1
電話のベルが鳴る。 受話器を取って、『はい、三田です』と応える。
『あら 祐治さん、今晩は』
向うからは珍しく、美由紀の声が聞こえてくる。 時は6月7日、土曜日の夜の9時頃である。
『あたし 美由紀。 この間はどうも有難うございました』
『いや こちらこそ。 でも 美由紀からの電話とは珍しいね。 今 どこに居るの』
『ええ、あたし達のマンションよ』
『ああ そう。 僕は美由紀が電話をくれるんだから、どこか特別な場所へ行って夜遊びでもしてるのかと思った』
『まあ ひどい』
言葉とは裏腹に、美由紀の明るい笑い声が響いてくる。
『それで お2人のマンションからだとすると、祥子もそこに居るのかい?』
『ええ マンションには居るけど、今はお風呂に入っているの』
『ああ そう』
とすると、美由紀は何で電話をくれたんだろう。
『それで、祥子がお風呂に入っている間に美由紀が電話をくれるって、何か特別な用があったのかい?』
『ええ、祥子がね。 せっかくお祝いをしてくれるのなら、あたしが全部アレンジして、って言うものだから』
そう言われて、私もこの前の日曜日にあった話を思い出す。 実を言うと、祥子が時間のことなどが決まったら連絡をよこすと言っていたのに、いまだに何の連絡もないので ちょっと気になっていた所である。
『というと、この前に話があった祥子のお誕生日のことかい?』
『ええ そう。 今度の12日の木曜日に「かもめの会」でお誕生日のお祝いをするというお話』
なるほど、それならば祥子がお風呂に入っている間に美由紀が電話をよこしても おかしくない。
『それはご苦労さま。 それで?』
『ええ それでね』。 美由紀は一息入れる。 『もう そろそろ時間や何かもきっちり決めた方がいいと思って、今日の午後に孝夫さんと会って相談したの。 そして12日の夕方の4時半集合であたし達のマンションでお誕生日パーティを開くことにしたんだけど、どうかしら。 一応 この前の時に、祐治さんのご都合も夕方4時頃から後なら何時でもいいって伺ってたので、孝夫さんの都合に合せてこの時間にしたんだけど』
私はとっさに自分の予定表を思い浮かべる。 12日の木曜日も学校へ行って自分の仕事を進める積りだが、研究室の会合などの予定はないから、時間は、特に夕方からは自由に空けることが出来る。
『うん いいよ。 4時半からなら僕は大丈夫だ。 孝夫君もそれでいいって言ってるんだろう?』
『ええ そう。 孝夫さんは 午後、ちょっと用事があるけど、4時半ならきっと来れるから、っていうの』
『ああ、それならいいね』
『ええ。 ただ 孝夫さんはね、実はその夜にもS駅の近くの喫茶店で人と会う約束があって、8時すぎにまたちょっとの間だけ抜けるけど、その方の用事はすぐに終るから、9時頃までにはまた帰って来るって言ってるの』
『ああ そう。 それはちょっと残念だね。 でも別にどうってことではないね。 その間 3人でおしゃべりでもしてればいいんだし、それに当日は恐らく10時頃までゆっくりお邪魔することになるだろうから、孝夫君が9時頃にでも帰って来てくれれば、それからでもまだ1時間は一緒に遊べるし』
『ええ あたしもそう思って。 ほんとは みんながずうっと空いてる日が理想だけど、1人がちょっと間を抜けるだけなら、祥子のお誕生日当日を選んだ方がいいんじゃないかと思って、日にちは変えないことにしたの』
『うん 結構だ。 僕もそう思う』
『それじゃ いいわね』
『うん いいよ。 僕もきっと伺うからよろしく』
『ええ、あたしの方も準備してお待ちしてるわ』
2
一応の連絡が終る。 話の流れとして当日の行事予定を聞いてみる。
『所でお誕生日パーティでは何をするか、もうプランは決まったかい?』
『いいえ、まだ余りちゃんとはしてないの。 まず最初にバースデイ・ケーキにローソクを立てて火を点けて、それを祥子に吹き消して貰って、そのケーキをみんなでいただいて、までは予定を立てたけど、その先はまだ考えてないの。 もっともパーティの後の夕食代りに何か軽いものを用意しておく積りだけど』
『ああ なるほど』
私は美由紀の言ったことを頭の中で反芻する。 そして そう言うパーティではよくある記念品贈呈の話が出てないことに気がつく。
『それから せっかくのお誕生日にメンバーが全員集まるのだから、「かもめの会」からも祥子に何かお祝いの贈り物をしたらどうかな』
