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3.1 朝

第3章 箱詰めテスト第2日
05 /06 2017


  ふとPの根元に痛みを感じて目が醒める。 頭がはっきりしないままに、ぼんやり目をあける。 まっくらで何も見えない。 後ろ手になった両手も揃えて曲げたままの両足も自由にならない。 鼻の所が何かで覆われ、無意識のうちに、鼻で息を吸って口で吐く、という呼吸をつづけている。 体が横向きになっていて、体の下になっている右の二の腕が少し痛い。
  体を伸ばそうとして肩と足が堅い壁にぶつかる。 顔にも何か軟らかい布地が触っているのを感じる。 ようやく意識がはっきりしてくる。 『そうだ、昨夜はフランス人形のマゾミちゃんに変身して、後ろ手、両足縛りのままで布の袋に入れられ、例の箱に納められて寝たんだったっけ』と思い出す。 私は今、生命のないお人形とされて、大事に箱にしまい込まれている、ということに奇妙な嬉しさを感じる。
  しかし、Pの根元がPセットの紐で締め付けられて痛い。 意識も五感もない筈のお人形が痛みを訴えるというのも奇妙なものだと思うが、痛いものはやはり痛い。 身体を固くして我慢する。 この締め付けは、私が自己憐憫にふけって嬉しがったりしているので、局所が興奮しているのが原因であると考えられる。 取りあえず、何も考えずに頭が空白になるようにする。 Pの根元の痛みが次第にやわらぐ。
    痛みが去って気分は落ち着くが、目がすっかり覚めてしまう。 色々なことが頭に浮かぶ。 今は私は生命のない単なる物品である、1体のお人形とされている。 ここでお人形というのは、動くことが出来ないだけでなく、意志も感情も何も外に現わすことの出来ない存在である。 実際、外に何かを伝えるための最重要な機構である口は使えぬようにあごを口枷でがっちり固定されており、眼も不透明なコンタクトレンズで蓋をされていてものを言わすことが出来ない。 試みにあごにぐっと力を入れてみる。 あごは少しも動かない。 口枷がうまく出来ていることに改めて感心する。 眼もまばたきだけは出来るが、例え周りが明るくても何も見えず、何も訴えられなくなっている。 改めて、お人形にされている自分が不憫になり、逆説的に嬉しくなる。
  それにしても今はいったい何時頃かしら。 とにかく、時間を推定する手掛かりは何もない。 肩と腰が凝ったようで少し痛いが、別に今急にどうということはない。 身体をもじもじ動かして、肩や腰の凝りをやわらげるように努力する。 そのうちにまた少しうとうとし、眠り込んでしまう。



  かたことと言う何かの気配に、また眼がさめる。 眼をあける。 まだ視界はまっくらである。 今度はすぐに、箱に詰められている今の境遇を思い出す。
  耳を澄ます。 確かに箱に何かをしている物音が伝わってくる。 『ああ、朝になったので箱から出して貰えるらしい』と思う。 ほっとする。 同じ動くことも見ることも出来ない境遇でも、変化の全くない箱の中でひたすら時間の経つのを待つのには、さすがにちょっとうんざりしてきている。
  そのうちにがたっと蓋があく気配がして、急に視界が茶褐色に明るくなる。 思わず眼をつぶる。 頭の上で紐を解いている気配があって、次に顔の上の袋の布が下ろされ、顔にひんやりした空気を感じる。
  また眼をあける。 しかし、視界は相変らず一面の茶褐色で何も見えない。 頭の上で、『ああ、目を開けたわ。 まだちゃんと生きてたようね』と祥子の声がする。 そしてその声が続けて『おはよう、マゾミちゃん』と呼びかけて来る。 あごが動かないままに、『む』と鼻から声を出して応える。
『ご無事でよかったわ』と美由紀の声。
『そりゃそうよ。 これだけ慎重にやってるんだから、そう変ったことが起こる筈はないわよ』と祥子が言っている。
『それでもご無事なお顔を見るまでは、心配で心配で』
  美由紀はほんとに心配してくれている。 有難く思う。
  そこへ邦也の声が入る。
『祐治さんはいいな。 美由紀さんにそんなに思われて』
  そして祥子が言う。
『邦也さんだってこのように箱詰めにされて一晩過ごしたら、美由紀が心配してくれるわよ』
『いいよ、いいよ。 それでも僕は遠慮する』
  邦也が慌てた口調に皆のどっと笑う声が聞こえる。 私もにんまりする。
『あ、マゾミちゃんも笑った』と孝夫の声。
『だめね、マゾミちゃんを笑わせたりしちゃ』と祥子が言っている。
『でも、マゾミちゃんって、唇を半分あけて一生懸命呼吸をしていて、ちょっとお可哀そうですわね』との玲子の声が聞こえる。
『そうね。 息は口から吐かなければならないから、唇を閉じられないのよね。 それにあごが固定されてるから口ははっきりは開かないしで、どうしても唇を無理にあける形になるのね。 何か改良した方がいいかも』
  ちょっと静かな間がある。 皆がそれぞれの思いで私を見ているのであろう。
  やがて静けさを破って、『じゃ、マゾミちゃんを箱から出して、朝のお食事の間、また飾って鑑賞してあげましょう』と祥子がいう。 『はい』と孝夫が応えている。
  鼻からマスクが外される。 ほっとして唇を閉じ、鼻だけの呼吸に戻る。 ついで肩に手がかかって上体が起こされ、箱の中で腰を下ろした姿勢になる。
『まず先に呼び鈴のリード線を外さないといけませんね』と孝夫の声がして、袋が引き下がられ、手首に縛りつけてあった線が外される。 右手に握っていたスイッチを放す。
『昨夜は呼び鈴を使わずに済んだようね』と祥子が言う。
『ええ、よかったですね』と孝夫が応える。 『僕は、いつ鳴るか、いつ鳴るかって気になって、あまり眠れませんでした』
『まあ、それはご苦労さま。 ほんとに寝てないの?』
『いいえ、そのうちに寝込んでしまったようですけど』
『そうね。 孝夫にはちゃんと寝ておいて貰わないと、今日のこともあるから』
『はい』
『じゃ、とにかく箱から出しましょう』
  何本かの手が脇の下や腰に掛かり、持ち上げられて横に運ばれて立たされる。 袋が足元まで引き下げられる。 ついで腰の辺で抱き上げられ、柔らかいものの上に下ろされて、腰を掛けた形になる。 『ああ、ソファーだな』と思う。
『マスクを掛けたりしたんで、マゾミちゃんのお化粧が大分くずれたわね。 美由紀、玲子に手の紐を解いて貰って、ちょっとお化粧を直してあげて』
『はい』
  その指示応答を聞いて、私は『ああ、美由紀はやっぱり縛られていたんだな』と思う。 昨夜は邦也は祥子に、美由紀も玲子に何かをして貰うような話の進行だったけど、どうだったかしら。 今の所はそれを推定する手掛かりは何もない。
  ついで紐を解いて貰ったらしい美由紀が『そうね。 そこじゃ、ちょっとやりにくいわね』と独り言のように言って、『すみませんけど、孝夫さん、そこの椅子に座らせてあげて下さらない?』と声を掛ける。 『はい』と孝夫の返事があって、また孝夫のらしい手が私を抱え上げて横の固い椅子に座らせてくれる。
『ちょっとお髭が生えてきて、このままじゃお化粧ののりが悪いから、かみそりも当てておいてあげるわね。 ちょっと動かないでいてね』と美由紀がいう。 眼は見えないながら『むん』とうなずく。
『駄目よ、美由紀』と祥子がいう。 『マゾミちゃんに話し掛けたりしちゃ。 感覚も運動機能もない筈のお人形さんが、うっかりうなずいたりしちゃうじゃないの』
  皆がどっと笑う。
  顔に髭剃り用の泡のようなものがつけられ、美由紀のらしい指であごの辺が優しく抑えられて、口の周りやあごにかみそりが当てられる。 吐く息を頬に感じる。 ちょっといい気持になる。
  髭剃りの後、スポンジとパフで丁寧に肌が整えられ、口も口紅らしいもので描き直される。
『こんなものでどうかしら』
『ええ、いいわ』
  そして玲子の感心したような声。
『マゾミちゃんは何時見てもおきれいですわね』
  また思わずにんまりする。
『それじゃ、孝夫の作ってくれた頭の支えをここに持ってきて』
『はい』
  孝夫らしい手に支えられて立ち上がる。 スカートが脱がされる。 そして、ふんどし兼用の手首の縛りが解かれ、ブラウスが脱がされる。 私は身体の力を完全に抜いて、なすがままにされる。
  かつらが脱がされ、何か固い、湾曲した板状のものが、ひたいの髪の生え際から頭の頂点、うなじを通って、スリーマーを着たままの上半身の背中の上半分にわたって当てられる。 頭や首や背中の曲線にも適合してぴったり接触し、直接触れている首筋がひんやり冷たく感じて、思わずぞくぞくっとする。
『うまく合ってるわね』と祥子が嬉しそうに言う。
『ええ、まだちょっと修正したい所もありますけど、一応はいいようですね』と孝夫が応える。
『じゃ、このまま留めましょう』
  まず、胸の乳首の上と下とに幅が4センチほどのバンドが一巻きづつして、支えが背中に留められる。 ひたいの上部にも2センチほどの幅のバンドが一巻きされる。 もう、首の力を抜いても、頭が前に垂れなくなる。 その代り、首を横に曲げることも回すことも出来なくなる。
  また、ブラウスが着せられ、頭にかつらをかぶせられる。 そして、両手首がさっきと同じようにふんどし兼用の縛りで念入りに後ろ手に固定され、最後にスカートがはかされる。
『これで、どうにか頭が垂れなくなったわね。 かつらに隠されて支えは一応は見えないし、まあまあね』
  祥子が満足そうにそう言っているのを聞いて、私も今のマゾミちゃんの姿を鏡ででも一目見たくなる。 しかし、視覚も運動感覚も持たないお人形の身では到底かなわぬ希望である。
『でも、ちょっと頭がぐらついてるようですね』と孝夫がいう。
『まあ、それは背中の所がうまく固定されてないのだから、仕方がないわね。 もし、きちんとする気なら、コルセットを着せて、それに固定すればいいんでしょうけど』
『そうですね。 それから支柱をもう少し長くして腰まで伸ばしても、頭ももっと安定しますけど』
『そうね。 そうすると腰も曲がらなくなって箱に入れるのがやりにくくなるけど、確かに一つの方法ね』
『じゃ、この次の時に考えましょう』
『ええ、そうして』



  首の安定法の論議が終わって、改めて祥子が指示する。
『それじゃ、マゾミちゃん人形をLDKに運んで、向かうでマゾミちゃんを観賞しながら朝のお食事をしましょう』
  また何本かの手が私を抱え上げ、廊下に出て、ずうっと運んでいって、LDKらしい部屋に入って、そっと下ろして立たされる。 後ろ手に昨日のスタンドの柱がさわる。
  またちょっと抱え上げられ、両足に靴がはかされて下ろされる。 かかとがぐっと高くなって爪先に力が加わる。 足首と腰が柱にくくり付けられる。 胸も脇の下を通して巻いた紐で柱に固定される。 頭もまっすぐになるように支えの位置を直される。 背中で支えの板が動いて少しくすぐったい。 これでまた、スタンドに立ったフランス人形が出来上がる。
『これでいいわね』という祥子の声で、皆が近くから離れる。 そして『じゃ、あたし達で簡単な食事を作るから、男の方たちはちょっと待っててね』という祥子の言葉があって、しばらくの間、とりとめのないおしゃべりと食事を作っているらしい物音がつづく。
  やがてその物音も一段落して、祥子が『じゃ、美由紀』と声を掛け、美由紀が『はい』と応える。 そして美由紀に紐を掛けてるらしい気配があった後、『じゃ、みんな、昨夜と同じ席について』との祥子の声で皆が食卓に着き、食事が始まる。
『いいわね』と祥子が浮き浮きした口調で言う。 『こういう風に、意志はおろか、感情も表に出すことの出来ない、ただのお人形に仕立てて、それを見ながらゆっくりお食事するのって、ほんとに楽しいわね』
『うん、そうだね』と邦也。
『でも、あたし』と美由紀の声。 『祐治さんがどうしておられるかと思うと、胸が詰まるような気がして』
『そう言う風には考えない方がいいわよ。 祐治さんだって、ただの物品として扱われてみたいって言っていらしたんだから、そんな感情移入を止めて、ただのフランス人形「マゾミちゃん」として観賞して上げた方がお喜びよ』
『ええ、それはそうでしょうけど』
  美由紀はあまり納得してないような返事をする。
『でも、ただのフランス人形でしたら、ただ、見事なお人形ね、と言うだけで、祥子さんもそんなには浮き浮きはなさらないんじゃないかしら』と玲子が控え目な声で言う。
『そうね』と祥子はちょっと内省的な声になる。 『あたしにとってはやっぱり、特別仕立てのお人形で、誰かがその陰でじっと辛抱している、と思うから、観賞してて、よけいに楽しくなるのかもね』
『うん、そうだね。 よく解る』と邦也。
『でも、祐治さんのご希望はもっと高い所にあるんですよね』と孝夫が言い出す。 『このように、これが祐治さんを仕立てたお人形なんだ、と知っている我々が観賞するだけではなくて、何も知らない人々に本当に単なる物品と思われて無造作に取り扱われてみたい、というような』
『ええ、そうね。 それがこの次の貨物発送プレイの眼目ね』
『ええ』
  話が一段落して、皆が黙って食事を進めている物音だけが伝わってくる。



