配のない猿ぐつわで口に蓋が出来る。
  本当は何時ものようにMセットに菱紐を加えて口を蓋したいのだが、鼻吊りを長時間つづけると鼻汁で鼻が詰まる恐れがあるので、口で呼吸をする余地も残す意味でタオルを使うことにしたのである。 この形のタオルの猿ぐつわだと、口だけでもどうにか生きていける程度には呼吸ができる。 なお、この猿ぐつわは、祥子達が洗面所の前を通っても声をたてて呼んだりは出来ずに、あくまで彼女達が気が付いてくれるのを待たねばならないようにするための細工である。
  これですっかり準備が完了する。 時計を見ると1時20分である。 そろそろ最後のセットをするつもりで、まずLDKの中を見まわす。 食卓の上の鍵の紐の形をもう一度直す。 台所でガスや水道の栓を確かめる。 玄関に行き、扉の錠のかかっていることを確かめる。 家中の蛍光灯や電灯を消す。 とにかく今からしばらくの間は、鼻で吊られて身動き一つままならぬ身体で、自分ではどうすることも出来ずに、ただひたすら2人が来て見付けてくれるのを待つことになるのである。 色々と思い返して、手落ちのないことを念には念を入れて確かめる。
  いよいよ洗面所に行き、入口の開き扉を閉め、電灯を点けて浴室に入る。 天井からは鼻吊り用の紐が垂れ下がり、少し離れてハンダゴテとそれに繋がれた鍵とがぶら下がっている。 タイムスイッチは目盛りが少し回って、あと10時間半の所を指している。 順調に動いているのに安心する。
  洗面所に戻って浴室の電灯を消す。 浴室に入って引き戸を閉める。 延長コードに妨げられて引き戸はきっちりは閉まらず、端に少し隙間が出来るが、別に差支えはない。 浴室の換気扇は電灯と連動しているので止まっている。 しかし、浴室はこれだけ広いから、万一あと10時間半近く辛抱することになっても空気が悪くなる心配はなかろう。 浴室の中はかなり暗いが、洗面所の開き戸の小さなガラスの明り取りと浴室の引き戸のガラスを通してくる光があるので、不自由なほどではない。
  浴室の奥に向かって鼻吊り用の紐の下に立つ。 いよいよと思う。 一呼吸して鼻に手をやり、吊り紐の先をつかんで上から垂れている紐の輪にくぐらせ、身体を一杯に伸ばし、顔を少し仰向けにして、ぐっとひっぱって結び合せる。 それから腰の鎖から左手用のシリンダー錠をとり、左手を後ろに回して、手首をいつもの方式で右腰の後ろの鎖の輪にロックする。
  残るは右手だけである。 もう一呼吸し、顔を少し仰向けたまま周囲を見回し、玄関の錠や食卓上の鍵の紐のことを思い起こし、全てがちゃんとなってることを頭の中で確認する。 また、横眼で鍵の紐を見て、それにつながる一連の予備脱出手段を頭の中で追って確認する。 もうこれ以上、実行を遅らせる理由がなくなる。 右手用のシリンダー錠を腰の鎖からとり、右手首の鎖の先の方の輪にはめ、右手を後ろ手深くまわし、錠の鉉を左腰後ろの鎖の輪の一つにくぐらせ、先を本体の穴に向ける。 試しに錠をぐっと引いてみる。 確かに鎖の輪に掛かっている。 この後、指先に力を入れて錠をかければ、もう2人が見付けてくれるか10時間余り後にタイムスイッチが入って鍵が下りてくるかするまで逃れるすべはなくなるのだぞ、と自分に言いきかせる。 ぞくぞくっとする。 また2人の姿を思い浮かべる。
  思い切って指先にぐっと力を入れる。 カチッと指に反応がある。 指先で錠を探ってみる。 確かに鉉の先は本体にはまり込んでいて、引っ張っても抜けない。 左腕にも力を入れてみる。 やはり手首は巻いてある鎖がぐっと締まるだけで腰から離れない。 ほっと安心したような奇妙な気持になる。 猿ぐつわを通して口で呼吸してみて口だけでもどうにか息が続きそうなことを確かめて、また鼻呼吸に戻る。



  少しの間、眼をつぶってじっとしている。 次に眼をあけ、首を少し右に回して、横眼でハンダゴテから垂れ下がっている鍵を見る。 鍵の紐は遥かかなたにあり、今は手にふれることなど思いもよらぬ。 それに鼻の奥が紐でひっぱられてちょっと異様な感じになる。 ゆっくりと顔を元の向きに戻す。
  ふと、今は何時かしらと思う。 1時40分頃か。 そうだ、眼の届く所に置き時計を置いておけばよかったのに、と思いつくが、今さらどうしようもない。 鼻の奥がまた少しむずむずし、くすんとさせる。
  思い付いて、鼻をあまり動かさないように注意しながら両足を少しずつ動かして、体を壁の鏡の方に向けてみる。 鏡の中に薄暗がりの中の自分の顔が見える。 それは口から溢れんばかりに詰め込んだタオルと紐の猿ぐつわをくわえ、上に延びた白い紐で鼻を吊られて、少し上向きになっている。 我ながらたまらなく愛しく感じる。 しばらく観賞してから、また少しづつ体の向きを変えて、今度は入口の方に向く。 ガラスの引き戸の向かうにはまだ何の気配もない。
  しばらく時間が経つ。 もう2時頃じゃないかしら、祥子達はまだかなと思う。
  またしばらく時間が経つ。 遠くで電話のベルが鳴り出したのが聞こえる。 しようことなしに回数を数える。 12回鳴って止む。 あれは祥子達からの『遅くなるから』という電話ではなかったかしら。 いや、もしかすると、『来れなくなった』と言うのだったのかも知れない。 妄想が頭を巡る。 またぞくぞくっとする。 そう言えばこの間、祥子達のマンションで椅子に縛り付けられて一人で留守番させられてた時にも電話のベルが鳴ったっけ、と思い出す。
  また少し時間が経つ。 もう2時は大分過ぎたのではないかしら。 祥子達は本当に来ないのかしら。 とすると、私はあと10時間もの間、この姿勢で辛抱しなければならなくなる。 不安が頭をよぎる。
  と、その時、玄関の方でチャイムが鳴るのがかすかに聞こえてくる。
『あっ、祥子達だ』
  もう一度、チャイムが鳴る。 その後しばらくの間は何の物音もなく、ひっそりする。 耳に神経を集中する。
  遠くで扉がぱたんと閉まる音がする。 洗面所の前を人が2人ほど通り過ぎる気配がある。 思わず声を上げようとして、ぐっと思いとどまる。 最後には2人に見付けて貰わねばひどく辛いことになると解っていても、この姿を見られるのは如何にも恥ずかしく、自分から呼び込むのには抵抗がある。  それに、たとえ猿ぐつわの下で声をあげたとしても、洗面所と浴室との2重の戸にさえぎられて2人には恐らく届かないであろう、と自分の無為を理由づけて無理に納得する。 しかし、何はともあれ、2人が来たことにほっとする。 2人が奥へ通り過ぎた後はまた静かになる。
  またしばらく時間が経つ。 2人はまだLDKに居るらしく、私の所までは何の物音も聞こえてこない。 2人が食卓の椅子に座っている様子を思い浮かべる。 美由紀はまた後ろ手にくくられているのかしら。 それに2人はほんとに私の現れるのを待っているのかしら。 何時まで待っても私が現れないと、帰ってしまったりはしないかしら。 再び不安が大きくなる。
  またしばらく時間が経つ。 廊下の方でまた人の通る気配がする。 期待に心をおどらせる。 でも、前を通り過ぎて玄関の方へ行ってしまった様子。 このまま帰ってしまったら、とまた不安になる。   しかし、また戻ってきた気配がある。 そして洗面所の扉が開く音がして、浴室の中もかなり明るくなる。 『あっ、やっと』とほっとする。
  洗面所に2人ほどが入ってくる。 入口のガラス戸をみつめる。 洗面所と浴室の明りがつく。 まぶしさに眼をぱちぱちさせる。 ガラス戸が開く。 祥子が私を見て、『んまあー』と言う。 美由紀も横から顔を出し、びっくりした様子で私を見詰める。 私は鼻を吊られたまま、眼で軽く会釈する。   2人が入ってきて前に立つ。 祥子は左手に鍵紐をぶら下げている。 『ああ、気がついてくれたんだな』と思う。 一方、美由紀は案の定、何時もの標準形の後ろ手姿に紐を掛けられている。
  祥子が両手の指で鍵紐を弄びながら、
『祐治さん、なかなか顔をお見せにならないと思ってたら、こんな所で待ってて下さったのね』
という。 私は軽くうなずく。 鼻の奥がまた少しひっぱられる。 祥子はつづける。
  『この前のこともあるから、また何か趣向があるのかも、とは思っていたけど、これほどの丁重なお迎えをしていただけるとは思ってもいなかったわ』
  私は目でにんまり笑って見せる。
  美由紀が横で、手を出せないのがもどかしいかのように体を動かして、
『早く鼻の紐をほどいてあげましょうよ』
と訴える。 しかし、祥子は悠然として言う。
『そんなに急ぐことないわよ。 ね?、祐治さん』
  私は猿ぐつわで応えようもなく、また軽くうなずく。
『ね、祐治さんも同じ意見でしょう?』
『ええ、でも』
  美由紀はなおも納得しない顔をしている。 しかし、祥子はそれにお構いなく、
『じゃ、まずはこのままで、じっくり拝見させていただくわね』
と笑い掛けてくる。 三度、軽くうなずく。
  祥子は手の中の鍵紐を浴槽の蓋の上に置き、まず私の正面に来てしげしげと私の鼻の辺を見る。 右手を伸ばして吊り紐を上に軽く引く。 私は鼻を引かれて背伸びをする。
『なる程ね。 紐は鼻の壁に孔をあけて通したのではなくて、喉の方を通って来ているのね。 どうやって紐を通したのか、興味があるわね』
  祥子は私に話し掛けるように言っているが、もちろん、応えようはない。
  次に猿ぐつわにさわってみる。
『ずいぶん、きちきちに詰まっているわね。 でも口からも少しは呼吸が出来るのかしら』
  今度は祥子は独り言の様に言う。 しかし、私は軽くうなずいてみせる。
『ああ、出来るというの。 じゃ、ちょっと験してみましょうか』
  祥子はいたっずらっぽく笑って、右手を伸ばして私の鼻をつまむ。 その機敏さに感心しながら、私は口を一杯に開けて大きい呼吸をつづける。 大分息苦しいが、我慢出来ないほどではない。 美由紀がまた心配そうに私を見詰める。
  しばらく私の様子を見ていて、『ああ、大丈夫のようね』とうなずいて、祥子は指を離す。 ほっとして、鼻での呼吸に戻る。
  ついで後ろに回って後ろ手の鎖と錠とを点検する。
『これ、例のHセットね。 確かにきっちり留まっているわね』と盛んにシリンダ-錠や鎖を引っ張ってみている。 そして言う。
『これは鍵がないと外せない筈だけど、もしもあたし達が来なかったらどうする積りだったのかしら』
  そのような「もしも」がすぐに思い浮かぶ所がいかにも祥子らしい、と感心する。 しかし、もちろんまた、応えようがない。
『そこに下がっているのが、その鍵じゃないかしら?』
と美由紀が肩で示す。 祥子も横のハンダゴテからぶら下がっている鍵をみつけた様子。 そして言う。
『そうね、鍵は確かにここにあるけど。 でも、祐治さん、今の姿じゃ、ここまでは手が届きっこないわよね』
『そうね』
『それに鍵の用意の仕方がずいぶん凝ってるわね』
  祥子はなおもあたりを見回し、何かを見付けて指さして言う。
『あそこに付いてるの、タイムスイッチじゃないかしら』
『ええ、そうらしいわね』
  美由紀は後ろ手の身体を折るようにしてタイムスイッチを見、上体を起こして鍵とハンダゴテを見比べる。 そして言う。
『つまり、時間が来るとスイッチが入って、ハンダゴテが焼けて、鍵の紐をひっぱっている糸が焼き切れる、というのよ』
『なる程、そうすると鍵が祐治さんの手の届く所に下りて来る、というわけね。 うまく考えたわね』
  祥子がまた感心している。 私もこれを見ただけですぐにそこまで的確に理解できる2人の推理力に感心する。
『それで、タイムスイッチは9時間半の所を指しているから、もしもあたし達が来なくても、もう9時間半たつと、どうにか自分で錠がはずせたって訳ね。 祐治さん、ちゃんと考えてあるわ』と祥子は納得した様子。
『ええ、そうね』と美由紀も言う。
『でも逆に言うと、このままであたし達が帰ってしまうと、あと9時間半はこうして鼻を吊られたままで辛抱することになる訳ね。 それも面白そうね』
  祥子の物騒な発言に思わずぞくぞくっとする。 美由紀もびっくりしたように、『え、そんなの駄目よ』と大きな声を出す。 『そんなこと言わないで、早く鼻の紐をほどいてあげましょうよ』
『そうね。 でもせっかく苦心して着けられたこのお迎えの衣裳を、そう簡単に脱がせたりしては却って祐治さんに悪いわよ。 どうしたものかしら』
  祥子がちょっと思案する様子を見せる。 そして、『あっ、そうだ』と言ってにっこり笑う。
『さっき、テーブルの横にタバコ責めの品の入った小箱が置いてあったわね。 あれはきっと、祐治さんがあたし達の為にわざわざ出しておいて下さったのよ。 お迎えのお礼にあれをやって差し上げるといいわ』
  私はまた軽くうなずく。 美由紀が心配そうな顔をする。 しかし、祥子はそれにはかまわず、『美由紀はちょっとここで待っててね』と言って、浴室から出て行く。