『ええ そうね。 あたしもそう思って孝夫さんとも話をしたんだけど、なかなかいいものが思い付かなくて。 それで結局、孝夫さんは贈り物のことは祐治さんとあたしに任せるからお願いしますって、引き下がっちゃったの』
『ふーん。 それはちょっと無責任だな』
『そうね』
向こうから美由紀の笑い声が聞こえてくる。
『それじゃ、何か贈り物をしたらいいということには3人とも賛成だけど、何を贈るかが決まってない訳だね』
『ええ そう。 祐治さん、何かいいものをご存知?』
『いや、急に言われてもそうは浮かばないけど』
『そうね』
ちょっと話が途切れる。 そのまま考えていても仕方がないので 先に進む。
『それじゃ 贈り物を何にするかは後回しにして、そのほかでパーティをどう進めるかだけど、パーティについての祥子の意向は何か聞いてないかい?』
『いいえ、何も。 祥子は、あたしに全部まかせる、って言ってるの』
『ああ そう。 まあ そうは言っても祥子のことだから、当日になればまた何か面白いプランを持ち出して注文をつけてくることだろうけど、でも こちらでも何か、「かもめの会」にふさわしい行事を考えておいた方がいいかな?』
『というと、プレイのこと?』
『うん、まあ そうだね。 今度のパーティは祥子が主役だし、祥子も縛られたりするのが必ずしも嫌いではないようだから、何か祥子に相応しいプレイを経験させてみたらどうかな、と考えるんだけど』
『そうね。 それはいいかもね』
『じゃ 何か考えてみようか』
『ええ お願いするわ』
『うん 分かった』
さて何がいいかな、と頭の片隅で考える。 そしてふと、祥子がプレイに関してどんな経歴、経験を持っているかについて、系統的な話をまだ聞いていないことに気が付く。
『それから せっかくの祥子の誕生日だから、今までの祥子のプレイの歴史を聞いてみたい気がするね。 僕のプレイ歴はもう大分お話ししたし』
『そうね、それはいい企画ね。 祥子にも話しておくわ』
『うん お願いする。 これで バースデイ・ケーキと、何か適当なプレイを経験させてあげることと、祥子のプレイ歴を話して貰うことと揃った訳で、当日の行事は大体そんなものでいいんじゃないかな』
『ええ そうね。 その位で時間もなくなりそうね』
『じゃ大体、そう言うことにしておこう。 それから僕は何か、祥子の誕生日に相応しいプレイを考えておくよ』
『ええ お願いするわ』
これでお誕生日の行事プランは大体めどがつく。 ついでに 思い付いたことをつけ加える。
『それから当日はみんなでお祝いするのだから、その準備にも僕も何かお役に立ちたいけど、バースデイ・ケーキでも持って行こうか』
『ええ 有難う。 でも バースデイ・ケーキはあたしの方で用意しておく積りで、ついでがあったものだから、もう 今日、ケーキ屋さんに注文しちゃったの』
『ああ そう。 それじゃ 乾杯用にワインを1本、ぶら提げていこうか?』
『そうね。 そうして貰うと助かるわ』
『うん、じゃ そうする』
これでその話も一段落する。
3
『それじゃいよいよ贈り物の中味の話だけど、ほんとに何がいいかな。 出来れば「かもめの会」にふさわしく、何かプレイに関連したものがいいんじゃないかと思うけど』
『ええ そうね。 ただ』
『え、何かあるのかい?』
『ええ。 これはここで言う贈り物と関係するかどうか判らないけど、祥子から祐治さんへ一つ注文があったの』
『へえ、それはなんだい』
『ええ、祐治さんの鼻紐のことなの。 今日、孝夫さんと相談した後、マンションに帰って祥子に12日のお誕生日パーティのことを話して、あたしが祐治さんに電話連絡する、と言ったら、12日に来る時に、また例の鼻紐を通す用具を一式持って来て欲しい と祐治さんに伝えてくれって言われたの』
『ああ、あの鼻紐かい?。 祥子、そんなに気に入ってくれたのかな』
『ええ、そうらしいわね』
『そうだな。 この前の時に、注文があれば何時でも自分の鼻に鼻紐をセットして待っててあげる って約束したから、今さら嫌とは言えないだろうな』
『いや ちょっと違うの。 祥子はね。 今度のお誕生日の贈り物に 祥子の鼻に金の鎖を通して飾って欲しいって言ってるのよ』
『えっ、祥子の鼻にかい?』