  少しして、また会話が始まる。 まず孝夫がきっかけを作る。
『邦也さんも、そうやって祥子さんに食べさせて貰うのが大分板についてきましたね』
  そして邦也が応える。
『うん。 いいも悪いも、手の紐を全然解いて貰えないのだから、しょうがないんだ。 それにうっかり文句を言うと、また食べさせて貰えなくなりそうだし』
『え?、すると、昨夜からずうっと縛られたままですの?』と玲子のびっくりしたような声が続く。
『うん』と邦也の声。
『それは大変でしたわね』と玲子がまた同情するように言う。
『いいのよ』と祥子。 『邦也さんももう縛られたままでの生活に大分慣れたし、それに美由紀と同じ格好で、お隣り同志で同じように食べさせて貰ってるのが嬉しいんだから』
『そういう訳でもないけど』と邦也が口ごもる。
  なるほど、今朝も邦也は後ろ手に縛られ、先ほど紐を掛けられた美由紀と隣り合わせに並んで、祥子に食事をさせて貰っているんだな、と一面の茶褐色の視界に食卓の光景を思い浮かべる。 すると美由紀もまた玲子にお給事をして貰っているのだろう。 皆がそれぞれに発言しながらも、食事の音はとぎれずにつづいている。
  少しして、また孝夫が話のきっかけを作る。
『所で、邦也さん。 昨夜は祥子さんと2人だけになって、何をしたんですか?』
『何をって』
  また邦也が口ごもる。 代わって祥子が説明する。
『とにかく、邦也さんのMの素質を引き出すために、色々なことをしたの。 例えば、逆えびにして、足を繋いでいる紐を棒にからませて少しづつ強く引き絞っていったり、それにきつい猿ぐつわを加えたり。 すると邦也さんは、最初は嫌がっているけど、そのうち段々に乗ってくるの』
『え、本当ですか?、邦也さん』
『うん、何だかよく解らないけど、とにかく苦しいなりに、いい気持ちになってくるんだ』
『ふーん』
『とにかく』とここで祥子が締めくくる。 『邦也さんって、あたしの思ってた通り、とてもMの素質があって、教育で素晴らしいMになって貰えそうよ』
『でも邦也さんは、Sじゃなかったかしら』と美由紀の声。
『ええ、少なくとも昨日までは、自分ではそう思っていたんだ。 だけど今となると、自分でも本当はSなのか、Mなのかが分らなくなってしまって』
  その言い方に邦也のいかにもとまどっている表情が想像される。
『そうね』と祥子がまた話を引き取る。 『今までは、美由紀は最初からM一本やりだったし、祐治さんはSの気もあるけど、最初から素晴らしいMで、あたしが圧倒されるようだったわ。 それに対して、邦也さんは、最初は自分が生粋のSだと思っていた所が少し違うのね。 でも邦也さんも、祐治さんとは少し性質が違うけど素晴らしいMの素質を持っていて、みがけばみがくほど素晴らしいMになってくれそうなのよ。 本当に教育のしがいがあるわ』
  祥子はいかにも嬉しそうである。 自分の感が当たっていたことに深い満足を感じているのであろう。
『邦也さんもそれでいいんですね?』と孝夫が念を押すように言う。 そして、『僕にも紹介した責任がありますからね』とつけ加える。
『うん。 少なくとも、今の所は満足している』と邦也。
『いいのよ、本人がこう言うんだから』と祥子がまた話をとる。 そして、『これであたし達の会もますます楽しくなるわよ。 ね、邦也さん?』とはしゃいだ声で同意を求める。
『うん』と邦也の余り気の乗らないような声がそれに応える。
  ちょっと話がとぎれて、食事の音だけがつづく。



  やがて、食事の音がとだえる。 『じゃ、お茶を』とのことで、お茶を用意する音がつづく。 そしてそれも終って、みながお茶をすすり始める。
  早速にまた、孝夫がきく。
『それで、美由紀さんと玲子さんはどうしてたんですか?』
『ええ、あたし達は昨夜はまず、2人でお風呂に入って、あたしは玲子さんにすっかり洗って貰って』と美由紀。
『というと、昨夜の紐は一度解いて、服を脱いでからまた縛り直したのね』と祥子。
『ええ、そう』
『どんな縛り?』
『ええ、その時はまだ、簡単な後ろ手縛りでした』と玲子が応える。
『何時もはあたしが美由紀を縛ってお風呂で洗ってあげてるのに、ちょっとねたましい気もするわね』と祥子が笑いながら言う。
『すみません』と玲子の声。 また、頭を下げているのだろう。 皆の笑い声が響く。 そしてまた祥子が言う。
『いいのよ。 昨夜はあたしは邦也さんでたっぷり楽しませて貰ったんだから。 ね、邦也さん?』
『うん』
  邦也はまた情けなさそうな声で答える。 皆がどっと笑う。
『それでどう?。 自分では何も出来ない人を洗ってあげるのは』と祥子がきく。
『ええ、とても楽しいですわ。 本当に人のお役にたっているみたいな気がして』と玲子。 そして美由紀が言う。
『祥子さんだと洗いながらちょいちょいいたずらして、冷たい水をざぶっと掛けたり、鼻と口を同時に詰まんで息を詰まらせたりするの。 でも玲子さんは本当に優しく世話を焼いてくれるのよ。 同じように縛って洗ってくれても、大分違うわ』
『それで、美由紀さんはどっちがいいのかな?』と邦也がきく。
『そうね。 どっちか分らないわ。 両方ともとてもいいの』と美由紀。
『まあ、如才ない返事ね』と祥子が笑う。
『だって、本当に両方ともいいんですもの』
  美由紀は少しむきになる。 そして邦也が
『うん、解る』
と大きな声を出す。 また、みんなが笑う。
『それで、お風呂の後はどうなりました?』と孝夫がつづけてきく。
『ええ。 お風呂から上がって、濡れた紐は一応解いて貰って、体を拭いて、パジャマを着てから、また縛って貰ったの』
『また簡単な後ろ手縛りに?』と祥子。
『いいえ、今度は玲子さん、高手小手に縛ってくれたの』
『まあ、高手小手に縛って上げたの?』
『ええ、美由紀さんがそうして、っておっしゃるものですから、何とか』
  玲子は恥ずかしそうな声で応えている。
『あの、玲子さん、とても感がいいわよ。 あたしが時々口で言うだけで、きちんとした高手小手に縛ってくれたわよ』と美由紀がいう。
『それは頼もしいわね』と祥子。
『ええ。 昨日はもう何回か、縛る所を見せて貰ってましたから』
  玲子がまた恥ずかしそうにそう言って、さらに感心したように付け加える。
『でも本当に、美由紀さんは縛られるのがお好きなんですね』
『そうね。 何だか、手が自由だと落ち付かないみたいね。 要するに、手が自由だと仕事をしなければならない、という強迫観念があるんじゃないかしら。 縛られていれば、何でも黙って見ていられるものね』と祥子。
『そんなことないわ』と美由紀の声。 また何時もの口をとがらせている顔が目に浮かぶ。
『まあ、それはそれとして、その後は?』と孝夫がまた先をうながす。 どうも孝夫には、玲子が何をしたかが気になるらしい、と気がつく。 しかし、私は何もすることが出来ず、ただ聞き耳をたてているだけである。
『ええ。 部屋に戻って、クッキーをつまみながら、玲子さんと色々とお話をしたの』
『もちろん、玲子さんがクッキーを口まで運んでくれたんだよね』と邦也が羨ましそうに言う。
『ええ、そう』
『あたしだって、ゆうべ、2人だけになってからも、プレイの合間にはチョコレートを口に入れて上げたりしたじゃない』と祥子がいう。
『でも』と邦也が言いかけて止める。
『そんなにいじめると、邦也さんがお可哀そうですわ』
『いいのよ。 邦也さんにも、こういうことをされる楽しさがやっと解ってきた所だから』
『そんな』
  邦也はまた何か言いかけて黙ってしまう。 そして孝夫がまた先をうながす。
『それで、どんな話をしたんですか?』
『ええ、今までのプレイのことやなんかを、色々と話してあげたの』
『ええ、とても面白くて、参考になりました。 特に祐治さんのプレイの素晴らしさにはすっかり感激してしまいましたわ』
  この玲子の誉め言葉に、思わずにやりとする。 それを美由紀がめざとく見付けたらしい。
『あら、マゾミちゃんが笑ってるわよ』と美由紀の声。
『あら、ほんと』と玲子。
『きっと今の話を聞いてたのね』
『そうね。 でも、生命のない筈のお人形が聞き耳をたてていて、話を聞いて笑ったりしては困るわね。 耳にも栓をしておいた方がいいかしら』
  この祥子の言葉に私も、どうせ生命のない物品にされるのなら物のついでにそうして貰って、外からの情報を全く感知しない物品の気分を味わってみたい気がする。 しかし、玲子は言う。
『あら、お可哀そう。 今は止めておきましょうよ』
  やっぱり玲子は母性愛的な優しい性格らしい。
  そして祥子も言う。
『そうね。 今日は用意してなかったから、このままにおきましょう』
  これで私の夢想は取り止めになる。
『そして、その後は?』とまた孝夫が訊く。
『ええ、それから後はおトイレに行かせて貰ってから、寝ただけ』と美由紀が答える。 『でも寝るとき、玲子さんは足首を揃えて縛ってくれて、口に詰め物をしてマスクを掛けてくれて、眼には安眠用の眼帯を掛けてくれて、優しく寝かしつけてくれたの。 お蔭で朝までぐっすり眠れたわ』
  そして玲子がまた改めて感心したように言う。
『美由紀さんってすごいですわね。 あの格好でぐっすりお眠りになれるんですから』
『ええ、そうなの』と祥子。 『あたし達のマンションでも、しばらくプレイをしないでいると、美由紀はいらいらしてくるらしいの。 そうしたら手と足を縛って寝かせると、安心してぐっすり眠れるらしいのよ。 ね、美由紀?』
『ええ』
  美由紀は恥ずかしそうに小さな声で応えている。
『それで、今朝は?』とまた孝夫の声。
『ええ、朝、起きて、服を着替えるのに、一度、紐を解いて差し上げたんですけど、美由紀さんが手だけでもまた縛っておいて、っておっしゃるものですから』
『それで、今朝の簡単な後ろ手縛りになったのね』と祥子。
『ええ』と玲子が応えている。
  改めて祥子が言う。
『ね、邦也さんも解ったでしょう?。 Mの生活というのは、そういうものなのよ』
『ううん』
  邦也はまた気のない返事をする。