  やがて祥子が緑色の紙箱と紐を3~4本もって帰ってくる。 そして、『まず、口を完全に塞ぐんだけど、せっかくの猿ぐつわを外すのは勿体ないし、このままでも口の中はきっちり詰まっていてあごは動きそうもないから、菱紐はやめて、この上にテープを巻くだけにするわね』と私に語りかけて、私の猿ぐつわの上からうなじにかけて、布粘着テープをぴったりと4重に巻きつける。
『それから、やけど防止用に』と言いながら、ティッシ・ペーパーを小さく折りたたみ、鼻の下に布粘着テープで貼り付ける。 手順をよく覚えているのに感心する。
『せっかくだから、もう少し紐を加えておくわね』と二の腕の上に紐を2重にかけ、ぐっと引き絞って背中で結び合せる。 少し自由度の残っていた右手首も腰の鎖にきつく縛り付ける。 これで私は身体を動かす余地がさらに狭まり、鼻で吊られてままでわずかに顔と足を少し動かせるだけになる。
  祥子は1歩下がって私を見回し、『これでいいわね』と言う。 そして私の顔を見て、『足も縛っておこうかと思ったけど、よろけた時に鼻で吊り下がって鼻がちぎれてもいけないから、止めとくわね』と笑う。 美由紀も大きくうなずいている。 私も気になっていたのでほっとして、『むん』と軽くうなずく。 鼻の奥がまた引っ張られる。
  ついで祥子は一組のタバコペアを取り出し、『この、吸口に淡いブルーの紙を巻いてあるのが2号Tだったわね』と私に見せる。 そして、『もの足りないようなら、4号にしましょうか?』といたずらっぽく笑う。 私はあわてて首を横に振る。 鼻の奥が紐で引かれてぎくっとする。 『ほんとは4号の方が面白いと思うけど、今日は2号にしておくわね』と祥子。 また少しほっとする。
  私の両方の鼻にタバコの少し太くした吸口が差し込まれ、細紐がうなじで結ばれる。 呼吸が少し長くなる。 鼻の穴には細い鼻紐が余分に通っているが、それは呼吸にはほとんど影響しない。 祥子がタバコの向きを調節する。 そして例のローソク立てを取り出して浴槽の蓋の上に置き、2本のローソクを立てて点火する。 洗面所へ出て行き、扉の明り取りに遮光用の板をはめ込んだ様子。 電灯が消える。 ローソクの炎だけがぼんやりと浴室内を照らす。
  祥子が戻ってきて、ローソク立てを手に持って私の前に立つ。
『じゃ、よくって?』と祥子。 軽くうなずく。 祥子はなおも数呼吸、私の眼を見つめる。 私も祥子の眼を見つめる。 やがて祥子は頃合いを見計らって、ローソクの2つの炎を2本のタバコの先の下にもってくる。 大きく息を吸う。 喉に刺激がはしる。 ローソクを引く。 ゆっくりと息を吐く。
『念のため、もう一度』と言って、また、炎を差し出す。 また、強い刺激がのどに走る。
  つづけて、できるだけ静かに呼吸する。 祥子はなおも2呼吸ばかり私の顔を見ていたが、『いいようね』と言ってローソクの火を吹き消す。 まっくら闇の中で、鼻の先の方にタバコの2つの火が見えるような気がする。
  鼻を動かさないようにして少しづつ足を動かし、体の向きを右に変えてみる。 1メートルばかり離れた所に2つの火の玉が浮かんでみえる。 壁の鏡である。 できるだけ息を抑えながら、2つの灯が呼吸につれて明るくなり暗くなりするのを見つめる。
『きれいね』と美由紀の声。
『ええ、ほんとに何回見てもいいわね』と祥子。
  喉がすごくいがらっぽくなる。 一度、軽くせき込む。 鼻がぐんと引かれて体がびくっとする。 思わず、つばを飲み込む。 また、鼻の奥がぎくっとする。
『あら、大変』と美由紀の声がする。
『まだまだ、大丈夫よ』と祥子が応える。
  せきの続くのを懸命に抑える。
  鼻吊りでのタバコプレイは以前にもやったことはあるが、今度のはもう1時間余り吊られていた後なので、鼻の奥が最初から大分異様な感じである。 タバコに酔って体が少しふらつく。 鼻の奥がまた痛む。 懸命にふんばって姿勢を立て直す。
  やがて鏡の中の左の火の玉が暗くなる。 つんと強く息を吐く。 左の火の玉が前に飛んで落ちる。 つづいて右の火の玉も暗くなってすうっと消えていく。 何も見えない真の闇になる。 少し苦しくなった息を取り戻そうと大きい呼吸をくりかえす。
『さあ、終った』と祥子の声。 人の出ていく気配がして、急に電灯がつく。 まぶしさに思わず眼をつぶる。
  祥子が笑いかけてくる。
『さあ、これで、お迎えの儀式も終ったから、そろそろ向うに行きましょうね』
  また、軽くうなずく。
  祥子はまず、鼻の穴からタバコの燃えかすを取り去る。 新鮮な空気を鼻一杯に吸い込む。 それから吊り紐を上から垂れている紐の輪から解きはなす。 私はまだ猿ぐつわと上半身の拘束とを着けたままでその場にしゃがみ込む。 そしてさらに床に腰を落として足を崩し、頭を垂れて眼をつぶる。 両手が腰の後ろに繋がれていて、手を床について支える訳にいかないので、何となく不安定だが、それでも精一杯、楽な姿勢をとる。 硬直していた身体にじーんと血が巡り出したように感じる。
  祥子が言う。
『あら、大分きつかったのね。 2号Tだから大丈夫だと思っていたけど』

4.2 憩いのお茶

第4章 2度目の来訪
04 /28 2017


  しばらくの間、そのままの格好で休む。 体の揺れるような感じが収まってくる。 呼吸も大分収まる。 顔を上げてゆっくり立ち上がる。 美由紀が『大丈夫?』と心配そうに訊く。 『むん』とうなずいて、眼で笑って見せる。
  3人でLDKに行く。 立ったままで祥子が私の顔からテープをはがし、猿ぐつわも外して、『どう、いかが?』と笑いかけてくる。 2人が来てから初めて口を開いて、『うん、有難う』と応える。  鼻からあごへと垂れ下がっている吊り紐が煩わしく、少し気になる。
 そのままで祥子が、
『今日は本当に丁重なお迎えをいただきまして、まことに有難うございました』
と少しおどけた口調でことさら丁寧な言葉遣いの挨拶をし、頭を下げる。 横で美由紀がくすりと笑って頭を下げる。 私も笑いながら、
『遠路はるばるお出で下さいまして、本当に有難うございました』
と挨拶を返す。 また美由紀がくすりと笑う。
  食卓の上には祥子が浴室から持ち帰った鍵紐が横たわっている。 しかし、さっき祥子が右手首の鎖の上に紐を加えて改めてきっちりと固定してしまったので、今はこの鍵を使っても手の自由を取り戻すことは出来ない。 それに祥子は私の手を自由にしてくれそうな気配をまったく見せない。 仕方がないから、そのままの格好でいつもの口調に戻って『とにかく一度、座ろうか』と提案する。
『そうね』と応えて祥子が椅子を引いて私と美由紀を食卓の両側のいつもの席に座らせ、自分も美由紀の隣りに座る。
  2人の顔を見ながら、『ほんとによく来てくれたね。 有難う』と改めて礼を言う。
『いいえ、こちらこそ』と祥子が応える。
『ほんとはお茶でもお出ししたい所だけど、この格好ではどうにもならないね』と胸の紐を見る。
『いいえ、そんなことはお心遣いなく』と祥子が言う。 そして、『それにそうおっしゃっても、手の紐はほどいてあげないわよ』と笑う。
『まあ、祥子さんならきっとそう言うだろうと思っていたよ』
『まあ、察しのいいこと』
  3人でどっと笑う。
『実は今日もケーキを買ってきてあるんだけど、それじゃ今いただきましょうか』と祥子が食卓の上の風呂敷包みを手元に引き寄せる。
『うん、有難う。 でも、それよりもちょっと喉が乾いたから、先に何か冷たいものが欲しいな』
『そうね、あれだけのプレイをなさった後だから無理もないわね』
  祥子はちょっとうなずいて、『じゃ、何をお飲みになる?』と訊く。
『そうだね。 後にケーキがあるんなら、今は冷たい水がいいかな。 台所の冷蔵庫に黒部の名水が入っているから、あれを持ってきて貰えるかい?』
『ああ、そう。 じゃ、お持ちするわ』
  祥子が立って台所へ行き、コップに水を入れて持ってくる。 そして私の横にあった椅子に座り、『これ、ちょっと邪魔ね』と言いながら、私の口の前に垂れている吊り紐を左手でつまみ上げて、水をゆっくり飲ませてくれる。 冷たい水をごくごくっと飲む。 とてもうまい。 ただ、飲み込む度に喉の奥にちょっと異物感がある。
  コップに一杯の水がなくなって、祥子は食卓の上に下ろしたコップに手を触れながら、『それにしても』としみじみした口調で言う。 『あんな丁重なお迎えをしていただけるなんて、夢にも思ってなかったわ』
『うん、少しはびっくりして、楽しんで貰えたかい?』
『ええ、とても。 それに、そんなにまでして歓迎して下さったお気持がとても嬉しかったの』
  美由紀も向い側でうなずく。
『僕もお2人がほんとに来てくれたことが判った時はさすがにほっとしたよ』と本音を漏らす。 『間違いなく来てくれると信じて思い切った趣向をこらしてはみたけど、やはり少し心配だったからね』
『そうね。 あの格好であと9時間じっと待ってるのは、さすがの祐治さんでも大変なことでしょうからね』
『うん、それで、もし万が一、来てくれなかったらどうしようと少し迷ったんだけど、やっぱり、前触れなしに僕の鼻吊り姿をお見せして驚かせてみたい、という誘惑が強くてね』
『祐治さんって、案外、茶目っけがあるのね』
『でも、茶目っけだけでこんな厳しいプレイをするなんてすごいわ』と美由紀が感心したように言う。
『いや、茶目っけだけではないよ。 プレイとしても、そんなこととは全く御存知ないお2人の何気ない行動に自分の運命を賭ける、というテーマに魅力を感じていたことも確かだからね』
『それでは、今日、このプレイを見せて下さることは、前々からお考えになってたことなの?』と祥子がきく。
『いや、そういう訳ではない。 ゆうべお別れする時に、今日、お2人が来てくれることになって、丁度いい歓迎プランだということで急にお見せしたくなったんだ。 尤も以前から、こんなプレイを一度やってみたいとは思っていたけど』
『でも、とにかくそれで、昨夜、あたし達に玄関の鍵をお預けになったのね。 午前中に用があって、もしかすると遅くなるかもしれないから、って口実まで造って』
『いや、それは口実でなくてほんとのことだよ。 実際、今日は午前中にちょっとした用があって、12時半頃帰ってきたんだけど、もっとずっと遅れる可能性もあったんだからね』
『でも、その可能性は小さかったんでしょう?』
『うん、そうだね。 まあ、恐らくこのプレイの準備をする時間はあるだろう、と考えてたことは確かだけど』
『それ、ご覧なさい』
  祥子は笑う。 私はもう抗弁を諦める。
『あ、そうだ。 忘れないうちに鍵をお返ししておくわ』と言って、祥子はハンドバッグからキーホルダーを出す。 食器戸棚の中段の棚に載せておいて貰う。