私は思わず聞き返す。 当日どんなプレイをしようか と考え始めた矢先だったので、ちょっと機先を制せられたように感じる。
『ええ そう。 金の鎖は祥子が用意するから、それを鼻に通して欲しい、って言ってるの』
『ふーん。 そう言う贈り物か』
『ええ そう。 さっき言っていた「かもめの会」からの贈り物とちょっと意味が違うようだけど』
『そうだな』
私はちょっと考え込む。
『でも、どうして祥子はそんなことを考えたんだろう』
『ええ ひとつには、イヤリングやヘヤ・アクセサリーと同じように、鼻も飾ったらいいんじゃないかって考えたんだと思うけど』
『なるほどね。 それで、ひとつにはと言うと、まだ他にもありそうなのかい?』
『ええ 多分。 この前の時、祥子はあの鼻紐をどうやってお通しになったのかにとても興味があったけど、祐治さんは企業秘密だと言って教えてくれなかったでしょう?。 それでもあの時のヒントから大体の想像はついてたけど、それを確かめてみたくなって、自分にやって貰う気になったのじゃないかしら』
『なるほど、そうすれば確実に判る訳だね』
私は祥子の発想の柔軟さに感心する。
『でも祥子の鼻に鎖を通すのって、ほんとに大丈夫かしら』
『そうだね』。 私は 金魚の水槽の空気補給に使われるビニールパイプと綿の細紐とを補助的に用いて祥子の鼻に鎖を通す作業を、具体的に順を追って想像してみる。 紐を通す対象が私の鼻から祥子の鼻に代っても、祥子の鼻の穴が私のより少しは細いかもしれないが、それで何か特別な困難が生ずるとは思えない。 ただ 金の鎖がどんなものかがちょっと気になる。
『まあ 技術的には問題なく出来ると思うけど、本当に大丈夫かどうかは鎖の太さと滑らかさにもよるだろうね。 あまり太くてごついのはもちろん困るけど、あまり細くても鼻の奥を傷つける心配があるしでね』
『ええ そうね』
『ところで祥子はどんな鎖を用意してくれるのかな』
『そうね。 祥子は首飾りやとペンダント用に比較的太いのや細いのを何本か持っているから、その中から適当に選ぶことになると思うわ』
『まあ、むやみに太かったり細かったりしない、常識的な鎖ならば多分大丈夫だろうと思う』
『ああ そう』
美由紀はまだ判然としないような声で応えてくる。
『まあ とにかく、当日は祥子の鼻に通すことも考えに入れて、鼻紐通しの用意はしていくよ』
『ええ、お願いするわ』
美由紀もそれで話を打ち切る。
『それはそれでいいとして、肝心の「かもめの会」からの贈り物はどうしようか』
『そうね』
また 話がちょっと途切れる。 しかし、急にはよい思案も浮かばない。
『そうだね。 贈り物が必ずしも品物でなければならない訳でもないだろうから、祥子が言ってるように鼻を飾ってあげるのも、確かに贈り物かも知れないね』
『そうね』
『それじゃ、金の鎖で鼻を飾ることを含めて祥子に色々なプレイを経験させてあげて、それを贈り物にする、と言うことにしておこうか』
『ええ そうね』
贈り物の話は、一応 これで片をつける。
『それから当日は、鼻紐セット用具のついでに、外のプレイ用品も持っていこうか?』
『そうね。 祥子さんはそれは特には注文していなかったけど、でも 持ってきて貰った方がいいわね』
『じゃ とにかく、一応のものをバッグに詰め込んで提げていくよ』
『ええ そうして下さるといいわ』
これで一応、こちらの聞いておきたい事項は終る。
『じゃ、今 打ち合せておいた方がいいのはこんなものかな』
『ええ そうね』
『他に何か、僕への注文はないかい?』
『ええ、特にないけど、とにかく 鼻紐セットの用具は忘れないでお願いね』
『うん 判った。 きっと持っていく』
これで用件はすっかり終る。 もう電話を切る積りで、最後に『じゃ、12日の夕方の4時半に美由紀達のマンションに集合だね』ともう一度念を押す。
『ええ そう』
『それじゃ、僕は4時半ちょっと前に伺うからよろしく。 所で祥子はまだ風呂に入っているのかい?』
『ええ まだみたい。 祥子のお風呂って結構 長いの』
『ああ そう。 じゃ 祥子にもよろしくって言っといて』
『ええ 伝えとくわ。 それから、今日は本当に有難うございました。 お陰様で 当日に何をするかの見当がついて、ほっとしたわ』
『それはよかった。 じゃ 当日、よろしくお願いする』
『ええ こちらこそ』
『じゃあね』
電話を切る。