3.2 美由紀の吊り

第3章 箱詰めテスト第2日
05 /06 2017


  やがて、お茶をすする音もとだえる。
『あ、みんな、お茶も終ったわね?。 それじゃまず、朝のウオーミングアップのプレイをしましょうか』と祥子がいう。
『いいね』と早速、邦也の賛成の声。 『で、何をする?。 でもその前に、僕の手の紐を解いてくれないかな』
『いいのよ。 邦也さんはそのままでいらっしゃい』
『うん』
  また邦也が情けなさそうな声を出す。
『あら、お可哀そう』とまた玲子。 それには構わず、祥子が改めて言う。
『じゃ、始めましょうか』
『ええ、でも』と玲子がちょっとさえぎる。
『あ、何かあって?』
『ええ、さっき、お食事が終ってお茶に移ってから、まだ10分余りしか経っていないので、プレイの種類にも依りますけど、もう少し時間を置いからの方がいいんじゃないか、と思って』
『ああ、そうね。 あたしは食後のプレイを進めながら食卓を片づけようか、と思っていたんだけど、それだと確かに、モデルの胃の消化に悪いわね。 それじゃ先に、食卓の上の汚れものを洗ってからにしましょうか』
『ええ、その方がいいと思います』
『じゃ、玲子、一緒に片づけましょう。 孝夫も手伝って』
『はい』、『はい』
  食卓の上からお皿類が流しに運ばれ、洗う音が始まる。 邦也と美由紀とが手伝うことも出来ずに、ぼんやりと祥子達の仕事ぶりを見ている光景が目に映る。 邦也はともかく、美由紀は何となく落ち着かない気持ちだろうな、と思う。 しかし、美由紀はその気持ちもMの楽しみのうちに繰り込んでいるのだろう。
  流しの方で水の音に混じって、祥子が『玲子はちゃんと、こういう健康上の問題も考えてくれてるのね』と言ってるのが聞こえる。
『ええ、一応はお引き受けしましたから』と玲子。
『そう、有難う。 助かるわ。 あたしも一応は考えながら進めているけど、これからもうっかりしてたら注意してね』
『はい』
  やがて洗い物の音も止み、食器類をそれぞれの位置に戻す音も終る。
『じゃ、プレイにかかることにしましょうか。 玲子も、もういいわね?』と祥子。
『はい』と玲子が応える。
『それで、何をしますか?』と孝夫がきく。
『ええ、玲子は昨日、下の遊戯室で自分が吊られたけど、まだ人の吊られた所は見たことがないわよね?。 だから今からちょっと、それをお見せしようかと思うんだけど』
『あら』と玲子の声。 そして、『ええ、有難うございます』と素直に応えている。 妙な遠慮をしない所をまた感心して聞いている。
  そこへ邦也が言う。
『それで誰を吊る?。 まさか僕じゃないだろうね』
『そうね、ご希望なら吊ってあげてもいいわよ』
『いいよいいよ。 遠慮するよ』
  邦也の慌てた口調に皆がどっと笑う。 後ろ手に縛られた上体を揺すって懸命に辞退している邦也の顔を思い浮かべ、私もまた、にやっとする。
『邦也さんがご遠慮なさるとなると、やっぱり美由紀かしら。 いーい?、美由紀』
『ええ』
  美由紀は簡単に承諾している。 そこで孝夫が言う。
『美由紀さんも大変ですね。 毎回、吊りのモデルになって。 この前の邦也さんの初参加の時も、確か美由紀さんがモデルになって吊りを見せたんでしたね』
『ええ』と美由紀の声。
『うん、見せて貰った』と邦也も言う。
『あら、それじゃ、申し訳ないわ』と玲子。
『いいのよ。 美由紀もそれでハッピーなんだから』と祥子は相変わらずである。
『まあ』
  玲子がちょっと笑いを含んだ声を上げる。 また、美由紀が恥ずかしそうに下を向いている場面が目に浮かぶ。
『それじゃ、とにかく美由紀をモデルにして、吊りをお目にかけるわ。 そして玲子にも吊り方を憶えて貰う意味で実際に紐を掛けて貰うけど、いいわね?』
『はい』
『それでは玲子は高手小手の縛り方を昨夜にもう習ったそうだから、まず美由紀の今の紐を解いて高手小手に縛り直してくれない?』
『はい』
  玲子は全くためらう様子もなく、すらすらと返事をしている。 その度胸の良さに、改めて感心する。



  皆が立ち上がった気配がある。 そしてしばらくの間、玲子が美由紀を縛っているらしい紐のこすれる音などが続く。 時々、祥子が『そう、そこはもう少しゆったり締めて、後でこの紐で絞って』などと注意をしている。
  やがて、『さあ、出来たわね。 まだ2回目にしてはうまいわね』と祥子の声。
『ええ』とまた玲子が恥ずかしそうな声で応える。 そして、『美由紀さん、痛いところはありません?』と心配そうに訊く。 美由紀は
『ええ、大丈夫よ。 祥子さんとあまり変らない位うまいわよ』と答えている。
『じゃ、次はいよいよ吊りだけど』と祥子が続ける。 『玲子も昨日、ご自分が吊られたから大体は判っていると思うけど、物事は基礎が大事だから、きちんとお教えしておくわ』
『はい、お願いします』と玲子。 そして祥子の説明が始まる。
『まず、この少し太い紐を二の腕の上から胸に4重にかけて。 そうそう、その胸のふくらみの下あたりがいいわ。 この少し太い紐を使うには、細いのよりもこの方が吊られた時に楽だからよ』
  玲子は時々、『はい』と応えながら、紐を掛けている様子。
『そう、その紐を背中で結び合せて、手首に結びつけて。 その先は後で吊るのに使うから、そのまま垂らしておいて。 それから腰にこの紐を2重に巻いて、結び合せて。 そう、その先を股の下を通して前に出して、前で腰の紐にくぐらせてから、また後ろに戻して。 そう、ぐっと締めて』
『むっ』という美由紀のらしい声。 私も思わず身体に力が入り、柱にくくりつけている紐が少しきしむ。
『そうそう、その紐の先をさっきの背中の紐の結び目につなげるんだけど、その長さの調節が大切なのよ。 一般的に言って、腰を少し引き上げる積りでつなげるの。 そう、その位でいいわね。 そう、それで出来上がり。 後はこの紐で吊るだけ』
  祥子の声がとぎれる。 どうやら出来上がったらしい。
『ずいぶん大変ですわね』と玲子の声。
『そうね。 ほんとに痛めつける積りなら腰の紐は要らないんだけど、それだと苦痛が大き過ぎて長い時間はもたないので、腰にも紐を掛けて力を分散させるのよ。 こうしておけば可成り長い時間辛抱できるから、その間に色々とプレイが出来て双方共に楽しめる、という訳。 だから、腰と背中とをつなぐ紐の長さの調節が大事だっていうことも解るでしょう?』
『ええ』
  いつものことながら、祥子の説明は懇切丁寧である。
『で、どこで吊りますか?』と孝夫がきく。
『そうね。 出来ればこの部屋がいいと思うけど。 でも設備がないから、やっぱり遊戯室に行かないと駄目なんじゃない?』
『いや、やる気ならこの部屋でも出来ます。 そこの隅の天井にある開きを開けると、丁度その上を手頃な太い根太が走ってるんです。 そこには何時でも簡単に吊りが出来るようにと、ワイヤーを掛けて用意してありますけど』
『わあ、用意がいいわね』
  祥子が声をあげる。 孝夫が続ける。
『ええ、かもめの会では、よく、この家を使うので、一応調べておきました。 この家は木造で、可成りがっちり作ってあるので、天井にある開きをあけるか、和室ならば動かせるようになっている天井板を少しずらせば、大概の部屋は吊るのに適当な根太や梁が見付かることが分りました』
『それは有難いわね。 でも、ずいぶん熱心に調べたのね』
『ええ。 皆さんの熱心なのに僕もついつられて』
  祥子と孝夫のらしい笑い声が聞こえる。
『でも、細工をしたりしておくと、誰かに見付かったら変に思われないかしら』と美由紀が心配する。
『いや、細工をしたのはこの部屋だけですし、それもワイヤーを掛けて輪を作っておいただけですから、たいして怪しまれたりはしないと思います』
『それならいいけど』
  美由紀は引き下がる。
『それじゃ、早速それを使わせて貰いましょう。 孝夫、用意して下さらない?』
『はい。 じゃ、下から差動滑車を持ってきます』
  孝夫が出ていって、すぐに戻ってきた気配がある。 そして部屋の隅へ何か台を置く音がして、天井辺で少しごそごそいう物音がしていたが、やがて『はい、出来ました』と孝夫がいう。
  祥子が改めて『じゃ、美由紀と玲子、こっちへ来て』と呼ぶ。 そして
『じゃ、玲子、まず、美由紀の足首を縛り合せてあげて』
『次に、この紐をこのフックに掛けて、外れないように確かめて』
と次々に指示を出し、その度に玲子が『はい』と応えながら、言われた通りにやっている気配が続く。
  やがてその作業も終わったらしく、祥子が言う。
『さあ、それでいいわ。 後はこのロープをたぐれば、美由紀の身体が上がるんだけど、差動滑車を使っているので、力は比較的に小さくて済む、と言う訳。 お解りね?』
『はい』
『じゃ、やってごらんなさい』
『はい』
  玲子がロープをたぐり始めたらしく、滑車が回る音が始まる。 すると途端に祥子が、『あ、ちょっと待って』と止める。 『え?』と玲子の声。 滑車の回る音が止む。
『何か?』と玲子。
  祥子は言う。
『ええ、せっかくだから、ついでに猿ぐつわの掛け方もお教えしておくわ』
  そして、『美由紀もいいわね?』と同意を求める。  美由紀は『ええ』と返事をしている。 「ついでに」猿ぐつわを掛けられる美由紀も大変だな、と私はまた、にやりとする。
  何かを取り出す気配の後、祥子が説明を始める。
『猿ぐつわには色々あるけど、あたし達がよくするのは、この革のマスクを使う方法なの。 玲子はこれを見るのは初めてね?』
『はい』
『まあ、別に特に習うほどのこともないけど、一度、やってごらんなさい』
『はい』
『まず、美由紀は口を大きく開けて、この位の量の小布れを口に押し込んで、ええ、そう、美由紀は口をつぐんで、このマスクを掛けて、ええ、そう、革紐をうなじに回して、そう、・・・』
  祥子は事細かに説明している。 玲子が真剣な顔で美由紀の口に猿ぐつわを掛け、美由紀が掛け易いように協力している光景が目に映る。
  やがて、猿ぐつわ掛けの作業が終ったらしい。
『いいわ、それでいいのよ。 玲子も解ったわね』
『はい』
『それじゃ、また、ロープをたぐって吊りあげて』
『はい』
  再び滑車のきしむ音が始まる。 そして少しして、『むっ』という美由紀らしい声が聞こえ、なおもしばらく滑車の音がつづく。
  やがてまた、祥子の声。
『もう、その辺でいいわ。 じゃ、その先をここにくくり付けて留めて』
『はい』
  その作業らしい物音がつづく。
  そしてその物音も止んで、祥子が『さあ、出来たわ』と言う。 私はLDKの隅に、高手小手の紐を掛けられ、猿ぐつわのマスクで顔の下半分が覆われた美由紀が背中から延びる紐で吊り下げられて、ゆっくり揺れている有様を心に描く。 見ることも出来ないだけに、益々いとしく感じる。
『じゃ、また少し、このままにしておきましょう』
『ええ、でも、あたしはもうたっぷり見せて頂きましたから、もう、下ろしませんか』
『いいのよ。 美由紀だって、せっかく吊られたのだから、少しはその感触を味わっていたいわよ。 それよりも、またお茶を入れてゆっくり観賞しましょう』
『はい』
  玲子はあまり逆らわない。



  少しの間、お茶を入れているいる気配がある。 そしてそれも終って、皆がそれぞれに席についた様子である。 お茶をすする音がつづく。 『邦也さんも、はい』という祥子の声も交じる。
  そのうちに『いいな』と邦也が言う。 そして続ける。
『美由紀さんがこうして吊られているのを見ると、また、感激するな』
『美由紀の吊りなら、この前の会の時に見せて上げたじゃない。 しかも、邦也さんに紐を掛けさせて上げて』と祥子。
『うん、でも僕は、猿ぐつわを掛けるのはやらせて貰えなかったよ』
『まあ、それがご不満だったの』
『うん、まあね』
  その言い方に、皆がどっと笑う。
『所でどうお?、玲子』と祥子が会話の相手を変える。 『もう、高手小手に縛るのと、猿ぐつわを掛けるのと、それに吊るのとは、すっかり分ったかしら』
『ええ、大体は』と玲子は応える。 『でも、痛くなくて、しかも緩まないようにきっちり紐を掛けるのは、まだ自信がありませんわ』
『まあ、そんなに急がなくてもいいわよ。 やってるうちに段々とこつが判ってくることだから。 それに、これだけ出来れば普段のプレイとしては申し分ないわよ』
『はい』
  玲子は素直に応えている。
『とにかく、これがあたし達の会の、もっとも標準的な吊りのスタイルなの。 この他にも、直線逆吊りだの水平吊りだのと色々な吊りもするけど、まずこれに慣れて貰えば、他の吊りも、崩れないようにとか、あまり痛くなり過ぎないようにとかいうように、気をつける点は大体同じだから、すぐに要領がつかめるわよ』
『はい』
  話に一区切りついたのか、それで会話がとぎれて静かになる。 皆はお茶を飲む手も休めて、黙って作品を鑑賞している模様である。 今、皆が黙って観賞している作品は美由紀の吊りだろうか、それともお人形の私だろうか。
  静かになると、刺激がないままにまた眠くなる。 生命のない物品として取り扱われるというのは、このように全く放っておかれることも含んでいたんだな、と気がつく。 まぶたを閉じてうとうととし始める。
『あら、マゾミちゃんがうとうとなさってるみたいよ』と玲子がいう。
『あ、玲子は気に掛けててくれた』とぼんやり思う。
『そうね。 お人形さんだから、飾っておかれるだけでちっとも構って貰えないから、退屈して眠くなったのね。 いいわよ、お休みなさい。 もう少ししたら、また構ってあげるから』
  祥子がそう言っているのをぼんやり聞きながら、寝入ってしまう。