  自分の椅子に戻って座り直した祥子が、『どお?。 もっとお水をお飲みになる?』ときく。
『いや、もういいや。 それよりも、喉の乾きが収まったら、今度は甘いものが欲しくなったな』
  祥子はちょっと時計を見る。
『ああ、もう3時過ぎね。 それじゃ、ケーキにしましょうか?』
『うん、頼む』
『まあ、現金ね』
  祥子はそう言って笑って、『それじゃ、用意するわね』と立ち上がりかける。 しかしすぐにまた腰を下ろし、『でもケーキと紅茶だと、2人に同時にお給事するのはちょっと忙し過ぎるわね』と言って、『どちらにしようかな』とでもいう風にちょっと首をかしげて私と美由紀とを見比べる。 私は一瞬、両手を自由にして貰えるかも、と期待する。 しかし、祥子は、『いいわ。 今日はせっかくだから、祐治さんを優先してお給事してあげるわね』と言ってにっこり笑う。 仕方なく、また、『うん、頼む』と任せる。
  祥子は立ち上がって、『じゃ、美由紀も手伝ってね』と言って、手早く美由紀の胸と後ろ手の紐を解く。 美由紀はほっとした顔をしてちょっと腕や肩を動かしてみてから、紅茶々碗やスプーン、フォークなどを並べ始める。 その間に祥子は風呂敷包みを解き、箱からケーキをケーキ皿に取り分ける。  美由紀が紅茶を入れ、祥子がミルクとグラニュー糖を加える。
  全ての準備が終って、美由紀は自分の席に、祥子は私の横に座る。 私の前のケーキ皿にはまたショートケーキが載っている。 『それじゃ、いただきましょう』との祥子の言葉に、『うん』とうなずく。 ただし、私は手が出せないので、祥子のお給事を待つ。
  祥子は私の紅茶にちょっと口をつけて熱さを確かめてから、また左手で吊り紐をつまみ上げて、一口ゆっくり飲ませてくれる。 適当に熱くて甘い紅茶が美味しい。 ただ、ごくっと飲み込む度に、また喉の奥にちょっとした異物感がある。
  茶碗を下に置いて祥子は、『一回一回つまみ上げるのも面倒だから、ちょっと留めとくわよ』と言う。 『うん』とうなずく。 吊り紐が上に引き上げられ、その先がひたいの所に布粘着テープで留められる。 鼻の奥が少しひっぱられて異様な感じになる。 つばを飲み込むと鼻の奥にさっきよりも強い異物感を感じる。 しかし、だから特にどうってことはなさそうである。
『どお?』と祥子が自分のバッグから手鏡を出して、映して見せてくれる。
『あんまり、みっともいい顔じゃないね』
『そんなことないわよ』
  祥子はすまして言う。 美由紀はケーキを切りながら私の顔を見てにやっと笑う。 手鏡を横に置いて、祥子がまた私に紅茶を一口飲ませ、小さく切ったケーキを口に入れてくれる。 ゆっくりケーキを味わう。 祥子も自分の紅茶を一口飲み、自分のケーキをフォークで切り分けて口に入れる。
  私は自分の口の中のケーキをゆっくり飲み込んだ後、気になっていたことを早速に訊いてみる。
『所でね』
『え?』
  2人が私の顔を見る。
『あの、お2人は僕が浴室で待ってることがどの時点でわかったの』
『そうね』と祥子が応える。 『最初はそんなこと、夢にも思わなかったわね。 言われた通りにLDKで椅子に座って待ってたんだけど、祐治さんが何時まで待っても現れないので、少しおかしいわね、ということになって』
  美由紀もうなずく。
『そう言えば、テーブルの上に鍵紐がれいれいしく置いてあるのも思わせ振りだし』
『ああ、あの鍵紐に気がついてくれた?』
『ええ、あれはやっぱり、この鍵紐で解放してくれ、と言う祐治さんのメッセージだったのね』
『うん、その積りだった。 ちゃんとした手紙を残しておくのも一つの方法だとは思ったけれど、そう露骨だと味気ないと思ってね。 でも、鍵紐だけでは気がつかずに帰ってしまったら困るな、とも思っていたけど』
『そうね。 手紙があれば紛れはなかったわね。 あたし達もせっかく来たのにそのまま帰るのは面白くなかったけど、家捜しするわけにもいかないし、とにかくもう一度、玄関まで行ってみて何か手掛かりがないかと捜したけど見つからず、そう言えばこの前は浴室でプレイをしたから念のため、ということで浴室に入って、祐治さんを見付けたの』
『ふーん、なるほどね』
『でも、もしかしたらこの前のタバコ責めの時のように例の柱を後ろ手に抱えて待っててくれてるのかも、とまでは思ったけど、まさか鼻吊りの姿でとは思わなかったわ』
『それだけ喜んで貰えた訳だね』
『ええ、そう』
『それはよかった』
  会話が一段落して、ケーキとお茶が進む。
  少しして、今度は祥子が『それでね』と会話を再開する。
『え?』と応える。
『さっきのタバコ責めは2号Tだったのに、よく利いたようね。 終った後でしゃがみこんだりして』
『うん、そうだね。 やはり、その前に1時間も鼻吊りの姿勢でいたので、タバコ責めの前から身体の調子が少しおかしかったのかな』
『あれ、立っていられなかったの?』
『うん。 それまでも身体が酔ってふらついていて、立ってるのがやっとだった』
『ああ、そう。 真っ暗にしてあったので気がつかなかったけど』
『そうだね。 あれだけ何も見えないと、倒れそうになっても助けては貰えないから必死に頑張ったんだけど』
『ああ、それは気がつかなかったわ。 鼻吊りプレイは倒れたりすると取り返しがつかないから、これからは明るい中でした方が安全ね』
『うん、そうして貰えるといいな』
『それから、あのとき足を縛らなかったのも正解だったのね』
『そうだね。 あれで足を縛ってあったらちょっと危なかったね』
『まあ、よかった』と美由紀もほっとした顔をする。
『美由紀さんもずいぶん心配してくれてたようだったね』
『ええ、あたし、祥子が足も縛りそうだったら、危ないからって絶対反対しようと思ってたの。 でも、あたしは手が出せないし、祥子が聞き入れてくれるかどうかは自信がなかったけど』
『あたしだって、その位のことは考えるわよ』と祥子が言う。
『うん、お2人ともちゃんと安全についての常識があり、考えててくれてるって分かって安心したよ』
『まあ、言うわね』
  3人でどっと笑う。
  祥子がまた、紅茶とケーキを補給してくれる。 そして続ける。
『それからあの、祐治さんはどうやって鼻に紐をお通しになったのかしら。 あたし、とても興味があるんだけど』
  口の中のケーキを飲み込んでから、『それは今は秘密。 そのうちに教えてあげるよ』と応えてはぐらかす。
『まあ、いじわるね』と祥子は笑う。
『でも、どうしてそんなに興味があるんだい?』と今度は私が訊く。
『ええ、一つには、どうやってお通しになったのか、かいもく見当もつかないから』
『なるほど、それは尤もだね。 それから?』
『ええ、それからもし、あたしにも簡単に出来るようならば、美由紀の鼻に金の鎖を通して飾ってみたいの』
『あら、いやだ』
  美由紀が紅茶々碗に手を添えたまま、肩をすくめる。
  ちょっと、美由紀の形の佳い鼻の穴から美しい金の鎖の輪が垂れ下がっている場面を思い浮かべてみる。 確かにとても魅力がある。 しかし、喉がげっとなりそうになる自分の経験から推して、美由紀のこの可愛い鼻の穴にあのビニール・パイプを押し込んで喉から引き出す作業には、どうにも抵抗を感じる。
『そうだね。 確かに祥子さんでも出来ると思うし、紐の代りに細い鎖を通すのも別に何でもないけど、でも鼻の奥に異物を入れることになるので、自分で自分の鼻に慎重に通す以外は、ちょっと止めておいた方がいいんじゃないかな』
『そうね。 それじゃ、あたしはいいから、美由紀に教えておいて貰おうかしら』
『あら、いやだ』
  美由紀がもう一度、肩をすくめる。
『まあ、そんなに急がなくてもいいだろう?』
『そうね。 それじゃ、当分は祐治さんの鼻紐だけで我慢するわ』
  案外簡単に引き下がっ祥子の言葉に、美由紀もほっとした顔をする。
  祥子の希望を棚上げにしたことにちょっと気がひける。
『それじゃ、祥子さんから注文があれば、何時でも僕が自分で鼻紐をセットして待っててあげることにしようか?』
『ええ、そうね。 そうして貰おうかしら』
  祥子は大きくうなずく。



  話題を変えて、祥子がまた訊いてくる。
『それで、祐治さんはこのような鼻吊りをよくなさるの?』
『うん、時々やることがある。 普通はタイムスイッチを1時間くらいにセットしておいてね』
『なるほど、そうすると、1時間くらい、あの姿勢でじっと待つ訳ね』
『うん、そうだね。 今日も鼻で吊って両手を後ろ手にHセットしたのは、あのタイムスイッチがあと10時間半くらいを指していた時だったから、やっぱり、1時間ばかり待ったことになるのかな』
『ああ、そう。 確かにあたし達が見つけた時は、あと9時間半ばかりになってたから、丁度そんなものね』
『うん』
  ちょっと間をおいて、また祥子が訊く。
『でも、鼻吊りをしながらタバコ責めをしたのは初めてなんでしょう?』
『いや、それも時々、やってみることがある』
『まあ、それもなさってるの』
  祥子はすっかり感心したように言う。 美由紀も興味を持ったように、向う側から
『でもその時は、火はどうやってお点けになるの?』と質問してくる。
『そうだね。 今度はローソクに顔を近付けるわけにいかないから、手でローソク立てを持って、タバコに火をつけてから最後の手をロックすることになるけど』
『そうすると』とまた祥子が眼を輝かして話を奪う。 『今度は水も使えないから途中でいくら苦しくなっても中止も出来ず、セットした時間がくるまでじっと辛抱するしかない訳ね』
『うん、まともにやればそうなるね。 でも普通はもう一つの鍵紐にさらに長い紐をつけて腰に縛り付けておいて、それをたぐれば鍵が手に入るようにしておくんだ』
『ああ、それなら安心ね。 何時でも外せて』
『うん、そうには違いないけど。 でも紐をたぐり始めてから鍵が手に入るまでに結構時間がかかるし、その後で手首を繋いでいる錠を外すのがお2人も知っての通り簡単でないし、おまけに身体が酔ったようになっていて指先が思うように動かないしで、苦しくて我慢ができなくなってから外しに掛る、というのは実際上はちょっと無理だろうな』
『なるほどね。 そうとすると、あんまりは頑張れない訳ね』
『うん、そうだ。 だから実際、このプレイは2号Tでしかやったことがないし、それでも不安になったりすると早目に鍵紐をたぐり始めたりしてしまってね』
『そうね、それはちょっと残念ね』
  祥子は笑って、また紅茶とケーキを一口づつ補給してくれる。 ゆっくりと味わう。
  口の中のケーキがなくなる。
『ただね』と今度は私が話を再開する。 『一人で鼻吊りタバコ責めをするときは、今、話したのとはちょっと違った遊び方をすることもあるんだけど』
『それはどういうの?』と祥子がさっそく興味を示す。
『うん、それは、タバコの火自身で鼻を吊っている紐を焼き切って、鼻吊り状態から逃れるプレイなんだ』
『まあ、面白そうね。 それ、具体的にはどうやるの?』
『うん。 今日は菱紐を掛けてなかったから鼻を吊る紐は鼻からまっすぐ上に引き上げてあったけど、そのプレイの時は菱紐を掛けて、口の所で一度その紐をくぐらせてから上に引き上げて吊るんだ。 そうすると、鼻吊りの効果はほとんど変らないで、吊っている紐がタバコのすぐ横を通るようになるんで、タバコの火が進んでいって紐のすぐ横に来た時に顔をちょっと回して、火を紐に押しつけて焼き切ることが出来るんだ』
『なるほど、考えたわね。 そうなれば鼻吊りも終って自由に動けるようになるから、鍵の紐にもアクセスが出来ることになる、というという訳ね』
『うん、そうだ。 そして、このプレイをするときには、非常用の鍵紐はまたずっと後でしか手に入らないようにセットしておくから、タバコの火が終り近くまで進んで鼻を吊っている紐の横に来るまでは、いくら苦しくなっても中断することが出来ない、という意味で、またちょっと変ったスリルがあるんだ』
『それは楽しいわね』と祥子がますます興味を示す。 そして、『せっかく、鼻紐を付けてるんだから、今日、それも見せて下さらない?』とねだるように言う。
『そうだね。 後でやってみてもいいよ』と引き受ける。 また、祥子が、『まあ、嬉しい』と声を上げる。 美由紀も食卓の向う側で眼を輝かせる。 祥子がまた紅茶を一口飲ませてくれる。



『それからね』と祥子が言う。
『うん、何だい』と祥子の顔を見る。
『今日は外にも、まだ見せてくださる予定のものがあるの?』
『いや、今日は鼻吊りをご披露した後はゆっくりおしゃべりする積りで、もう特には用意してないけど』
『それじゃ、あたしはタバコ責めの極致だという8号タバコの効果がどういうものかを一度見せていただきたいと思ってるんだけど、どうかしら』
  美由紀が手を休めてこちらを見る。 私は『え、8号をかい?』と思わず聞き返し、『うん、お見せしてもいいけど』とちょっとためらいの色を見せる。 しかし、祥子は私のためらいには関わりなく押してくる。
『ね、また、あたしがお手伝いして、タバコ責めの限界に挑戦させて、たっぷり楽しませてあげるから、いいでしょう?』
『そうだな』
  祥子は美由紀の方に向き、『ね、美由紀も観てみたいでしょう?』と応援を求める。
『ええ、でも』と美由紀は尻込みする。 『あたし、そんなきついプレイは、とてもおとなしくは見ていられそうもないわ』
『いいのよ。 それじゃ、プレイの時は、あなたも手を出せないようにしておいてあげるから』
『ええ、でも』
  美由紀は小声でもう1度同じ文句で応え、なおも心配そうに私の顔を見詰める。
  私は先日の4号タバコでのプレイを思い出す。 祥子が「手伝ってあげる」と言うからには、またあの時と同じように私をきちきちに縛りつけて、祥子の判断一つで限度一杯まで験してみる積りだろう。 『これは大分、辛いことになりそうだ』と、ぞくぞくっとする。 でも自分一人では危険が大きくて絶対に出来ないタバコ責めの限界への挑戦、というテーマの魅力が私の心をつかむ。
  丁度タイミングよく、祥子が『ねえ、いいでしょう?』ともう一度押してくる。 思わず、『うん』とうなずく。 祥子はまた『まあ、嬉しい』と声を上げる。 そして『あたし、きっと、祐治さんも納得いくようなプレイをしてあげるから、期待しててね』と張り切る。
『うん、有難う。 でも、あれは本当に苦しいプレイだから、限界をしっかり見極めて、慎重にやってくれないと困るよ』
『ええ、大丈夫よ。 命に関わるようなことはしないわよ』
『ということは、その一歩手前までやってみる、ということかい?』
『まあね』
  祥子はまた笑う。 思わずぞくぞくっとする。 美由紀は、仕方がないわ、という風にうなずいて、また手を動かし始める。

4.3 紐の焼き切り

第4章 2度目の来訪
04 /28 2017


  みんなのケーキと紅茶がなくなる。
『まず、ちょっと、この上を片付けておくわ』と言って、祥子はまず手鏡をバッグにしまい、美由紀と2人で紅茶々碗などを台所に運んでいって、簡単に洗って洗いかごに伏せて水を切る。 私は手が出せないので、2人のてきぱきした仕事ぶりを見守るだけ。
  やがて2人が戻ってきて、祥子が『お待遠さま。 じゃ、まず、鼻吊りの紐を焼き切るプレイを見せて下さる?』と言う。
『うん』と応えて立ち上がる。 しかし、両手を後ろ手に留められている今の姿では何もできないことに思い至る。
『そうだな。 すぐに始めたいけど、ちょっとこの格好じゃ無理だな』
『そうね。 本来、一人でなさるプレイだから、後ろ手のままじゃ無理よね。 ちょっと勿体ないけど、特別にほどいてあげるわ。 ちょっと向こうを向いて』
  祥子はもったいをつけて私の胸の紐と手首の紐とを解き、ついでに食卓の上の鍵紐の鍵を使って2つのシリンダー錠をはずして両手を自由にしてくれる。 私は何時間ぶりかで自由になった腕を伸ばして血液の循環を確かめる。 二の腕の辺がじーんとする。
『それじゃ、いよいよ、1人でやる鼻吊りタバコ責めで、吊り紐を焼き切る所をご披露するかな』
『ええ、お願いするわ』と祥子。 美由紀も私の顔を見てうなずいてみせる。
『それで、これは本来、一人プレイとして考えたんで、一人だといくら苦しくなっても途中で中止したり出来ない、という不安と緊張感とを味わう所に最大の眼目があるんだ。 だから、今みたいに介添え人が居るときには大分意義が薄れるんだけど、お2人が特に興味をお持ちのようなのでお見せするんだから、その積りでね』
『ええ、解ったわ』と祥子が応える。 そして、『何か外のプレイをするときの参考になるかも知れないから、よく見せていただくわ』と言う。
『なるほど、それもそうだな』
  私はまず、横の段ボール箱の中からB5位の大きさの壁掛け用の鏡を取り出す。 そして、『それじゃまず、浴室に行って準備をして来よう』と2人を誘い、鏡を鍵紐や細紐と一緒にもって浴室に行く。 2人も後からついてくる。



  まず洗面所と浴室の明りを点け、洗面所の扉の明り取りを蓋してあった板を外す。 次に浴室に入り、鍵紐を奥の手拭い掛けにぶらさげる。 ついで流し場の天井にある3つのフックのうちの2つに紐を掛けて、持ってきた鏡の吊り具の2辺に結びつけて吊り下げ、高さを調節する。 この鏡の位置はもう一つのフックに鼻吊りをした時の自分の顔が丁度映るように設定してある。 2人は興味深そうに作業を見守っている。
『このプレイでは適当な時期に顔を動かして、吊り紐をタバコの火に押しつけて焼き切るんだけど、それはこの鏡で見ながらやらないとうまく出来ないんだ。 タバコと吊り紐とが自動的に接触を保つ方法があるといいんだけど、今の所は余りうまい方法が考えつかなくてね』
『なるほどね』と祥子がうなずく。
『それに吊り紐の位置も分からない位に真っ暗にすると、やはり押し付けて焼き切ることが出来なくって、タバコが燃え尽きてしまったのに吊り紐はそのまま、という失敗をすることがある』
『ああ、それで』と今度は美由紀が承ける。 『明り取りの蓋を外したのね』
『うん、そうなんだ。 そうすれば、明りを消しても適当な薄暗がりになって、紐を鏡で見ながらほぼ確実に焼き切ることが出来るし、その過程をお2人に詳しく見ても貰えるから、今日お見せするにはこの方がいいと思ってね』
『でも、そんなことをわざわざおっしゃるなんて、また失敗の経験がおありなのね』と祥子。
『うん。 最近はそうした薄暗がりでやるようになったけど、最初のうちはやはり暗い方が面白いということで、本当にまっくらの中でプレイをしてたんでね。 その時はタバコの火の明るさ自身が唯一の頼りで、息を吐いて明るくなったときには横に白い紐らしきものが浮かぶので、それをめがけて顔を動かして何とか押し付けようとするんだけど、なかなかうまくいかなくってね』
『それでも大体は紐は切れたんでしょう?』と美由紀が言う。
『いや、そうでもない。 その頃、6回ほどやってみたうちで、焼き切ることに成功したのが3回で、失敗したのが3回かな』
『まあ、そんなに難しいの』
『うん。 うまくいく確率が半分くらいだから、却って面白味を感じててね』
『まあ』
  2人が笑う。
『それで、失敗したときは後はどうなるの?』と美由紀がきく。
『仕方がないから、タイムスイッチが入って非常用の鍵が落ちてくるのを、鼻を吊られたままでじっと待つことになるんだ』
『何分間ぐらい?』
『そうだね。 まずタバコが終るまでの時間は今まで何回か見て貰ったように、点火してから大体10分足らずだね』
『ええ、時計はちゃんとは見てなかったけど、大体そんなものだったわね』と祥子が応える。
『うん、それで、その前に鍵が落ちてきたりしては面白くないので、吊り紐を結び付けたりタバコを点火したりするのに手間取ってもそれには絶対に食い込まないように充分過ぎるぐらいに余裕を見て、普段はタイムスイッチは最後の作業に入る直前に30分ぐらいにセットしておくことにしてるんだ。 だから、タバコの火が見えなくなってから、じっと辛抱して待ってる時間は、普通はまあ、20分足らずかな』
『まあ、大変ね』と美由紀が言う。
『うん。 暗闇の中であまり身動きも出来ないでじっと待ってると、それは結構、長い時間だね』と私もうなずく。 そして、ふと思い出して、
『それでもその失敗した3回のうちの2回は、スイッチが入って鍵が落ちてくるのをゆっくり待って手の錠を開けて、平穏無事に終ったけど、最後の1回だけはひどい目にあってね』と告白する。
『え、どうなさったの?』と美由紀が眼を輝かす。
『うん。 その時も30分ぐらいにセットしてあったタイムスイッチが無事に入って、鍵が落ちてきて、結局は脱出は出来たんだけど、その前にタバコの刺激で鼻汁が沢山出て、鼻の穴をふさいでいるタバコの燃えかすやその周りに巻いてある紙をすっかり濡らしてしまってね。 それで空気の流通がひどく悪くなって、鼻からも次第に空気が入ってこなくなってきてしまったんだ』
『まあ』
  2人がまた声をあげる。 『もちろん、口にはきっちりとMセットをして菱紐を掛けて、どうもがいても空気は出入りしないようにしてあったから、鼻での流通が悪くなるにつれて、それでなくても楽じゃない息がさらに次第に苦しくなっていくんだ。 もちろん両手は鎖と錠とで後ろ手にきっちり留まっていて燃えかすを抜き取ることなどは思いもよらないし、その上、あと何分したらタイムスイッチが入るかの見当もつかないしで、何も見えない真っ暗闇のなかでほんとに心細かったよ。 終いにはもうこのまま息が詰まって死ぬんじゃないかって恐怖まで感じてね』
『ふーん』
  2人は真剣な顔をして聞いている。 そしてたまりかねたように美由紀がきく。
『それでどうしたの?』
『うん、それでもどうしようもなく、ただ精一杯呼吸をして我慢するだけさ。 それで、タイムスイッチがカチッと入る音がしたときは、息はすごく苦しいながらもさすがにほっとしたね』
  2人がほっと溜め息を漏らす。
『そして、それからながーい2~3呼吸をするうちに鍵が落ちてきて、夢中で右手首のロックをはずして鼻の燃えかすを抜き取ったんだけど、その時は本当に生き返った思いだったよ』
  美由紀がまた、ほっとしたように息を漏らす。 祥子も『ふーん、ほんとに大変だったわね』と言う。
『本当に1人でやるプレイだと、とんでもない所に落し穴があるんだよね。 この時も鼻汁であんなに鼻がつまるなんて、全く考えもしなかった。 もしかすると、吸口に巻いた紙の巻き方が少しゆるくて鼻の穴一杯に広がっていて、それが濡れて空気を通さなくなったのかもしれないけど』
『なるほど、そういうこともあるかもね』と祥子はうなずく。 そして、『とにかく、いい教訓だった訳ね』と笑う。
『うん、そうだね。 実際、それ以来、プレイには一層慎重になったからね。 それで今日も鼻吊りでお2人をお迎えするときには、本格的なMセットの菱紐ではなく、口からもいくらか呼吸が出来るような猿ぐつわにしておいたんだ。 長い時間の間には何が起こるか判らず、また何かが原因で鼻が詰まったりすると大変だからね』
『そりゃそうね。 生命が危険になったのでは、プレイではないものね』
  祥子もしみじみとした顔になる。