3.3 マネキンの首

第3章 箱詰めテスト第2日
05 /06 2017


  遠くの方で祥子の声を聞く。
『さあて、マゾミちゃんはまだ、すやすやとお休みのようね』
  「マゾミちゃん」という呼び名に『あれ?』と思う。 半分、目が覚める。
  祥子がまた言っている。
『それじゃ、次は何をしてましょうか?』
  私はその声もまだ半分夢心地で聞く。 頭がはっきりしない。 手も足も動かない。  眼をうっすらあける。 視界は一面の暗褐色で、形あるものは何も見えない。 やっと思い出す。
『ああ、私は今、マゾミちゃんとして、孝夫さんの家のLDKに飾られているんだっけ』
  腕が凝ってだるい。 動かない腕や肩をもじもじ動かす。 紐が少しきしむ。
『あら、マゾミちゃんがお眼覚めになったみたいよ』と玲子の声がする。
『あら、ほんと。 目が開いたわ』と同じ方向から美由紀の声。
『そうだ。 さっきは美由紀が吊られた所で寝込んでしまったんだ』と思い出す。 『でも美由紀は当然、あれからすぐ、恐らくは10分もたたないうちに下ろされたのだろう。 今は椅子に座っているようだが、手は自由なのかしら。 それともまだ、高手小手のままなのかしら』などと、とりとめのないことを考える。
『マゾミちゃん、ご自分の名前が出たので、起きちゃったのかしら』と祥子が言う。 そして続ける。
『どっちにしてもお眼覚めなら丁度いいわ。 それじゃ、今からマネキンの首を棚に飾る研究をしてみましょう』
『ああ、この前の会の時、祥子さんが言ってたプレイですね』と孝夫の声。
『それ、何かしら』と玲子。
『僕もまだ聞いてないな』と邦也もいう。
『そうそう、あの話をしてたのは、美由紀が肩まで埋められている写真をアルバムで見ていた時だから、まだ邦也さんが来る前だったわね』
  祥子は思い出したかのようにそう言った後、説明を加える。
『要するに、生きている本物の首にかつらをかぶせて、どこかのお店のショーウインドの棚に据えつけて飾ってみよう、というプランなのよ』
  そして孝夫が補足する。
『つまり、この前の会の時、美由紀さんの首から上だけが砂の上に出ている写真を見て、僕が「かつら屋さんのショーウインドを思い出しますね」と言ったら、さっそく祥子さんが、ほんとに生きている人間の首をかつらの台に使って飾ったら面白い、というアイデアを出したんです』
『それは面白そうだね』と早速邦也の浮かれたような声。 しかし、すぐにその声がちょっと心配そうに言う。
『それで、当然、モデルはマゾミちゃんなんだろうね?』
『ええ、そうよ』と祥子。
『じゃ、賛成。 早速やってみよう』
『まあ、現金ね』
  祥子はそう言ってちょっと笑ってから続ける。
『でも、いいわ。 それで外の人は?』
  まず美由紀が答える。
『ええ、あたしもいいわ。 それなら、あんまり辛いことはなさそうだから』
『まあ、それは保証は出来ないけど』と祥子。 そして次に
『孝夫は?』ときく。
『僕もいいです』と孝夫が答える。
『あたしも』と玲子もいう。
『それじゃ、みんないいのね。 祐治さんは最初に包括的同意を貰っているから問題はないしするから、早速始めましょう』



  さっそくに孝夫がきく。
『それで、具体的には何をします?』
『ええ。 今日はマゾミちゃんの首をかつらの台としてショーウインドに飾ることを想定して、実際に棚板に固定してみて、どうやったら自然に見えるかを色々やってみて、研究するのよ』
『なるほど』
  ちょっと間がある。 そしてまた孝夫が訊く
『それで、実際にどこかに飾るあてでもあるんですか?』
  この質問には私もすごく興味が湧いて、思わず聞き耳を立てる。
  祥子は答える。
『ええ。 うまくいきそうだったら、あたしがアルバイトで週に1回行っている美容院で飾らせて貰おうかと思っているの』
『ああ、R町にあるU美容院ね。 いい所ね』と美由紀が言う。
『ええ。 郊外で敷地が広いから建物がゆったり建ってるるし、それにきれいなお庭もあるし』
『え、美容院にお庭?』と今度は玲子。
『ええ、そこのマダムは、ご自宅の敷地の一部にしゃれた建物を建てて、そこで美容院を開いているの。 それで、建物の横にちょっとした芝生のお庭があって、丸テーブルと腰掛けが幾つか置いて、お客さんが待っている時や頭のセットの途中で空いた時間をそこで過ごせるようになっているの』
『あら、いいわね』と今度は玲子が嬉しそうな声を出す。 『やっぱり女の子だな』と思う。
『そこ、ほんとに飾ったり出来そうなんですか?』と孝夫。
『ええ、そのお店は待合所もゆったりしたサロン風になっているし、お店の一部を仕切って作った、道路から見えるショーウインドもあるの。 そして何時も10個ほどのマネキンの首に色々な髪型のかつらをかぶせて、ショーウインドの棚だとか、展覧会などでよく見る彫刻の台座だとか、テーブルの上とかに配置よく飾ってあるの。 あたし、あそこならいいな、と思っているんだけど』
『ええ、あそこならいいわね。 でも、お店の方で承知するかしら』と美由紀。
『ええ、それ、まだ美由紀にも話してなかったけど、あそこのマダム、こういうプレイにとても理解があるようなのよ。 マダムもあたしがプレイに興味を持ってることを知っていて、2人だけでおしゃべりする時は、時々そんな話が出るの』
『なるほど、それなら可能性がありますね』と孝夫
『ええ、そう。 この間も、丁度、ほかに誰も居ないときに、あたしとマダムと2人だけでおしゃべりしてて、店の飾りつけの話から、ちょっと奇抜なアイデアの例として、生きた人間の首をかつらの台に使うアイデアの話が出たの。 そしたら、マダムがとても興味を持って、「そういうことがほんとに実現出来たら面白いわね」ってすごくやってみたそうだったわ』
『もう、そんな話まで出てるのかい』と今度は邦也が言う。
『というと、まだほんとの夢のアイデアとしての話が出ただけなんですね?』と孝夫が念を押す。
『ええ、それはそうだけど、実際に具体的な話を持っていけば、きっと乗ってくれそうな感じよ』
『それは張り合いがあるね』とまた邦也。
『でも』と今度は玲子が問題提起をする。 『普通のかつらの台となるマネキンの首は、いかにも造り物のネキンでございます、といったものが多いですわね。 それに対して、生きた人間の首だとどうしても生気があって、代りに使うのは難しいんじゃありません?』
『そう言えばそうですね』と孝夫も言う。
  しかし、祥子はそのことも考慮済みである。
『ええ、そうね。 でも、あの美容院なら、それも大丈夫じゃないかと思うの。 と言うのは、あそこのマダムは色々なお人形の首を集める趣味があってね。 中にはどっちから見ても本物としか思えないような生き人形の首も沢山持っていて、それを順々に飾ってるの。 だから、それに本物の首を混ぜてもちょっと気がつかないと思うわ』
『ええ、ほんと』と美由紀も言う。 『あの、あたし、1回だけ祥子さんについていって見せて貰っただけだけど、あれ、あんまり本物そっくりで気味が悪いくらいだったわ。 下があいてるテーブルに載せてあるから造り物だと判るけど』
『そういえば、最近はプラスチックの材料もよくなって、人間の肌そっくりのものも出来るそうですね』と孝夫が言う。
『ええ、恐らく、表面はそういうもので造ってあると思うけど』
『それにしても、面白い、ぼくらにとっては有用な趣味ですね』
『ええ、そうね。 プレイに対する興味をお持ちなのと関係があるのかしら』
『もしかしたら』と今度は玲子が発言する。 『最初から本物の首を飾ることを考えていて、お客さんに慣れて貰おうとしてるんじゃありません?』
『ああ、なるほど。 そういうこともあるかもね』
『深謀遠慮ですね』
  孝夫はいかにも感心したという声の調子である。
『でもそうだとすると、それにやたら乗るのは却ってちょっと怖い感じもありますわね』と玲子が言う。
『うん、でも、そんなに深く考えなくてもいいんじゃないのかな』と邦也も話に加わる。 『もっと単純に、人形の首を集める趣味を持っていて、プレイも好きで、と考えて』
『そうね。 すくなくとも、あたしが接しているかぎりは、悪い人とは思えないけど』と祥子も言う。
『あたし、祥子さんの直感を信頼するわ』と美由紀。
『ええ、有難う』
  そして、孝夫が話をもとに戻す。
『そうとすると、とにかくお客さんは、そういう本物そっくりのマネキンの首を見慣れている訳ですね。 それなら本物を飾っても、やたら見破られて騒ぎになったりはしないかも知れませんね』
『ええ、あたしもそう思うの』
  ちょっと会話の空白がある。 そしてややあって、また祥子が話を進める。
『それから、マダムの集めている首の中には、石膏で造った精巧な首の像も沢山あって、よく、かつらの展示に使っているの。 それも、色が真っ白ということを除けば、生きた人間の首とそっくりなの。 だから、場合によっては石膏像に似せた首の像を飾るのもいいんじゃないかと考えているんだけど』
『なるほど、表面に石膏を塗った首の像ですか。 うまく造れるかな』と孝夫。 そして、『色々と可能性があるんですね』と感心したようにつけ加える。
『ええ、そう。 とにかく、色々と作業をお願いするわ。 技術的には孝夫が頼りだものね』
『はい。 満足していただけるかどうかは別にして、張り切ってやってみます』
  話がまた一区切りつく。
『それからもう一つ気になるんですけど』と孝夫の声。
『え、何か?』
『ええ、そのマネキンの首は、その美容院に行って作ることになるんですか?。 それとも、ここで作って運ぶことになるんですかね』
  なるほど、孝夫は輸送も担当である。 私も興味があり、また聞き耳を立てる。 祥子は答える。
『そうね。 それは作業の内容に依るけれど、恐らくは箱か何かに詰めて首だけを上に出したものを作ることになるでしょうし、そうとすると、作ってから運んだ方が楽でしょうね』
『とすると、かなり重いものを運ぶことになりますね。 ですから、その待合室まで運び込む方法も考えておかなければなりませんね』
『そうね。 じゃ、それはお願いするわ』
『それで、その待合室までは、道路からはそのまま入れるんですか?』
『いいえ、美容院の前は道路から1段だけ上がったポーチになっていて、そこからは中に段なしで入れるようになっていたと思うけど』
『なるほど、それを持ち上げなければならないんですか。 ちょっと大事になりそうですね』
  孝夫がちょっと考え込んだ様子である。
『でも、そこに展示すると決めた訳ではないし、実際にその形で実行するかどうかは、その時にまた相談するとして、今は話を先に進めない?』と祥子が言う。
『ええ、それがよさそうだな』と邦也が言う。



『じゃ、具体的な話に入るわよ』と前置きして、祥子が指示を始める。
『そこでまず、その棚板なんだけど、マネキンの首が棚にちょこんと置いてあるように見せるには、板に孔をあけておいて、そこから首を出しておく必要があるわね。 それでまず、その板を作って欲しいの』
『はい』
『それで、適当な板があるかしら。 本番ではきちんとした板を使う積りだけど、今日は適当なのでいいわ』
『ええ、板は倉庫に色々なのがありますけど、ただ、どんな孔をあければいいんですか?。 頭が通るような大きな孔ですか?』
『いいえ。 あたしの考えてるのは、縁に半円形の切り込みがあいてる板が2枚あって、くっつけて並べると、その真中に首がぴったりはまる孔が出来るようなものなの』
  この祥子の説明に邦也が口を挟む。
『ああ、要するに、よく絵で見る、首枷の板だね』
『ええ、そう』
『なんなら僕が作るよ』
『いいえ。 邦也さんには「きろく」の方を作って貰うことを考えてるから、これは孝夫さんにやって欲しいの』
『えっ、何を作るだって?』
  邦也がびっくりしたような声できき返す。
『ええ、き、ろ、く。 邦也さんを後ろ手に縛ってあげたのは昨夜の食事を始める時だったから、確か丁度7時だったわよね。 今はもう10時だから、あと5時間余りを我慢すれば、切りよく20時間の間、後ろ手に縛られて過ごしたという記録が作れるのよ』
『面白いですね』と孝夫がいう。
『そうすると、僕はまだ5時間も紐を解いて貰えないのかい?』
  邦也がまた情けなさそうな声を出す。
『ええ、そうよ。 こういう記録は、こういうチャンスでもないとそう簡単には作れないから、作れる時に作っておいた方がいいわよ』
『ふーん』
『ほんとは24時間の記録を作って貰おうかと思ったんだけど、それだとお人形を夕方までにあたし達のマンションに運び込むのに間に合わなくなるので、諦めて、区切りよく、20時間にしたの。 ね、せめて、その記録は作りましょうよ、邦也さん。 あと、たった5時間ですもの』
『うん』
  邦也がまた情けなさそうな声で返事をする。 そして言う。
『嫌だと言っても、紐は解いて貰えそうもないからね』
『ええ、そうよ。 邦也さんもすっかり物分かりがよくなったわね』
『うん』
  邦也はもう一度、情けなさそうな声で返事をする。
『これで、邦也さんの方の話はついたとして』と祥子は方向を変える。 『所で孝夫はあたしの言った注文は分ったかしら?』
『ええ、大体のイメージは分りました。 それで、板の幅と長さはどの位要りますか?』
『そうね。 幅は2枚合せて40センチもあれば充分でしょうね。 長さは1メートルもあればいいと思うわ。 それから棚板を固定する台が要るわね』
『そうですね』
  孝夫がまたちょっと考えている様子。 そして提案する。
『あの、えーと、台としては、この前の会の時の箱が使えませんかね』
『え?、はこ?』
『ええ、そうです。 この前、祐治さんに入って貰って、あの姿勢で長時間耐えられるかどうかのテストをした時の箱です。 あれならまだ遊戯室の隅に置いてありますし、確か、深さが70センチあったから、丁度、マゾミちゃんの肩位まであると思いますけど』
『ああ、そうね。 それはいいわ』
  祥子はただちに賛成する。 そして付け加える。
『本番の時はやはり、きちんとデザインした箱を作って、その蓋の部分に首をセットしてからお店に運ぶことになるでしょうね』
『ええ、そうですね』
  話は当事者である私は全く関係なしにとんとん拍子に進む。 命のない物品となることを望んで、その通りに扱われているのだから、当然と言えば当然だが、それでも何となく満足感が身を包む。