  明りを消して、またLDKに戻る。
『じゃ、いよいよMセットをして菱紐をかけるよ。 これをセットするともう口がきけなくなるけど、お2人とももう、聞いておきたいことはないね』と念を押す。
『ええ、もういいわ』と祥子が代表して応える。
『それから、タバコの火で吊り紐を切るプレイをやった後は、もう祥子さんにすっかり任せるからね。 8号タバコ責めでも何でも、好きなことをやってくれていいよ』
『ええ、有難う。 御期待に添うように存分にやらせて貰うわ』
  祥子はまたにっこり笑う。
  私はさっそくベランダへの2つの出入口の間の壁に吊り下げてある鏡を見ながら、いつもの方式で布粘着テープとポリテープとを用いてMセットをし、鼻の下にティッシペーパーを折り畳んだパッドを当てて、菱紐を入念に掛ける。 そして口の上に紐を1本余分に巻いて菱紐に留め、ひたいに貼りつけてあった鼻紐の先をおろし、今留めた紐の下を通して引き出しておく。 ここまでやってから、横で私の作業を黙って見ていた祥子と美由紀に、『終ったよ』ので積りで眼くばせをする。 2人が軽くうなずく。
  2人と一緒に浴室に行く。 浴室の中は、洗面所の入口の扉のガラスの明り取りを通して入ってくる外の光で、電灯をつけなくても不自由はない程度に明るい。 ローソクやマッチなどは、さっき祥子が使ったまま浴室に置いてある。 2本のローソクに火をつけ、鼻吊りの位置についた時に右手がすぐ届くように、浴槽の蓋の上に置く。
  もう一度周りを見回す。 今は必要ないが、ハンダゴテなどで構成した非常用の鍵のセットがさっきのままの姿で残っている。 ただし、タイムスイッチの目盛は大分進んで、今はあと8時間ほどの所を指している。 目盛をあと30分の所にセットし直してから、第3のフックの下に来て立つ。 2人の方を見る。 祥子がウインクしてみせる。
  横に置いてあった緑の紙箱からタバコペアの入っている小さい缶を取り出し、その中から2号Tを出して鼻にセットする。 そして口の所に手をやり、鼻紐の先をつまんで上に引き上げ、眼の前20センチほどの位置にぶら下がっている鏡を見る。 紐が2本のタバコの中間を上にのびている。 体を一杯に伸ばし、少しあおむくようにして、鼻紐の先をフックから垂れている先程使った紐の輪に結び付ける。 あおむけの顔を少し戻すと、鼻の奥がぐうっと引っぱられる。 鏡を見ながら顔を少し左に向けてみる。 吊り紐が右鼻のタバコの吸口近くに接触する。 うまくいってる。
  腰の鎖にかけてあったシリンダー錠の一つを取り、左手を後ろに回して左手首を右後ろの腰の鎖の輪に固定する。 右手で手探りして、浴槽の蓋の上からローソク立てを取り上げる。 顔をあまり動かせないので、左前に立ってじっと私の動作を見ている2人に横眼で左眼をつぶってみせる。 祥子がまたウインクして返す。 ローソクを前にかかげて、鏡の中の自分の眼を見る。 そしてタバコの先、ローソクの炎と、次第に視線を移していき、もう一度自分の眼を見てから決心を固め、2つのローソクの炎を2本のタバコの先にもっていき、大きく息を吸う。 一度でタバコの先が赤くなり、鼻の奥に刺激が走る。 炎を離して息を吐いてみる。 2本のタバコの先が赤く輝く。
  ローソクの炎の根元をタバコの先にもっていき、強く息を吐いて炎を消す。 そしてローソク立てを浴槽の蓋の上に戻し、左腰からもう一つのシリンダー錠を取り、左手の指も使った後ろ手の操作で鉉を右手首の鎖の先にはめ、右手を後ろ一杯に回して左腰の後ろの鎖の輪にはめる。 鏡の中でタバコの先の赤い火をもう一度見詰める。 もう3呼吸目である。 決心して指先に力を入れる。 カチンと錠がかかる。 念のため両腕に力を入れてみる。 ぐっと左右にひっぱっても、交差した両手首はそれ以上引き出せない。 横目で2人の方をもう一度見る。 2人とも食い入るように私の顔を見ている。
  そのままの姿勢で、鏡の中の暗い自分の顔の輪郭の中央で明暗をくり返す2つの赤い火の玉をみつめながら、ゆっくりした長い呼吸をつづける。 呼吸の数を数える。 10、11、・・・と数が進む。   タバコの火が次第に進んで、横を通る吊り紐に近づく。 喉は大分いがらっぽいが、せき込むほどではない。 しかし、抑え気味に呼吸しているので、やや息苦しい。
  火が丁度、紐の横まで進んだことを見極めて、鏡を見ながら顔を少し左に向くようにして、紐を右側のタバコの火に押しつける。 また、鼻の奥に紐の存在を感じる。
  2呼吸ほどするうちに、鼻の奥のひっぱられている感じが急に弱くなる。 『ああ、焼き切れたんだな』と思う。 顔を横に動かす。 もう鼻の奥への抵抗はない。
  少し仰向いていた顔を正面向きに戻し、2人を見る。 祥子がにっこり笑ってみせ、美由紀がほっとした顔をしている。 なおも鏡を見ながら数呼吸する。 まず左のタバコの火が小さくなって消えていく。 ついで右のタバコの火も消えて見えなくなる。 ほっとして大きく呼吸する。 燃えかすの臭いが鼻の中に入ってくる。 まだ誰も動かない。
  そのままの姿勢で2~3呼吸する。 それから手拭い掛けの所へゆっくり歩いて行き、そこにかかっている鍵紐を後ろ手で探り当て、右手首を左後ろの腰にロックしていた錠をはずす。 ついで左手も自由にする。 そして両方の鼻の穴からタバコの燃え残りを抜き取る。 美味しい空気が鼻から一杯入ってくる。
  祥子がやってきて言う。
  『有難う。 すばらしかったわ。 とてもよく解ったわ。 それにしてもよく考えてあって、洗練されたプレイだわね。 感心したわ』
『有難う』の積りでうなずいてみせる。 美由紀が出ていって、浴室の電灯のスイッチを入れて戻ってくる。 浴室がぱっと明るくなる。

4.4 8号Tの実験

第4章 2度目の来訪
04 /28 2017
  あらためて祥子が言う。 『それじゃさっきのお言葉に甘えて、次に8号タバコ責めの効果を見せて頂くけど、いいわね?』   私は少しの間、その顔を見つめる。 祥子の顔には笑みが浮かんでいる。 覚悟を決めて『むん』とうなずいてみせる。 『それじゃまた、この柱を使いたいから、こっちへ来て』 『むん』   私は下水管の所に行き、管を背にして入口の方に向いて立つ。 『美由紀にも見せたいから、今度はこっち側に来てくれない?』と祥子が下水管の後ろ側を指差す。 美由紀が一瞬、『あれっ』というような表情を見せる。 しかし、すぐに納得したかのように軽くうなずく。 私はまた位置を変え、奥を向いて下水管に背中をつけて立つ。 『これはもう外すわね』   そう言って、祥子が鍵を使って私の両手首の鎖をはずす。 そして改めて下水管の後ろに後ろ手に回した私の両手の手首を厳重に縛り合せ、残りの紐で腰を強く管に縛りつける。 胸にも管と一緒に2重に紐を巻いて引き締めて結び合せる。 両足首も縛り合せてからきつく管にくくりつけ、膝上にも紐をかけて管に縛りつける。 その上、そんなにきつくはないが首にも紐を掛けて管に留め、最後に口の所の菱形の左右の角に紐をかけ、左右にぐっとひっぱって管の後ろで結び合せる。 もう身体中、ほとんどどこも動かせなくなる。   思い付いて、顔をちょっと動かしてみる。 左右には紐がずれていくらかは向きを変えることが出来るが、大きくは動かせない。 ただ顔をちょっと前に倒し気味にして軽くうなずく仕草は出来るようである。   横で見ていた美由紀が『すごいわ。 本当にきつい縛りね』と感嘆したように言う。 祥子もちょっと離れて自分の作品を観賞するかように上から下まで眺めて、『そうね。 大分きっちり留まってるわね』と満足気にいう。 そして、『祐治さんはなるべくきっちりした縛りがお好きなようだから』と言って笑う。 私は何もすることが出来ず、ただ、後ろ手の手首や身体のあちこちを締めつける紐の感触を味わっている。   祥子が美由紀の方に向く。 『それじゃ、さっきも言ったように、美由紀にも紐を掛けておいてあげるわね。 今度の祐治さんの責めは少々きつくなりそうだから、美由紀が辛抱しきれなくなって手を出したりするといけませんからね』 『ええ、でも』と美由紀は言う。 『祐治さんをむやみに苦しめたりはしないでよ』 『ええ、心得てるわ。 でも、祐治さんはどうせするのなら厳しい責めの方がお好きだし、それに今日はタバコ責めの限界に挑戦するって張り切っておられるんだから、いい加減な所で打ち切ったりしたら却って悪いわよ』 『でもさっきは祐治さん、そうはおっしゃらなかったわよ』 『いいえ。 あのようにおっしゃったら、そういう風に聞いてあげるのがMの人への礼儀なのよ』   祥子がすまして繰り広げる何時もの論理に、美由紀は『でも』と言って、まだ納得がいかない顔をしている。 私は2人のこの会話を聞いていて、『これは祥子さん、大分気が入ってな』と思う。 またもぞくぞくっとする。   これだけきつく身体中を締め付けられていると、それだけで息が少し荒くなってくる。 今日はそれに8号Tによる責めが加わるのである。 しかも今の祥子の意気込みでは、生易しい責めではとても済ませてくれそうももない。 しかし、今の私には自分でその責めから逃れる方法は全くないし、思いを訴える手段もない。 それに今は祥子が私をどこまできつく責め上げてくれるか、期待と不安とで心が一杯になっている。 中止を望む気はさらさらない。 私も相当にMなんだな、と自分でもおかしくなる。   祥子は美由紀の後ろに回り、『じゃ』と声を掛けて美由紀の両手を取り、手首を後ろ手に縛り合せる。 美由紀はまた軽く眼をつぶって、うっとりした顔で紐を受けている。   縛り終えた祥子は、『じゃ、これも』と愛用の赤い革のマスクを見せる。 美由紀は眼を開けてそれを見て、『ええ』とうなずいて大きく口をあける。 祥子は慣れた手付きで口に小布れを詰め、革のマスクをかける。 そして美由紀を手拭い掛けの所につれていき、手首にもう1本の紐を掛けて、腰を回してから手拭い掛けに縛りつける。 両足首も縛り合せる。 『これでいいわね』と言われて、美由紀は軽くうなずく。 今は美由紀は私の正面のやや右手に立って、眼をきらきらさせて私を見ている。   祥子が私の前に戻ってくる。 そして、 『それからこれも惜しいけど外すわね。 今日はタバコ責めの限界に挑戦するのだから、なるべく条件を簡単にすることにするわ』 と言って、私の鼻紐の結び目を解いて、右鼻から出ている紐の端をゆっくり引く。 左鼻の紐がゆっくり穴の中に引き込まれ、すっかり入って、しまいに紐が全部、右鼻の穴から引き出される。 祥子は25センチほどの長さのその紐をながめて、 『随分長く入っていたのね』 と感心したように言う。 そして鼻水で濡れている紐を洗面所に持っていく。 その後、1分間ばかり水を流している音が聞こえる。 紐を洗っているのだろう。   やがて祥子が帰ってくる。 そして私の鼻の下にティッシ・ペーパーを2つに折ってあてて『はい、ちゅん』と言う。 私はくすんと強く鼻から息を吐き出して鼻汁を出す。 祥子が拭き取る。 鼻が大分すっきりする。
『呼吸はもう大丈夫かしら』と祥子が一人言のように言う。 気がつくと、もう私の呼吸はすっかり正常に戻っている。 『むん』とうなずく。 『ああ、もういい、と言うのね。 じゃ、いい子だから、まず身体の条件のいいうちに、早速8号Tに挑戦しましょうね』 『むん』 『ああ、本当にいい子ね』   祥子はにっこり笑ってから、横に置いてあった丸缶から吸口にかなり厚く淡紅色の紙を巻いたタバコペアを取り出す。 そして細い麻紐と糸を拡げて、横で私の頭と見比べる。 『そうね。 管の後ろまで回して結ぶには少し長さが足りないようね。 ちょっと足すわね』 『むん』   祥子は箱の中から麻紐の玉を取り出し、適当な長さの2本を切りとって、タバコ・ペアの麻紐の先それぞれにつなぎ足す。 そしてもう一度拡げて私の頭と見比べる。 『これでいいわね』 『むん』 『それじゃ、まずはこれで、火を点けないでどのくらい辛抱出来るかを調べてみるわね』 『むん』   祥子はいちいち同意を求めるかのように、言葉の最後に『ね』とつけ加える。 私は何か応えないと悪いような気になる。 しかし、今の私は何を言われても、『むん』と軽くうなずく以外に出来ることはない。   祥子は2本のタバコの太く加工した吸口を私の鼻の穴にぐっと押し込み、管の後ろで麻紐の先を結び合せて留め、前へ来てストップ・ウオッチを押す。 途端に私の呼吸が極端に長くなる。 長い時間をかけて精一杯、息を吸い込む。 そしてまた、長い時間をかけて力一杯息を吐き出す。 祥子はじっと私の顔を見ている。   段々息が苦しくなる。 しかし、或る程度進むと息苦しさはそれ以上は進まず、何とか精一杯の呼吸をくりかえす準定常状態になる。   前の壁際の床の上に見えるタイムスイッチの辺で、カチッという小さな音がする。 前でじいっと私の息をうかがっていた祥子が、『あれ?』というような顔をしてあたりを見回す。 『あ、そうだ。  さっきセットしたタイムスイッチが切ってなかったっけ』と思い出す。 奥で美由紀が後ろ手に繋がれた体を動かし、『むむ』と言う。 しかし祥子は何も見出せなかったかのように、また私の方に向き直る。   顔を動かせないので、私の位置からはハンダゴテは見ることが出来ない。 苦しい息のなかで耳に神経を集中する。 また、ながーい2~3呼吸が過ぎる。 じいっと私の顔を見ていた祥子が、『ちょっと焦げ臭いにおいがするわね』と言って、もう一度あたりを見回す。 その時、ハンダゴテの方で小さいぷつっという音がして、何かがすうっと振れて下りてくる気配はする。 『ああ、鍵が垂れ下がったんだ』と思う。   祥子もぶら下がった鍵の紐を見てハンダゴテの方に目をやる。 そして今度は解ったらしく、『ああ そうか。 時間が来て鍵が下りてきたのね。 うまく作動するわね』と感心したように言う。 そして『あ そうだ。 もう、ハンダゴテの電源は切っておかないといけないわね』と言って、かがんでタイムスイッチのコードを延長コードから外す。   またしばらく時間が経つ。 祥子はストップウオッチと私の顔とを見比べている。 私は苦しい息の下で精一杯の呼吸を繰り返す。 でももう息苦しさも定常で、増進しているという感じはない。   やがて祥子は小さくうなずいて、『さあ、10分経ったわ』という。 そして、『そうね。 タバコに火が点いてなければ、何時まででも何とか辛抱できるようね』と話し掛けてくる。 小さくうなずく。 『でも、このまま続けて本番に入ったのではいい記録が取れないから、一度外してあげるわね』とにっこり笑う。 続けて本番に入ることも覚悟していたが、中休みを貰えると聞いてさすがに少しほっとする。   祥子は下水管の後ろに回って麻紐の結び目を解き、前に来て鼻の穴から8号Tを慎重に抜き取る。 そして『あら、ちょっと濡れたわね』と言って、吸口をティッシ・ペーパーで拭く。 私は鼻で大きい呼吸をくり返す。 荒い息がなかなか元に戻らない。 『なるほどね』と祥子が一人でうなずく。 『やっぱり大分きついのね。 精一杯呼吸をしなければならないから、それだけで体力を消耗するのね。 これでは 8号Tはセットをしたら すぐ点火した方がよさそうね』   祥子はもう一度、ティッシ・ペーパーを私の鼻の下に当てて、『はい、ちゅん』とうながす。 私はまだ苦しい息の中から精一杯強く、くすんと鼻から息を吐き出し、鼻汁を出す。 祥子がまた拭き取ってくれる。
  そのうちに息が収まって正常に近くなる。 私の前でずうっと呼吸をはかっていた祥子が、『もう、そろそろよさそうね。 それでは本番に移るわね』と言う。 緊張が高まり呼吸がやや大きくなる。 『そんなに緊張しなくてもいいわよ。 限界が来たら終りにしてあげるわよ』と祥子が笑う。 また『むん』とうなずく。 しかし、何をもって限界と判断する積りかしら。   祥子は一度出ていって、スイッチで浴室の電灯を消して戻ってくる。 そして先程の8号Tをとりあげ、『いいわね』と念を押す。 私は軽くうなずく。 祥子はローソクに火をつける。 そして手早くタバコペアを私の鼻にセットし、ローソク立てを手にもって前に立ち、もう一度『いいわね』と念を押す。 私ももう一度こっくりしてみせる。   祥子が2本のローソクの炎を2本のタバコの先の下にもってくる。 もうすでに大分息苦しくなっていて、強く長く息を吸う。 強い刺激が喉を襲う。 何とかせき込むのを抑える。   息を吸い終ったころを見計らって、祥子はローソク立てをすうっと後ろに下げる。 精一杯大きく息を吐く。 祥子はローソク立てを左手に、ストップウオッチを右手にもってじっと私の顔を見ている。 そして『うまく点いたようね』と独り言のように言って、ローソクの火を吹き消す。 隣の洗面室の明りがガラス戸越しに入って来ているので、浴室の中にもかなりの明るさが残る。   ついで今度は出来るだけ抑えて息を吸う。 しかし息苦しさに負けて、またぐうっと深く吸い込む。 喉がものすごくいがらっぽくなる。 また精一杯大きく息を吐く。   次にまた息苦しいままに強く息を吸う。 半分ほど息を吸った段階でとうとう我慢が出来なくなり、軽くせき込む。 思わず息を吸い込む。 またせき込む。 つづいてまた精一杯息を吸う。 今度はかなり強くせき込み、胸がものすごく苦しくなる。 思わず手足を一杯に力む。 もちろん全然動かない。 頭がくらくらっとする。 身体中がタバコに酔ってじーんとしてくる。   点火の前に繰り返していた長い呼吸はもうどこかに行ってしまって、短い周期で激しいせき込みと精一杯の吸気とをくりかえす。 もう死ぬのではないか、と思うほど息が詰まる。 向うで手拭い掛けに縛り付けられている美由紀がはげしく身体を動かすのがぼんやり見える。 そして『むむ』という美由紀の声をすごく遠くのことのように聞く。 眼の前が少し暗くなる。 身体中から力が抜けていく感じがする。 眼をつぶる。   顔の前で何か気配を感じる。 と、急に右の鼻の穴の入口の詰め物がなくなり、新鮮な空気が入ってくる。 『あ、助かった』とぼんやり考える。   大きく呼吸する。 左の鼻からまた煙の刺激が喉にとびこみ、軽くせき込む。 大きく息を吐いて、次は出来るだけ静かに、長く引きのばして息を吸う。 そしてまた静かに息を吐く。   人の出ていく気配がして、ぱっと眼の前が明るくなる。 ぼんやりと『あ、電灯を点けたんだな』と思う。 少しうつらうつらして後、ぼんやり眼を開ける。 祥子が緊張した顔で私の顔を見つめていて、私が眼を開けたのを見てにっこり笑ってみせる。 私も眼だけで少しほほえんでみせる。 祥子が手鏡を見せてくれる。 右の鼻のタバコが鼻の穴から抜けて糸でぶら下り、その先から淡い煙が上がっている。 そして左の鼻の穴に残されたタバコは先に白く灰をかぶり、薄赤い火が呼吸と共に淡く明暗を繰り返している。 また眼をつぶり、荒い息のもとで出来るだけ静かに呼吸をくり返す。   そのうちに左の鼻からも刺激が来なくなる。 また、眼をそっと開ける。 祥子が『ご苦労さま。 もう終りにするわよ』と言ってまたにっこりする。   祥子が鼻の穴からタバコの燃え残りを取り去ってくれる。 大きく息をする。 また、眼をつぶり、うつらうつらする。 『大分きつかったようね。 これでは次のステップに進む前に少し休まないと無理ね』と祥子は言う。 『ああ、まだあるのか』とぼんやり考える。 しかし、何があるのか、考える気もしない。 『今日はこの後でもう一度、2号Tで暗闇の中での火の玉の息吹きを見せて貰う積りだから、頑張ってね』と祥子は言う。 『ああ、もう一度か』と思う。 しかし、それ以上、何の感情も湧かないままに、うつらうつらしながらも頭をこっくりする。 『ああ、いい子ね』と祥子がまたあやすように言う。
『次のプレイは軽いから、美由紀も我慢して見ていられるわね』との祥子の声に眼をぼんやり開ける。 祥子が美由紀を手拭い掛けに縛りつけたいた紐を解いている。 足首の縛りも解き、猿ぐつわも取ってもらった途端、美由紀が 『ひどいわ。 あんなに祐治さんが苦しむまで放っておくなんてひどいわ。 あたし、とてもじっとしていられなかったわ』と言う。 『大丈夫よ。 あたしも一生懸命我慢して、限界を見極めていたのよ。 祐治さん、きっと喜んでいてくれてるわよ』と祥子。 私は相変らず眼を薄く開けて、うつらうつらしている。 『それに、まだやるの?』と美由紀が訊く。 『ええ、最後にもう一度、美しい火の玉の情景を見せて頂こうと思って』 『もう、今日は無理よ』 『大丈夫よ。 少し休めば。 ね?、祐治さん?』   祥子から急に声を掛けられて、うつらうつらしながらも思わずうなずく。 『ね?。 祐治さんもそうおっしゃるでしょう?』 『でも』   美由紀はまだ渋っている。 『とにかく、やりますからね』と祥子は断固とした口調で言う。 美由紀は後ろ手に縛られている身ではそれ以上どうしようもなく、『しかたないわ』と言うような顔をして黙ってしまう。 『それで祐治さんだけど』と祥子が私の方を向く。 『折角、きっちりしている紐を解くのはもったいないから、このままで一人で休んでてね。 あたし達はしばらくの間、少し向うに行ってますから』   また、『むん』とうなずく。   祥子は美由紀の右腕を取って、『それじゃ、美由紀、いらっしゃい』とうながし、2人で浴室から出ていく。 出ていくとき、美由紀が心配そうにちらっと私の方を見る。 私は軽くうなずいてみせる。   2人が出ていった後、洗面所の入口の方で何かごそごそやっている音がする。 電灯が消える。 そして洗面所の扉が閉まる音がして、あたりが完全な闇につつまれる。 また扉の明り取りに板をはめてたんだな、と思う。 何一つ見えない中でゆっくり呼吸の収まるのを待つ。 少し眠くなる。 うとうとっとする。   どのくらいの時間、うとうとしていたかは分からぬが、洗面所の入口の方で扉が開く音がして、目が覚める。 目を開ける。 さっきまで真の闇であった辺り一帯が薄明るくなっている。 気分は大分すっきりしている。   電灯がぱっと点く。 2人が入ってくる。 美由紀は相変らず後ろ手のままである。 2人が私の前に来る。 私が眼を開けているのを見て、祥子が『いかが?』と笑い掛けてくる。 『むん』と軽くうなずいてみせる。   祥子が少しの間、私の呼吸をはかる。 そして、 『もう、呼吸もいいようね。 じゃあまた、もう一度、真の闇の中の火の玉の祭典を見せて貰うわよ。 いいわね』と言う。 『むん』とうなずく。 『じゃ、今度はお約束通り、2号Tにするわね』   祥子は横の缶の中からタバコペアを取り出し、私の鼻にセットする。 呼吸への抵抗から見て、確かに2号Tである。 まだ回復が完全ではないから、何時もより少しは辛いかもしれないが、2号Tならば大したことはない。   ついで祥子はローソクに火を点けてから、ちょっと出ていって電灯を消してくる。 浴室の中がローソクの光でぼんやり照らされる。   祥子がローソク立てを手に持って前に来る。 そしてじっと私の眼を見つめる。 美由紀も横に来て私の顔を見つめている。 私は祥子の眼を見ながら、静かにやや大きい呼吸を繰り返す。 『じゃ』と祥子がいう。 私が軽くうなずく。 頃合いを見計らって、祥子がローソクの炎をすっとタバコの先に持ってくる。 喉に刺激を感じる。 息を吐く。 ローソクの炎が大きく揺れる。 また息を吸う。 さっきより強い刺激を感じる。 『いいようね』と言って祥子がローソクの火を吹き消す。 あたりが真っ暗になり、鼻の先に赤いものがあるような感じがするだけになる。 静かに呼吸をくりかえす。   眼の前に2つの火の玉が浮かぶ。 祥子がまた手鏡をかざしてくれたのだろう。 『きれい』と美由紀の声。 『そうね。 何回見せて貰ってもきれいね』と祥子。 『でも、あたし、これで祐治さんがとても苦しい思いをなさっているのかと思うと何だか切なくて、早く終ってくれないかって、そればかり考えるの』 『そうね。 美由紀ならそうでしょうね』 『祥子は?』 『ええ、あたしは、あの火の玉が明るくなったり暗くなったりしているのが祐治さんの苦しい呼吸につながっていると思うと、たまらなく愛しくなって、その気持ちを何時まででも味わっていたくなるの』 『そうね。 大分違うわね』 『ええ、やっぱり美由紀のMとあたしのSとの差かしら』   2人はまた黙ってしまう。 私はさっきの8号の余効もあるのか、息はかなり苦しいながらも、身体中が酔って力が抜けたような良い気持になる。   そのうち眼の前の火の玉が2つとも小さくなり、静かに消えていく。 その最後の光にたまらないいとしさを感じ、思わず手を出して消えるのを押し止めたくなる。 もちろん手は動かない。   少しの間、真っ暗の中で誰も動かずにいる。 そして『さあ、終った』と祥子の声。 誰か人が手さぐりで浴室を出ていく気配がする。 ぱっと壁の電灯が点く。 まぶしさに思わず眼をつぶる。 そしておずおずと眼を薄く開ける。 祥子が私の眼を見て、『ご苦労さまでした。 よかったわよ』と笑ってみせ、鼻からタバコの燃え残りをはずしてくれる。   祥子が私を縛りつけている紐を、顔、首、胸、足首、膝上と手際よく、順々に解いていく。 美由紀は手が出せないので、黙って祥子の作業を見ている。 最後に腰を結びつけている紐を解き、後ろ手の手首の紐を解く。 まだ酔っているようで、身体がいうことをきかず、膝をついて休む。 そしてゆっくりと自分で顔の菱紐とMセットをはずし、口を開けて大きく呼吸する。 呼吸もまだ大分荒い。 『やっぱり、このプレイはかなりきついのね』と祥子。 『ああ』 『少し休んでから向こうへ戻りましょうか』 『ああ』   まだ、あまり口をきく気にもならない。 腰を下ろして足を横坐りに崩し、手を床について休む。 2人は立ったまま、私を見守っている。   しばらくして、身体のふらつきもかなり取れる。 上体をまっすぐ起こして坐り直し、横の下水管につかまってゆっくり立ち上がってみる。 『もう、立っても大丈夫なの?』と美由紀が心配そうにきく。 『うん、大分よくなった。 もう大丈夫と思う』 『じゃ、向こうに行って、ゆっくりしましょう』と祥子。 『うん、そうしよう』   ふらつく足をふみしめて2人と一緒にLDKに戻り、椅子にぐったりすわり込む。 『じゃ、また、お夕飯をつくって御馳走するわ。 お台所をちょっと貸してね』と祥子が言う。 『うん、いいよ。 でも何時もで悪いな』と私。 まだ息はかなりはずんでいる。 『いいえ。 今日はすっかり楽しませていただいたのだから、お夕飯を作るくらいは当然よ』   祥子はにっこり笑って、さっそく美由紀の後ろ手の紐を解きにかかる。