『じゃ、板を作ってきます。 あ、その前にマゾミちゃんの首の太さを計っておく必要がありますね』
  孝夫はそう言って近づいてくる。 そして、首の周りにひんやりした金属の帯が巻き付けられる。 『ああ、スチールの巻き尺か』と思う。
『一周が約41センチですね。 とすると半径が約6センチ半ですか』と孝夫の声。 そして、『支えに相当する所は、ちょっと変形させて置いた方がいいかな』と独り言のように言う。
『そうね。 適当にお願いするわ』
『それじゃ、行ってきます。 10分か15分で出来ると思いますけど』
  孝夫が出ていく。
『じゃ、マゾミちゃんの首を棚に飾ったら、また一度お茶をいただくから、あたし達は遊戯室にお茶の用意をしておきましょう。 美由紀の紐はもう解いてあげるわね』と祥子が言う。
『僕はやっぱり駄目なのかい?』と邦也が情けなさそうな声できく。
『そうよ。 せっかく記録が作れそうなチャンスなんだから、もっと張り切って辛抱をなさい』と祥子。 『はい』と邦也がまた情けなさそうな声で応える。
  美由紀の紐を解いているらしい気配がする。 そして少し茶碗などのぶつかりあう小さな音がしてから、
『じゃ、いってくるわね。 邦也さんはおとなしくマゾミちゃんを見守っててあげてね』という祥子の声がして、3人が出ていく物音がする。 後は静かになる。 テーブルの方でかすかな物音がしているのは、椅子に縛り付けられているらしい邦也がもじもじ動いているのか。
  やがて、『やあ、お待ち遠さま』という言いながら孝夫が入ってくる。
『あれ、みんなは?』
『うん、お茶の用意をするって出て行った』
『ああ、そうですか。 じゃ、遊戯室ですね』
  孝夫がまた出ていく気配がする。 孝夫からも何の気にも留められずに取り残された邦也の情けなさそうな顔を想像して、また、にやりとする。
  ちょっとして、どやどやと大勢が入ってくる。
『さ、マゾミちゃんを遊戯室に運びましょう』との祥子の声で、私を柱に縛り付けてある紐が解かれる。
『運ぶ時はやっぱり、ちゃんと袋に入れて運びましょう。 その方が物を運んでいる感じが出るから』
  また靴が脱がされ、足から頭まですっぽりと布の袋に入れられる。 『じゃ』と3人ばかりで抱え上げられる。
『僕はどうなるのかい』との邦也の心細げな声がする。
『ああ、そうそう、忘れてたわ』と祥子の声。
『ひどいな』と邦也が恨みがましく言う。
『美由紀。 邦也さんの足の紐と、椅子に縛り付けてある紐だけを解いてあげて』
『はい』
『手の紐には絶対、手を付けちゃ駄目よ』
『はい』
  私はそのままゆっくりと横に運ばれていく。 途中で『じゃ、一度下ろして下さい。 階段は僕一人で運んだ方が安全ですから』という孝夫の声で、一度足の方から下ろされ、立たされる。 そして太腿と背中に手があてがわれて、また抱え上げられる。
『わあ、力があって頼もしいわね』と祥子がいう。
『変に茶かしたりすると、職務を放棄しますよ』と孝夫が笑いながら言う。
『いいわよ。 そうしたら、シーミュータイムを宣言して命令を出すから』と祥子も笑いながら応える。 そして一人言のように付け加える。
『あ、そうだ。 一度、シーミュータイムの威力を見せつけておこうかしら』
『怖いですわね』と玲子が笑いながらの声。
『そうお?』
  祥子がまた笑い声で応えている。
  その間に孝夫は私を抱えてゆっくり下りていく。 そして扉が開く気配がして、なおも運ばれ、そっと椅子に座らせられる。 頭の上の紐が解かれ、上半身が袋を脱がされて、また顔にひんやりした空気を感じる。



  また、人が2人ばかり入ってくる気配がする。
『ああ、邦也さんも美由紀も来たわね。 それでは早速、マネキンの首を飾り始めましょう』と祥子がいう。
『まず、脚は足首と太腿とを縛り合せるから手伝って』
『はい』
  また抱え上げられ、袋をすっかり脱がされて、床に置かれる。 足首を縛り合せてある紐が解かれ、左右別々に足首と太腿とが縛り合される。 そして膝のすぐ上が縛り合される。 私は完全に身体の力を抜いて、なすがままにされている。
『じゃ、箱に入れて』
  すねと背中とに何本かの手が掛かってかなり高く抱え上げられ、横に運ばれて、そっと下ろされる。 脚の下は固い木のままではなく、何か軟らかいふとんみたいなものが敷いてある。 せめてもの心遣いか。 体の向きが少し直される。
『じゃ、板を持ってきて』
『はい』
  孝夫が何かを持ってきて箱の上に置く気配がする。 首の前側半分に何か固いものが接触し、押えつける。 肩が板に少し押し下げられる。  ただ、首に直接当っているのは板ではなくて、何か軟らかい布のようである。 首の後ろ側半分にも固い物が当てられる。 前後の板がぐっと合わされる。 のどぼとけの下がぐっと押される。 また、支えの左右が少し浮いているようである。
『支えの部分がちょっと合わないようですね』と孝夫が言う。
『それにのどを絞め付けていて、苦しそうよ』と美由紀も言う。
『そうですね。 支えの所をちょっと削りましょう』
  後ろの板が外され、横で板を削る音がする。
『これでどうですか』とまた板が首の後ろに当てられる。 今度は支えを含めてぴったり合っているようである。 のどぼとけの所もずっと楽になる。
『ああ、今度は丁度いいようね』と祥子がいう。
『ええ、うまく納まってますわね』と玲子があいづちを打つ。
  私は2枚の板の間に丸い孔があって、そこに私の首が生えている光景を頭に思い浮かべる。 板の厚さは、首に触っている幅から判断して1センチ位か。
  背中を少し丸めて首を下げてみる。 首が板でこすれる。 あごが板に触る。
『あらあら、そんな格好になったんじゃ、せっかくのマネキンの首が台なしね。 何かいい工夫はないかしら』と祥子がいう。
『なるほど。 背中を丸めると背が低くなって、首が下がるんですね』と孝夫。
『もっと首をきちきちに押さえて、動かないようにしたらどうかい』と邦也がいう。
『でも、そんなことをすると息が詰まってしまうわよ』と美由紀が反対する。
  背中を伸ばす。 また肩が板につかえる。
『一番いいのは砂でも詰めて体が動かないように埋め込むことなんでしょうけど、今、急にというわけにいかないわね。 それに今はいいけど、重くて持ち運びが出来なくなるわね』と祥子がいう。
『そうですね。 今、差当って出来るのは、脇の下を板に吊って相対的に動かないようにするか、背中が曲がらないように支えを入れることになるんですかね』と孝夫。
『そうね。 脇の下を吊るのが一番確実かもね。 そうすると、また板に紐を通す孔が必要かしら』
『そうですね。 裏側にフックを付けて先に固定してもいいけど、首に板を付けたまま箱に抱え入れるのはちょっと難しいですね。 それじゃ、板にちょっと孔を開けて来ましょうか』
『そうね。 そうして貰おうかしら』
『はい。 それで、位置はこの辺でいいですね』
  首から板がはずされ、孝夫の出ていく気配がする。
『やっぱり、実際にやってみると、色々と問題が出るものなのね』と祥子がいう。
『本番の時はどうなるかな。 棚板の上に紐が見えていてはまずいだろうね』と邦也。
『そうね。 何とかごまかせるとは思うけど、やはり、ない方がいいわね。 と言って、砂を詰めたんでは重くなりすぎるし』
  さすがの祥子も考えあぐねているようである。
『砂を詰めるとなると、どの位の重さになりますかしら』と玲子が興味深そうに言う。
『そうね。 今度、作る箱はなるべく小さく作ることにして、縦横が50センチと40センチで、高さが70センチ、という所かしら』と祥子。
『すると容積が0.14立方メートルよ』と美由紀が素早く暗算する。
『すると平均の比重を1として140キロだけど、実際はもう少し重くなるかもね。 邦也さん、どうかしら。 この重さなら運べるかしら?』
『そうだね。 その位なら、台車に載せたり下したり、少し横に動かしたりする位は、孝夫君と2人で何とかなりそうだね』 
『それはよかったわ。 クレーンだの何だの言わないですむと助かるわ』
  そこへ『お待たせしました』との声と共に孝夫が帰ってくる。
『じゃ、早速、やってみましょう』
  私の左右の脇の下に紐が通される。 また首が2枚の板で押えられる。 左右の脇の下の紐がぐうっと引き絞められて、肩が板に強く押し付けられる。 そのまま、紐が頭の両側で結び合わされた様子。 試しにまた背中を丸めようとしてみるが、脇の下がぐうっとひっぱられ、首は板に対して殆どずれない。 誰かの手が肩に触り、押し下げようとするが、首は動かない。
『これならよさそうね。 じゃ、釘で打ち付けて』
『はい』
  まず左で2本の釘が打ち込まれる。 金槌が釘を叩く度に首に響いてきて、ぞくぞくっとする。 ついで右側でも2本の釘が打ち込まれる。 そしてさらに左右で2本づつの釘が打ち込まれる。 肩で板を押し上げてみる。 もう、びくともしない。 『ああ、首をすっかり固定されちゃった』と思う。 奇妙な満足感が体を走り抜ける。
『さあ、これで首の方は一応はよくなったから、次は顔の造型よ』と祥子がいう。 そして、『まず、ちょっとお化粧を直してあげて』と指示する。 美由紀が『ええ』と返事をする。
  口の周りや頬にスポンジがすべる。 ついで、パフが叩かれるのを感じる。 そして、唇にべにが差されるのを感じる。 かつらが取られ、ひたいのバンドが締め直され、再びかつらがかぶされて、ブラッシが掛けられる。
『これでいいかしら』と美由紀の声。 『ええ、よくなったわ』と祥子の声。 私は見えない目を2~3度、まばたきする。
『そうね。 眠り人形の例もあるから、時々目を開けたり閉じたりするのはいいけど、余りまばたきが頻繁だと目立つわね。 サングラスを掛けさせたらどうかしら』と祥子がいう。
『よさそうですね』と孝夫。
『そうね。 確か、祐子さんのサングラスが向うにあったから持ってくるわ』
  祥子はそう言って、出ていく気配がする。 そしてすぐに戻ってくる。 私の顔に眼鏡が掛かられる。 また2~3度、まばたきをしてみる。
『ああ、これでいいわ。 これならサングラスのブラウンがかなり濃いから、まばたきしても余り目立たないわ』と祥子が嬉しそうに言う。 また2~3度まばたきをする。