4.5 食事時の会話

第4章 2度目の来訪
04 /28 2017


  食事の用意が出来上がる。 食卓には中央にパンを盛った篭があり、各自の席に焼き肉にマカロニサラダを添えた皿とコーンスープの深皿とが並ぶ。 私は鎖のふんどしはそのままで、上にズボンをはいて食卓につく。 祥子は『じゃまたね』と言って美由紀の両手を後ろに回させ、手首をきっちり縛り合せる。 私はまた感心して2人の動きを見ている。
  縛りが終わって、祥子はまず椅子を引いて美由紀を座らせ、自分も座る。 2人の顔を見てさっそくに言う。
『美由紀さんのお食事って、本当に後ろ手のことが多いんだね』
『ええ、美由紀はこの格好でないとお食事が美味しくないらしいの』
『そんなことないわ。 祥子がすぐにこういう風にしてしまうだけよ』
『でも美由紀も嫌じゃないんでしょう?』
『それはそうだけど』
『ね?』
  祥子が私に向って勝ち誇ったように言う。 3人でどっと笑う。
『ではいただきましょう』との祥子の言葉で食事が始まる。  祥子はまたせっせと美由紀の口にスープや料理を運び、自分も食べる。 私も呼吸もすっかり収まり、食べ始める。
  ひとしきり食べた後、祥子がふと手を休めて訊いてくる。
『それでね 祐治さん、もう御気分の方はすっかり直って?』
『うん、もう大丈夫だ』
『それはよかったわ。 ところで さっきのタバコ責めのプレイですけどね。 あれ どうだったかしら?』
  私には質問の意味がよく解らず、曖昧に返事する。
『うん、そうだね』
『そうよね』と祥子が神妙な顔をする。 『やっぱりあのプレイは大分きついのよね。 さっき 顔のテープをはがした時、祐治さんがまっさおな顔をして とても気分が悪そうだったので、あたし とても心配してたの』
『うん 有難う。 そうだね』
  私はちょっと間を取って、その時の気分を思い出してみる。 そして言う。
『あの、後の2号Tをやってる時は身体に何か酔ったような軽い脱力感があって、そんなに悪い気分ではなかったな。 でも前の8号の時はさすがに苦しかったから、その影響が残って2号Tの後でも顔色が戻らなかったんじゃないかな』
『ええ そうよ』と美由紀が後ろ手のまま訴えるように言う。 『8号Tの時、祐治さん、ひどくせき込んで、本当に苦しそうだったわ。 それを祥子ったら平気は顔をしていつまでも放っておくんですもの。 あたし、居ても立ってもいられない気持だったわ』
『うん。 僕もあの時、美由紀さんが身体をよじらせて、言葉にならない声を出していたのを何か夢うつつで聞いていた』
『ええ、ほんとにとてもじっとしていられない気持だったの。 もしも縛られていなかったら恐らくは手を出して、タバコを抜いちゃってたわ。 実際は何も出来なかったけど』
『だからね』と祥子が笑いながら言う。 『あたしがプレイの前に美由紀を縛っておいたのは正解だった、という訳よね』
『そんなこと判らないわ』
  美由紀は横を向いてすねる。
『さあ、そんなこと言わないで』
  祥子がまた美由紀の口にたべものを補給し、自分も食べる。 私も焼き肉をゆっくり味わう。
  一回り食事が進んでから、祥子がまた話を再開する。
『それにしても8号Tのプレイって厳しいのね。 さっきの8号Tでは結局3分20秒で片方のタバコを抜いちゃったんだけど、あれが精一杯の感じね』
『ふーん、3分20秒もね。 僕が一人でやると、精々2分余りしか頑張れないから、やはり祥子さんがやってくれたお陰でそんな記録が出たんだね』
『そうかもね。 実際 あたし、一生懸命我慢して手を出さないでいたの。 そしたら祐治さん、せき込んでいるうちに急に身体の力が抜けたようになって、頭ががくんとしたようだったので、慌てて片方のタバコを抜いたんだけど、確かに一人ではそこまでやるのは無理だわね』
『そうだね。 いのちに関わるからね』
『それでその、タバコを抜いたタイミングはどうだったかしら。 まだ早すぎたかしら?』
『いや、大体 いいタイミングだったんじゃないかな。 もう少し遅れたら僕は意識がなくなって何も分らなくなっただろうね。 確かにあの時でも、もう目の前が少し暗くなりかかっていたからね』
『まあ、そんなにきわどかったの』
  祥子はまた感心した顔をする。
『うん、その意味では絶好のタイミングだったんだろうな。 僕の意識がほんとになくなったら、いくら祥子さんでも慌てることになるだろうから』
『そうね。 あたしだって そんな経験は今までにまだ一度もないから』
  祥子は一つうなずいて、『でも ほんとによかったわ』と大袈裟に喜んでみせる。
『とにかく あのように、丁度 限界ぎりぎりまでプレイの醍醐味を味わえるなんて、本当に祥子さんの居たお蔭だよ』
『そら 御覧なさい。 あたしの言った通り、祐治さんも喜んで下さったでしょう?』
  祥子の勝ち誇ったような言葉に、『でも』と美由紀はなおも納得しない顔をする。 そしてもう一度『でも』と言って続ける。
『今日はタバコ責めを午後だけで4組もしたでしょう?。 こんなことを続けたら、祐治さん、身体を壊しちゃうわよ』
『そうね。 2~3時間の間に4組は少し多かったかもね』
  祥子も素直にうなずく。 そして私の顔を見て訊いてくる。
『祐治さんは普段は1日にどのくらいなさるの?』
『そうだね。 最初の頃は一晩に3組も4組もしたこともあったけど、最近はたいがいは1回には1組だけだね。 ごくたまに特殊な趣向で2組することもあるけど』
『ね、そうでしょう?』と美由紀が我が意を得たように言う。
『そうね、案外に少ないのね』と祥子も言う。 そしてさらに訊く。
『それで、週に何回くらいなさるの?』
『うん、多くて1回だね。 今回も先週にタバコ責めをして貰って以来、タバコに手を触れてなかったし』
『それじゃ平均すると、タバコの量もとても少ないのね』
『そうだね。 タバコは身体に悪いと言うから、プレイも控え気味にしている。 ピースは1箱20本でタバコペアが10組出来るから、1箱あると大体は2~3箇月もつことになる』
『あ そう。 その位じゃ 身体にはほとんど影響はないんでしょうね』
『うん、僕もそう希いたいと思っているけど、どうかな。 大体 普通の人はタバコを吸うと言っても口から離して灰にしてる時間の方が長い上に、1本のタバコも半分くらい吸ったら消してしまうのに、プレイでは息を吸う度に煙を吸い込んでるし、その上どのタバコも終りまで全部煙にして、立っていられないほど酔うまでに濃厚に吸収してるんだからね。 そういう吸い方が身体にどう影響するかなんて調べた人もいないだろうし』
『そうね。 ちょっと心配ね』。 祥子も真面目な顔をしてうなずく。 『そうとすると、これからはタバコ責めは特別の事情がない限りは、1回には2組くらいで止めておいた方がいいかもね。 今日はその特別の事情だったわけだけど』
  と、その言葉を美由紀が聞き咎める。
『え、今日の特別な事情って?』
『そうね』
  祥子は受ける。 そして平然として答える。
『今日は祐治さんがお見せになりたいプレイが2つあって、その他にあたしに8号Tの効果をぜひ見せて頂く積りがあって、そしてやり納めに2号をしたので4組になってしまった、と言う事情よ』
『そんなこと言ったら、たいがいのプレイは特別な事情になってしまうわよ』
『それもそうね』
  祥子があまり簡単に認めたので、皆がどっと笑う。
  笑いが収まった後、美由紀がもう一度、『とにかく祐治さんの身体に悪いから、タバコ責めはあまり多くはしない方がいいわよ』と主張する。
『そうね』と祥子もうなずく。



  美由紀がこういう主張を強くしてくれたのを見て、私はまたまた美由紀が愛しくなり、一言感想を述べたくなる。
『そうだね。 人の身体のことでそんなに心配してくれるなんて、美由紀さんってほんとに心が優しいんだね』
『そんなこと』
  美由紀は恥ずかしそうに下を向く。
『それにさっきのプレイの時にも、居ても立ってもいられないくらい心配してくれてたそうだし』
  しかし 祥子は言う。
『そうじゃないのよ。 美由紀には人が苦しそうなのをじっと見ているこらえ性がないだけなのよ。 あたしだって早く終りにしたいのを一生懸命我慢して、手を出さないでいたんだから』
『でも美由紀さんは自分のことならとても辛抱強くて、人のことになるとこらえ性がないというんだから、それはやはり優しいって言うことなんじゃないのかい?』
『そうかしら』
  祥子はなおも納得がいかないという顔をして、また美由紀の口にパンの一切れを入れる。 そして急に私の方を向いて、なじるように言う。
『それじゃ、あたしはどうだって言うの?』
『うん、僕は祥子さんも根はとても優しいんだと思うな。 ただ 祥子さんはとても理性的で、僕の心の奥底の願望まで読み取って、限度一杯まで楽しませてくれてるんだと思って感謝してるよ』
『まあ お口がお上手だこと』
  3人でどっと笑う。
  笑いが収まった後、私は改めて真顔になって言う。
『いや ほんとにそう思っているんだ。 何しろ祥子さんは、僕が口で嫌だと言っても実は心の奥ではそうして貰いたいと願っていることを読み取って、いつもきびしく責めて楽しませてくれてるからね』
  祥子も真顔になる。
『そのお言葉、額面通りに受け取らせて貰ってもいいの?』
『うん もちろんだよ。 今までの祥子さんの判断は大体において正しくて、僕にとっても満足できる結果になっていたように思うよ』
『ええ 有難う。 あたし 時々は少しやり過ぎじゃないかって心配してたんだけど、そう言っていただけて安心したわ』
  祥子はほんとにほっとしたような顔をする。 そしてにっこり笑ってつけ加える。
『それじゃこれからも思った通りにびしびしやらせて貰うから 覚悟してらっしゃい』
『ああ いいよ。 期待してるからよろしく頼む』
『ええ 任せといて』
  2人で顔を見合わせて笑う。 美由紀も横で、『お2人ともすごいわね』と言って にっこり笑う。
  その美由紀の顔を見て急に気になる。
『あ そうだ。 でも あんまり祥子さんが僕ばかりに夢中になると、美由紀さんに恨まれたりはしないかな』
『まあ しょってるわね』
  祥子はあきれたような顔をする。 そして言う。
『もちろん 美由紀はあたしのペットなんだから別格よ。 普段でもずっと一緒に居るんだから、祐治さんなんかは比較にならないわよ』
『ああ よかった。 それを聞いてすっかり安心した』
  私は大袈裟に安心した振りをする。 2人がどっと笑う。 美由紀は後ろ手の身体をゆすって特に明るく笑っている。
 