3.4 白い首

第3章 箱詰めテスト第2日
05 /06 2017


『あら』と祥子が声を上げる。 『こういう楽しいことをしてると時間が経つのが早いわね。 もうすぐ12時よ』
『あら、ほんと』と玲子の声。
『さっきは、飾り終ったら一度はお茶を、と思ってたんだけど、これじゃ、お昼を頂きながらゆっくり観賞した方がよさそうね』とまた祥子。
『そうですね』と孝夫が応える。
『それじゃ、簡単に食事を作ることにするけど、あの台所は女が3人入ると、ちょっと狭いわね』
  祥子のちょっと迷いのある様子に玲子が言う。
『それじゃ、せっかく美由紀さんも手が空いていらっしゃるから、お2人で行かれたら?』
『そうね。 で、作ってる間、玲子はどうしてる?』
『ええ、ここでお待ちしますわ。 何なら、手を縛って頂いて』
『え?、手を縛って?』
  意表外な返事に、祥子も聞き返している。
『ええ、何事も経験ですから』
『それもそうね。 確かに、手を縛られて、したいことも自分では出来ず、他人を待って辛抱する生活も一つの経験ね』
  祥子も納得した模様。 私は玲子の好奇心の強さに改めて舌を巻く。
『それじゃ、縛って上げるから、こっちに背中を向けて』
『はい』
  少しの間、祥子が玲子に紐を掛けている気配がある。
『じゃ、これでいいわね』
『はい』
『じゃ、行ってきますからね。 美由紀も行きましょう』
『ええ』
  2人が出て行く気配がある。 後には玲子と邦也と孝夫の3人が残された筈である。 そのうち、玲子と邦也は手首を後ろ手に縛り合わされて。
『玲子さんってすごいな。 よく、自分から後ろ手に縛られる、なんて言い出せるね』と邦也が感心した口振りで言う。
『ええ、何事も経験ですから』と玲子。
『でも、縛られるのは、昨日の歓迎会で、もう、経験済みだろう?』
『ええ、でも、あの時は吊りというプレイのために縛られたんでしょう?。 そうじゃなくて、今の和也さんと同じように、何も出来ない姿で放って置かれて、ただただ待ってるのって、どんな気持ちかしら、と思ったものですから』
『ふーん』
  邦也の感心した顔が目に浮かぶ。
『それでどうお?。 痛くはないかい?』と孝夫が心配そうにきく。
『いいえ、ちっとも』
『玲子さんがほどいて欲しいと言ったら何時でもほどくよ』
『いいわ。 せっかく、祥子さんが縛って下さったのに悪いから。 それよりも、祥子さんって縛るのうまいわね』
『うん、そうだね』
  ちょっと会話がとぎれる。   入口の方で人の来る音がする。 そして、『お待ちどうさま』、『お待ちどうさま』と祥子と美由紀の声。 テーブルにお皿を置く音がする。
『わあ、スパゲッティか。 おいしそうだな』と邦也の声。 そう言われてみると、ぷーんとミートソースの香りがする。
『まだ手を出しちゃ駄目よ』と祥子が言う。
『そんなこと言われなくたって、出せる筈がないだろう?』と邦也。
『それもそうね。 安心ね』と祥子が笑う。
  そして、『まだあるから、もう1回行って来るわ』と言って、また2人が出ていく気配がある。 そしてすぐに戻って来て、フォークなどを並べる音がする。
『じゃ、みんな座って』と祥子。 皆がそれぞれに『はい』、『うん』と応える。
『和也さんはここよ。 また、あたしが食べさせて上げるからね』
『うん』と邦也はあまり気のない返事をする。
『あたしはどうしましょうか』と玲子がきく。
『ええ、そのままで美由紀の隣に座って、美由紀に食べさせて貰うといいわ。 それとも孝夫にお給仕して貰った方がいいかしら』
『いいえ。 美由紀さんがいいですわ』
『そうね。 誰でもいいけど、一度食べさせて貰いなさい。 何事も経験だから』
『ええ、分かりました』
  玲子が明るい声で返事をする。
  皆がそれぞれに椅子に座った気配がある。



『じゃ、頂きましょう』
  食事の音が始まる。 しばらくの間は食器にフォークの当たる音やスパゲッティを食べてるらしい音に混じって、『じゃ、今度はこれを』というような、祥子と美由紀のお給仕の声がつづく。
『どうお?、おいしい?』と祥子の声。
『うん、とてもうまい』
『今は美由紀は玲子のお給仕で忙しいから、美由紀じゃないと駄目なんて、わがままを言っても駄目よ』
『うん、解ってるよ』
『あたしなら、後でもいいですわよ』と玲子が言う。
『いいの。 邦也さんもあたしのお給仕で我慢するように慣れないといけないの』
『我慢なんかじゃないよ。 ほんとにいいんだよ』と邦也。
『いいのよ。 そんなに無理しなくても』
  祥子の笑う声に邦也は黙ってしまう。 とにかく、自由な身体の祥子と後ろ手にくくられてる邦也とでは端から勝負にならない。
『玲子の方はどうお?』
『ええ、とてもおいしいですわ。 それに美由紀さんがとても優しく食べさせて下さいますし』
『昨日、玲子さんがしてくれたようにしているだけよ』と美由紀は言う。
『とにかく、いいわ。 うまくやってくれれば』と祥子が締めくくる。
  ちょっと食事を進める音がつづく。
『それで、マネキンの首のことだけど』と邦也が言い出す。 『ほんとにきれいだね。 マゾミちゃんは』
  ちょっと食事の音が中断する。 皆が私を見ているのかと思って緊張する。
『そうですね。 やっぱり単なるお人形よりは生気がありますね』と孝夫がいう。
『それがちょっと不満ね。 でもこの位だったら、見る人に丁度疑惑を起こさせる位で、却って面白いかしら』と祥子。
『それからマネキンの首では、普通は首の付け根からあるので首がすらっとして見えるけど、マゾミちゃんのではそれはちょっと無理ですね』
『そうね。 それは板に厚さがあるし、肩で板がつっかえるしするから、どうにもならないわね』
  話題がすっかり私に集中する。 ちょっとこそばゆくなる。 首筋が少し凝ったので、頭を動かそうとするが、支えに固定されているので、左右にも前後にも動かない。
『頭が少しぐらついているようね』と祥子がいう。
『ええ、そうですね』と孝夫。 『支えがあるから大きくは動きませんが、支え自身が背中のまんなか位までしかなく、胸の所で2本のバンドで留めてあるだけですから、どうしても少しは動きます』
『今度は支えの柄を腰の辺まで延ばしたのを作って貰おうかしら』
『ええ。 背中の湾曲に合せて作るとかなりぴったりしたものが出来るでしょう。 本番の時までには作ってみましょう』
  話に一区切りがついて、食事の音が再開する。
『あ、そうそう』と祥子が言い出す。 『さっき、孝夫が板を作りに言ってる間に、本番ではコンパクトな箱を作って、中でマゾミちゃんの体を砂で埋めて動かないようにしたら、と言う案もでたのよ』
『あ、そうですか。 それで、重さは扱える範囲に収まるんですか?』
『ええ、大きさが50×40×70ということで、平均の比重を1とすると140キロ位ということのなったの。 邦也さんが、その位なら何とかなりそうと言ってたの』
『なるほど、140キロですか。 まあまあですね』
  ちょっと間が空く。 孝夫が頭の中で反芻しているのだろう。 そして言う。
『でも、人の体は比重は1ぐらいですけど、砂だと2を越えるんじゃないですか』
『そうかもね。 でも、発泡スチロールでなるべく隙間を塞さいで、残りを砂で埋めることにすれば、かなり比重は落せるんじゃないかしら』
『なるほど』
『とにかく、150キロ位には収まるわよ。 それなら何とかなるわよね』
『まあ、そうですね』
  今度は孝夫も納得した様子である。
  ちょっと会話がとぎれ、皆が黙って食事を進める。 そしてまた、祥子が言い出す。
『それでね。 あたしは実は場合によっては、砂の代りに、この前、西伊豆での合宿の時に孝夫が言ってた、早く固まるセメントを使った生コンクリートで埋めて固めるのはどうか、と考えているんだけど』
『え、コンクリートで固める?』と邦也がびっくりしたような声を出す。 『でも、後でうまく壊して外せるのかい?』
『ええ』と孝夫が応える。 『祥子さんに言われて調べた所では、強度は適当に小さいので、何とか安全に壊せるとは思いますけど』
  そして続けて言う。
『でも、あの時は単に話だけかと思ってましたけど、ほんとにやるんですか?』
『ええ。 まだ、やるかどうかは判らないけど、箱の代りにコンクリートのブロックの台座に植え付けてある首なんて素敵じゃない?。 サロンに飾っても、ショーウインドに飾っても、とても見映えがするわよ』
『ええ、そうですね。 でもそこまで具体的な話になると、また感じが違いますね。 少なくともまだ幾つかの段階を踏んで、慎重に実行する必要がありますし』
『まあ、そうね。 まだまだ将来の夢という所でしょうね』
  また会話がとぎれ、食事の音がつづく。



  そのうちに食事が終ったらしく、『じゃ、先に片づけましょう』という祥子の声を合図に、手の自由な3人が食器を片づけて上に運んで行く気配がある。 玲子と邦也は手を出せないので黙って見ているのであろう。 玲子がどんな気持ちで、祥子達がてきぱきと片づけているのを見ているのかをちょっと聞いてみたくなる。 もちろん、それは叶わぬ話である。
  やがて片づけの音も止んで、皆がまた椅子に腰を下ろした気配がある。
『さあ、次は何をしますか?』と孝夫がきく。
『ええ、そうね。 この生き人形タイプのマネキンの首はゆっくり観賞させて貰ったからこれで一段落ということにして、次に移りましょうか』
『まだ、あるんですか?』
『ええ、もう一つ、プランを考えてるの』
『ああ、そうですか。 じゃ、ちょっと待って下さい。 この首の記録を撮っておきますから』
  私の周りを孝夫が回りながら、何枚かの写真を撮っているのを感じる。
  少しして、『じゃ、いいわね』と祥子の声がして、『はい』と孝夫が応える。
『じゃ、次は今日のマネキンの首の完成品として石膏でできたの首を作ることにするわ』と祥子がいう。
『ほう、石膏細工の首も造るんですか』と孝夫。
『ええ、マダムの持物のなかには実物大の石膏の塑像の首も沢山あってね。 それも時々取り替えながら、サロンやショーウインドに飾ってるの。 だから、石膏の首も飾る候補の1つなのよ』
『なるほど』
  替わって玲子がきく。
『石膏の首と言うと、真白に塗るわけかしら?』
『ええ、そう。 それもおしろいやペンキでなく、実際に石膏を塗ってみたいの。 本物の石膏の首の中に生きた人間の首がそっくり入っているなんて、面白いんじゃない?』
  邦也が『うん、そうだね』とまず賛成する。 私も『なるほど』と思う。 また身体がぞくぞくっとする。
『でも』と孝夫が疑問を出す。 『肌に直接、石膏が塗れますかね』
『そうね。 まず下地として、布粘着テープか何かを張る必要があるかもね』
  今度は美由紀が心配する。
『それに、乾くのに大分時間がかかるんじゃないかしら』
『そうね。 そうとすると、今日は時間もないし、準備不足でちょっと無理かもね』
  祥子は簡単におりる。 そして言う。
『じゃ白い塗料を塗ることで我慢するわ』
『残念だね』と邦也がいう。
『そうね。 だからこの次にはちゃんと準備をしておいて、邦也さんをモデルにしてこの石膏の塑像作りのプレイをやってみましょうね』
『いや、結構』
  邦也が慌てて遠慮するのに、また皆がどっと笑う。 今は邦也はいつもの手でさえぎるようにする動作は出来ない筈だから、後ろ手の身体を大きくくねらせでもしたのであろう。
『ところで、何か適当な白い塗料はあるかしら』と祥子がきく。
『ええ、倉庫には多分あると思います。 ちょっと捜してきます』
  そう言って孝夫が出ていく気配がする。
『しかし、祥子さんはよく色々とアイデアが浮かぶね』と邦也が感心したように言う。
『こんなのは序の口よ。 あたし、今日はまだ後で素晴らしいアイデアを実行することを考えているんだから、期待してらっしゃい』と祥子は笑いながら言う。
『何だか怖いわね』と玲子が笑う。