  お皿もスープ皿も空になる。
『それじゃ、食後のデザートにアイスクリームを食べようか』
『まあ アイスクリームがあるの。 喜んでいただくわ。 ね、美由紀?』
『ええ 喜んで』
『じゃ 今度は僕が用意しよう』
  私は台所の冷凍庫からホーデンのヴァニラ・アイスクリームの容器を出してきて、食卓の上で、大きなスプーンを使ってアイスクリームを3枚のガラスの皿に盛る。 祥子がそれぞれにスプーンを添える。 アイスクリームの容器はまた冷凍庫に戻しておく。
『じゃ、どうぞ』
  アイスクリームを食べ始める。 祥子はまた、まず最初に美由紀に一口食べさせて、それから自分の口に運んでいる。
『感心だね。 祥子さんはいつもまず最初に美由紀さんに食べさせてから 自分が食べてるんだね』
『そりゃそうよ。 美由紀はあたしの大事な大事なペットですもの』
  祥子はすましている。 美由紀は恥ずかしそうに下を向く。
『でも さっきは僕にもまず最初に食べさせてくれたよ』
『そうよ。 あの時は祐治さんがあたしの可愛いペットだったの』
『それは光栄だな』
  また 皆が笑う。 一匙のアイスクリームを口に入れて、口の中で融けてくるのをゆっくり味わう。
  ふと 祥子が話題を転じて言う。
『それにしても タイムスイッチを使うって、うまく考えたわね』
『うん 確かに鍵がないと自由が取り戻せない、というHセットの特性をうまく活かしてるね』
『それで祐治さんは、そんな凝った方法をHセットの最初からおやりになってたの?』
『いや そんなことはないよ。 僕がHセットを始めた頃には、精々 鍵を遠くの部屋に置いてきて、足も縛って、自由になるには後ろ手のまま両足跳びで鍵を取りにいかなければならない、という程度のプレイをしていただけだよ』
『それがだんだん 凝った方法をとるようになってきたのね』
『うん そうだね。 大体 Hセットをしても、鍵が手元にあって すぐにでも錠を開けることが出来るのでは、拘束プレイとして余り面白くない。 そこで鍵を空間的か 時間的かの何らかの意味で遠くに置いといて、すぐには手に入らないように色々と工夫することになったんだ。 鍵をわざわざ遠くの部屋に置くなどはその一つだね』
『まあ、時間的に遠くとか 空間的に遠くとか、難しい話になったわね。 美由紀なら得意の分野でしょうけど』
  祥子が笑って美由紀を見る。 美由紀は黙って顔に笑みを浮かべている。
『いや そんなに難しい話ではないよ。 単に色々な方法の特徴を手短かに言い表すのに便利な言葉、というだけだよ』
『ええ よく解るわ。 つまり 遠くの部屋に置くというのは、まさに空間的に遠くに置くということなんでしょう?』
『うん ある意味ではそうだね。 でも 一面から言うと、遠くに置いて 足も縛り合せておくと、両足跳びで息を切らせて取りに行った後でないと自由を取り戻せないということで、肉体的努力の意味で遠くに置いたことにもなるけどね』
『なるほど、そんな意味での遠くというのもあるのね』
  祥子がまたも感心した風をする。 そして
『例えば、この前に見せていただいた、強い逆えびで 鍵を部屋の隅に置いておくプレイなどは、まさにその典型だという訳ね』
とさっそく例をあげる。 私は祥子の頭の回転の速いのに感心しながら、『うん、まさにそうだね』とうなずく。
  また アイスクリームを一口、口に入れてゆっくり味わう。 祥子も美由紀に食べさせ、自分も食べている。
  口の中のアイスクリームがなくなって、『それで』とさらに話を進める。
『とにかく最初のうちは そういうように、苦労をして取りに行かないと鍵が手に入らないように色々と細工をして楽しんでいたんだ。 所がそのうちに 柱縛りや鼻吊りのようなその場を動くことが出来ない拘束プレイで、しかも自分で止めたくなってもすぐには止められないようなものをやってみたくなってね』
『ええ 解るわ』と祥子がうなずく。 『つまり、今度は時間的な意味で遠くに置きたいということね』
『うん そうだ。 ほんとは時間がセット出来て、その時間が来れば自動的に外せるようになるけれどもそれ以前には絶対に外すことが出来ない、いわば「時間錠」とでもいうもので手軽なものがあれば理想的なんだけど、そんな都合のよいものはちょっと見付からなくってね』
『ええ そうね。 そんじょそこらにはちょっと売ってないわね』
『うん、それで色々と考えたり やってみたりして、一時は一種の水時計みたいなものに凝ったりしたけど、最後に比較的便利なものとして到達したのが、このタイム・スイッチとハンダゴテとを組合せて使う方法なんだ』
『ふーん』と祥子がまた感心した顔をする。 『祐治さんって、ほんとに研究熱心ね』
『うん。 こういうことになると すぐに夢中になってしまってね』
  また 2人で顔を見合せて笑う。 美由紀も横で笑っている。



『それで』と美由紀が言う。
『何?』と聞き返す。
『その、水時計みたいなものって、どんなものなのかしら?』
『うん それはね、昔 風呂場で鼻吊りをするときに使ったんだけど、守口漬の桶を浮きに使って、水時計の原理で、ある時間が経つと鼻紐が緩むようにしたものだ』
  途端に『まあ、面白そう』と祥子が乗ってくる。 そして『もう少し詳しく話をして下さらない?』と前に乗り出す。 私も乗り気になる。
『そうだね。 せっかくだから お話ししようか』
『ええ 是非 お願いするわ』
『それじゃ』
  私はちょっと座り直して話を始める。
『まず、お2人は守口漬を入れて売っている桶は知ってるかい?』
『ええ、直径が30センチほどで深さが7~8センチの、浅い木の桶でしょう?』
  祥子が答え、美由紀もうなずく。
『ああ 知ってるね。 大きさは色々あるけど、まあ そんなものだね』
  本題に入る。
『このプレイでは まず、そのような守口漬の桶に紐を掛けて浴槽の中に入れ、その紐の先を浴槽の真上のフックと鼻吊り用のフックとを通して頭の上に垂らしておく。 桶にはあらかじめ水を一杯に入れてある。 そして浴槽の栓をして、水道の栓を少し回して水をちょろちょろ出しておく。 こうしておいてから、鼻紐を一杯に引き上げて先程の紐とつなぎ、両手は後ろ手にHセットする』
『ずいぶん凝ってるのね』と祥子が感心したように言う。
『でも 大体のイメージはつかめたろう?』
『ええ 解らないことはないけど、それでどうなるの?』
『うん。 水の入った桶は可成り重いから、鼻でひっぱって引き上げるなんて思いもよらず、最初のうちは鼻を吊られたままじっと待つしかないけど、浴槽に水がたまってくると木で出来ている桶が水に浮いて、次第に上に上がってくるんだ。 そうすれば それにつながっている鼻紐も緩んでくるから、鼻でひっぱったりして口の前に垂れ下がるようにさせる。 そして鼻紐を歯でくわえることが出来れば、そこから先は簡単で、歯で紐を引っ張れば桶は引き上げられるから、紐を横に引きずって身体を手拭い掛けの方に寄せ、そこに掛けてある鍵紐を後ろ手でつかんで、めでたしめでたしということになる』
『なるほど うまく出来てるわね』
  祥子がまた感心する。
『そうだね。 水道の水の出し方を加減することによって時間の調整も出来るし、動作も原理的に確実で、タイムスイッチみたいに眼に見えない所で故障を起こす心配がないからね』
『つまり ちゃんと注意すれば、必ずうまくいくという訳ね』
  祥子はよく解った、というようにうなずく。 そこまで信用されると、また 失敗した話も出さなければ悪いような気になる。
『それはそうだけど、実を言うと それでも失敗したことはある』
『まあ また失敗なさったの。 よくなさるわね』
  祥子は呆れたような顔をする。
『そうだね。 ほんとにこうして無事にお2人と話をしているのが、何だか不思議みたいだね』
『ほんとね』
  祥子と美由紀の2人が顔を見合せて笑う。
『それでどんな失敗をなさったの。 ついでにお話しなさいよ』と祥子。
『いや、これはそう改めて話すほどのことではないよ。 ただ 水時計の機構は順調に働いたんだけど、鼻がまた詰まってきて、口を蓋してたんですごく心細い目にあった、というだけのことさ』
『まあ 面白そうじゃない。 詳しく伺えない?』
『うん そうだね。 そんなに話すこともないけど、お2人が興味をお持ちなら、もうちょっと詳しくお話ししようか』
『ええ 是非』
『それじゃ』
  私はまた話を始める。
『あの水時計方式での鼻吊りで、さっきはただ、最後はたるんだ紐を歯でくわえてぐっとひっぱって体を鍵紐の方に寄せる、という話をしたけど、それも出来ないようにして、もっと時間が経って水が浴槽にほとんど一杯になるまでは鍵に手が届かないようにした方が面白かろうというので、布粘着テープと菱紐とを使って空気も洩れないように口にしっかり蓋をして、このプレイをしたことがあってね』
『なるほど 祐治さんらしいわね』
  祥子がまた笑う。
『そうしたら途中で鼻が詰まってきちゃったんだ。 その時も鼻をずうずう言わせて精一杯呼吸をするんだけど、それでもだんだん息苦しさが募ってくるんだ。 もちろん、すぐに窒息するというほど切羽つまった訳ではないけども、口からは空気は絶対に入って来ないようにしてあるし、水はまだまだ浴槽の底に近い方にあって、当分は鼻紐を外せる見込みはないしで、ものすごく心細くなって』
『ふーん』
  2人はまた真剣な顔になる。
『それで何とかならないかともがいて、手を力一杯ぐうっと引っ張ったら何とか左手の指が右手首の紐の結び目に掛かってね。 ああ そうそう、その時はまだ手首には鎖は使わずに紐と錠とで両手を後ろ手に留めていた時代だったんだ。 それで その結び目を懸命にほどいて何とか右手を自由にすることが出来、大ピンチから逃れたけど、一時はどうなることかと思ったね』
『まあ よかった』と美由紀が言う。
『まさに鎖でなく紐を使っていたことの功徳ね』と祥子。
『うん そうだね。 だけど この時 手首の紐をほどくことが出来たのが僕には不満でね。 そこで、その時からさらに真剣になって、そういう抜け路のない方法はないかって探して、結局 あの鎖を見付けて使うようになったんだ』
『まあ、命の恩人に対して罰当たりな』
  祥子が笑う。
『そう言えばそうだね』と私も笑う。 美由紀も笑っている。
『でも そんな楽しい思い出のある水時計方式も、最近は余りなさらないの?』
『うん、最近はもっぱらタイム・スイッチを使う方法になってしまってね。 水時計方式は時間の調整が難しいし、それにやはり、桶に紐を掛けて鼻につなぐというのがちょっとスマートでない気がして』
『まあ』
  2人が呆れたような顔をして笑う。
『でも、この方式にも捨て難い味があるのは確かだね。 例えば この方式で鼻のひっぱられ方が着実に緩くなっていくのは、タイム・スイッチ方式で最後まで同じ強さでひっぱられてるのと比べて甲乙がつけ難い気がする』
『そうね』
  また話に一区切りついて、皆が黙ってアイスクリームを味わう。 話に夢中になっていたので、アイスクリームはもう大分融けてしまっている。



  少しして私は鼻吊りプレイに関連して 一つ言っておきたかったことを思い出す。
『それから さっきちょっと言い忘れたんだけど、タイムスイッチをつかった拘束プレイでは、それだけだと 万が一 そのスイッチが故障して機能しなかったら大変なことになるんで、必ずほかにも1つは脱出の方法を用意しておく。 例えば今日の歓迎プレイでは、お2人が見付けてくれるのと、時間がくればタイムスイッチが入って鍵が手に入るのとの2つ、という具合にね』
『なるほど』と祥子がうなずく。 『そう言えば先程の吊り紐焼き切りでは、紐を焼き切るのと、タイムスイッチによるのと2つあったわね』
『でも』と美由紀は言う。 『最初に伺った単純な鼻吊りプレイでは、タイムスイッチによる方法だけだったんじゃないかしら』
  私はその記憶の良さに感心しながら答える。
『うん 実はね。 あの場合は タイム・スイッチとハンダゴテの組をもう1組用意しておいて、そちらには喰い切りをぶらさげておくんだ。 そして その方のタイムスイッチは鍵のに比べて30分程度遅れて入るようにセットして、万が一 鍵が落ちてこないことがあっても、その30分後には喰い切りが手に入って、手首からの鎖を切って脱出出来るようにしておく。 ただし、鼻吊りプレイではこの非常手段を使ったことはまだないけどね』
『なるほど、祐治さんはタイムスイッチとハンダゴテを2組も用意してるの。 それは感心ね。 まさにプレイするものの鑑だわ』と祥子。
『それほどでもないけど』と私。
『でも』とまた美由紀が言う。 『鼻吊りプレイでは使ったことがないというと、ほかのプレイではお使いになったことがあるのかしら』
  私は美由紀の論理の鋭どさにまたも感心して答える。
『うん、ほかのプレイで一度だけある』
『とすると』と祥子もたった今 気がついたかのように言う。 『まだ見せて下さってないプレイもある訳ね』
『うん、あることはある』
『それも面白そうね。 話して下さらない?』
『そうだね。 でも それは全く別のプレイだから、また別の機会にした方がいいんじゃないかな』
『そうね。 残念だけど、まあ いいわ。 あとの楽しみにしておくわ』
  祥子は簡単に引き下がる。
『それから』と美由紀がさらに緻密な所を見せて言う。 『タイムスイッチやハンダゴテを2組用意しておいても、停電になったら2組とも一遍に駄目になってしまうんじゃない?』
『うん いい所に気がついたね。 確かにそうなんだ。 それでずっと以前に、電磁石を使って鍵を吊り上げておく方法を考えたことがある』
『え、デンジシャク?』と祥子が聞き返す。
『うん、電流を流すとその間だけ磁石になる電磁石だ。 その時は普段は電流を流して鍵を電磁石で吊り上げておいて、時間がきたらタイムスイッチで、今までとは逆に電流が切れるようにしておく。 そうすると 普通は決めた時間で鍵が落ちてくるし、もしも何か事故があって停電したら やはり鍵が落ちてくることになる』
『なるほど、うまく考えたわね。 つまり フェイル・セイフね』
『うん そうだ。 確かにアイデアはとても良いと思っているんだけど、丁度適当な電磁石がなかなか手に入らなくてね。 それに今まで プレイ中に丁度 停電に遭った、ということもないし、停電しても短かい時間で回復するだろうから、そんなに真剣に考えなくてもいいか、ということで、まだやってない』
『それは残念ね』
『まあね』
  アイスクリームがすっかりなくなる。

さおりん

これは若い男女4人(途中からは6人)で結成した「かもめの会」の活動を記録した、明るく楽しいSMプレイ小説です。この小説は原著作者・久道あゆみさんより許諾をいただいて掲載させていただいております。

この物語はフィクションです。描写における安全性・遵法性・実現可能性などは担保されておりません。実際に試みる場合はプレイメイトとの合意を得ることはもちろん、十分な安全確認を行い、法律に触れないことを貴方の責任において確認してください。結果、どのような損害が発生しても責任は負いません。