  しばらくして孝夫が戻ってくる。
『このペイントはどうですか?』
『ええ、いいわ。 よく判らないから、お任せするわ。 ただ、後で落すのは大丈夫なんでしょうね』
『ええ。 シンナーで洗えば、比較的容易に落せます』
『じゃ、さっそく始めて』
  眼鏡とかつらが外される。 周りに紙を敷いているらしい音がする。 眼をつぶる。
『じゃ、始めますよ』との孝夫の声がして、左の頬に刷毛の先があたる。 思わず、ぞくっとする。 刷毛が往復しながら、次第に頬からひたいへと移っていく。 眉やまぶたの上も塗られていって、右の頬に移り、さらに鼻、口、あごと塗り進んで、首筋まですっかり塗り終る。
『どうですか?。 この位で』と孝夫が言う。
『ええ、いいわ。 有難う』と祥子の声。
『これは速乾性ですから、5分もすれば手についたりしなくなります。 ちょっと待って下さい』
  ちょっとの間、静かになる。
『でも、真っ白な首というのも奇麗なものだね』と邦也がいう。
『ほんとね』と玲子。
『これだと、作り物の首、という感じが一層よく出てるわね』と祥子も嬉しそうに言う。
『うん、そうだね』
  私はこんな会話を聞きながら、目を閉じたままでうつらうちらしている。 そのまま、ちょっと時間が経つ。
『さあ、もう乾いたと思います』
  また、かつらがかぶせられる。 眼を開ける。
『あ、そうそう。 玲子、コンタクト・レンズも白い方と取り換えてあげて』と祥子がいう。
『ええ、でも』と玲子の声。
『ああ、そうね。 その格好じゃ無理よね』
  私も玲子が後ろ手に縛られたままであったことを思い出す。
『じゃ、孝夫。 玲子の紐を解いて上げて』
『はい』
  邦也が言う。
『僕だけ、まだ紐を解いては貰えないのかい?』
『駄目よ。 邦也さんは後2時間足らず頑張って、記録を作るんでしょう?』
『うん』
  また、邦也の不承不承の返事が聞こえる。
『じゃ、玲子さん』と孝夫が声を掛ける。
『はい、お願い』と玲子が応える。
  紐を解いている気配がある。 私は孝夫がいそいそと玲子の後ろ手の紐を解いている姿を思い浮かべて、思わずにやりとする。 そして何だか顔が少しこわばって、素直なにやりになってない気がする。
『はい、終ったよ』との孝夫の声。 『ええ、有難う』と玲子が応えている。
  玲子が何かを取り出し、『じゃ』と寄ってくる気配を感じる。 そして、『ちょっと眼を開けててね』という玲子の声が顔のすぐ前で聞こえて、右の眼の瞼が軟らかい指で抑えられ、レンズがはずされる。 一瞬、玲子の顔が見える。 玲子がにっこり笑う。 私も眼だけで笑ってみせる。
『さあ、そんな所で笑ってみせたりしてないで、早くやって』との祥子の笑いを含んだ声が響く。 『はい』と答えて、玲子が右手を前に差し出し、私の右の眼に乳白色のレンズをはめる。 そして、左の眼からもレンズをはずし、今度は手早く代りの乳白色のレンズをはめる。 一瞬だけ見えた外界がまた一面の乳白色の世界になる。
『これで白に統一されて、よくなったわね』と祥子が満足そうに言う。



  また皆がテーブルの周りに腰を下した気配がする。
『これもいいね』と邦也がいう。
『そうですね。 そう言えば、デパートなどのかつら売場にも、よくこういう真白なマネキンの首がかつらをかぶって並んでいますね』と孝夫。
『これなら、横にそういう本物のマネキンの首をいくつも並べておけば、あまり目立たないで飾っておけそうね。 実際に飾る時は、さっきの生き人形の首とこれとで、どっちがいいかしら』と祥子がいう。
『そうね。 この方がいいかも知れないわね』と美由紀。
『そうですわね』との玲子の声も聞こえる。
『それじゃ、本番ではこのタイプの首を第一候補にしましょうか』
  一度はそう言いながらも、祥子はまだこだわって付け加える。
『ただ、あたしは、同じ白でも、本物の石膏を塗り付けたものを飾ってみたいんだけど』
  そして孝夫が受ける。
『そうですね。 それだとこの次はもっとよく準備しておいて、それだけのプレイを計画する必要がありますね』
『そうね。 そしてそれがうまくいくようだったら、石膏の首を飾るか考えることにして、問題があるようだったら、この白塗りの首か、生き人形の首の方にしましょうか』
『まあ、そんな所ですかね』
  また会話がとぎれる。 いよいようまくいけば、私は真白な石膏造りの首として飾られることになるらしい。 またぞくぞくっとする。
  祥子がしめくくる。
『でも、まだ色々と試してみなけりゃならないことがあるし、美容院のマダムとの話もついた訳ではないし、やることは沢山あるわね。 でもそれだけに楽しみね』

3.5 シーミュータイム

第3章 箱詰めテスト第2日
05 /06 2017


  祥子が言う。
『さて、これでマネキンの首造りは一段落したから、これはこれでこのまましばらく飾っておくことにして、次は何をしましょうか』
  私も次の変化を期待して聞き耳を立てる。
『そうだね』とさっそく邦也の声。 『僕はまだタバコ責めの実際を見せてもらってないから、一度見せてもらえるといいな』
『そうね。 真っ白なマネキンの首の鼻の穴に差し込まれたタバコの火が、独りでに明暗を繰り返すのって少し異様な光景で、確かに魅力があるわね』
  祥子のこの言葉を聞いて、私は『これはまた、タバコ責めにされそうだな』と思う。 そしてそれをそんなに嫌がっていない自分を見いだして少々面白く感じる。 しかし、すぐに美由紀が反対する。
『でも、今でも祐治さんは限界ぎりぎりのプレイをしているのよ。 これにタバコ責めなんかするの、酷よ』
『それもそうね。 まあ、特にどうってことはないと思うけど』
  祥子は一応柔軟な態度を見せる。 そして笑いながら言う。
『そうね。 それじゃむしろ、邦也さんをタバコ責めしてみようかしら』
  とたんに邦也の慌てた声。
『いや、それならいいよ。 遠慮するよ』
  みながまたどっと笑う。
『それはともかくとして』と祥子はつづける。 『今日はせっかく「かもめの会」の規約をつくったのだから、一度、シーミュータイムの実験をしてみようかと思うんだけど、どうかしら』
  ああ、これが祥子の本音だったのか、と気がつく。 そして、何をする気なのかに興味が湧いてくる。
『いいね』とまず邦也が賛成の声をあげる。
『ちょっと怖いわね』と玲子の笑いを含んだ声も聞こえる。
『邦也さんは中味を何もきかずに賛成したけど、ほんとに大丈夫なの?』
  祥子にそう言われて、邦也がまたびっくりしたような声を出す。
『えっ、僕がこの上、何かされるのかい?』
『そうかもね』
『そうか。 それは考えものだな』
  皆がまたどっと笑う。
『それで、何をするんですか?』と孝夫がきく。 祥子がいう。
『それを言ったのではシーミュータイムにならないわよ。 とにかく、あたしが絶対権力を持つ女王様になるの。 そして、シーミュータイムでないと出来そうもないことをやってみたいのよ』
  ちょっと間がある。 そして玲子が発言して、
『あたし、ちょっと怖いけど、でも祥子さんがせっかくやってみたいとおっしゃるのだから、すっかりお任せしますわ』
と賛成の意志表示をする。
『そうね。 あたしも任せるわ』と美由紀が続く。
  祥子がその機をうまく捕らえる。 
『それじゃ、男のお2人はまだ迷っているようだけど、本来、シーミュータイムの宣言は、女王様に選ばれた時からのあたしの権利だから、ここで宣言することにするわよ。 いいわね』
  もう流れは定まる。 それに流されて孝夫が『はい』という。 邦也の『うん』という声も聞こえる。 邦也が後ろ手のまま、不承不承うなずいている姿が目に浮かび、また、にやりとする。
  祥子が宣言する。
『それでは、規約第8条に基づいて、只今、シーミュータイムを宣言します。 今からはみんな、あたしの言うことに絶対服従よ』
  皆がそれぞれに『はい』、『うん』と返事をしている。
  私も祥子が何を始めるのか、興味が涌いて、一層、聞き耳をたてる。 それと共に、一瞬、停滞しそうになったプレイの流れを積極的な方向に引き戻した玲子の発言のセンスと度胸の良さに改めて感心する。



  さっそくに祥子が指示を始める。
『じゃ、まず、孝夫はそっちの柱の所に行って、柱に背中を着けてマゾミちゃんの方に向いて、両手を柱の後ろに回して。 そして玲子は孝夫の手首をきちっと縛り合せてあげて』
  孝夫がびっくりしたように声を上げる。
『え、僕も縛られるんですか?』
『ええ、そうよ』
  祥子の口調は断固としている。 そして畳みかけるように言う。
『規約第10条によって、いやとは言えない筈よ』
  孝夫はその口調に押されたのか、『ええ、そうですね』と素直に応える。 そして、『じゃ、玲子さん、やって』と言って、左の方に歩いていく。
『紐はどこにあるかしら』と玲子。
『ええ、その横の段ボール箱の中に沢山入っているから、適当なのを選んで使って』
『はい』
  間もなく、左前の柱の辺で『じゃ』と玲子の声がして、紐を掛ける気配が始まる。
『邦也さんはこっちの柱の所にいらっしゃい。 そして、やはりマゾミちゃんの方に向いて立って。 美由紀は、邦也さんの手の紐はそのままでいいから、胸に紐を掛けて柱に縛り付けてあげて』と祥子がまた指示する。 美由紀が『はい』と応える。
『玲子の方はどうなったかしら』と祥子が左の方に行く。
『ああ、手首の縛りはこれでいいわね。 孝夫、これなら痛くなく、緩みそうにもないでしょう?』
『ええ』と孝夫。
『玲子はすぐ憶えるわね。 頼もしいわ』
『はい』
『そうしたら、次は胸に2重に紐を掛けて柱に縛り付けておいて。 それから、足首も縛り合せて、柱に縛り付けてあげて』
『はい』
  これで玲子への指示を終えて、祥子はまた美由紀に声を掛ける。
『それから美由紀も、邦也さんの足首を縛り合せて、柱に縛り付けてあげてね』
『はい』
  少しの間、作業が進む気配が続く。 そしてそれが止んで、また祥子が言う。
『あ、2人とも終ったわね。 それじゃ、猿ぐつわをするんだけど、マスクが足りないから、布粘着テープで抑えることにするわ』
『猿ぐつわもするのかい?』と邦也が情けなさそうな声を出す。
『ええ、そうよ』と祥子は断固たる口調で応える。 そして指示を続ける。
『それじゃ、2人とも、それぞれ孝夫と邦也さんの口にこの小布れを詰めて、テープを巻いて。 そう、まず鼻のすぐ下を通るように2重に巻いて、それから3重目はあごに掛けてぐっと押さえるようにして』
『はい』
  またひとしきり、テープの巻きをはがす音などが響く。
『それから、これだけだと無理にあごを開けて猿ぐつわが外れる恐れがあるから、そう出来ないようにあごをテープで留めておきましょう。 それにはあごと頭とを一回りするテープを巻き付けるんだけど、髪の毛にテープがくっ付くとお気の毒だから、まず、頭には布切れをかぶせておきましょう』
『はい』
『そう、それが済んだらテープをあごから巻き始めて、こめかみを通して頭の頂点へぐっと引っ張りながら巻いていって』
  祥子のこと細かな指示とともに、テープのはがれる音などがして作業の進展が窺われる。
『そう、それから反対側のこめかみを通してあごまで延ばして、ぐっと引っ張って留めるの。 そう、横も剥がれないようによく押しつけておいて。 ね?、そうしておけば口は絶対開かないでしょう?』
『ええ』
  やがて作業の物音が止む。 今や2人の男はそれぞれ左右の柱にきっちり縛り付けられ、口は3重に巻き付けた幅広の布粘着テープで蓋され、その上、顔を一周してテープが巻き付けられて、眼だけをきらきらさせて女の子達を見ている筈である。
『さあ、これで一段落ね』と祥子が言う。 そして少し笑いを含んだ声で続ける。
『これで完全に女の天下になって、男の方達はもう、何をされてもどうにもならないのよね』
『そうですわね』
  玲子が応える声も少し笑いを含んでいる。 美由紀の声が聞こえないが、彼女はあまりSの趣味がないので、黙って男達を見ているのであろう。
『じゃ、まず少し、この情景を鑑賞させて貰いましょう』
  右手で『むむ』という声がして、ちょっと紐がきしむ。 邦也がもがいているのかな、と思う。 確かにこうきっちり縛り上げられ、祥子のこういう発言を聞いては、じっとしていられない気持にもなるだろう。 また、にやりとしたくなる。
  こうして少しの間、女3人が動けない男どもを鑑賞した後、また祥子が指示を出す。
『さて、これで第一段階が終ったから、次は第二段階に移るわ。 今度は玲子が美由紀を高手小手に縛ってあげて』
  玲子が『はい』と返事をする。 そして、『それじゃ、美由紀さん、紐を掛けさせて頂くわね』と言い、美由紀が『ええ、よろしく』と応える。
  しばらくの間、紐のこすれるかすかな音だけが聞こえ、そして終わる。
『ああ、できたわね。 それじゃ、次は美由紀の口に小布れを詰めて、そこにある黒い革のマスクを掛けて、よく締めておいて』
『はい』
  少しして、また祥子が指示を出す。
『終ったら、美由紀をそっちの邦也さんの前のフックの下に連れていって、背中の紐の先を垂れている紐の輪に通して、ぐっとひっぱって結んで。 そう、足は床に着いたままでいいけど、出来るだけ一杯に引き上げるようにして吊っといてね。 それから足首も揃えて縛っておいて』
『はい』
  作業をしている気配がつづく。
『さあ、出来た。 ね、面白いでしょう?。 シーミュータイムだと、あたしが何も手をくださないでもみんなを縛り上げることが出来るの』
『ええ』
  また、2人の笑い声が響く。
  ついで祥子が言う。
『じゃ、最後は玲子ね』
『ええ、そうですわね』
  玲子の返事の声は平静で、少し笑いさえ含んでいる。  それを聞いて、祥子は少しいぶかしげな口調になる。
『あら、玲子は最初から分っていたのかしら』
『ええ、大体は。 さっき祥子さんが、シーミュータイムでないと出来ないことをやってみたいと言われて、孝夫さんを縛るように指示なさった時に、ああ、あたし達全員を縛り上げる積りなんだな、と思いましたの。 さもなければ、孝夫さんを縛るということは考えられませんもの。 そうしましたら、やっぱり思っていた通りでしたわ』
  玲子が面白そうに笑う。
『ああ、そう。 玲子って鋭いわね。 そう的確に見通されてしまうと、ちょっと縛る気がしなくなってしまうわね』
『いいえ、そんなことおっしゃらないで。 せっかくですから』
『そうね。 じゃ、やっぱり、最初の考え通りに進めるわね』
『はい』
  祥子が玲子に紐を掛ける気配が始まる。 そしてしばらくして、『じゃ、口をあけて』と祥子がいう。 玲子が『はい』と応える。
  ついで、『じゃ、こっちのフックの下に来て』と祥子がいう。 玲子はもう猿ぐつわも掛けられて返事はなく、2人が左手のフックの方に歩いていく気配だけを感じる。 そして少しの間、吊ったり、足首を縛ったりしているらしい気配があって、『さあ、すっかり出来あがったわ』という祥子の嬉しそうな声が響く。
  私は見えない眼をいっぱいに見開いて、遊戯室の中の光景を頭に浮かべる。 まず、3本並んだ柱の外側の2本に孝夫と邦也とが後ろ手に厳重に縛り付けられている。 2人は顔の下半分をぐるぐる巻きにした布粘着テープで口をきっちり蓋されている上に、顔の周囲をあごから頭まで縦に巻き付けた布粘着テープで、あごの動きが完全に抑えられている。 そして、左手の柱に縛り付けられている孝夫の前には玲子が、右手の柱に縛り付けられている邦也の前には美由紀が、それぞれ高手小手に縛り上げられ、口は黒い革のマスクで口を蓋されて、背中から上に延びた紐で天井のフックに吊られている。 2人とも足は床に着いているらしいが、足首を縛り合され、体を一杯に伸ばしたまま吊られているらしいので、身動きする余地はほとんど無さそうである。 そして、中央の柱の前の2つのフックの遠い方、つまり美由紀と玲子のフックを底辺の2つの端点とすると直角2等辺三角形の頂点に当る場所のフックの下あたりに一つの大きな木の箱が置かれ、その蓋の上に、中央の柱の方を向いて一つの真白なマネキンの首が飾ってある。 部屋の中で自由なのは祥子ただ一人である。 それは想像するだけでもぞくぞくっとする、刺激に満ちた光景である。



『しかし、楽しい光景ね』と祥子がいう。 祥子は今は私の右前で、椅子に座って、部屋中を眺め回しているらしい。
『あ、そうだ。 記録を撮っておきましょう』
  祥子は一人言のようにそう言って、立ち上がる気配がある。 しばらく、祥子が部屋のあちこちに行って、カメラのシャッターを切る音がつづく。 そして、『どこから撮っても、この全体の雰囲気を掴まえるのは難しいわね』とまた一人言のように言う。 そしてまた椅子に座った模様である。
  時々、紐のきしむ音がするだけで静かな時が流れる。 ふと思いついたかのように、祥子が言う。
『それじゃ、邦也さんのご要望に従って、マネキンちゃんに鼻でタバコを吸わせてみようかしら』
  右手でかすかな『むっ』という声がする。 邦也だろうか、美由紀だろうか。
  人が近づいてきて、かつらを脱がされ、口を覆い、うなじに掛けて3重にテープが巻かれる。
『そうね。 口枷であごが動かないから、菱紐は掛けなくても、テープだけで口からの空気の出入りを完全に止められるのよね。 便利ね』
  祥子の口振りはいかにも楽しそうである。
  再び、かつらがかぶされる。 ついで両方の鼻の穴にタバコ・ペアの吸口が差し込まれ、紐で留められる。 呼吸の周期が大分長くなる。
『2号だから安心なさい』との祥子の笑いを含んだ声。 思わず『うん』をうなずきかけるが、頭が動かない。 首も板に抑えられて動かない。 後ろ手に縛り合わされた手首や、AT縛りの脚にも意識が行く。 改めて、私は自分では動くことのない、命のないお人形なんだ、と思い知らされる。
  左前の上の方で、天窓の閉まる音がする。 マッチをする音がする。 眼が全く役にたたないので、耳がひどく敏感である。 祥子が右手の部屋の入口の方に行く。 カチッとスイッチを切り替える音がして、視界が急に暗くなる。 祥子が戻ってくる。
  眼の前がまた少し明るくなる。 ローソク立てを手にした祥子が箱の前に立って白い人形の首をみつめて居る有様を目に浮かべる。 1呼吸する。 顔の前に手の気配を感じ、明るさが増す。 大きく息を吸う。 喉にタバコの刺激がはしる。 一度、息を吐き、もう一度息を吸う。 さらに強いタバコの刺激を感じる。 『もう、大丈夫ね』との祥子の声があって、手の気配が遠のく。 2~3呼吸の間、そのまま、過ぎる。
『でも、面白いわね。 真っ白なお人形の首が鼻でタバコを吹かしているって。 少しの間、このまま、観賞しましょう』
  祥子は独り言のようにいう。 誰も相槌を打つものはない。 さぞ、手持ちちぶさたなんだろうな、と思う。 顔の右前にローソク台を置き、祥子はすぐ横に椅子を持ってきて座った気配がある。
  出来るだけ静かに呼吸を繰り返す。 のどの感じが少しおかしいが、まだせき込むほどではない。 何時ものように心の中で呼吸を数え始める。
  35を過ぎる。
『そうね。 もう、この景色は大分見たから、今度は真っ暗の中の小さな2つの灯の明暗を観賞しましょう』
  ふっとローソクの火を吹き消す気配があり、視界が真っ暗になる。 私は相変らず、出来るだけ静かに呼吸をくり返す。
  40、50と数が進む。 気のせいか、やや呼吸が荒くなる。 のどが大分おかしくなる。 しかし、もう終りに近い筈、ということで、なんとかせき込みを抑える。 一度軽くせき込む。 しかし、つづく咳を懸命に抑える。
  数は60を越え、61、62と進む。 65の辺で吸った空気にタバコの刺激がなくなる。 『ああ、終った』と思う。 そのまま、鼻をすうすう言わせて、数を数えながら呼吸を続ける。 まだ、祥子は動かない。
  80を過ぎた所で、『さあ、終ったわ』と言う祥子の声が聞こえ、また右手の方に行く気配がして、視界がぱっと明るくなる。 祥子が戻ってくる。 鼻からタバコの燃え残りが取り去られる。 口を覆って居たテープも剥がされる。 少し鼻水が出る。 『あらあら、このお人形さんって、鼻水まで出せるのね。 うまく出来てるわね』といいながら、軟らかい紙で鼻の下を拭ってくれる。 普段ならば笑い声が起きる所だが、今はそれもない。
『これでタバコの行事も終ったし』と祥子は言う。 次にどうする気かな、と聞き耳を立てる。 『それじゃ、あたしは少し外出してきますから、みんな、おとなしく待っててね』と祥子の笑いを含んだ声が聞こえる。 誰かが、『むっ』っという声を出す。 少し紐がきしむ。 私も思わず、ぞくぞくっとする。
  右手の方で扉が開く気配がする。 視界がまた真暗になる。 ぱたんと扉が閉まる音がする。 御丁寧にも、扉に鍵を掛けているらしい、かすかな音も聞こえる。 また誰かが『むっ』という声を出す。 それっきり静かになる。



  かなり長く感じられる時間が経つ。 その間、時々紐のきしむかすかな音と、何人もの鼻ですうすう呼吸する音とが聞こえるだけの静かな時が流れる。
『祥子はどこに行ったのかな。 外出するって言ってたけど、ほんとに家から外に出て行ってしまったのかしら』と考える。 少し心細くなる。
  プレイだから、もちろん祥子はそのうちには帰ってくる積りでいるのだろうが、ほんとに外出して、万一、交通事故にでも遭ったりしたら面倒である。 今日、我々がここに会合していることは我々以外は誰も知らないのだし、この部屋の者は誰一人として自力で自由になれる者はいないのだから、皆が自然に消耗して、静かにこの世と別れていくということになりかねない。 精々よくて、孝夫の家の人が旅行から帰って来て、扉を開けて、びっくりして、助け出してくれるというところだろうが、それも余りぞっとしない状況である。 それに、帰ってくるのは3日先か、1週間先か、何も聞いてないから分らない。 3日先でも、Pセットをしている私は、それまでとてももちそうもない。 色々と妄想が頭に浮かぶ。 また、ぞくっとする。 こういうプレイにかなり慣れている筈の私でさえこうだから、外の者はもっと心細い思いをしているだろうな、と考える。 特に今度の合宿で初めてプレイに参加した玲子はどう感じているのだろうか。 玲子はとても度胸があるみたいだから、案外、平気でいるかしら。
  また、時間が経つ。 祥子はまだ帰って来ない。 西伊豆の合宿で、私が中央の柱に厳重に縛り付けられ、祥子と美由紀が左右に吊り下げられていて、孝夫が一人で悦にいっていたプレイがあったことを思い出す。 そして、この前の月例会で、皆であの時の写真を見たとき、孝夫があのまま外に遊びに出ていくそぶりを見せたら、3人にとってかなりきつい心理的責めになっていたのに、と言った話が出たことも思い出す。 祥子は今それを、しかももっと徹底したやり方で実行しているのだ、と気がつく。 また、どこかで紐もきしむ音がする。
  また少し時間が経つ。 入口の方でかすかな音がする。 耳をすませる。 不意に視界が少し明るくなる。 扉が開く音がして、『どうお?。 みんな、すっかり堪能した?』との祥子の声が響く。 また紐のきしむ音がする。 視界が急にすっかり明るくなる。 思わず眼を閉じる。
『それじゃ、これでシーミュータイムは終了、ということにするわ。 と言ってもこのままでは誰も何も出来ないのね』
  祥子が面白そうに笑う。 また、紐のきしむ音がする。
『じゃ、そろそろ紐を解くわね。 さっきと逆の順序で、玲子からにするわね』と祥子がいう。 また紐のきしむ音がする。
  少しして『ああ、有難うございます』という玲子の声がある。 そして、『玲子は足の紐を自分で解いたら、孝夫の紐を解いてあげてね。 あたしは美由紀の紐を解くから』と祥子が指示し、玲子が『はい』と応えている。 右手の方で、『むっ』という邦也らしい声が聞こえる。
  左手で『じゃ、まずテープをはがすわね』という玲子の声がして、テープをはがす音があり、ほどなく『ああ、助かった。 有難う』という孝夫の声が聞こえる。
  美由紀はまず吊りから外されて紐を解かれたらしく、その後で猿ぐつわを外す気配があって『ああ』と声を出している。 そして、すぐに私の前にやってきて頭をさすり、『口もきけないお人形の身でタバコ責めなんかにされて、可哀そう』と言う。 皆がどっと笑う。
  それからまた少しして、『また僕が最後だったね』と少し恨みがましい邦也の声が聞こえる。 『そんなこと言うと、また口を蓋しちゃうわよ』と祥子が笑いながら言う。 『あ、もう言わない』と悲鳴のような邦也の声が響く。 皆がどっと笑う。 とにかく、これで全員が自由になった模様である。 ただし、邦也の後ろ手の紐はそのままであろう。

さおりん

これは若い男女4人(途中からは6人)で結成した「かもめの会」の活動を記録した、明るく楽しいSMプレイ小説です。この小説は原著作者・久道あゆみさんより許諾をいただいて掲載させていただいております。

この物語はフィクションです。描写における安全性・遵法性・実現可能性などは担保されておりません。実際に試みる場合はプレイメイトとの合意を得ることはもちろん、十分な安全確認を行い、法律に触れないことを貴方の責任において確認してください。結果、どのような損害が発生しても責任は負いません。